「好きです」

その言葉に、臨也は眉を下げて言った。

「ごめんね?」






女子生徒が発したらしい声に、門田は読んでいた本から視線を上げた。
気まずい所に出くわした。いや、元々先に門田がいたから「出くわした」というのは違う。正しくは「居合わせた」だ。

門田は学校の比較的人気のない場所にベンチがあるこの場所を最近見つけ、たまに本を読んだり休みに来ていた。
友人である暴力を嫌っているがキレやすい男とそれを煽りに煽り屁理屈をこねまくる男、そして惚れた女の事を始終聞かせてくる男は何時も騒がしく、静かな場所を好む門田は一人でいるこの時間を重宝している。
別に友人達が煩わしい訳ではないが、たまにはのんびりと過ごしたいとは思う。それを唯一惚れた女の事を始終聞かせてくる男に言った所、「門田くんは枯れてる節があるよね、枯木寒岩とは真逆だけど」と言われた。その時、自分は真逆なのかと驚いたのを覚えている。

その至福の一時を過ごしている時、人が歩いて来るのを感じた。遅れてもう一人歩いて来る。
こんな場所に何の用だと訝しんだが、なるほど、比較的人気のないこの場所はそういう場合に使われるのか。そんな事を考えながら、ベンチに座って息を潜めた。
こういう場合では見付かるのは避けたい。人の恋路に首を突っ込む気はないし、自分が関わる事ではない。それに、見付かったら面倒臭くなる気がするのだ。
この場所が今告白されている場所から見えない事は幸いだ。門田からも見えないが、見るつもりもないから構わない。

そんな事を考えていたら、相手の男の声が聞こえた。
その声にやはりかと思う。全く、面倒臭い所に居合わせたもんだ。
気にしないように本に視線を落とす。暫くするとパタパタと走り去る足音が響いた。
終わったかと門田は小さく息を吐く。そのまま男も気付かずに立ち去ってくれ。そう願ったが、そういった願いはこの男に限って叶うはずがない。

「出刃亀は野暮ってもんじゃないの、ドタチン」

門田の前に立ったキレやすい友人を煽りに煽り屁理屈をこねまくる男は、何時ものように考えが読み取れない笑みを浮かべていた。
何時の間に目の前に来たのか分からなかったが、門田は今自分の前に立ち塞がっている男に、また小さく息を吐く。今度のは溜息だ。

「臨也、そのあだ名は止めろって言ったはずだ。それにお前が俺がいるって知ってて此処を選んだんだろ」

ニイ、と子供が虫をいたぶり優越感を感じた時のような、純粋な意地の悪い顔で臨也が笑う。
門田は疲れがのしかかってくるのを感じた。癒されていたこの時間が無意味になる予感がする。
開いていた本を閉じる。どうしてだと目線だけで聞くと、臨也は笑みを深くした。

「ドタチンはどんな反応をするか気になったから」

「は」と言う事は、門田以外にもやった事があるのだろう。飄々と言う臨也は、楽しくて仕方がないという表情をしていた。
だが、きっとこの表情も本心からではないのだと門田は知っている。趣味である人間観察の為に、臨也は言葉を選び表情を選んでいるのだ。
門田はそれを趣味が悪いと思っているが、口には出さなかった。やり過ぎている場合には一応制止や牽制をするが、臨也は何処まで大丈夫か線引きするのが上手く、何時もギリギリで止めるからだ。
賢い奴の悪趣味は手の付けようがない。門田はそう考えている。
だから今回その悪趣味が自分に焦点を絞っていても、格段腹は立たなかった。ただ面倒臭いな、と思っただけだ。

「どう思うも何も、俺には関係のない事だろう」

閉じた本を膝に置き、ベンチの背もたれに体重を預ける。上を向けば、鱗雲が目に入り口元が綻んだ。

「えー、何とも思ってないの?羨ましいとかあの娘が可哀相とか何で臨也くんはこんなにモテるんだろうとかさ、何かあるでしょ」

「いや、別に・・・」

そんな事を言われても、どうも思っていないものは思っていないのだ。いくら臨也が聞いてきても門田はそれ以外の答えは返せない。
羨ましいとは思わなかったし、フラれたであろう女子生徒にはフラれて正解だとさえ思ったぐらいだ。顔と頭と人当たりだけは良いこの男と付き合えば、どんな事に利用されるか分からない。
その歪みきった本質を上手く隠して立ち回るから、女は綺麗な上辺に引っ掛かるのだろう。そうでなくては、こんな男に惚れるなんて有り得ない事だ。尤も、利用されてもいいと言う女がいたら別の話だが。
そう考えていた門田は、ふと気になる事に気付いた。

「何でお前は付き合わないんだ?」

臨也が告白を全て断っているのは有名だし、それでも自分なら大丈夫だと変な自信を持っている女達に告白され続けているのも有名だ。
学校以外に恋人がいる訳でもなさそうだし、女に興味がない訳でもないはずだ。
健全な男子高校生なら彼女くらいいても可笑しくない。むしろ告白を断る手段としては最適だろう。
それなのに臨也は彼女を作らず、告白される度に断り、食い下がる女達を相手に困ったような顔をしてきた。この男なら好きでもない女と出掛ける事は疎か、キスもセックスも嫌な顔一つせずやってのけ、相手を利用するような気がするのに、だ。
流石にそこまで最低な奴ではなかったのか、それとも何か理由があるのか。

「何だ、そんな事なの」

臨也は門田の疑問を聞いた瞬間、あからさまにがっかりし、肩を落とした。どうやら聞いて欲しかった事とはまるっきり違うらしく、つまらなそうに言った言葉は素っ気なかった。

「俺はさ、人間を愛しているんだ。シズちゃん以外の人間全員をね。優先順位なんて存在しないし、特別な人間なんて有り得ない。もし俺が誰かと付き合ったら、その誰かは俺にとっては大勢の中の一人だとしても周りからは俺の特別な存在と認識されるだろう?俺は人間という存在を愛しているのに。だから彼女は作らないし、特別な存在もいない。俺にとって全人類が特別な存在だ」

今更何を、と言外に込めて臨也は言った。臨也にとってそれが当たり前で大前提で根本の考えらしい。臨也は人間を愛しているのであって、個人を愛しているのではないのだ。
門田は臨也のその答えに首を傾げた。

「それは寂しくねぇか?」

「・・・さみしい?」

臨也が鸚返しで聞いてくる。その表情はきょとんとしていて、門田と同じように首を傾げていた。
いや、俺はよく解らないが、と断ってから、門田は言葉を紡いだ。

「それはお前の一方通行じゃないのか?人類全員がお前を受け入れる訳じゃないし、お前がいくら人間を愛していても理解される訳じゃないだろ。支えられる訳でも信じられる訳でも愛される訳でもない。それって寂しくないか?」

別に門田だって恋愛至上主義ではない。むしろ冷めている方だ。それでも、臨也の言い分は何処か違う気がした。

よく愛は見返りは求めないと言うが、門田はそうは思わなかった。愛したのなら愛して欲しい。そう考えるのは普通の事だろう。
しかし、臨也は人間を愛せればいいと考えている。愛される人間の気持ちなんて関係なく、自分が愛せれば満足だと本気で考えているのだろう。
それは空しく寂しい事ではないか、そう思ってしまったのだ。だから、人の考えに口を出さない門田が、思わず口を出してしまった。言った後に臨也から視線を逸らす。

余計な事を口にしたと思ったが、もう遅い。言ってしまった事はやり直せない。惚れた女の事を始終聞かせてくる男の顔が浮かんだ。あの男が居たらきっと、四字熟語で「覆水不返だね」と笑い掛けてきただろう。
門田は逸らしていた視線を臨也に合わせた。臨也は何時もの人を喰った笑みを浮かべていた。感情も考えも、全く読み取れない。
臨也、と名前を呼ぼうと口を開いたら、臨也が待っていたかのようにその言葉を遮って、上から違う言葉で塗り潰した。

「じゃあさ、教えてよ」

気まずさを感じていた門田とは対照的に、臨也の声は明るかった。その事に門田は違和感を覚える。は、と曖昧な言葉しか出て来なかった。は?何を言っているんだ?

「ドタチンが教えてくれればいいじゃん。本当の愛って奴を」

臨也は飄々とした態度で何時もの笑顔を張り付け、しかし口以外は全く笑っていない表情で言う。
門田は、これはやばいんじゃないか、と思った。もしかしたら、臨也の触れてはいけない所に触れてしまったのではないか。
背もたれから離れていた背中に冷たいものを感じながら、門田はそんな自分の考えも否定するかのように臨也に鋭い目線を向けた。

「おい、冗談もいい加減に・・・」

しろ、と言い切る前に身体が後ろに倒れる。遅れて、ドンと音がした。
痛いと思い肩を見ると、臨也の手があり、肩を掴まれていた。その肩を押さえ付けるようにして、背もたれに門田の身体を押し付ける。
被さるように臨也が体重を掛ける。肩を掴んでいる手に余計に力が掛かり、門田は痛みに顔をしかめた。
顔を上げれば臨也の顔と身体が視界一杯に広がり、空も先程見た鱗雲も見えなかった。

「冗談じゃないのは判ってるよね。ドタチンが言ったんだよ、寂しくないかって。ならドタチンが俺に教えるべきでしょ?」

何時の間にか膝に置いてあったはずの本が地面に落ちている。
いきなりの事だからか、臨也の見た事のない迫力に押されたからか、力が入らない。
臨也は門田の上で、明るい、だけど感情が入ってない声で言う。

「俺はドタチンを愛してるよ」

だから、と臨也が肩を掴む手に力を込め、門田の身体を引っ張った。驚いている門田に臨也は顔を近付ける。
臨也は相変わらず口元だけは上げている。門田は臨也から目が離せない。
そして、気が付いたら口を塞がれていた。驚きで空いた隙間から捩込まれ、そのまま好き勝手に動き回られる。今度は驚愕で門田は固まった。

どれくらいそうされていたか分からない。ほんの数秒かもしれないし、数分かもしれない。
しかし、解放された門田にとっては数十分にも感じた。動きの鈍い頭でようやく、とさえ思った。ようやく、解放された。息も絶え絶えだ。訳が解らない。
対して臨也は何一つ乱れていなかった。笑顔もそのままだ。

「俺を愛してよ」

臨也は解放した後にそう言って、笑みを深くする。そして犬のように、門田の唇をぺろりと舐めた。
その顔を見て、門田はああと思う。臨也のその顔は、大人が新しい玩具を手に入れた時のようだった。






ハッピネス・イズ・ア・ウォーム・ガン



鱗雲はもう見えない。



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