空は突き抜ける程青く広い。
雲さえ見当たらない空を見ながら、クルルは言った。

「・・・・・・え?」

その言葉に、ドロロはただ目を丸くした。丸くした目でクルルと空を交互に見る。
上に広がっているのは、やはり何処までも広い青い空。
困った顔をしてもう一度クルルを見ると、クルルは肩を震わせくつくつと笑っていた。

「あの、曹長殿・・・?」

笑っているクルルに、遠慮気味に声を掛ける。
自分の聞き間違えでなければ、クルルには見えているのだろうか。
どうすればいいのか分からず困った顔を晒していると、クルルはそんなドロロに笑い掛けた。

「ドロロ先輩、月が綺麗ですね」

青空の下、クルルは笑って言う。
聞き間違えではなかった事は分かったが、意味は解らなかった。

「・・・まだお昼でござるよ?」

そう、まだ昼だ。
太陽はさんさんと降り注いでいるし、月はおろか星すら見えない。
なのに、クルルは月が綺麗だと言う。
ついでに言えば、普段外に出ないクルルが、何故今自分と共に日向家の屋根上にいるのかも解らない。
解らない事だらけで頭がぐるぐる回る。そんなドロロに対して、クルルはただ楽しそうに笑っていた。

「曹長殿、どういう」

「意味は自分で考えでくれよ〜?」

意味、と続けようとしたところで、その言葉をクルルにとられた。しかも答えは教えてくれないらしい。
思わずうーん、と唸ると、クルルはまた楽しそうに笑った。

「ま、分かった時に返事もよろしくお願いしますよ」

「へっ、返事?」

返事をする事なのかと驚いてクルルを見ると、クルルは瞬間移動のリモコンを手に持っていた。

「長くなりそうだから、気長に待ってるぜぇ。んじゃあなー」

ポチッと。
そんな何時も通りの掛け声で、クルルは屋上から姿を消した。

「え、何?ちょっとクルルくーん!」

ドロロに大きな疑問と小さな不安を残して。
空は相変わらず、晴天だった。






その日から、いや、詳しく言えばその時から、ドロロはクルルのあの言葉に悩まされていた。
月は何回見ても見えないし、言葉の意味を考えても『月が綺麗』としか考えられない。
月に意味があるのかと思い調べてみたが、神秘的な意味は多くあったがこれといったものはなかった。
女神、女性といった陰の意味。兎、柳といった神話による月の模様。豊作の象徴として奉られている惑星。あと、月のラテン語である「ルナ」を語源とした英語の「ルナティック」は「気が狂ってる」という意味もあった。
「この気狂いめが」とかいう意味だったらどうしようと、ドロロは胸が重くなった。有り得ないとは思うが、もしかしたらその意味もあるかもしれない。
解らない言葉と嫌な予想に深くため息をつき、ドロロは読んでいた本をバタンと閉じた。

「あれ、ドロロ読み終わったのー?」

本を閉じた音で分かったのか、小雪が拭いていたくないを置き近付いてくる。

「で、何か分かった?」

にこにこと笑って小雪はドロロの正面に座った。親身に聞いてくれる小雪に、ドロロはふるふると首を横に振る。

「いや、これには載っていなかったでござる。わざわざ学校から借りて来てくれた小雪殿には申し訳ないのでござるが・・・」

ドロロは本の表紙を撫でながら申し訳なさそうに微笑んだ。それに小雪は手を振りながら笑う。

「それはいいよ、毎日通ってるし!それよりも惑星や天体じゃないのかなぁ」

うーん、と悩み始めた小雪に感謝しつつ、ドロロは小さく笑った。ああなってしまうと小雪は長い。それが自分の為であると思うと、何だかもやもやしていた胸が暖かくなった。

「夏美さんに聞いても分からないって言ってたしなぁ」

月が綺麗、月が綺麗とぶつぶつ呟く小雪と共に、ドロロも何回考えたか分からないその意味を考える。
実際の月は関係ないのだろうか。晴天の昼間に言ったのには意味があるのだろうか。
クルルは、どんな気持ちで言ったのだろうか。
何度繰り返し考えても分からない答えに、ドロロは肩を竦めた。全く、ここ数日この事しか考えていない。

「小雪殿、お茶でも飲んで一旦頭を休ませた方がいいでござるよ。明日人に聞いてみれば良いのでござるから」

「あ、うん。そうだねぇ」

そう返事はしたものの、正面でまだぶつぶつ考えている小雪に苦笑し、ドロロはお茶を煎れるべく腰を上げた。






翌日。
小雪に言ったように、小隊メンバーがいる基地へと赴き聞いてみた。その際自身の存在感の希薄さを指摘されトラウマスイッチが入ったが、それはとりあえず置いておこう。
ドロロは「月が綺麗って何かな」と小隊メンバーに聞く。

「はあ?そのまんま、月が綺麗って意味じゃないのー?」

「風情だと述べたいのではないか?」

「ドロロせんぱーい、大丈夫ですかぁ?」

「てゆーか意味不明?」

聞いた結果、全員全ての答えにクエスチョンマークが付くという、答えにもなっていない答えが返ってきた。しかも暗に頭が大丈夫かと心配されている。ドロロは後輩からの視線が痛く感じた。

「てゆーかさぁ、何それクイズ?」

幼なじみであるケロロが半目でドロロに尋ねる。ドロロは苦笑を浮かべて、頬を二、三度掻いた。

「何処かで耳にしたらしく、妙に気になってしまって・・・」

ごまかしたのには深い意味はなかった。小雪に聞いた時に思わず口から出ていたのだ。
口から出た後で、返事する事だからきっと個人的な事なのではないかと理由を思い立ったほどだった。
一度そう言ったのだから突き通さないといけないと変な使命感から言った言葉に、ケロロは「えー」とつまらなそうに唇を突き出した。

「そんな事で聞きに来たんでありますか?馬鹿じゃないのー」

「酷いよケロロくん・・・」

ケロロの言葉に、トラウマスイッチが再び入る。何時もの如く部屋の隅で鬱々としたオーラを纏い、体育座りで座った。
小隊のメンバーは何時も事だからとドロロの様子を気にもせず、各々持ち場に戻って行く。ドロロの聞いた理由がつまらなかったのもあるかもしれない、やる気のない足音が基地に響く。
その足音を聞きながら、鬱々とした思い出の中にもクルルの言葉が渦巻いていた。






どれ位そうしていたのだろうか。ある程度トラウマスイッチも切れ、気分が浮上したドロロは辺りを見回し誰もいない事に本日三度目のスイッチが入りそうになった。
しかし、流石に今回は入らずに済んだ。三度目の正直というか、クルルの言葉が気になってしょうがなかったからだ。
今は何時なのかと基地内を見るが、生憎時計は見当たらなかった。だが来たのは午前中だ。いくらトラウマスイッチが入っていたとしてもまだ昼を過ぎている位だろう。ドロロはそう見当を付けて基地を出た。
結果から言えば、正にその通りだった。しかも丁度クルルと日向家の屋根上にいた時と同じ位の時刻だった。
ドロロは電信柱のてっぺんに立ち、空を眺める。太陽は真上からは少し外れているが、さんさんと輝いていた。
あの日とは違い、雲が多く浮いていたが、それでも晴天なのは変わらない。
空を注意深く眺めていると、下から声がした。

「あ、ドロロじゃん」

知り合いにばったり出くわしたかのような気軽さで呼ばれた自分の名前に、ドロロは空に向けていた視線を下へ向けた。

「睦実殿・・・」

下には手を振って笑っている地球人がいた。正しく知り合いだ。
だが、よく自分を見付けられたものだとドロロは感心した。普通こんな電信柱の上にいても気が付かないし、もし気が付いてそれが知り合いでも声を掛けようとは思わないだろう。
自分達と深く関わってるからこその行動なのかな、とドロロは内心苦笑し、睦実のいる横の塀に降り立った。

「どうしたの?そんな所で空なんか見て黄昏れちゃって」

「あ、いや、月が見えないかなと思って」

「つきぃ?今昼だよ?」

正直に言えば、睦実は怪訝そうに顔を歪めた。そこに好奇心と愉快さが若干含まれている事に、ドロロは今度は顔に出して苦笑した。

「そうなんでござるが・・・。あ、睦実殿は天体に詳しいとお聞きしたのでござるが誠でごさるか?」

確か夏美殿か曹長殿か、誰かに聞いたと思う情報を思い出す。
睦実は一瞬きょとんとして、口元に手をやり考えるそぶりをした。

「まあ、そこそこかな?うん、誠誠。何、ドロロ今天体に嵌まってるの?」

「いや、そういう訳ではないでござるが。曹長殿に言われた言葉の意味が解らなくて」

「クルルが?何て言ったの?」

笑っていた顔が、クルルの名前を出した途端に興味津々の子供のような顔になる。
ドロロはクルルの名前を出してしまった事に少し自責の念に駆られたが、普段の二人の様子から、まあ大丈夫だろうと思い直した。
そして、言葉を言う。

「『月が、綺麗ですね』」

言った瞬間、睦実の笑顔が止まった。固まったや凍り付いたとは違う。止まったのだ。

「と・・・・・・」

ドロロは続いた言葉を口にしながら、変な事を言ってしまったのではないかと冷や汗をかいた。
実際言ったのはクルルだが、それを人に伝えるのはやはりまずかったのだろうか。自分だけではなく、クルルの評価やイメージを落としてしまう言葉なのだろうか。そんな不安や罪悪感がドロロを襲う。

「・・・クルルが?」

睦実の顔は止まったままだ。剣呑な目で聞かれ、ドロロは不安や罪悪感からパニックになりつつ、あ、だの、うん、だの意味の成さない言葉を吐きながら頷いた。
そんな変な言葉だったのかな、回らない頭で再度考えていると、何かが噴き出す音が聞こえた。よく見てみると、睦実が堪えきれなさそうに笑いを我慢していた。

「む、睦実殿・・・?」

どうしたのかと尋ねようとしたそのドロロの言葉をきっかけに、睦実はとうとう我慢していたものを噴き出した。

「アハッ、アハハハハッ!ひ、もう、クルルらしいなぁ!」

一人爆笑する睦実にどうしたらいいのか分からず、ドロロは冷や汗を流し続けながら首を傾げるしかない。やはり変な言葉なのだろうか。
ドロロが胸中を不安でいっぱいにしている間に睦実は一仕切り笑ったらしく、目尻に浮かぶ涙を拭って「ごめんね、ドロロ」と謝った。

「悪いけど、俺は、その意味は教えてあげられないや」

「えっ、何で!?」

まだ治まっていないのか、睦実は所々詰まりながら言う。ドロロは思わず素の口調で聞き返してしまった。
ごめんとは笑いまくった事なのか、教えられない事なのか、はたまた両方か。睦実はやんわりと笑いながら、また「ごめんね」と謝った。

「きっと俺以外なら大丈夫だから。・・・そうだね、冬樹くんに聞いたら教えてくれるんじゃないかな」

「冬樹殿、でござるか・・・」

何故睦実は駄目で、冬樹なら大丈夫なのかという疑問はあったが、この二人の間にはいろいろあるのだろうなと一人納得した。
しかし冬樹か。確かに天体や宇宙に詳しい。

「うん、多分ね。あとクルルに伝えて貰えるかな、『意外とロマンチストなんだね』って」

悪戯っ子のような笑顔で言う睦実に、ドロロは「はぁ」と気のない返事をした。さっきから、置いて行かれている気がする。
置いて行った張本人である睦実は、ドロロの返事ににんまり笑った。

「じゃあよろしくね。頑張って、兵長殿」

手を振って、睦実は上機嫌に歩き出す。ドロロは呆けたまま、その背中を見送った。頭にはクエスチョンマークが大量に浮かんでいた。






「月が綺麗?」

よく分からない内に、睦実に言われたようにドロロは冬樹に聞いていた。今度はクルルの名前を伏せた。
冬樹は聞いた後、不思議そうな表情をしてノートを手に取った。

「月が綺麗なのはね、太陽の光を反射してるからで、自ら光ってる訳ではないんだよ」

こういう感じ、と広げたノートに分かりやすく絵を描く。ドロロにそれを見せ、冬樹はペンを持ったまま顎に手を置いた。

「けどそういう事じゃないんだよね。月が綺麗、月が綺麗かぁ。何だったっけかなぁ」

うーん、と唸り、思い出そうと天井を見詰める。その様子に、ドロロも釣られて唸りながら天井を見詰めた。
二人して唸りながら天井を見詰める。冬樹は「何だっけかなぁ、聞いた事はあるんだけど」とぶつぶつ考えている。
まるで昨晩の小雪と同じ状態だな、とドロロは頬を緩めた。一度考え込んでしまうと長い。
もう大丈夫、一応他を当たってみるから思い出したら、と言おうと口を開いたら、丁度冬樹が「あっ!」と声を上げた。

「思い出した!『月が綺麗ですね』は和訳だよ!そうそう、確か夏目漱石だったかな」

「夏目漱石・・・って、あの文豪の・・・?」

思いがけない人物に、ドロロは目を丸くした。
冬樹は記憶の紐が解けたのか、「そうそう」と自分自身で確かめていた。

「その夏目漱石。あと確か同じ文を二葉亭四迷も訳してたはずだよ」

二葉亭四迷?とドロロはますます目を瞬ける。
そんなドロロを見て、少し照れたように冬樹は口を開いた。

「その英文はね、」






ドロロは屋根の上に登った。
冬樹に聞いた後ラボを尋ねたがおらず、ケロロに聞いたら此処にいると教えてもらったのだ。その時ケロロが「珍しいというかキャラじゃないよねー、あの引きこもりが進んで外に行くなんて」と言っていた。確かにキャラではない。
ドロロの気配を感じたのか、尋ね人は振り返った。

「よう、兵長殿。意味が判ったのかい?」

意地の悪そうにニヤニヤ笑ってクルルは言う。ドロロも力無く笑って応えた。

「やぁ、曹長殿。自力では無理だったけどね」

「判っただけでいいさ、重畳重畳」

くつくつと口元に手を当てて笑うクルルは、周りの感想とは違い何時も通りだった。
いや、一人だけは違ったな、とドロロは思い出す。

「睦実殿から伝言があるんだ。ええと、『意外とロマンチストなんだね』だって。あと『クルルらしい』とも言ってたよ」

「うるせぇよ」

睦実の伝言を伝えれば、クルルは顔をしかめた。
睦実がそう言った理由もクルルが顔をしかめた理由も分かる今、ドロロは疑問に思っていた事を尋ねた。

「何でああ言ったの?」

他にも言い方は、それこそ直球からカーブ等どんな球種でもあったのに、何故その表現を選んだのか。それがドロロには分からなかった。
その疑問に、クルルは「あ〜?」と気の抜けた声を出した。

「この数日は俺の事で頭がいっぱいだっただろ〜?」

平淡な口調で言うクルルに、ドロロは頭を掻いた。

「・・・うん、そうだね。もう熱が出るかと思うぐらい」

ここ数日、何をするにもあの言葉とクルルが頭に居座っていた。
そう正直に肯定すれば、クルルは悪戯が上手く言った子供のように笑った。

「で、返事は?」

答え合わせしてあげる、とクルルは楽しそうに笑う。
ドロロはそんな笑顔に、真剣な表情を向けた。頭に浮かぶのは冬樹に教えてもらった言葉。

「貴方の為なら死んでもいい」

その言葉に、クルルは驚きで目を見開いた。しかし、それはすぐに細められた。

「・・・クッ!ク〜ックックックックックー!そっちで来たか!面白いなぁアンタ!」

「ふふっ、ありがとう」

真剣な表情から一転、ドロロは柔らかく笑ってお礼を言った。
そして、ふと思い付く。

「ねぇ、クルルくん」

「あー?」

「翻訳して貰えないかな?」

ドロロが笑いながら頼むと、クルルの目がますます細まった。そして歪んだ口で言葉を紡ぐ。
それは、ドロロが予想していた言葉とは少し違っていた。
その言葉に、ドロロは先程のクルルのように目を見開く。ぱちぱちと瞬きをしながらクルルと見つめ合い、二人同時に噴き出した。
空は相変わらず、晴天だった。






I LOVE YOU



「愛してる」


































―――――――

「I love you」を、夏目漱石は「月が綺麗ですね」
二葉亭四迷は「貴方の為なら死んでもいい」と訳したそうです。

いやぁ、風情というか大和魂というか、素敵ですよね。
有名な話ですが、書きたかったので書きました。満足です!

そして青黄を書くと、青←黄気味になる事に気が付いた。



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