23話
真紅ドレスから制服への着替えを行い、一足遅れて入室したキングの部屋。ぐるりと見回した室内は、ジャックやクイーンの部屋とは比べ物にならないくらい広々としている。扉から見て正面奥には壇上があり、その上には毅然とした存在感を放つ玉席が置かれており、玉席の左右には鎧を着た石像の姿が。
厳かな空気に、ほう、と零した感嘆の息。「The・玉座って感じ」という独り言のような呟きに、「確かにな」と黒尾が笑って頷き返した。
『パッと見た限りじゃ、玉座と石像以外何も見当たらないね』
「ああ、」
「待ってる間に一通り見てみたけど、特別可笑しいものもなかったよ」
『扉の文字は?なんて書いてあったの??』
扉を振り返りながら尋ねた問に、答えようとしてくれた菅原くん。けれど、そんな菅原くんを遮るように、「俺読みますよ!!」と灰羽くんが手を挙げた。
「“えーめーな君主は玉座を好む!農民の声を聞くのなら、玉座を降りてかえりみよ!”」
すごい。この文字、読む人でこんなに印象が変わるのか。えっへん!と胸を張る灰羽くんに、「今明らかに平仮名があったぞ」と呆れた声で零した黒尾。私も思った、と内心同意しながらも、「ありがとう灰羽くん、」とお礼を伝えれば、はい!と元気良く応えた玉座の方へと駆けて行った。
えーめーは、多分“英明”のこと。賢いや聡明と似た意味の言葉だったはず。玉座は言わずもがなあの椅子のことで、農民は、クラブのスートを表している可能性が高い。
「玉座も傍で見てみるか?」という夜久の提案に、灰羽くんを追い掛ける形で玉座へと歩み寄って行く。壇上に置かれた荘厳な椅子を物珍しげに取り囲むみんな。すると、近付く足音に気づいたのだろうか。「苗字さん、」と振り返った赤葦くんの声に、残ったメンバーもほぼ一斉に此方を振り向いた。
『お待たせしました、』
「いやいや」
「全然待ってねえから大丈夫だって」
ぺこっ、と小さく頭を下げた私に、からりと笑った松川くんと花巻くん。ここで真っ先に声を掛けてくれるあたり、気遣い上手というか、やっぱり熟れているというか。下げた頭を持ち上げつつ、落ちた横髪を耳に掛ける。「そ、それで??」と現状を伺うべく皆の顔を見回せば、ああ、と頷いた澤村くんが険しい顔で玉座を見遣った。
「玉座も調べてみたけど、これと言って気になる所はなかったな」
『じゃあ、やっぱり他の部屋と同じで、文字に従うしかなかないのかな……』
「となると、王が好む玉座に座れるのは、」
動いた視線が一斉に集まった先。注がれる視線に居心地悪そうに顔を顰めた国見くんは、「俺しかいませんよね」と心底嫌そうに眉根を寄せた。
トランプの数字は皆の背番号にリンクしている。黒尾だったら1番。夜久だったら3番。そのため、一番数字が小さい1番のカードは、黒尾だけでなく、及川くんや北くん、牛島くん、澤村くんまでもが持っている。対して、トランプの中で一番大きな数字である13番。このカードを持っているのは、青城の国見くんしかいない。
忌々しそうに玉座を睨む国見くん。ジャックとクイーン、二つの部屋で起きたことを考えると、この部屋でも“良くない”何かが起きることは明らかだ。私や治くんは、自分から“やる”と言い出した。けれど国見くんの場合、彼がやるしかない状況を与えられている。危ないと分かっていることを、“やる”“やらない”の選択が出来ないのは、あまりにも不公平ではなかろうか。
『……あの、国見くん、』
「?なんですか?」
『私、やろうか?』
「え、」
『キングの役、私が代わろうか?』
伝えた提案に国見くんの目が小さく見開く。「お前な、」「さっきの今で何言ってんだ!」という黒尾と夜久のお叱りに、だって、と思わず抗弁する。
『選択出来ないのは不公平じゃん。やりたくないなら、“嫌”っていう選択肢をちゃんとあげなくちゃ』
「嫌なら私が代わるよ」と努めて優しい声音で申し出れば、見開いた目を細めた国見くんは、「……馬鹿にしないで下さい」と不機嫌そうに口にした。
「さっきのアレ見て、それでも“代わって下さい”なんて言える程腑抜けじゃないんで」
言いながら、足先の向きを玉座の方へ移した国見くん。真っ直ぐ玉座へ向かって行く後輩の姿に、先輩たちが目尻を下げている。男の子だなあ、と思わず頬を緩めた時、玉座の目の前に立った国見くんが、「……それに、」と呟くように続け零した。
「なんとなく、察しもついてるので、」
『え、』
それって、どういう。玉座を睨んでいた国見くんが、くるりと此方を振り返る。「危ないので、皆さんは壇上から降りててください」という指示に、国見くん以外は玉座の傍から離れることに。不安そうな表情でチラチラと後ろを気にする金田一くんや日向くんに対し、振り向くことなく壇上を降りる孤爪くんや月島くんく躊躇いのない足取りから察するに、どうやら二人も“察し”が付いているようだ。
全員が離れたことを確認したのち、「座りますよ」と動き出した国見くん。慎重な動作で座面に腰掛けた国見くんに、起きるであろう“何か”を警戒し、ぎゅっ、と拳を握り身構えた。の、だけれど。
「……また……」
「なにも起こらない………?」
不思議そうに顔を見合せたのは、日向くんと五色くんだった。歯車の音はもちろん、天井から槍が降って来ることも、床が落とし穴になることもない。ぱちぱち瞬きを繰り返す日向くんの隣で、アーモンド型の大きな瞳が鋭く細められた。
「……これからだよ」
「?これから??」
「そう、これから」
日向くんの問い掛けに頷き応えた孤爪くん。孤爪くんの言葉に沿うように、玉座に預けられていた腰がゆっくりと持ち上げられる。
そうか。何も起きなかったんじゃない。孤爪くんの言う通り、何かが起きる条件を満たすのは“これから”だ。
緊張感から背中に滲んだ汗。ドクドクと音を立てる心臓の鼓動を耳にしながら、手のひらを握り締めたその時、
パンッ!!!
嫌な音が、した。何かの破裂音にも聞こえるそれは、たぶん、いや、間違いなく、
銃声だ。
「国見ちゃん!!」
「国見!!!!!」
『国見くん!!!』
音の正体に気づいた瞬間、壇上に向かって走り出した足。蹲る国見くんの傍に駆け寄ろうとした時、
「……なんですか?」
『っ、へ、』
ひょっこり此方を向いた顔に思わず止まった足。よいしょ、と立ち上がった国見くんに全員が目を点にする。「だ、大丈夫なのか国見!?」と慌てて金田一くんが駆け寄ると、「大丈夫だっての」と答えた国見くんは、頬に出来た掠り傷を親指で拭ってみせる。
今、確かに銃声が聞こえた。
弾けるような音がしたかと思うと、気づいた時には、玉座の前で蹲る国見くんの姿があった。てっきり弾が当たってしまったのかと思ったけれど、予想に反して軽傷の彼に肩の力が抜けて行く。
「今の、銃声だったよな??」と引き攣った顔で玉座を覗き込んだ木葉くん。キングを失った玉座の背板には、銃声の通り道となった穴が空いている。更に後ろへ目を向けると、玉座後方の壁から飛び出す黒鉄の銃口を映し捉えた。
「ほ、本物……です、よね……?」
「みたいだな。微かに硝煙の匂いがするし、何より、」
「この銃痕が何よりの証拠じゃない??」
五色くんの問いかけに、冷静に応えた白布くんと顎先で玉座を示した天童くん。顔色を悪くした五色くんを後ろに、無言のまま踵を返した牛島くんは、そのまま扉の方へと歩き出した。
「……扉上部の壁に銃痕がある。おそらく、どこかに弾が転がっている筈だ」
「そんなとこまで届くんかい、」
『国見くんはもちろんだけど、他の誰にも当たらなくて本当に良かった………』
ほっ、と零した安堵の息。もしこれで、誰かに弾が当たっていたら、取り返しのつかない事になっていたかもしれない。戻って来る牛島くんを後目に再び目線を国見くんへ。何食わぬ顔で頬を擦る彼は、一体どうやって弾を避けたのだろうか。
同じ疑問を浮かべていたのか、「国見お前、よく避けられたな」と感心の声を届けた花巻くん。先輩からの賞賛に、いえ、と小さく首を振った国見くんは、血のついた手の甲を見つめながら唇をゆっくりと動かし始めた。
「……“何か”が起きる方向やタイミングは何となく分かってたので、そんなに褒められることでもないです」
「分かってたって……」
国見くんの答えに、ぱちぱちと瞬きを繰り返す金田一くん。確かに私も、“何か”が起きるタイミングは察せられた。
扉に掘られていた、“農民の声を聞くのなら、玉座を降りて顧みよ”という文字。“玉座を降りて”と言うのは、王座を辞するという意味ではなく、文字通り、玉座から離れるということ。そのため、国見くんが玉座に座った時には何も起きず、彼が玉座から立ち上がった際に“何か”は起きた。けれど、その“何か”である銃口が現れる方向を、国見くんはどうやって察する事が出来たのだろうか。
「“玉座を降りて”って言うのは、“玉座から離れろ”って意味ですよね。そして、その後に続く“顧みろ”って言うのは、“後ろを振り向け”という意味だと思ったんです」
「なるほど。確かに、“顧みる”って言葉には、振り向くって意味が含まれてるね」
「“天を仰げ”は上を。“頭を垂れろ”は下を。どちらも“何か”が起きる方向を示していた。つまり、この部屋の扉に描かれていた“顧みろ”は、」
「後ろを指してたってことか」
納得とばかりに頷いた及川くんと岩泉くん。おそらく、孤爪くんや月島くん、それに、白布くんや北くんあたりも気づいていたのだろう。けれど、何も言わなかった所を見るに、三人は国見くんが分かっていたことを分かっていたようだ。
「まあ、結局掠っちゃいましたけど、」と指先で頬っぺたの傷をなぞった国見くんは、小さな痛みが走ったのか、煩わらしそうに顔を顰めた。
なにはともあれ、国見くんも皆も無事で良かった。「救急箱、持ってきてたよな?」「あとで薬塗ろっか」と菅原くんと二人で声をかけると、浅く頷き返した国見くんは玉座の後ろへと目を向けた。
「それで、鍵は?」
「あった。銃口の下に落ちとる。多分、仕掛けが作動するのと一緒に、銃口に押し出される仕組みにでもなっとったんやろ」
言いながら、鍵を拾い上げた北くん。彼の手元を覗き込んだ治くんは、「クラブの部屋の鍵みたいやな」と独り言のように言い落とした。
「これで次に進めるってわけか、」
「次は一体何が起きんだか……」
黒尾の呟きに、はは、と乾いた笑みを浮かべた木葉くん。歩き出した二人は、一階に戻るべく扉の方へ向かって行く。他の皆も扉へ進もうとするなか、国見!、と聞こえた溌剌な声。見ると、国見くんと金田一くんの前に並び立つ日向くんと影山くんの姿があって、更にその後ろでは山口くんと月島くんが待機をしている。
青葉城西と烏野の一年が勢揃いしている様に首を捻った時、ほら、と何かを促すように影山くんを肘で小突いた日向くん。う、と一瞬顔を顰めた影山くんだったけれど、国見くんと目を合わせた彼は、慎重に、けれどとても穏やかな口調で言葉を綴った。
「……怪我は?」
「……見て分かるだろ。掠り傷だよ」
「そうか」
「………」
「………」
「………」
「………」
「いや喋れよ」
「もっと他にあるだろ?影山、」
無言で見つめ合う二人を見兼ね、岩泉くんと菅原くんまでもが口を挟んでしまっている。何やら事情がありそうな雰囲気だけれど、国見くんと影山くんはライバル校の選手という間柄だけではないのだろうか。
好奇心からついつい二人を見守っていると、閉じた唇を再び動かした影山くんは、勝色の瞳で真っ直ぐ国見くんを見つめ捉えた。
「やっぱすげえな、お前」
「っ、は………?」
「冷静で、頭も回る。だからこそ、その怪我で済んだんだろ」
「コイツなら、脳天ぶち抜かれてただろうな」と橙色の頭を見下ろした影山くん。「このタイミングで人の悪口挟みます??」と日向くんが影山くんを見上げたところで、ふ、と落とされた小さな笑み。国見くんの口から溢れたそれに、金田一くんの目が小さく見開いた。
「お前もな」
「っ、あ??」
「日向のこと言えないくらい、頭使うのは苦手だろ」
「バレー以外では、」と付け足した言葉と同時に歩き出した国見くん。そのまま影山くん達の隣りを通り過ぎるのかと思えば、すれ違う直前で立ち止まった足。目線だけでなく顔ごと影山くんの方を向いた国見くんは、少し意地悪な笑顔と共に唇を動かした。
「この、超バレー馬鹿め」
そう言って、返事を待たずに動き出した足。真っ直ぐ扉へ向かって行く国見くんの背中を、「あ、お、おい!待てよ国見!!」と金田一くんが慌てて追い掛ける。何が何やら分からないけれど、でも、とりあえず、
「……うるせえよ、ボケ国見」
二人の関係は、そう悪いものではないのかもしれない。どこか和らいだ空気に自然と綻んだ顔。「俺達も行こうか、」「おう、」と微笑ましげに目尻を下げた及川くんと岩泉くんに続いて、キングの部屋を後にしたのだった。