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災い転じて、


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13.5話


※side菅原


ステンドグラスから注ぐ淡い光に照らされた祭壇。その上や周りに飛び散る真っ赤な液体は、零れたワインか、それとも華奢な腕から零れ落ちた血だろうか。床には割れたワインボトルの破片が散らばっていて、その中でも一際尖った破片には真っ赤な血が大量にこびり付いている。恐らく彼女はこれで腕を切ったのだろう。白く細い腕から血を流す苗字さんの姿を思い出し、思わず顔を顰めてしまう。


「………これが“聖杯”か……」


祭壇の上に乗った金色の杯。その中に溜まっているのは、苗字さんの“愛”である真っ赤な血だ。
この部屋の扉に書かれていたのは、“我らは僧侶。運命の糸を切りたくば、我が聖杯に愛を示せ”という文字。黒尾の話では、この部屋の扉に1から10までのカードをはめ終えた瞬間、天井から伸びてきた赤い糸に首を絞められたと言う。
つまり、扉の文字の運命の糸と言うのは黒尾たちの首を絞めた糸のこと。そして、その糸を切る為には聖杯に“愛”を示す必要があった。初めはワインを“愛”として注ぐ話で進んでいたのだけれど、いざその時が来た時、唯一動くことが出来た彼女、苗字さんは、ワインではなく別のものを愛として聖杯に注いだのだ。

““運命の糸を切りたくば、我が聖杯に愛を示せ”。あの扉に書かれていた“愛”が何かなんて分からないけど……でも、向ける相手がいる物が“愛情”と言うなら、やっぱり私は、聖杯に入れるべきだったのは自分の血だと思う。自己犠牲なんてそんな大層な物じゃないけど……黒尾たちを助けるために、皆のために自分を傷つける覚悟を持つこと。それがあの時、私に示せた精一杯の“愛”だと思うから”

腕を切った直後、そう言って穏やかに微笑んで見せた苗字さん。紙や刺で指を切るのとは訳が違う。鋭い破片で切り裂いた腕は、想像を絶する程に痛かった筈だ。けれど彼女は、笑っていた。痛いとか、苦しいとか、そんな素振り一切見せず、むしろ“そんな顔するな”と傷の心配をする俺たちの事を気遣ってさえいて、なんて“強い人”なのだろうと思わず感心してしまう。
聖杯の中でゆらりと揺れる赤い液体を全員が見つめる。今この場にいるのは各校の三年だけ。なぜ三年だけなのか。それは、この杯の中を満たす血をどうするのか話し合う為である。全員で祭壇を囲うなか、一歩前へ踏み出した黒尾。続くように夜久くんがその隣に並び立つと、聖杯を見つめる二人の顔が酷く深いげに歪められた。


「………何が……“愛”だよ、」

「…………黒尾、」


射殺さんとばかりに聖杯を睨む二人。もしこの中に苗字さんの血が入っていなければ、杯は今すぐ壁に投げつけられていたかもしれない。握った拳を震わせる黒尾と夜久くんに、大地と二人で宥めるように肩を叩くと、二人の強ばっていた肩から僅かに力が抜けた。


「で?どうするのこれ??このまま持ってく?それとも中身は零しちゃう?」

「精神衛生上的に考えれば、中身は持って行かねえ方がいいけど……」

「日向なんか卒倒しちゃいそうだしな」

「何より俺らも血で満たされた杯なんてずっとは見てらんねえよ……」


天童、松川くん、俺、木葉くんのやり取りに、全員が眉根を寄せる。出来ることなら血は零してから持って行きたい。けれど、もしこの血で満たされた状態が“正しい状態”であるなら、このまま持ち出さなければ苗字さんの怪我が無駄になってしまう。
「どうするよ?」と岩泉が及川に目線を送ると、徐に視線を聖杯から扉の方へと移した及川。開け放たれた扉からは向こうの部屋に残っている皆の声が聞こえきて、生々しいこの部屋の空気を微かに和らげてくれる。「……あの傷を無駄にはしなくないしね」とそっと目を伏せた及川。その言葉に同意するように、「そうやな」と北くんが頷いてみせた。


「苗字の“覚悟”を守るんやったら、このまま持ってく方がええと思う」

「流して失敗するくらいならそれが正解か……」

「けど、いきなり持ってくには耐性がない奴もいるだろうし、一度報告はしてやろう」

「だな」


大地の言葉に黒尾が頷いたところで、全員が扉に向かって歩き出そうとする。しかしそんな中、ふと何かを思い出したように足を止めた松川くん。「どした?」と吊られて足を止めた花巻くんが尋ねると、眉根を寄せた松川くんがやけに重たそうに口を動かした。


「…苗字の傷、残んねえよな?」

「傷??腕の??」

「それ以外ねえだろ」


きょとん、と目を丸くさせた木兎にすかさず木葉くんがツッコミを入れる。松川くんの心配はもっともだと思う。

苗字さんは、“女の子”だ。

ダイヤの部屋に入るか否かを言い争っていた時、彼女は“男も女も関係なく協力するべきだ”と言っていた。その考えは間違ってないし、俺達もその時はそうするべきだと思った。けど、それでも、どんなに彼女の言葉が正しかろうと、苗字さんが“女の子”である事には変わらない。
扉に向かおうとしていた身体が止まる。伏せた目に映ったのは、床に散らばるボトルの破片と真っ赤な血だった。


「さっき薬を塗った時点でかなり塞がっちゃいたが……」

「塞がって来たならいいんじゃねえの?」

「あのな……苗字さんは女の子なんだぞ?」

「?知ってっけど??」

「女子が………その………あんなデカい切り傷、腕に作っちゃままじゃ可哀想だろうが」

「そういうもんなの?」

「そういうもんなんだよ」


へー。と感心したように頷く木兎に木葉くんが大きなため息を零す。やはりと言うべきか、木兎はあまり“そういう”事に察しがいい方ではないらしい。
苦く笑いつつ、下を向いたままの黒尾と夜久くんに視線を移す。二人とも何も言わないけれど、この場で誰より罪悪感を感じているのは間違いなくこの二人だ。いや、二人だけじゃない。俺たちだって思うことがないわけじゃない。男の俺たちが女の子の苗字さんに助けられてばかりで、おまけにあんな傷まで負わせてしまうなんて。かっこ悪いったらありゃしない。「……情けねえな」と言う岩泉の呟きに全員が無言で同意する。しかしそんな中、木兎だけは話の流れがよく分からないのか、不思議そうに首を傾げて見せた。


「苗字ちゃんは、“腕切ったのは自分の責任だ”って言ってたじゃん」

「そう言わねえと俺らが気にすると思ったかは、言ってくれたんだと思うぞ?」

「なら、余計気にしちゃダメなんじゃねえの?」

「は?」

「気にして欲しくないから、自分のせいだって言ってくれたんだろ?それなら、俺らが苗字ちゃんの傷のこと気にしちゃダメなんじゃねえの?」


木兎の声に俯き気味だった顔が上がる。くるりと前を向いた木兎の視線の先にはハートの扉があって、その向こうからは聞こえてきた苗字さんの柔らかな声に、扉を見つめる木兎の瞳が優しく和らいだ。


「苗字ちゃんスゲエよなあ。あんな血いダラダラ出てたのに、もう笑ってる。……けど、俺らが暗い顔して戻ったら、苗字ちゃんも笑えなくなっちまう。だから俺たちは、気にしない方がいいんじゃねえの?気にするんじゃなくて、ありがとうって笑うべきなんじゃねえの?」

「……木兎、お前……」

「だからさ、暗くなんのはやめようぜ!!あんな怪我しても俺らを助けてくれた苗字ちゃんのためにも、暗い顔見せんのはやめよう!」


にっ、と歯を見せて笑う木兎に、重たい空気が少しづつ閑散していく。明るく前向きな言葉を吐くためには、先ずは自分が前向きにならなければならない。突き抜けるような明るさを持つ木兎ならではの言葉に、思わず頬を緩めてしまう。
怪我を負った苗字さんを気遣うことが悪いわけじゃない。悪くはないけれど、でも、木兎の言う通り。きっと苗字さんは、怪我を気にかけられ続けるよりも、笑ってありがとうと言う方が喜んでくれる筈だ。
「お前ってそういうとこあるよな」と呆れと感心を入り混ぜた目で木兎を見る木葉くん。言われた本人は、「なにが???」と首を捻るばかりで、あっけらかんとした木兎の様子に、黒尾と夜久くんが小さな笑い声をあげる。
教会内に穏やかな空気が流れ始める。「戻るか」「だな」と頷き合った黒尾と夜久くんが扉の方へ歩き出すと、続くように俺達も真っ赤なバージンロードの上をぞろぞろと歩いて扉へ向かう。その途中、なんとなく後ろを振り向き、教会のステンドグラスを見上げると、入ってきた時よりもずっと美しく見えたそれに、そっと目尻を下げたのだった。