×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -

災い転じて、


≫戻る

13話


糸だ。

皆の首に糸が巻き付いている。天井から伸びて来ている
それは、血が滴るような真っ赤な糸だ。


「っ……やべっ……これ、息が………」


首を抑える木葉くんの手が震え始める。首に巻き付く糸の締めつけはどんどんキツくなっているらしく、皆の顔から徐々に血の気が引いていく。

“我らは僧侶。運命の糸を切りたくば、我が聖杯に愛を示せ”

糸。そう、糸だ。みんなの首を締めている糸。まさかこれが“運命の糸”だと言うのか。震える唇を噛み締める。動揺している場合か。早く糸を切らなければ。
床を蹴って祭壇へと走り出す。「っ、苗字っ……!」と誰かの呼ぶ声がしたけれど、答えている時間はない。ステンドグラスから注ぐ光に照らされた祭壇。その上に乗っているワインボトルに手を伸ばす。
月島くんの話によると、聖杯とはキリストの血に見立てたワインを注いだ杯のことだと言う。さっきまで持ち上げることさえ叶わなかったワインボトルが、今度はすんなり祭壇から離れた。やはり条件があったようだ。蓋をするコルクを取ってボトルの中を覗き込むと、彩やかな赤ワインが瓶の中でゆらりと揺れている。これを聖杯に注げば、皆の“糸”は消えるはずだ。
祭壇の上で輝く黄金の杯。それにボトルを傾けようとした。
けれど。


“……月島は、どう思う?”

“……どう、とは?”

“扉の文字。“運命の糸を切りたくば、我が聖杯に愛を示せ”ってやつ。運命の糸についてはちんぷんかんぷんだけど……聖杯に示す“愛”は、なんだと思う?”

“………………ワインじゃないんですか、これみよがしに置いてあるし”

“………そうだね。やっぱりワインのことかもね”


ボルトを傾けていた手の動きが泊まる。
頭を過った二人の会話に、聖杯に注ぐ視線が皆の方へ移る。


本当に、本当に“ワイン”なのだろうか。


確かに月島くんは、“聖杯”と言うのは、キリストが弟子たちに自分の血を見立てたワインを注いで飲ませたものだと言っていた。しかし、もしそうだとするのなら、さっきの二人の会話はなんだ。孤爪くんも月島くんも、この短い時間の中で分かるくらい二人とも冷静で頭のキレる人だ。そんな二人が、分かりきった事を“わざわざ”確認するだけの会話をこの場でするだろうか。
あの時の二人の声には、どこか迷いがあった。それはきっと、これみよがしに置いておるワインを“愛”としていいのかと言う迷いだ。焦りと不安で揺れる瞳で二人の姿を探す。ギリギリとキツく食い込む糸のせいで、二人の白い首に血が流れている。二人とも苦しそうに顔を歪めているけれど、その瞳は何かを伝えるように私へと向けられている。
もしかすると二人には、月島くんと孤爪くんには、別の“愛”が分かっていたのではないか。注げと言わんばかりに置いてあったワインではなく、もっと別の、そう、二人がそれを“答え”として口にするには躊躇してしまいそうな“愛”が。


“……諸説ありますが、キリストが最後の晩餐の時に、自分の弟子たちにワインとパンを振舞った際、“これは私の血である”と言ってワインを注いだ杯の事を聖杯とする説もあるみたいですよ”


月島くんの声が頭の中で反芻する。
そうか、そういうことか。月島くんも孤爪くんも、多分別の“答え”がある事に気づいていた。けれど二人はそれを決して言わなかった。いや、ちがう。言えなかったのだ。
視線を手に持つボトルへ戻す。キリストが弟子たちに飲ませたワインは、ワインであってワインではない。ワインはあくまでキリストの血を見立てたもの。つまり、本当に彼が飲ませたかったのは、


自分の、血だ。


ボトルを掴んでいた手から力を抜く。支えを失ったボトルが床へと落ち、パリンッ!と響くボトルの割れた音にみんな視線がこちらへと向く。何をしているのだとばかりに見開かれる瞳。そんな中、月島くんと孤爪くんだけは、これから私がやろうとしている事に気づいたようだ。何かを訴えるように開かれた口。けれど、首を絞める糸のせいで二人の口から声が発せられることはない。

迷っている時間は、ない。

床に流れたワインが赤い絨毯に染み込んでいく。その上に飛び散ったボトルの破片。その中から一際尖った物を手に取ると、覚悟を決めて聖杯の前へと立つ。袖を捲ってさらけ出した左腕を聖杯の上に突き出すと、右手に持った破片の尖端を、狙いを定めるように左腕へと向ける。
何が“愛”かなんて、きっと誰にも分からない。想い方や向ける相手によって形を変えるものに、正解なんてないのだろう。でも、今ここで、“私の愛”を示せと言うのなら。それで皆を救えると言うのなら。私が示すべき“愛”。それは、

勢いよく振り下ろした右手。
グサリと刺さった鋭い切っ先が、薄い皮膚を切り裂いた。


「なっ……!?」

「ばっ………!…っに、してっ………!?」


左腕に走った激しい痛み。思わず座り込みそうになった身体を、祭壇についた右手で支える。
手首を伝って流れた血が、聖杯の中に落ちていく。あっという間に杯の半分が満たされたかと思うと、ガチャっ!と鍵の開く音がして、聖杯から顔を上げた。


「っ!苗字……!!!」


扉が開いたと同時に駆け寄ってきた黒尾。どうやら無事に糸を切ることが出来たらしい。はっ、と浅い息を吐いてその場に座り込むと、途端に傷の痛みが増し、溢れてくる血を止めようと右手で左腕を押さえる。しかし、勢いよく切ってしまったせいか、血が止まる気配はない。
「見せろ!!」と隣に片膝をついた黒尾が腕を覗き込んでくる。黒尾の後を追うように集まってきた皆が、床に落ちる血の量に顔を歪めた。


「ひっ……!ち、血が、血がっ……!!」

「な、何してんねん!!なんで自分でっ……」

『いっ、いや、あの、これは、』


青い顔で声を上げる侑くんに答えるようとした瞬間、フワリと床から浮き上がった身体。え、と驚いている間に、逞しい腕が膝裏と背中を支える。そして、すぐ傍には黒尾の顔が。ちょっと待って。これって、所謂お姫様抱っこってやつでは??ぎょっ、と目を見開いて黒尾を見ると、酷く強ばった顔をした黒尾が足早に扉へと向かっていく。


『ちょ、く、黒尾っ!ち、血がつく……!わ、私、自分で歩け、

「黙ってろ」


いつもより低く、咎めるようなその声に息を飲む。
怒っている。今、黒尾は、怒っているのだ。
待機していた皆が開いた扉から顔を出す。不思議そうに首を傾げる皆が黒尾の腕に抱かれた私に気づくと、何事かと目を見張り、次いで流れ落ちる血を目にした途端、全員の顔から血の気が引いていく。
元の部屋に戻り、ソファの上に下ろされた身体。正面に膝ついた黒尾は、手が汚れる事も気にせず、血を止めようと傷を押さえてくれている。


「夜久っ!!薬くれ!!!!」

「っ、お、おう……!!」


ハッと動き出した夜久が木箱の中から薬を取り出し、慌てて此方へ駆け寄ってくる。止まる気配もなく流れ出てくる血に顔を歪めた夜久。持ってきてもらった薬の蓋を開け、黒尾が中身を掬おうとすると、「待って下さい、」と静止の声が。顔を上げ声の相手を見ると、険しい顔をした白布くんがソファの裏から傷を見つめていた。


「薬を塗る前に血を止めましょう」

「止めるったって、」

「誰かハンカチかタオルを持ってませんか??」

「ある。使うてくれ」


白布くんの問いかけに、ジャージのポケットから取り出したハンカチを北くんが差し出してくれる。黒尾がハンカチを受け取ると、「それで傷口を強く押さえて下さい」と言う白布くんの声に、傷口にハンカチが当てられ、更にその上に添えられた黒尾の大きな手によって傷が圧迫される。


「傷は心臓より高い位置で固定して下さい」

「分かった。苗字、ソファに寝ろ」

『う、くん、』


言われるがままソファに横になる。左腕だけ上へと上げるとハンカチに覆われた傷を黒尾の両手が強く押さえる。どのくらいそうしていただろうか。北くんのハンカチに染み込んでいく血が徐々に減っていく。「黒尾さん、傷口を確認してください」と言う白布くんに、ハンカチを取られた傷が外気に晒される。ひえっ、と響いた小さな悲鳴は日向くんのものだろうか。血が止まった傷口から見える“なか”の様子に、何人かが顔を手で覆い始めた。


「塗るぞ、」

『う、うん、』


確認する声に頷き返すと、今度こそ瓶から薬を掬った黒尾の指。クリーム状の薬が、傷に沿うように腕に触れる。不思議と痛みはなく、ひんやりとした感触に小さく肩を揺らした。


「……どうだ?」

「………塞がってきてはいるが………」

「治りが遅いですね……。傷の大きさに比例して、治る速さも変わってくるんでしょうか?」


不安そうに眉を下げた澤村くんに黒尾が答え、赤葦くんが薬瓶を手に取る。「だ、大丈夫か??苗字ちゃん?」と上から覗き込んでくる木兎くんに頷き返す。
傷はまだ完全に塞ぎきってないけれど、痛みは随分となくなった。「……とりあえず包帯で保護しておきましょうか」と言う白布くんの声に、木箱から包帯を取り出した及川くんがそのまま腕に包帯を巻いてくれる。出来たよ、と言う及川くんに、ありがとう、と答えて身体を起こそうとすると、「まだ横になっていた方がいいですよ」と白布くんに言われ、起こそうとした身体を再びソファに沈め直した。


「……で?一体何があったんだよ??」


ずっと聞きたかったであろう質問を、真っ先に尋ねて来た岩泉くん。何から話そうかと答えあぐねていると、「…苗字、」と黒尾に名前を呼ばれ、視線を彼へと向ける。


「……なんであんなことした?」

「あんなこと…??」

「……苗字さん、自分で自分の腕を切ったんだよ」

「自分で!?」


木葉くんの声にぎょっ、と目を剥いた菅原くん。慌てていやいや!と首を振り、「ちゃんと理由があるの!」と声を発すると、「どんな理由だよ?」と納得いかなさそうに夜久の眉間に深い皺が刻まれた。


『あの部屋の扉に書いてあったでしょ?“我らは僧侶。運命の糸を切りたくば、我が聖杯に愛を示せ”って』

「それがなんで腕を切るのに繋がるんだよ?」

『月島くんが教えてくれた。聖杯って言うのは、最後の晩餐の時に、キリストが弟子たちに自分の血に見立てたワインを飲ませた杯の事を言うんだって』

「だから、ワインを注ぐんじゃねえかって話だっただろ?それを、なんで………」


木葉くんの表情が分かりやすく曇る。下げた視線の先には運ばれている時に流れた血が落ちていたらしく、唇の微かな震えを隠すように木葉くんは下唇を噛み締めた。


『……私も、最初はワインを入れればいいんだって思ったよ。でも、あの時、聖杯にワインを注ごうとしたあの瞬間、本当にこれが“正解”なのかなって迷ってしまったの。あまりにも分かりやすく置かれていたワイン。それを入れるだけで糸が切れるとは思えなかった』

「…いと?」

「カードを嵌めた瞬間、首に糸が巻き付いてきたんです。まるで、首を絞めるみたいに、」

「だからお前ら全員首から血い出てんのか……」

『あ、そ、そうだよ……!皆も早く首の手当を…』

「んなことより、俺はお前がなんであんなことしたのか聞いてんだけど?」


黒尾の声がいつもより低く聞こえるのは、きっと気の所為ではない。う、と言葉を詰まらせる。じっと向けられる視線は、納得のいく答えを返すまで外れることはないのだろう。
包帯の巻かれた腕を右手で覆う。すごく、すごく痛かった。あんな風に、自分の腕から血が流れるのを初めて見たし、そもそも腕を切ること自体、怖くなかったと言えば嘘になる。けれど。


『……キリストが、聖杯に注いだワインを“これは私の血だ”と言って飲ませたと言うことは、キリストが弟子たちに本当に飲ませたかったのはワインじゃない。多分、自分の血。だから、本当に聖杯に注ぐべきなのはワインじゃなくて……“血”だと思ったの』

「だから自分の血を入れたと、」

「結果的に間違いでは無かったみてえだけど……」


松川くんと花巻くんがなんとも言えない複雑な顔を見せる。
こうして黒尾たちが助かったということは、血を注ぐという選択はおそらく“正解”だった。けれど皆からすれば、それなら良かったと両手を上げて喜ぶことは出来ないのだろう。いくらそれが“正解”だったとしても、目の前で血を流す誰かがいるのに、ただ喜ぶなんて出来るわけがない。
部屋を包む空気が重い。何か言わねばと口を開こうとすると、それを遮るように黒尾が先に声をあげた。


「確かに、結果だけ見ればお前の選択は間違いじゃなかった。現にそのおかげで俺たちは今ここにいる。けど、それはあくまで結果論だ。自分で自分を傷つけていい理由にはなんねえし、もしかしたらワインを注いでも同じ結果になってたかもしれねえだろ」

『……確かに、あの時聖杯に注いだのがワインだったとしても、黒尾達は助かっていたかもしれない。……でも、ワイン以外の選択があるんじゃないかって思ってたの私一人じゃない。……そうだよね?月島くん、孤爪くん、』

「「っ、」」


話を振られた二人の肩が小さく揺れる。気まずそうに顔を逸らした二人に、「どういうことだ?」と牛島くんが首を捻る。


『二人は気づいてたんだよね?聖杯に注ぐべき“愛”は血なんじゃないかって』

「え?そ、そうなのツッキー……?」

「……………」


目を丸くして月島くんを見つめる山口くん。答える気がないのか、それとも無言で肯定を表しているのか、月島くんが口を開く気配はない。孤爪くんも同様なようで、視線は床に下げられたままだ。
「研磨、」と促すように黒尾が孤爪くんを呼ぶ。少しの間ののち、小さく息を吐いた孤爪くんは諦めたようにゆっくりと顔を上げた。


「………確かに、可能性の一つとして考えてた」

「なら、なんであの時言わなかった??」

「……それは……」


『言わなかったんじゃなくて、言えなかったんだよ』


言葉を濁す孤爪くんに代わって口を開く。集まってきた視線に、一度閉じた口をもう一度動かした。


『あの場で何かが起きた時、動ける事が出来るとすれば、多分、私だけ。もしそうなった時、“ワインに入れるのは血だ”なんて伝えていたら、血を注ぐことが出来るのは必然的に私になる。だから二人は何も言えなかった。正解がワインじゃないって言う確証もなかったしね』

「孤爪と月島は、苗字のことを思って何も言えなかったってことか………」

「いいとこあるじゃんツッキー!」

「うるさいですよ」


肩を組んできた木兎くんに迷惑そうに顔を顰めた月島くん。頬を緩めてそんな二人を見つめていると、やはりまだ納得出来ないのか、黙ったままの黒尾と夜久に気づく。
多分、何を言っても二人は納得なんてしてくれない。もし私が二人の立場だとすれば、自分で自分を傷つけるという行為を、認められるはずなんてない。寝転んでいた身体を起こして二人に手を伸ばす。握り締められた二つの拳に手を添えると、強ばっていた二人の表情が僅かに和いだ気がした。


『ねえ、“愛”ってなんだと思う?』

「「……は?」」

『だから、“愛”だよ“愛”。二人は“愛”って何だと思う?』


二人の表情が一転してぽかんと呆けたものへと変わる。「聞こえてる?」と二人に向かって首を傾げれば、「聞こえてるけど……」と戸惑うように夜久が眉を下げた。


『“愛”って色んな形があるじゃない。家族愛、友愛、親愛、恋愛。どれも同じ“愛”なのに、想い方や向ける相手で全然違う形に変わる。……でも、どんな形になろうと、共通していることがある』

「共通していること……?」

『どんな“愛情”にも、向ける相手がいることだよ』


二人の目が小さく見開いた。
周りを囲む皆の瞳も同じように丸くなる。


『“運命の糸を切りたくば、我が聖杯に愛を示せ”。あの扉に書かれていた“愛”が何かなんて分からないけど……でも、向ける相手がいる物が“愛情”と言うなら、やっぱり私は、聖杯に入れるべきだったのは、自分の血だと思う。自己犠牲なんてそんな大層な物じゃないけど……黒尾たちを助けるために、皆のために自分を傷つける覚悟を持つこと。それがあの時、私に示せた精一杯の“愛”だと思うから』

「苗字……」

『納得できないならしなくていい。私が二人の立場でも、簡単に納得なんて出来ないだろうし。けど、それで二人が自分を責めるのは辞めてよ。選んだのは私。怪我をした責任があるとすれば私にだけ。だから、黒尾も夜久も、もちろん他の皆も、そんな顔しないで』


ね、と柔らかく笑いかけた私に、強く握り締められていた拳から力が抜ける。「……適わねえなあ」「ホントにな」と困ったように眉を下げて笑った黒尾と夜久に、部屋の空気が一気に和らいでいく。にっ、とわざとらしく歯を見せて笑ってみせれば、ふっと目尻を下げて微笑んだ二人に頭をくしゃくしゃとかき撫ぜられたのだった。