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三年生秋(17)

柔らかく美しい弧を描いた二つのボール。ゴールネットを潜ったそれに、フロアに集まる人々から歓声が湧き上がる。


「すげえ!!!」

「今ので二人とも八本連続成功だ!!」

「このまま全球成功しちまうんじゃねえか!?」


盛り上がる観客達の声が館内に木霊する。けれど、その声さえも聞こえていないのか。中心に立つ二人の目にはボールとゴールしか見えていない。九球目のボールが、ゴールに向かって真っ直ぐ落ちて行く。歓声に混じって聞こえたネットの摩擦音。成功を告げるホイッスル音が響くなか、ゴールを見据える二人、木葉と黒尾くんは、滴る汗を肩口で拭い上げた。
どうして。どうしてそんなに、必死なの。黒尾くんは、分かる。彼が私に手鏡を渡そうとしてくれているのは、そこに好意があるからだ。隠すものも、覆うものもなく、真っ直ぐ真摯に向けられる好意があるから。でも。じゃあ。


木葉はどうして?


十球目!と張り上げられた声と同時に、かおりと雪絵の手から放たれたボール。とんっ、と滑らかなレシーブに押し上げれた二つのボールは、曲線を描きながらゴールへと向かっていく。
一方は音もなくゴールを潜り抜け、もう一方は、リングに当たって上へ跳ねてしまう。僅かに前のめりになった身体。固唾を呑んで見守る視線の先で、弾かれたボールが今度こそネットを潜り抜けた。
真っ直ぐ床へ落ちたボールに、短い息を吐いた木葉。無意識に零した安堵の息の直後、十球全てを成功させた二人へ沢山の拍手が送られる。通常であれば、これで挑戦終了。景品を貰って、後はMVPの発表を待つだけだ。
だと言うのに二人は、木葉と黒尾くんは、その場を離れる気配がない。それどころか、ゴールを見据える瞳は更に鋭く細められている。動かない二人を前に、顔を見合せたかおりと雪絵。見兼ねて止めに入ろうとした足は、「次だ、」と響いた木葉の声にぴたりと動きを止めてしまう。


「引き分けなんて中途半端な結果のまま終われるかよ……!」

「同感だ。ここまで来たら、ちゃんと決着着けようぜ」


「雀田!!」「白福!!」と促すように呼ばれた名前に、仕方ないとばかりに吐き出された二人分の溜息。カゴの中に積み上げられたボールを一つずつ手に取ったかおりと雪絵は、汗を滲ませる二人に向かって再びボールを投げ放った。
十一球目。十二球目。十三球目。
ゴールを潜るボールの数が増える度、湧き上がっていた歓声が、徐々に固唾へと変わって行く。ごくり、と聞こえた息を飲む音は一体誰の物だろうか。緊張感が漂う体育館内。響いているのは、二人のレシーブ音とボールがネットを潜る音だけ。

どうして。どうしてそんなに、頑張るの。

私、もう大丈夫なんだよ。赤葦くんのことは、ちゃんと過去に出来た。黒尾くんだって良い人だし、木葉がこれ以上心配することなんてない。私はもう大丈夫だから。だからもう、心配なんてしなくていいんだよ。しなくていいのに。こんなに必死にならなくていいのに。なのに、なのにどうして。




「っ、しゃあっ!!次だっ!!!」




どうしてそんなに、必死になるの。




ゆらゆら。ゆらゆら。
心ごと揺れる視界に映る木葉の姿に、言い表せないものが込み上げて来る。どうして、とか細い声で紡いだ疑問を聞き拾ったのは、いつの間にか隣に立っていた猿杙だった。


「どうしてだと思う?」

『っ、さるくい……?』

「どうして木葉が、あんなに必死になるのか。必死に、不器用に、あの二人がぶつかってるのか。その理由を、そろそろ気づいてやってもいいんじゃないかな」


木葉を見つめる猿杙の目が優しく細められる。
理由。木葉が必死になる理由。木葉と黒尾くんが、ぶつかり合わなければならない理由。
木葉は、私の知っている木葉は、優しくて、面倒見が良くて、友達想いで。だからずっと、傍にいてくれるんだと思ってた。悩んで、迷って、泣いて、泣いて。そんな、情けない私の傍に、いてくれるんだと思った。だけど。


“相手が、お前だからだよ”


優しいとか、面倒見がいいとか、友達想いだとか。それだけじゃなかったのかもしれない。木葉がいつも傍にいてくれたのは、支えくれたのは、それだけが理由じゃ、なかったのかもしれない。
胸を打つ心臓の音が大きく聞こえる。加速する鼓動を隠すために、胸の前で握った両手。震える唇をきゅっと引き結び、投げ入れられた十五球目のボールを目で追い掛けたその瞬間、


「おーっす!!!お前ら元気にやってるー???」

「「!?」」


緊迫した空気を壊した大きな大きな声。場違いな程明るいそれは、梟谷学園男子バレー部主将、木兎光太郎のものだ。木兎の登場に驚いたのか、小さく跳ねた二人の肩。僅かに崩れたレシーブ姿勢に、あ、と誰かが声を漏らす。
緩やかな弧を描くボールがゴールに向かって落ちて行く。握った両手に力がこもったのは、不安と期待、どちらのせいだろう。リングに弾かれたボールとゴールネットを揺らしたボール。決着を付けた十五本目のレシーブ。それを決めたのは、



「木葉の勝ちだ!!!」



わっ!と一斉に湧き起こった歓声。溢れんばかりの拍手が、勝者となった木葉に送られる。勝った。木葉が、木葉が勝った。
妙に力が入っていた肩を脱力させる。見開いた目に映る木葉と黒尾くんは、未だにゴールと向き合ったままだ。何か声を、声を掛けなきゃ。でも、なんと言えばいいのだろう。お疲れ様とか、すごかったねとか、掛けられる言葉は色々ある。色々あるはずなのに、どれも何だか違う気がする。
悔しさからか、天井を仰いだ黒尾くん。腰に手を当てて立ち尽くす姿に眉を下げた時、きゅっ、と聞こえたスキール音。耳に届いたその音に、瞳が自然とそちらを向く。


『っ、この、』


このは。そう呼び切る前に掴まれた右手。引き止める間もなく歩き出した木葉は、そのまま出口へ向かおうとする。ザワつく観客やチームメイトの間を縫って進んで行く木葉。入口脇で固まる木兎の前も通り過ぎると、渡り廊下を通って校舎の中へ。

前を歩く木葉の背中が、何だか凄く大きく感じる。

文化祭で賑わう廊下を真っ直ぐ進んで行く木葉。迷いのない足取りは、一体どこに向かっているのだろう。振り向くことなく歩き続ける木葉に黙って腕を引かれていると、漸く木葉の歩みが止まったのは、いつかに私が逃げ込んだ屋上に続く扉前の小さな踊り場だった。
右手を掴んだまま、屋上へ続く扉に手をかけた木葉。ドアノブを捻った扉が軽々とあき開く。扉の向こうから差し込む陽の光に目を細めた時、再び足を動かした木葉は、眩い日差しに照らされた屋上へ躊躇なく足を踏み入れた。


「…………」

『あ、あの………木葉………?』


伺うように呼んだ名前に、掴まれたままだった右手が解放される。前を向いたままこっちを見ようとしない木葉。木葉は今、どんな顔をしているのだろう。気まずさに目線を泳がせていると、は、と吐き出された短い息。見上げた先には浮かんだ汗を肩口で拭う木葉の姿があって、「あっちー」とボヤくように零した木葉は、塔屋の壁に背を預けたままズルズルとその場に座り込んだ。


『あ、あの……えっと………の、飲み物っ!飲み物買ってこようか??』

「……いいよ、別に」

『で、でも、「いいから、」っ、』


「いいから、此処にいろよ。他には何も要らねえから。苗字がいれば、それでいいから、」


言葉尻と同時に瞳を瞼で覆い隠した木葉。柔らかく吹いた秋風が、萱色の髪を優しく揺らしている。
なんで。なんで今、そういうこと言うの。教室や体育館とは違う。二人だけの屋上では、木葉の真っ直ぐな声が、あまりによく聞こえ過ぎるのに。
自分でも分からない何かが、胸の奥から溢れて来る。震えを誤魔化すみたいに噛み締めた唇。座り込む木葉の隣に歩み寄ると、人一人分の距離を開け、木葉の隣にゆっくりと座り込んだ。


「…………景品、」

『っ、え………?』

「景品の鏡、あとで雀田か白福に貰っとけよ。多分取っててくれてるだろうから」


目を閉じたまま届けられた言葉に、はた、と目を瞬かせる。景品。景品。景品の鏡って。あ。


『……もしかして、手鏡のこと?』

「それしかねえだろ」


「完全に忘れてたな」とジト目で見てきた木葉に、う、と瞳を反対側へ。そうだった。木葉と黒尾くんがぶつかる切っ掛けになったのは、私が“可愛い”と褒めたあの手鏡だった。呆れ眼から注がれる視線が酷く痛い。「ご、ごめん、」と素直に謝罪を口にすれば、呆れ混じりのため息ののち、木葉は再び目を閉じた。


「ま、別にいいけど。俺が勝手にやり始めたことだし」

『…………あのさ、木葉、』

「なんだよ?」

『………なんで、あんなに意地になってたの?』


投げ掛けた問に、閉じた瞼が小さく動いた気がした。


『黒尾くんとのことは、もう心配しなくても平気だよ。赤葦くんへの気持ちにはちゃんとケジメを付けられたし、黒尾くんが良い人だってことも分かった。だから、その……』

「………お前のためじゃねえよ」

『っ、え???』

「意地になったのは、苗字のためじゃない」


押し上げられた瞼の向こうから現れた瞳が、真っ直ぐ私を見捕らえる。重なった視線の熱さに、頬に熱が集まり始めた。


「言っただろ。“見たくねえからだ”って」

『い、いってた、けど、』

「意地になったのも、必死になったのも、俺がそうしたかっただけだ。苗字が心配だったから、なんて殊勝な理由じゃねえよ」


そう言って、酷く緩慢に頭上を仰いだ木葉。広がる青空を見つめる表情は、なんだか清々しいものに思える。憑き物が落ちたみたいな顔、とまでは言わないけれど、何かが吹っ切れたみたいな。そんな顔だ。隣の彼に倣うように空を見上げれば、青く澄み切った景色に、ほう、と感嘆の息が零した。


『………いい天気だね』

「おー、」

『今日って練習あるの?』

「あるよ。片付けやらなんやらで開始時間遅えけど」

『……見学、行ってもいいかな?』

「聞く意味あんのか?それ、」


「来るななんてて言うわけねえだろ」と軽やかに笑う木葉に、だよね、と小さな笑みで応える。
なんで、とか。どうして、とか。聞きたいことは沢山ある。でも、一先ず今は、


『木葉、』

「……んだよ」


『………鏡、取ってくれてありがとね』



この穏やかな時間を、楽しむことにしよう。



青空から移した瞳を木葉へ向ける。目を合わせようとしない木葉から返ってきたのは、「別に、」という三文字の短い返事。照れ臭さを隠すみたいな言い方がなんだか可愛くて、ついつい零した笑い声に、「笑うなバカ」と凄みのない悪態が飛んで来たのだった。
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