三年生秋(12)
金曜日。放課後。
かおりに誘われた男バレとのご飯に向かうため、トモちゃんと二人でいつもとは違う学校帰りの道のりを歩いていく。部活の顧問に呼び出され、一人遅くなると言っていたトモちゃん。そんな彼女に、「名前、ちょっと待っててくれない?」とお願いされたため、二つ返事で頷いた私もトモちゃんと二人で少し遅れてお店に向かうことに。
トモちゃんと吉田くんの近況を聞くなど、会話を楽しんでいるうちにあっという間に辿り着いたお店。かおりが予約してくれたと言うこのお店は、学生御用達のお好み焼き屋さんだ。個室もあって食べ放題もあるお好み焼き屋さん。食べ盛りの学生には有難いリーズナブルな価格設定で、以前にもかおりと雪絵、トモちゃんの四人で訪れたことがある。
「こんにちはー!」と横開きの扉を躊躇なく開けたトモちゃん。「いらっしゃいませ〜」と快く迎えてくれた店員さんに予約している名前を伝えると、案内されるままお店の奥にある個室席へ。お座敷のため、靴を脱いで襖の前に立つと、「名前、入りなよ」と促すトモちゃんの声に、襖を開けたその時、
「「「「「「「合格おめでとう!!!!」」」」」」」
『……………………………え?』
パンッ!と響いたクラッカー音。目の前で舞った小さな花吹雪に、ぱちぱちと目を瞬かせる。
おめでとう。おめでとうって。あれ、今私、合格おめでとうって言われた???
ぽかんとした顔で固まる私に、中へ入るよう背中を押してきたトモちゃん。押されるままに部屋へ入ると、やけにいい笑顔を浮かべたかおりと雪絵がやって来て、雪絵の手には“本日の主役!”と書かれたタスキが。
「ほら!これ付けて座った座った!」
『え、いや、あの………え????ちょ、ちょっと待って、これってどういう……??』
「いいからいいから、」
半ば押し付けるようにタスキを渡してきた雪絵。タスキと雪絵を交互に見たのち、戸惑いながらタスキを掛けることに。満足したように笑ったかおりと雪絵は、ほらほら、と今度は席に座ることを促してきて。何が何だか分からないまま、大人しく席へ着くと、「びっくりした?」としたり顔で問い掛けてきたトモちゃんにおずおずと頷き返した。
『……もちろんびっくりしたんだけど、………あの、これは一体どういう………?』
「どういうって、さっき言ったでしょ?“合格おめでとう”って」
『言われた、けど、』
「見ての通り、今日うちらが集まったのは名前の合格を祝うため」
「合宿でもお世話になったし、」
「木兎の勉強も見てもらったしさ」
状況を把握し切れない私に、かおり、猿杙、小見くんが笑顔で応えてくれる。
合格祝い。私の、私の合格祝い。「な、なにもわざわざ集まってくれなくても、」と首と両手を振ってみせると、「何言ってんのよ」「祝うなら盛大にやらなきゃね」と悪戯っぽく笑ったトモちゃんと雪絵。でも、と更に言葉を続けようとしたとき、「一先ず注文はしちまおうぜ」と呆れ交じりの木葉の声が。
確かに、このまま何も注文せずにいるのはお店的に良くないだろう。渋々頷いて返した私に、待ってました!とばかりに目を輝かせた木兎。すんませーん!!と張り上げられた木兎の声に、男性の店員さんが部屋の前へ。木兎に代わって注文を済ませてくれた赤葦くんにお礼を言おうとしたとき、「はい名前、」と目の前に差し出された薄水色のショップ袋に、え、と目を丸くさせる。
「これ、うちら三人から、」
「合格祝い兼合宿の手伝いのお礼ってことで」
「あと、私は夏祭りの時のお礼も兼ねてね」
続けざまに向けられた台詞に目を点にする。
お祝いもお礼も言葉で貰うだけで十分過ぎるくらいなのに、プレゼントまで用意されているなんて。「さ、さすがに受け取れないよ……!」と首を振ってみせると、「何遠慮してんのよ」と半ば呆れた様子のかおりが受け取ることを促すように目前に紙袋を突き付けて来た。
「うちらの気持ちを無駄にするつもりー?」「わざわざ用意したんですけどー」と意地悪く言う雪絵とトモちゃん。態とだ。私に受け取らせるために、態とこんな言い方してるんだ。う、と言葉を詰まらせた私に、いい笑顔を向けて来る三人。笑顔の圧に負けて、恐る恐る紙袋を受け取ると、それで良しとばかりに頷いた三人は満足した顔で自分の席へ戻って行った。
『あ、あのっ……!……本当に、本当にありがとう……!』
「いいっていいって、」
「うちらも名前にはお世話になってるしね」
「このくらいのことはしないとね」
「ちなみにここもうちらで奢るから」「絶対財布出さないでよ」「出したらデコピン百回ね」と念を押してくるかおり達に、ちょっと眉を下げながらも、ありがとう、と今度こそ素直にお礼を言うことに。すると、一連のやり取りを見守っていた木兎達が動き出し、「苗字!」と勢いよく呼ばれた自分の名前に、くるりと木兎を振り返ると、
「合格おめでと!!!」
『………………………え???』
「これ!俺らからの合格祝いな!!」
「べんきょー教えてくれてさんきゅ!」と満面の笑みを見せてくる木兎。屈託のない笑顔と共に差し出されているのは、鮮やかな赤いショップ袋だ。
「合格おめでとうございます」「合宿の手伝いも助かった」と言う赤葦くんと鷲尾くんの声に、赤いショップ袋と木兎の間で忙しなく動かしていた瞳の動きが止まり、差し出されるプレゼントから距離を取るために後退ってしまう。
『な、なんで??なんで木兎たちからも????』
「?なんでって、大学受かった合格祝いだろ?」
「それに、この前の合宿でも手伝ってもらっちゃったし、」
「期末では木兎が世話になっただろうが」
疑問符混じりの木兎と苦笑い気味の猿杙の答えに、最後に木葉が一言付け足す。
確かに合宿にはお手伝いとして参加させて貰った。貰ったけれど、私が出来た事なんて微々たるものだ。正直自分ではちゃんと役に立てていたかどうかも分からない。それに、木兎の勉強に関してだって、私はあくまでサポートをしただけ。赤点回避をしたのは木兎の自身の力で、私がこんなに感謝して貰うのは、なんと言うかお門違いな気が。
いつまでもプレゼントを受け取ろうとしない私に、不思議そうに首を傾げた木兎。「要らねえの?」と投げられた問に、思わず言い淀んでしまう。
『い、要らないわけじゃないよっ。気持ちは、その……す、すごく、嬉しいし、』
「ならなんで受け取らねえの?????」
『だ、だって、合宿の手伝いをさせて欲しいって言い出したのは私だし、木兎の勉強に関しても、頑張ったのはあくまで木兎なわけで、』
「けどそれって、どっちも苗字が俺らを助けてくれたことには変わんないじゃん?」
『っ、』
「苗字はさ、いつも言ってくれるよね。俺らのバレーに力を貰ってるって。でも、それは俺たちも同じだから。試合も、練習も、合宿も。いつだって俺たちを応援してくれてる苗字に、俺たちだって力を貰ってるよ」
穏やかで優しい猿杙の声に目頭が熱くなっていく。
貰ってばかりだと思ってた。直向きにバレーを頑張る皆の姿に、自分も頑張ろうと、そう思える力を貰っていた。だから、私なんかが皆の役に立てるなら、喜んで力になりたいと思った。些細なことでもいい。どんな形でもいいから、力になれればと思った。
でもまさか、まさか自分が、みんなの力になれていたなんて。こんな風に、思って貰えていたなんて。
込み上げて来たものが視界を滲ませる。下瞼に溜まり続けるそれに、仕方なさそうに目尻を下げたかおりと雪絵とトモちゃん。ほら、と隣りに座るトモちゃんに肩を叩かれ、漸く木兎の手から受け取ったプレゼント。零れ落ちそうになったものを慌てて拭うと、改めて木兎たちに向き直った。
『っありがとう……!こんな風に祝ってもらえて………感謝してもらえてっ…………本当に、っ、本当にありがとうっ……!』
貰ったプレゼントを両腕で優しく抱き締める。涙声で告げたお礼の言葉に、みんなの瞳が優しく和らげられたところで、お待たせしてしましたー!とお好み焼きのタネを運んで来てくれた店員さん。「早く食おうぜ!」という木兎の声に促され、膝に抱えていたプレゼントを後ろに置いて、みんなでお好み焼きを頬張ることにした。
*****
『本当に、本当にありがとねっ……!!』
ガタンゴトン。ガタンゴトン。
一定のリズムで揺れる車内で、改めて口にした感謝の気持ち。「お礼言い過ぎ」「何回目だよ」と照れ臭そうに笑ったかおりと小見くんに、両手に持ったプレゼントを大事に大事に抱え直した。
お好み焼き屋さんを出たのが、今から約二十分前のこと。
みんなとわいわい騒ぎながら食べるお好み焼きは最高に美味しくて、過ごす時間の楽しさに、何度も何度も涙ぐみそうになった。けれど、楽しい時間と言うものはあっという間に過ぎるもので、気づけば空には月と星が広がっていた。
お店を出て駅へ向かい、方向の違う鷲尾くん、赤葦くん、木兎とは別れ、残りの面子で乗り込んだ電車。帰宅ラッシュが過ぎた時間のため車内はそれ程混んでおらず、扉の脇に固まって立つ私たちは酷く目立っているように思える。
「名前、次で乗り換えだっけ?」と確認してきた雪絵に、うん、と返した小さな頷き。停車前のアナウンスを聴きながら降りる準備を始めると、電車が駅に止まる直前、もう一度みんなに向けて感謝を伝えることに。
『あの、今日は本当にありがとうっ……!』
「だから、お礼言い過ぎだってば」
「気をつけて帰ってね」
「また月曜に学校でな、」
『うんっ……!また来週、学校でね、』
プシュー、と少し緩慢に開いた電車の扉。見送ってくれるみんなを後ろに、車内から駅のホームへ降り立つ。振り返ってみんなに手を振っていると、発車のアナウンスが流れて扉が閉まろうとした。その時、
「忘れもんしたから、俺も降りるわ」
『っ、え、』
閉じる扉の隙間を縫って電車を降りた足。目の前に降り立った木葉の姿に、ぱちりと目を丸くする。動き出した車内の窓には驚くかおり達の姿が映っており、ごおごおと風を切りながら走り出した電車はあっという間に見えなくなってしまった。
途端に訪れたホームの静けさ。大きな駅ではないせいか、次の電車を待つ人の姿は疎らだ。
正面に立っていた木葉が徐に動き出す。見上げていた瞳で追い掛けるように木葉を見続けていると、スマホで時間を確認したのち、「次、何分後?」と尋ねて来た声に、え?と小さな声を上げる。
「電車だよ、電車。乗り換えんだろうが」
『あ、え、えっと……十分後くらい、だったかな……?っ、あ、あのさ木葉、忘れ物って大丈夫なの??お店に戻るなら、私も一緒に、』
「いいよ。……別に店に忘れもんした訳じゃねえから」
『へ…………?』
目を逸らしながら零された台詞に間の抜けた声が漏れる。お店に忘れ物した訳じゃないって、じゃあ、木葉が言ってた忘れ物って一体。見開いた目で木葉を見上げていると、何故か周りを見回し始めた木葉。「どうしたの?」と小首を傾げるれば、何故か眉間に皺を寄せた木葉は肩に掛けていたエナメルから薄桃色の包みを取り出した。
「…………ん、」
『………ん、って………?』
「っ、察しろよバカ!!………………………合格、祝いだよ、」
合格祝い。合格祝いって。あれ?さっきも私、貰ったよね??
両手に下げたショップ袋を確認し、再び視線を木葉へ戻す。仏頂面の木葉が持つ薄桃色のギフトバックは、間違いなく私に向けられている。
「さっき貰ったけど、」と戸惑いながら応えた私に、「だから、察しろって言ってんだろ」と気恥ずかしそうに目を逸らす木葉。はた、と瞬かせた瞳に木葉の横顔を映すと、赤くなった耳先に気づいて、何だか私まで照れ臭くなってしまう。
つまり、つまりこれは、木葉が用意してくれたものと言うことで、いいのだろうか。木葉が一人で、選んでくれたものと言うことで、いいのだろうか。
差し出されているプレゼントに改めて目を落とす。可愛らしいギフトバックに小さく描かれていお店のロゴ。女の子に好まれる雑貨屋であるそのお店は、男子高校生が好んで足を運ぶようなイメージは少ない。そんなお店に、木葉は一人で行ったのだろうか。私にこれを渡すために、わざわざ足を運んでくれたのだろうか。
そっぽを向いたままプレゼントを差し出し続ける木葉。慣れないお店に、居心地はきっと最悪だっただろう。それでもこうしてプレゼントを選んでくれた木葉に、申し訳なささえ感じてしまう。でも、そんなことより、何より一番思うのは、
『………貰って、いいの……?』
「…………は…………?」
『……だって、だって私、今日があまりに幸せ過ぎるから。みんなに、みんなに沢山祝って貰って、プレゼントまでして貰って。なのにまた、またこうして、木葉に祝ってもらってる。……だから、こんなに幸せでいいのかなって。私ばっかり嬉しくて、いいのかなって、』
言葉を綴って行くたびに、少しづつ下へ落ちていく視線。申し訳なさはもちろんあった。でも、真っ先に感じたのは、間違いなく嬉しさだった。
まだ私は、何も木葉に返せていない。木葉がくれた優しさに、何も返すことが出来ていない。それなのに私は、また木葉に貰ってしまった。素敵なプレゼントと、胸を満たす温かな優しさを、貰ってしまった。
真っ直ぐ突き出されるプレゼントを、柔らかな手つきで受け取る。手にしたそれを大事に大事に抱え込むと、溢れる気持ちをそのままに、満面の笑みで木葉を見つめた。
『ありがとう、木葉。すごく、すごく嬉しい、』
「っ、お、おう、」
『中、見てもいい?』
「そっ、それはやめろ!!こういうのは、家に帰ってから開けるもんだろうが!!」
「小っ恥ずかしいから俺がいる前で絶対開けんな!」と声を荒らげた木葉に、くすくす溢れた小さな笑み。焦ってる木葉って、なんか、可愛い。聞こえて来る笑い声に罰が悪そうな顔で唇を尖らせた木葉。「笑い過ぎだっつーの、」とジト目で注がれる視線に、「ごめん、つい、」と緩む口元を両手で覆い隠した。
『……あ!そうだ木葉!誕生日プレゼントっ!』
「は??誕生日プレゼントって……レモンのはちみつ漬けで良いって言っただろうが」
『で、でもっ、それじゃさすがにアレな気が……。もちろんレモンのはちみつ漬けは作るけどっ!でも、もっと他に欲しいものないの??物じゃなくても、して欲しいこととか、』
「……………………じゃあ、」
『じゃあ、なに??』
「黒尾とのデート、行くなっつったら……どうする?」
『……………………え?』
吐かれた言葉に緩んでいた唇から笑みが消える。
ちょっと待って。なんで木葉が黒尾くんとのデートのこと知ってるんだ。固まる私に目を細めた木葉。「その反応ってことは、アイツとデートするのは間違いじゃねえんだな?」と不機嫌な声で吐かれた台詞に、どうやらカマを掛けられたのだと気づく。
『……あってる、けど………。……でも……どうして木葉が、知ってるの……?』
「どっかのアホから、苗字がデートに誘われてるって聞いたんだよ。……俺の知ってる限りで、苗字がデートに誘われるとしたら、黒尾が一番ありえるだろうが」
『どっかのアホって、』
それって、境田くんしかいないのでは。両手を合わせ、ごめん!と謝る境田くんの姿が頭に浮かぶ。黒尾くんとのデートに行くかどうか。それを相談しているのは、今の所境田くんだけだ。けれど、そもそも境田くんは木葉と黒尾くんの関係性を知らない訳だし、誰にも言わないでと口止めしなかったのは私自身だ。彼が木葉にデートのことを話していたとしても、境田くんを責めるのはお門違いだろう。
さっきまでの穏やかな時間が嘘のよう。気まずさに泳ぎ始めた目線を右へ左へ動かしていると、「で、どうすんの?」と重ねられた問いかけに思わず肩を強ばらせてしまう。
『どうって……』
「プレゼント、物じゃなくてもいいんだろ?もし俺が、プレゼントの代わりに黒尾とのデートに行くの止めろっつったらどうすんの?」
『……それは……』
濁した言葉にプレゼントを抱える手に力が籠る。木葉が欲しい物をあげたい気持ちはもちろんある。何か欲しい物がないかと聞いたのは私な訳だし、出来るだけ木葉の希望は叶えてあげたい。でも。
『…………それは、出来ない、』
小さく首を振りながら返した答えに、木葉の瞳が微かに揺らいだ気がした。
「……なんで?」
『っ、だ、だって、一度行くって言ったのに、私の勝手な事情でやっぱり行かないって言うのは間違ってる気がするし……それに、』
「それに?」
『…………私も、いい機会だと思ってるの。黒尾くんへの気持ちに、自分がどう応えたいのか、それを見極めるチャンスだと思ってる』
「…………」
『何が欲しいって聞いたのは私だけど…………ごめん、木葉。そのお願いはちょっと……叶えるのは、難しいというか……』
徐々に小さくなって行く声が何だか凄く情けない。どうしよう。さすがに怒らせてしまったかな。自分で何が欲しいか聞いたくせに、結局それを断ってしまうなんて。
伏せた瞳に胸に抱えたプレゼントが映り込む。申し訳なさにもう一度、ごめん、と口にしようとした時、
「知ってるよ」
『っ、え??』
「お前が……苗字が断るわけないって、何となく分かってたよ」
気まずい空気を壊すように、いつも通りの口調で話し始めた木葉。耳に届いたその声に、伏せた瞳が自然と持ち上がる。ぱちぱちと瞬きを繰り返して木葉を見上げると、小さなため息を零したのち、木葉は言葉を続けて行く。
「……いくら俺に頼まれたからって、……苗字は、一旦約束したことを断るような奴じゃない。自分の都合で、相手を振り回すような奴じゃない。だからずっと、迷ってるんだろ。黒尾の気持ちに、どんな答えを出せばいいのか、悩んで来たんだろ」
『っ、じゃ、じゃあ、どうして行くななんて言ったの……?黒尾くんとの約束を、断らないって思ってたんだよね……?』
「…………分かってても、言いたくなることってあるだろ。無理だって知ってたとしても……言えば何か、変わるかもしれねえだろ」
逸らされた瞳が僅かに細まる。
気のせいだろうか。鼓膜を揺らす木葉の声が、何だか少し、寂しげに聞こえてしまうのは。自嘲めいたものに、聞こえてしまうのは。木葉、と前へ踏み出そうとした足。けれどその瞬間、ホームに響いたアナウンスに思わず動きを止めてしまう。「ほら、電車来たぞ」と線路の方へと移された視線。倣うように見遣った先には、ライトを灯す電車の姿が。近付いてくる走行音に口を開く気になれず、結局そのまま、無機質に開いた扉に乗り込むまで、木葉に声をかけることは出来なかった。