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三年生秋(7)

『二人とも手伝わせてごめんね……』

「いいって、いいって、」

「このくらいお安い御用さ」


軽快に笑い返してくれた夜久くんと海くん。二人の手にはステンレスのボウルに山積みになった氷が抱えられている。
合宿二日目のお昼少し前。午後からフルートの稽古があるという叶絵ちゃんと別れ、食堂に戻ってきた私はパートさんと一緒に昼食の準備へ。帰り際、赤葦くんと話していた叶絵ちゃんはとても嬉しそうで、向かい合う二人はやっぱりとても絵になっていた。
二人の様子に微笑ましさを感じつつ、昼食の準備を進めていると、「やっぱり氷が少ないわね」と眉を下げた一人のパートさん。どうやら食堂の製氷機は調子が悪いらしく、出来あがる量が随分と少ないらしい。「家庭科室まで取りに行きますよ」と伝えると、「一人じゃ重いわよ」と首を振られる。そこへ偶然やって来たのが、空き時間になった夜久くんと海くんの二人だった。ナイスタイミング!とばかりに、二人に声を掛けたパートさん。「名前ちゃんと一緒に氷を取ってきてくれない?」と言う頼みに、二人は快く頷いてくれた。
そんなわけで、今は家庭科室からの帰り道。夜久くんと海くんに挟まれながら、食堂へと向かっている。
「そろそろ全員昼休憩に入る頃かもな」「だな」と目線を体育館へ移した夜久くんと海くん。倣うように自分も体育館に目を向けようとしたとき、あのさ、と発せられた夜久くんの声に、視線が自然と彼の方へ。


「……赤葦、仁科さんと付き合ってるんだってな」

『え??』

「さっき小鹿野が騒いでて知ったんだ。“あんな可愛い彼女がいるなんて聞いてねえよ!”ってさ」


苦笑い気味の夜久くんに、ああ、と小さく頷いて応える。
森然の小鹿野くんは叶絵ちゃんに声を掛けており、戸惑っていた叶絵ちゃんを助けた赤葦くんは、叶絵ちゃんのことを“彼女”だと堂々と宣言していた。それを聞いて驚いていたのは小鹿野くんだけじゃない。かおりや木葉もかなり吃驚していたけれど、その後直ぐ試合が始まったため、詳細は省かれたまま一先ずみんなはコートの中へ。けれど、こうして夜久くん達の耳にも届いているくらいだし、他のみんなにも知れ渡っているかもしれない。
「お似合いだよね」と笑ってみせれば、ぱちりと目を瞬かせた夜久くんが足を止める。同じように足を止めた海くんも少し驚いた顔をしていて、二人の数歩先で立ち止まって首を傾げることに。


『?どうしたの??』

「……苗字さん、マジでちゃんと吹っ切れてんだね」

『え??』

「夏祭りの時言ってたろ?叶絵ちゃんを好きな赤葦を好きになったって、」

『…………あ…………』


夜久くんの台詞に、思い出すのはあの日の自分だ。今思うと、夜久くん達も居る場でなんた恥ずかしい発言をしてしまったのだろう。「そ、その節は、本当にご迷惑をお掛けしました……」と氷を持ったまま頭を下げると、「謝ることじゃないさ」と緩く首を振った海くんは、そのまま穏やかに微笑んでみせた。


「驚きはしたけど、でも、同時に感心したんだ」

『感心……?』

「そう。だって、あんな風に赤葦を送り出せるってすごい事だよ。自分が好きになった相手なら尚更」

「普通は付け入るチャンスだって思っちまうもんな」


天井を仰ぎながら海くんに同意した夜久くん。さすがチームメイトと言うべきだろうか。いつかの黒尾くんと同じような言葉を綴る二人に、少し顔が綻んでしまう。すると、緩んだ表情に気づいて不思議そうに顔を見合わせた二人。「どうかした?」と尋ねてきた夜久くんに、目尻がそおっと下がっていった。


『似たようなこと、黒尾くんにも言われたなあって思って』

「黒尾に?」

『うん。前にみんなで焼肉食べたでしょ?あの時に、黒尾くんには言われたの。赤葦くんを送り出せたことを凄いって。……でも、黒尾くんにも言ったけど、感心して貰えるようなことじゃないんだ。だって、赤葦くんに気持ちが向いたままの私だったら、多分あんな風に言えなかったと思う。叶絵ちゃんの元へ、送り出せなかったと思う』


少しだけ目線が下へ落ちる。
すごいと言ってくれる二人には申し訳ないけど、そんなに褒めて貰えるようなことじゃない。黒尾くんにも言った通り。前の私ならきっと出来なかった。赤葦くんを好きなままの私なら、あんな風に送り出せなかった。


『だからそんな感心して貰えるようなことじゃないの。あの時の私は、ただ“友達”として赤葦くんを応援しただけだから』


へらりと笑って答えた私に、夜久くんと海くんの瞳が優しく和らぐ。「そっか、」「“友達”想いもいいことだよ」と笑ってくれる二人。照れ臭さに頬を掻いていると、「それにしても、」と夜久くんが再び体育館に目を向けた。


「黒尾にとっては、ある意味すげえチャンス到来だな」

「そうだな」

『……チャンス……?』

「苗字さんに好きな奴がいねえってことは、そのポジションにアイツがなれる可能性があるってことじゃん」

『……それは……』


夜久くんの言葉に思わず濁った返事。夜久くんの言う通り。今の私に好きな人はいない。いないけれど、でも、だからと言って黒尾くんを“そういう意味”で好きになるかはまだ分からない。
言葉を詰まらせた私に、夜久くんが不思議そうに小首を傾げる。見かねた海くんが、「変な意味じゃないよ」と眉を下げると、「変な意味ってなんだよ?」と夜久くんが更に首を傾げた。


「捉え方によっては、“黒尾の気持ちに応えてやってくれ”って言ってるように聞こえるだろ」

「そんなつもりで言った気はねえけど……でもまあ、そうなってくれたら、嬉しいっちゃ嬉しいしな」


からりとした様子の夜久くんの台詞に、「そうだな」と笑って頷いた海くん。黒尾くんの気持ちに未だに答えを出していない私は、二人からすれば、酷く優柔不断な人間に見えても仕方ない。でも二人は、夜久くんと海くんは、多分そんな風に見ていない。ただ単純に、そう思っているのだ。私が、黒尾くんの気持ちにくれたら嬉しいと、そう思ったから口にしただけ。
チームメイト想いの二人に、微笑ましさと同時にほんの少しの罪悪感が込み上げてくる。「……ごめんね、」と止まった足と共に思わず零れた謝罪の言葉。気づいた二人も、え??と同時に足を止めた。


『夜久くんと海くんにしてみれば、私ってすごく……中途半端に見えるよね。黒尾くんの気持ちにはっきり応えるわけでも、拒むわけでもない。どっち付かずの態度ばかりで……黒尾くんを、待たせたままで……』

「……それは、それだけ苗字さんが、真剣に考えてくれてるからだよね?」

『っ、え……?』

「黒尾の気持ちに対して、真摯に答えを出そうとしてくれてる。だから、時間が掛かってるんじゃないかな」


海くんの優しい声に、俯きそうになった顔を持ち上げた。


「苗字さんも知っての通り。今まで黒尾は、あまりにいい付き合い方をしてなかった」

「付き合っては別れて、また付き合っては別れる。バレー第一で、彼女そっちのけにするなら、そもそも付き合ったりすんなよ!って注意したこともあったっけ?」

「あったな。夜久くんの回し蹴り付きでな」


回し蹴り。話の内容にそぐわないようなバイオレンスな単語である。「しょうがねえだろ。アイツがあまりアレだったし」「確かにアレだったもんな」と頷き合う二人。アレって、どれだろ。と瞬きを繰り返して二人を見つめていると、でも、とやけに穏やかな口調で海くんは言葉を続けていった。


「そんな黒尾が、苗字さんと出会って変わった」

『か、変わったって……』

「本当だよ。黒尾は、苗字さんを好きになってからの黒尾は、びっくりするくらい誠実になった。元々バレーに関しては誠実な奴だったけど……でもその誠実さが、バレーだけじゃなくて、今までテキトーに扱ってきた“恋愛”にも向けられるようになった」


微笑ましそうに目を細めた海くん。そんな彼に続くように、「確かにな」と今度は夜久くんが唇を動かした。


「今までのアイツだったら、練習の合間にスマホ見るなんてありえなかったもんな」

『?スマホ?』

「黒尾のやつ、苗字さんと連絡先交換してから、スマホ見る回数が明らかに増えてんの。休憩入る度にスマホ確認してるし」

「ゴールデンウィーク遠征の時も、かなり悩んでお土産買ってたしな」

「あと、インハイ予選の応援な。来てくれるって知ってからずっとソワソワしてたしよ」

「苗字さんに似た雰囲気の子がいると、目で追うことも多いな」


夜久くんと海くん。二人が話してくれる“普段”の黒尾くんは、私が知っている黒尾くんと少し違う。
夏祭りのとき、少し強引に繋がれた手。繋いだ手に汗を滲ませていた黒尾くんは、「緊張して汗かきまくり」と笑っていた。そんな黒尾くんを見て、黒尾くんでも緊張することがあるのだと知った。でも、それはあくまでその時の話であって、直球過ぎるくらいに気持ちを伝えてくれる黒尾くんは、“そういうこと”に慣れているのだと思っていた。
黒尾くんの意外な一面に、きょとり、と目を丸くして固まっていると、不思議そうに首を捻った夜久くんが「どうかした?」と尋ねてきた。


『……なんだか少し、意外で。黒尾くんは……黒尾くんは、恋愛経験が豊富で、普通なら躊躇してしまいそうなことも、サラッと口にしてくれたりするから……』

「そりゃあ、苗字さんの前ではカッコつけるのに必死だろうしな」

「好きな子には良いとこ見せたいと思うもんな」


揶揄うような夜久くんに対し、終始穏やかな口調の海くん。海くんの言う通り、好きな人によく思われたいと思うのは当たり前だ。私だって赤葦くんを好きだった時は思っていた。赤葦くんに、良く思われたいと思っていた。
黒尾くんもそうなのだ。経験豊富で、余裕があるように見えたのは、彼が私にいい所を見せようとしてくれていたから。それだけ私に、好かれようとしてくれていた。
胸に広がるなんとも言えない気持ち。嬉しいような、戸惑うような、温かいような、揺れるような。そんな、何とも言えない複雑な気持ちが込み上げてくる。


「今の黒尾は、カッコつけしいで余裕はねえし、苗字さんを困らせてばっかかもしれないけどさ。俺は今のアイツのが、何百倍も良いと思う。好きな子の為に必死になれるアイツのが、絶対良いと思う」

「だから俺たちとしては、苗字さんが黒尾の気持ちに応えてくれたら嬉しいなとは思うんだ。そうしてくれって言ってる訳じゃなくて、苗字さんが自分の気持ちを見極めて、そのうえで出した答えがそうだったらいいなと思ってる」


黒尾くんを想う二人の気持ちが、十分なくらいに伝わってくる。かおりや雪絵やトモちゃんが、私を応援してくれたように。二人も黒尾くんを応援している。願わくば、黒尾くんの想いが叶って欲しいと望んでいる。
「黒尾に苗字さんは勿体ねえ気もするけどな」「そうだな」と笑い合う二人。「逆じゃないかな??」と苦笑い気味に伝えると、いやいや、と夜久くんが首を振ってみせた。


「さっきも言ったけど、アイツは苗字さんの前だと猫被ってるから。今回の合宿だって、苗字さんが居るって知ってから落ち着きねえしよ」

『落ち着き……?そうなの???』

「そうそう。昨日の夜もさ、苗字さん追っ掛けようとしたみたいで、


「お前ら名前ちゃんに何吹き込んでんだ」


夜久くんの声を遮った馴染みのある声。見ると、進行方向からズンズンと歩いてくる黒尾くんの姿が。「吹き込んでんじゃなくて、事実を教えてるだけだろ」と夜久くんか答えると、苦々しいそうに顔を顰めた黒尾くんは視線を夜久くんから私へ。


「マジで何吹き込まれた?俺のネガティブキャンペーンとかされてないよね??」

『ネガ……さ、されてないよ。ただ少し、私の知らない黒尾くんのことを教えて貰ってただけで、』

「そうそう。チームメイトを疑うなんて酷え主将だな」

「疑われるような言動してたのはお前だろ、夜久」


ジト目で見てくる黒尾くんにケラケラと楽しそうに笑った夜久くん。すると、「しゃあねえなあ、」と態とらしく肩を竦めた夜久くんは、両手で持っていたボールを左手に移し、自由になった右手で私の持っていたボールを奪うように手に取った。


『え、あ、あの、』

「これは俺と海で届けるから、悪いけど苗字さん、ちょっと黒尾の相手してやってくんない?」

「だな。黒尾もアピールチャンスが欲しいだろうし」


答えを聞く前に歩き出してしまった二人。呆気に取られて固まる私を横に、黒尾くんが小さく息を吐く。
遠のいて行く二人の背中を見送っていると、名前ちゃん、と掛けられた声。どこか不安げなその声に瞳を其方へ動かすと、眉根を寄せた黒尾くんは、一瞬チラリと夜久くん達の方へ視線を向けた。


「アイツらから、マジでどんな事吹き込まれた?」

『吹き込まれたわけじゃ……本当に、ただ私が知らない黒尾くんのことを教えて貰っただけで、』

「……例えば?」

『え?……えっと……練習合間の休憩中に、スマホを気にするようになったって話とか、あと、ゴールデンウィーク遠征で買ってきてくれたお土産、すごく悩んで選んでくれた話とか……』

「アイツら………」


隠すように右手で目元を覆った黒尾くん。「なんつー話してくれてんだよ」と呟き漏らした黒尾くんは、ため息と同時にその場に座り込んでしまう。「く、黒尾くん?」と項垂れる彼に声を掛けると、下を向く黒尾くんから長く大きなため息が零された。


「人がせっかく、良いとこ見せようと頑張ってるっつーのに……」


ボヤくように零された声が床に向かって吐き出される。
目元を手で覆ったまま俯く黒尾くん。顔は見えないけれど、赤くなった耳先が彼の気持ちを代弁してくれている。恥ずかしいとか、気まずいとか。そういうことを、あまり感じない人だと思っていた。でも、そうじゃなくて。感じないわけじゃなくて、感じていないように見せていただけ。
私に、少しでもいい所を見せたいと思って、そういう部分を隠していただけ。
俯く黒尾くんの後頭部が何だか可愛らしい。くすりと笑って自分もその場に膝をついてしゃがみこむ。気づいた黒尾くんが顔を上げると、正面から重なった視線に、自然と顔が綻んだ。


『……意外だった』

「っ、え?」

『黒尾くんは、すごく慣れてると思ってた。黒尾くんでも、緊張することがあるって言うのは知ってたけど……それでも私が知ってる黒尾くんは、好意を言葉や行動で伝えることに慣れてるように見えてたから』


思ったことをそのまま言葉にすると、何かに迷うように黒尾くんの目線を下へ落ちる。「わ、悪い意味じゃないよ!」と慌てて付け加えると、ゆっくりと視線を持ち上げた黒尾くんは、右手の手のひらを差し出した。


「手、貸して、」

『え………?』


戸惑う私に、返事の前に捕らえられた右手。そのまま引き寄せられた手は、黒尾くんの真っ赤なジャージに押し当てられる。驚きと戸惑いに呼ぼうとした黒尾くんの名前。けれど、手のひらから伝わってくる大きな大きな胸の音に気づいて、動かそうとした唇の動きが止まってしまう。

ジャージの上からでも分かる。黒尾くんの胸が、心臓が、すごく、すごくどきどきしてるのが、分かる。

見開いた目で黒尾くんを見上げる。どこか気恥しそうにしながらも、優しく目尻を下げた黒尾くん。「分かる?」と問いかけてきた彼は、愛おしさを詰め込んだ声で更に言葉を紡ぎ始めた。


「名前ちゃんと一緒にいる時は、いつもこうだよ」

『………いつも……?』

「そう、いつも。遠征の土産渡した時も、インハイ予選の応援に来てくれた時も、自販機の前で会った時も、一緒に試験勉強した時も、夏祭りの時も、焼肉屋の前で話した時も、そんで今も。名前ちゃんが傍にいる時は、心臓がうるせえのなんのって。……よく見られたくて、カッコつけたくて、余裕なんてこれっぽっちもねえの」


右手を掴む力が少し強くなる。手のひらから伝わる心臓の音が、微かに大きくなった気がした。
黒尾くんは、恋愛経験が豊富で、余裕があって、慣れていて。だから、私とは違うのだろうと思っていた。そんなことある筈ないのに。心から誰かを好きになったら、余裕なんてなくなること、私はよく知っている筈なのに。
「カッコ悪いっしょ?」と何かを誤魔化すみたいに笑ってみせた黒尾くん。そんな彼に首を大きく振って返すと、少し目を伏せた状態で唇を動かした。


『……ありがとう、』

「っ、は…………?」

『そんな風に想ってくれて、ありがとう、黒尾くん』


伏せた瞼を持ち上げて、黒尾くんと目を合わせる。視線が重なった瞬間大きく見開かれた瞳。「ありがとうって、」と驚く彼に、閉じた唇をもう一度動かし始める。


『私、知らなくて。悩んだり迷ったりしながら、それでも私を想ってくれてるんだって。私が知らないところでも、ずっと想ってくれてたんだって、知らなかった』


夏祭りの日、少しは彼のことを知れた気がしていた。彼の気持ちを分かった気でいた。でも、ほんとはまだ、全然分かってなかった。黒尾くんは、黒尾くんは私が思っているよりずっと、ずっと私を好きでいてくれている。
重なったままの瞳を、そうっと和らげる。唖然として固まる黒尾くんは、今、何を考えているのだろう。


『正直に言うと、まだ、答えは出せてないけど……でも、ちゃんと、ちゃんと考えるから。黒尾くんの気持ちに、どんな風に応えるか、応えたいのか。ちゃんと、考えるからね』


柔らかな笑みとともに向けた言葉。伝えたかった気持ちは、ちゃんと言葉に出来ただろうか。今度は両手で顔を覆い隠した黒尾くんは、「何回惚れ直させる気っすか、」と手のひら越しに呟き漏らした。
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