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三年生秋(5.5)

少し涼しい風が頬を撫でる。秋めいた風に目を細めていると、同じことを思ったのか、「秋ですね」と赤葦が頬を緩めた。


「だな」

「秋でもまだまだあっちーよなー!」

「そりゃ俺らは動いてますからね」


ボヤく木兎に赤葦が苦笑いを浮かべる。
「宮城もまだあちーの?」「昼間はまあ、わりと」「朝晩は冷え込んできたよな!」「腹減ったー!!!」
リエーフの疑問にツッキーが答え、チビちゃんが付け足し、木兎が意味もなく叫ぶ。相変わらずマイペースなやつ、と腹を擦る木兎に半笑いを浮かべてしまう。

自主練を終え、空腹を満たすべく向かった食堂。

食いっぱぐれることのないようにある程度時間を見て終えた自主練だが、どうやら俺たちが最後だったらしい。食堂には各チームの選手が疎らに座っている。飯にありつき、意気揚々とカウンターへ向かったチビちゃんとリエーフ。二人を追い掛けつつ厨房の中へ目を向けると、お目当ての人物の姿は既になく、内心小さくため息を零す。
すると、同じことを思ったのか。「あれ?苗字いなくね??」とキョロキョロと食堂内を見回した木兎。「もう遅いし、帰られたんでしょうね」と赤葦が答えると、ふーん、と大したリアクションもせず、木兎もリエーフ達の後ろへと並んだ。


「(そうだよな。そりゃ帰ってるよな)」


食堂内の壁時計は既に八時を回っている。いくら合宿の手伝いをしているとは言え、名前ちゃんはここへ泊まるわけじゃない。あまり遅くなると帰り道の危険が増すのはもちろん、家族だって心配する。
木兎の後ろに並び、トレーを手にする。その後ろに赤葦が続き、更に後ろにツッキーが並ぶ。げんなりした顔で列に並ぶツッキーに何やら声をかける赤葦。恐らく、飯を食いたくないなどと呟いたツッキーを何とか宥めているのだろう。一言二言赤葦と言葉を交わしたツッキーは、渋々といった様子でトレーを手にした。
俺たちが食事を受け取って席につくと、片付けを始めた食堂のおばちゃん達。「……俺たちが最後だったんですね」と箸を止めたチビちゃんが申し訳なさそうに眉を下げると、「慣れてるから大丈夫だよ」とすかさず赤葦がフォローを入れる。


「合宿中の自主練が長引くことはザラだし、パートさん達も怒ったりしてないよ」

「そうなんですか?でも……苗字さんはもう居ないみたいですけど……?」

「苗字先輩はここに泊まるわけじゃないし、遅くなる前に帰して貰ったんじゃないかな?」

「なるほど!!」


「夜道は危ないですもんね!」と納得した様子で声を上げたチビちゃん。「そうだね」と返した赤葦は、ふと何かを気にするように窓の方へ視線を向ける。
名前ちゃんが先に帰されたのは分かる。けどそうなると、彼女はどうやって家まで帰ったのだろう。普段は電車通学のようだが、今日も電車を使ったのだろうか。だとしたら、駅までは?駅までは一体どうやって行ったんだ。まさか一人で帰ったなんてことないよな。何時に帰ったのか分からないけれど、夕飯の配膳も手伝っていたとなるの、暗くなってから帰ったのは大いにありえる。
気になりだしてしまうと中々箸を進める気になれず、徐に箸を置いた俺に、どした?と木兎が首を捻ってきた。


「……わり。俺後で食うから、おばちゃん達に自分で片付けるって伝えててくんね?」

「それは別に構いませんが……」

「黒尾さん、どっか行くんですか??トイレ??」

「バカ、ちげえっつの。とりあえず、伝言頼んだぞ赤葦」

「はあ、分かりました」


赤葦の頷きを確認したのち、席を立って食堂を後にする。
要らぬ心配である可能性が非常に高い。それはよく分かってる。でももし、もし名前ちゃんが一人で帰っていたとして。追いかければ、追い付ける距離にいるのだとしたら。


「あれ?黒尾??」

「っ、……スガくんか、」


掛けられた声に急ぎ足で進んでいた足が止まる。「やっと自主練終えたのか?」と朗らかに話しかけてくれるスガくん。普段であれば気軽に答えて、そのまま会話を続けるのだけれど、今はそういう訳にも行かない。
「悪いスガくん、今ちょっと急いでんだ」と片手で謝った俺に、スガくんが不思議そうに目を瞬かせる。「何かあったのか?」と首を傾げてきたスガくんに、早口で答えを返すことに。


「名前ちゃん追っかけようと思って、監督に外出許可貰いに行くとこ」

「え、苗字さん?」

「そう、名前ちゃん。もしかしたら一人で帰ってんじゃねえかと思ってさ」

「……あ、あー……それなら、その……心配要らないかも、」

「は??」

「苗字さんなら、ちゃんと送って貰ってたよ。その……木葉くんに、」


スガくんの言葉に動き出そうとした身体がピタリと止まる。小さく目を剥いて固まった俺に、スガくんは申し訳なさそうに眉を下げる。
そうか、木葉か。木葉のやつが、送ってんのか。
廊下の奥に向けていた足先をスガくんへと向け直す。「それなら良かったよ」と笑顔で応えた俺に、スガくんの眉が更に下がった気がした。


「悪いな、スガくん。なんか気い使わせて、」

「えっ、いやっ、その…………俺の方こそ、ごめん。下手な気遣いだったよな」

「いや。おかげで木葉と鉢合わせることにならなくて済んだわ。アイツと二人で帰ってくるなんて御免だし」


わざと肩を竦めた俺に、スガくんの視線が下へと動く。こりゃ完璧に気付かれてんな、と苦笑いを浮かべると、「マジで気にしなくていいから」と出来るだけ軽い口調で続けてみせた。


「てか、やっぱスガくんには気づかれてたか」

「……昼間の二人を見てたら、そうなのかなって」

「ま、そもそも俺は隠す気ねえしな。木葉は木葉で、隠そうとしてんのに、隠せてねえし」


「胸倉掴んでキレるなんて、早々ねえもんな」と冗談交じりに笑うと、「俺も初体験だったよ」とスガくんも笑顔で応えてくれる。そういや俺も、木葉に掴まれたのが初めてだったな。試験勉強の合間に木葉とした“ケンカ”を思い出していると、「……あのさ、」と少し真剣な声を向けてきたスガくん。
どうかしたのかとスガくんを見つめ返すと、言葉の先を繋ぐことに躊躇したのか、スガくんが目を泳がせ始めた。


「……こういうの聞くのは、その……デリカシーに欠けてるって言うのは重々承知してるんだけどさ……」

「?なによ??」

「……黒尾は、なんで苗字さんのこと好きになったの?」


聞かれた内容に思わず目を見開く。意外だ。スガくんて、こういう話に首を突っ込むタイプに見えねえのに。
ぽかんとした顔で固まる俺に、「わ、悪い!やっぱ今のなしな!」と慌てて両手を振り始めたスガくん。申し訳なさそうに目線を落としたスガくんは、そのままの状態で口を動かした。


「こういう話を、全く無関係の俺が聞くのは良くないって分かってんだけど……その……昼間の三人見てたら、気にせずにいられなくなって、」

「……あー……まあ、そりゃ……気にしない方がおかしいよな。ある意味巻き込まれたみたいなもんだし、」


納得したと同時に今度はこちらが申し訳なさに襲われる。
俺と木葉のせいで酷い目にあったスガくん。俺たちの怒りを正面から受けたスガくんからすれば、俺らの関係を少なからず気にしてしまうのは仕方ないのかもしれない。
変わらず下を向いたままのスガくんに緩く笑みを零す。廊下のど真ん中に居座っていた足を壁際へ動かすと、そのまま壁に背を付けてずるずると床へ座り込んだ。


「……最初は、顔も名前も知らなかったんだ」

「っ、え……?」

「声だけ聞いて、そんで、どんな子なのかなってずっと気になってた」


「一耳惚れだな」と気恥しさを誤魔化すように笑って言うと、見開かれたスガくんの目が床から俺へと移された。


「だから、名前ちゃんが探してた“その子”だって知った時、すげえ嬉しかった。声しか知らない、顔も名前も分からなかったあの子は、こんなにいい子だったのかって」


愛おしさに目尻が下がる。
ずっと、ずっと気になってた。顔も名前も知らないその子が、どんな子なのか気になって仕方なかった。けれど、声しか知らない相手を探す手段なんてなくて。もう会うことはないのだろうと思う反面で、何かを期待してあの自販機に足を運ぶ自分がいた。そして、出会った。

“お……つかれ、さま……ですっ……”

すれ違い様に掛けられた、緊張して少し上擦った声。
もしあの時、名前ちゃんが声を掛けてくれなかったら、多分俺は、一生知らないままだった。赤葦を一途に思う直向きなところも。直球な言葉に慣れてない可愛いところも。自分に不利な事でも口に出来る正直なところも。こんな俺と、身勝手な想いをぶつけてばかりの俺と、ちゃんと向き合おうとしてくれる真っ直ぐなところも。
名前ちゃんのことを、何一つ、知らないままだった。


「そんなんさ、好きになるしかねえじゃん。ずっと探してた子が、名前ちゃんみたいな子だったら、好きになる以外ありえねえじゃん」

「……黒尾、」

「けど、今までテキトーな付き合い方ばっかしてきたから、どんな風に好意を伝えるのが正解か……正直、未だによく分かってねえの。けど、だからって悠長に気持ちを隠してらんなかった。……名前ちゃんの傍には、木葉がいるから」


仰ぐように見上げた窓越しの夜空。
名前ちゃんはもう、電車に乗っている頃だろうか。


「だっせえよなあ、俺。マジで全然余裕ねえ。今だって、少し考えれば分かることなのにな。梟谷のヤツらが、木葉が、名前ちゃんを一人で帰すわけないって、よく考えたら分かるのにな。……なのに、一人で勝手に飛び出して、挙句こんな話スガくんに聞かせてさ、」


「だっせえなあ」と天井に向かって吐き出した弱音。マジで俺、なんて話スガくんに聞かせてんだ。ちょっとした好奇心で尋ねた質問に、こんな情けない言葉が返ってくるなんて、スガくんは思ってもみなかっただろう。俺がスガくんなら、とんだやぶ蛇だったと後悔する。
天井を仰いだまま自嘲気味な笑みを浮かべていると、何を思ったのか、隣へ腰を落ち着かせたスガくん。人一人分の間を開けて座ったスガくんは、さっきの俺と同じように、窓の向こうに広がる夜空に目を細めた。


「黒尾も木葉くんもすごいよな」

「っ、は……?」


隣から聞こえた感嘆の言葉に、思わず間抜けな声を漏らす。すげえって。スガくん、今すげえって言った?え、何が??
天井に向けていた視線をスガくんへと移す。見開いた目にスガくんの横顔を映すと、窓の外を見つめたままスガくんは更に口を動かした。


「俺はさ、二人みたいに誰かを好きになったことがない。そりゃあ、好きな子くらい居たことはあるけど……でも、俺が知ってる“好き”って気持ちは、ただ楽しいだけの気持ちだった。だから、黒尾と木葉くんを見てると思うんだ。“好き”って、複雑で、難しくて、ただ楽しいだけの感情じゃないんだなって」

「……想い方なんてそれぞれだろ。スガくんが知ってる“好き”って気持ちも、間違ってなんてねえよ」

「そうだよな。確かに、“好き”って色々だよな。……けど、二人を見てたら、言えないよ。本当に、本気で誰かを好きになるのが、ただ“楽しい”だけの気持ちだなんて言えないよ」


夜空を見つめていたスガくんの瞳がゆっくりと瞬く。瞼を持ち上げたと同時に俺へと向き直ったスガくんは、とても穏やかな笑顔をみせた。


「だからこそ、すごいって思うんだ。楽しいだけじゃない。弱音の一つも吐きたくなるくらい、それくらい苗字さんを想ってる黒尾が、俺はすごいと思う」

「……スガくん、」

「正直なとこ、どっちを応援するとかそう言うのはないけどさ、……でも、誰かを想って思い悩む黒尾を、ださいなんて思うわけないよ」


「俺も黒尾たちくらい、誰かを好きになってみたいな」と歯を見せて笑ったスガくん。冗談めいた言い方は、この場の空気を和ませるためだろう。スガくんからすれば、とんだやぶ蛇話だっただろうに、人がいいにも程がある。
ふっ、と小さな笑みを零して、ゆっくりとその場に立ち上がる。続くように立ち上がったスガくんを振り返ると、重ねた瞳がぱちりと瞬いた。


「ありがとな、スガくん」


そう言って笑った俺に、小さく目を剥いたスガくん。けれど直ぐ嬉しそうに笑い返したスガくんは、「なんの礼だよ」とはぐらかすように歩き出した。
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