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三年生秋(4)

「「すみませんでした!!!!」」


目の前で揃って下げられた二人の頭。綺麗に九十度曲がった腰が二人の誠意を物語っている。

四度目の梟谷グループ合同合宿に参加した俺たち。九月とはいえまだまだ暑さが残るなか始まった合宿には、見覚えのある女の子の姿があった。食堂を手伝っていた彼女は苗字さんと言って、最初の合宿の際、日向達がタオルを探すのを手伝ってくれたと言う。
配膳をしながら、梟谷や音駒、日向達とにこやかに話していた苗字さん。せっかくの連休を費やすくらいだ。彼女もバレーが好きなんだな、と感心していると、同じことを考えていたのか。「苗字さん、本当にバレーが好きなんだな」と声にして伝えた夜久くん。すると苗字さんは、少し困ったように眉を下げたのち、「梟谷のバレーが、大好きなの」とはにかみながら笑って見せた。あんな風に言われて嬉しくない男はいないだろう。現に梟谷のヤツらは驚きながらも口元が緩んでいたし、他の学校のヤツらは羨ましそうに木兎達を睨んでいた。なかでも音駒の、特に黒尾の妬みは凄まじかったらしく、午後一の試合では梟谷相手に何本もブロックを決めていた。
そこから更に一回りして、午後練二度目の空き時間へ。ドリンク片手に外休憩をしていると、体育館横の入口に苗字さんの姿が。いつの間に見に来ていたのだろうか。楽しそうに試合を見つめる彼女に、何となく足がそちらへ。苗字さん?と声を掛けた俺に、肩を揺らして振り返った苗字さん。それから少し彼女と会話を続けていると、緊張が解けたのか、苗字さんは朗らかな表情で梟谷バレー部がどんなに好きなのかを話してくれた。
いい子だなと思った。変な意味ではなく、ほんと、純粋に。だから、目に砂が入って生理的な涙を流し始めた苗字さんに、水道へ連れて行こうかと腕を掴んだのは本当に善意から。けれど、傍から見ればそうは見えなかったのだろう。ポロポロと涙を零す苗字さんと、そんな彼女の腕を掴む俺。状況だけ見たら、苗字さんを泣かせたのは俺だと思うのも仕方ないのかもしれない。

後頭部を見せて謝る二人に「もういいって」と笑って首を振る。
苗字さんが泣いているのを見て、物凄い剣幕で怒った二人。誤解だと気づいて直ぐ謝ってくれたけれど、それでもまだ謝り足りなかったのか、試合が終わってからも謝りに来てくれたのだ。
おずおずと頭を上げた二人はとても居た堪れなさそうな顔をしていえ、そんな二人の後ろには呆れた様子のチームメイトの姿が。
「早とちり過ぎ」「ほんと余裕ないんだから」「スガくんが苗字さん泣かせるわけねえだろ」「それだけ黒尾も頭に血が上ってたんだな」
猿杙くん、雀田さん、夜久くん、海くんの声に目を逸らした木葉くんと黒尾。まあまあ、と宥めるように声を掛けると、「菅原くんが優しくて良かったね」と白福さんが揶揄う声を投げた。


「いや、優しいっていうか……二人に圧倒されて直ぐ弁解しなかった俺も悪いだろうし、」

「いや、菅原はマジで悪くないから」

「どうせコイツらが弁解の余地を与えなかったんだろうよ」


猿杙くんと夜久くんの台詞に、うっ、と言葉を噤んだ二人。
「俺だったら卒倒してたかな…」「その顔で何言ってんだ」「凄み返してやれよ」と青くなった旭に大地と二人でツッコミを入れていると、菅原くん、と入口の方から聞こえてきた声。見ると、体育館の入り口に苗字さんの姿があって、
一度館内を見回した彼女はパタパタと駆け寄ってきた。


『あの……菅原くん、さっきは本当にごめんね……』

「え??」

『だって、その……私が泣いたりしなければ、そもそも木葉達も勘違いしなかったわけだし……』

「いやいや。目に砂が入って泣いちゃうのは生理現象じゃん。苗字さんが謝ることは何もないって」


「気にしなくていいから」と努めて明るく笑いかけると、ほっと胸をなで下ろした苗字さんは木葉くん達に目を向ける。罰が悪そうな顔で顔を背けた木葉くんと、苦笑いで頬を掻いた黒尾。「二人も今謝ってたところだよ」と二人を横目に雀田さんが言うと、申し訳なさそうに眉を下げた苗字さんは、「木葉、黒尾くん、」と二人にも声を掛けた。


『変な勘違いさせてごめんね』

「いや、それはマジで名前ちゃんが謝ることじゃねえから。勝手に勘違いして菅原に当たったのは俺らなわけだし」

『でも、』

「それより、目は大丈夫だった?」

『あ、う、うん。洗ったら痛みも消えて今はなんとも…』

「なら良かった。両目に砂が入るなんて災難だったね」


話をはぐらかし始めた黒尾に、おお、と小さく声を上げる。多分苗字さんが気にしないようにという配慮なのだろう。「まだ少し赤いね」と苗字さんの瞳を覗き込んだ黒尾。近くなった距離に苗字さんの顔が少し俯く。二人の様子に「黒尾とも仲良いんだなあ」「みたいだな」と微笑ましそうに大地と旭が零しているが、本当にそれだけだろうか、と無粋な疑問が頭を過った。
確かに仲は良いのだろう。音駒と梟谷は同じ都内の学校で、宮城の俺たちとすれば遥かに行き来しやすい。グループ合宿とは別に練習試合を組むこともあるかもしれないし、梟谷バレー部が大好きな苗字さんならその練習試合も見学に行くことがあったと思う。そこで知り合ったのだと思えば、音駒の黒尾と苗字さんが“仲が良い”ことに関しては別段何も思わない。

けれど、本当に“仲がいい”だけだろうか。

俺の中の黒尾は、飄々としつつも穏やかで、練習熱心で面倒見の良い、大地とは違うタイプの頼れる主将と言うイメージが強い。人を煽ったり揶揄ったりする場面は何度か目にしてきたけれど、本気で誰かを馬鹿にしたり、怒りをぶつけるタイプじゃないと思っている。
でも、さっきの黒尾は、普段の黒尾とは別人のようだった。
声を荒らげるわけでも、強く言い立てるわけでもない。それでも怒りが伝わるくらい、あの時の黒尾は腹を立てていた。

そしてそれは木葉くんも。

黒尾とは違い、分かりやすく怒りを露にした木葉くん。一も二もなく胸倉を掴んできた手は、怒りでわなわなと震えていた。
木葉くんはもちろん、黒尾でさえも決して長い付き合いとは言えない。言えないけれど、もし自分が二人と同じ状況になったとしたら、あんな風に怒っただろうか。例えばそう。清水が誰かに泣かされたとしたらどうだろう。


「(……いや、清水は早々泣かされるようなヤツじゃないよな)」


体育館脇で谷地さんと話す清水に目を向ける。
もう二年以上一緒にいるけれど、清水が泣いたのを見たのは一回だけだ。その一回も、先輩たちが卒業する時に目が潤んでいたくらいだし、涙を流して悲しむ清水はあまり想像出来ない。でももし、もしも清水が泣いていたら、泣いていて傍に誰かが居たとしたら、ソイツの胸倉を掴んでしまうだろうか。
そりゃ腹は立つだろう。清水は大事なチームメイトだし、泣いてる仲間を見て何も思わないわけがない。でも、まずは驚くかもしれない。驚いて心配するだろう。何があったんだ、と。けれど二人は、黒尾と木葉くんは、心配する余裕さえなかったのだ。涙する苗字さんを見た瞬間、頭に血が上って怒りが真っ先に出てきてしまっていた。
ただの“友達”のために、果たしてあそこまで怒ることが出来るだろうか。
白福さんと雀田さんと話したのち、「また後でね」と小走りで食堂へ戻って行く苗字さん。その背中を見送っていると、菅原、と木葉くんに話しかけられた。


「マジで悪かったな」

「いや、だからもういいって。状況が状況だったし、勘違いするのも無理ないし」


「もう十分謝ってもらったよ」と笑って伝えれば、少し安心したように表情を和らげた木葉くん。そこへ「そろそろ自主練始めようぜ」と小見くんの声が掛かり、その場は一旦解散となる。
田中達が待つコートへ向かうと、「遅かったっすね!」「何の話してたんすか?」と西谷と田中に出迎えられる。「なんでもないよ」といなすように笑ってコートに入ると、無粋な考えを振り払うために、転がるボールを拾い上げた。






            * * *






自主練を終え、シャワーも浴び、さあ飯を食おうと向かった食堂。大地や旭と話しながら歩いていると、食堂の出入口付近に佇む苗字さんの姿が。
スマホを触っていた苗字さんは俺たち気づくと、「お疲れ様、」とにこやかに声を掛けてくれる。「お疲れ」「お疲れさまです」「お疲れさま」と三人揃って応えてみせれば、苗字さんは微笑ましそうに目尻を下げた。


『菅原くんたち、こんな時間まで自主練してたんだね』

「うん。けど俺らより居残ってる奴らもいるよ」

『そうなんだ。……そういえば、木兎や黒尾くんもまだ見掛けてないかも』


食堂の中を振り返りながら思い出すように呟いた苗字さん。エプロンを脱いで鞄を持っていることから察するに、彼女は今から帰るのかもしれない。
「もしかして帰るところ?」と小首を傾げて尋ねれば、うん、と頷いた苗字さんはトートバッグを持ち直した。


『ほんとは片付けまで手伝いたかったんだけど……少しでも早く帰りなさいってパートさん達に言われて、』

「けどもう暗いよ?」

「親御さんが迎えに来てくれるの?」

『うん。家の最寄りに迎えに来てくれることになってるんだ』

「家の最寄りって……」


それってつまり、そこまでは一人で向かうということでは。「駅まで歩いていくの?」と眉を下げた旭が尋ねると、うん、ともう一度頷いた苗字さん。
彼女にとっては通い慣れた通学路とはいえ、外はもうすっかり暗くなっている。駅までどのくらい掛かるのかは知らないが、夜道を苗字さん一人で歩かせる訳にはいかない。
「よければ送るよ」と躊躇なく口にした大地に、俺と旭も頷いてみせる。すると、ぱちりと目を瞬かせた苗字さんは、直ぐに緩く首を振って「大丈夫だよ」と笑って見せた。


『駅までは木葉が送ってくれることになってるの』

「木葉くんが?」

『うん。今、木葉が監督さんに外出許可貰いに行ってて……』

「なるほど。じゃあ木葉くんを待ってここに居たんだ」

『そうそう』


「心配してくれてありがとう」と笑った苗字さん。柔らかな笑顔に顔を綻ばせた旭と大地は、「気をつけて帰ってね」「また明日」と片手を上げて挨拶する。苗字さんから笑顔と頷きが返ってきたことを確認し、食堂の中へと入った二人。俺も二人の後を追うべきなのだが、先程から頭を過ぎる疑問のせいで何となくその場に留まってしまう。


『?菅原くん?どうかしたの?』

「……いや、その……」


不思議そうに見上げてくる苗字さんに言葉が濁る。やはり、いくら何でも不躾過ぎるだろうか。“黒尾か木葉くんと付き合ってるの?”なんて聞いてしまうのは。
そもそも、俺と苗字さんは会ったばかりの顔見知りだし、人間関係を詮索するような質問は気分を害される可能性もある。それに、惚れた腫れたなんて話は、とてもナイーブな話であるし、第三者が口出しするのは野暮にも程がある。

けれど、やはり気になってしまう。

もし仮に、苗字さんが黒尾か木葉くんを好きで、それを切っ掛けに梟谷のバレー部が好きになったとしよう。彼女が言っていた“不純な切っ掛け”の意味も何となく分かる。
でもそうなると、一体どちらが苗字さんの彼氏なのだろう。少なくとも俺の目には、二人とも苗字さんを特別に想ってるように見える。ということは、二人のうちのどちらかは、叶わない恋をしているということでは。


「(俺も、大地や旭くらい鈍ければな)」


チームメイト二人の顔を思い浮かべ、内心浮かべた苦笑い。こういう話にはとことん鈍いあの二人は、こんな野暮なこと聞きたいとも思わないのだろう。
きょとん、と音がしそうなくらい、不思議そうな顔で見つめてくる苗字さん。いくらなんでも野暮過ぎる。野暮過ぎるけれど、気になったものは仕方ない。気を悪くさせたら、頭を下げて誠心誠意謝ろう。
少しさ迷わせていた視線を改めて苗字さんに向け直す。目が合って直ぐ、「あのさ、」と話を切り出した俺に、苗字さんは小首を傾げて応えてみせた。


「……苗字さんて、黒尾か木葉くんと付き合ってたりする?」

『っ、え????』

「あ、いや、その、ご、ごめん……!不躾な質問だとは思ったんだけど、昼間の二人を見てたら気になっちゃってつい…」


「答えたくないなら答えなくていいから!」と慌てて付け加えると、数回瞬きを繰り返した苗字さんは、ぐるりと辺りを見回し始める。周囲に誰もいないことを確認した彼女は、少し迷うように目を伏せると、「……付き合ってはない、けど」とやけに歯切れ悪く口にした。


『……でも、黒尾くんに関しては、その……ただの友達って言うのは……ちょっと、違うかもしれない』

「……それは、どういう……?」

『……黒尾くんには、いつか、答えを出さなきゃいけないの。“友達”以上の関係になれるか……ちゃんと彼に、答えなくちゃいけないの』


地面を見つめたまま紡がれた言葉に目を見開く。つまり黒尾は片想いで、その気持ちを苗字さんも知っている。だから苗字さんは黒尾に“答え”を出さなければいけなくて、こんなにも心苦しそうな顔をしているのか。
苗字さんと接する黒尾は、やけに距離が近く感じたけれど、あれは黒尾なりのアピールだったのだろう。ブロックを決めて不敵に笑う黒尾の顔を思い浮かべていると、ふと感じたもう一つの疑問。黒尾との関係は分かった。けれど、じゃあ、

木葉くんとは、一体どんな関係なのだろう。


「…………あ、あのさ、苗字さん。その……木葉くんは?」

『?木葉??』

「そう、木葉くん。昼間……木葉くんも凄い勢いで怒ってたよね?だから俺、てっきり苗字さんは黒尾か木葉くんのどっちかと付き合ってて、それが理由でバレー部と関わるようになったのかなって……」


無粋な質問を重ねた俺に、困ったように笑った苗字さん。流石に気を悪くさせただろうか。「変なことばっか聞いてごめんっ!」と併せて謝罪も口にすると、ううん、と首を振った彼女は、どこか申し訳なさそうに校舎に目を向けた。


『……木葉は、木葉はただの友達だけど……でも、木葉には沢山心配掛けてて、だから人一倍、気にかけてくれてるんだと思う』

「……心配?」

『そう、心配。……あのね、私……赤葦くんのことが、好きだったの』

「え、」


意外な返答に間の抜けた声を漏らす。赤葦くん。赤葦くんって、セッターの赤葦くんだよね??
予想外の人物の登場に目を見開いて固まっていると、「内緒にしてね」と笑った苗字さんは、どこか懐かしむように目を細めた。


『赤葦くんが好きで、彼に振り向いて貰おうと自分なりに頑張ってみた。でも、赤葦くんには他に特別な人がいて……それを知った時、すごく、すごくショックだった。悲しくて、とにかく悲しくて、子供みたいに泣いてた私に木葉が言ってくれたの』


“赤葦に食べてもらいたくて、菓子作る練習してんのも知ってる。朝早く起きて、弁当作ってきたりしてんのも知ってる。いつアイツと会ってもいいように、髪型変えたり、メイクしたりしてんのも知ってる。全部知ってる。俺は、知ってる”


『頑張ってきたことを知ってるって、そう言ってくれたとき、すごく、すごく嬉しかった。でも、それだけじゃなくて、かっこ悪いところも、情けないところも。木葉には、全部知られてる。だから木葉は、放っておけないんだと思う。放っておけないくらい、木葉は優しい奴だから……』


そうっ、と細まった瞳が眩しそうに校舎を見つめる。きっとあそこに木葉くんがいるのだろう。校舎を映す苗字さんの視線はとても柔らかい。苗字さんにとっての木葉くんは、すごく大事な“友達”なのだ。
この場にいない木葉くんを少し気の毒に思う。多分だけど、木葉くんが苗字さん気にかけているのは、“友達”だからじゃない。そりゃ、ただの友達でも心配したり気に掛けたりすることはあるだろうけど、でも、あの時の、俺に怒りをぶつけて来た木葉くんは、“友達”を泣かされて怒っていたようには見えなかった。
教えてあげたい気持ちもある。木葉くんは、苗字さんを特別大事にしてるんじゃないかな、と。でもそれは、俺が伝えていいことじゃない。俺の口から教えるなんて、それこそ野暮にも程がある。
校舎に向けられていた瞳がこちらへ向けられる。「長話で引き留めてごめんね」と眉を下げた苗字さん。いや、と首を振って返すと、彼女と同じような顔で口を動かした。


「俺の方こそ、ごめん。興味本位で、その……根掘り葉掘り、いろいろ聞いちゃって……」

『根掘り葉掘り聞かれたんじゃなくて、私が勝手に話しただけだから。……昼間のお詫びには、ならないかもしれないけど……ずっと気になってるよりは、マシかなって、』


細い指で頬をかいた苗字さん。なるほど、それで色々話してくれたのか。ごめんと再び口にしそうになった謝罪。けれど、それでは彼女の気遣いを無駄にしてしまう。謝罪の代わりに、「ありがとう」と伝えると、ぱちりと目を瞬かせたのち、苗字さんは嬉しそうに笑ってくれた。
そこへ、苗字、と木葉くんが戻ってくる。呼ばれて振り返った苗字さんは、木葉、と木葉くんを呼び返す。俺が居ることに気づき、小さく目を剥いた木葉くん。「あれ?菅原?」と首を捻る彼に、「お疲れ」と笑い応えてみせた。


「じゃあ、木葉くんも来たことだし、俺も飯食ってくるわ」

『あ、うん。また明日ね、菅原くん』

「うん、また明日。木葉くんも、」

「え?あ、お、おう。また明日、」


戸惑いつつも手を挙げて応えた木葉くん。俺と苗字さんを交互に見遣る彼は、やっぱりかなり分かりやすいと思う。苗字さんは、大地と同じくらい鈍いのかもなあ、と内心浮かべた苦笑い。

木葉くんの気持ちが苗字さんに届くのが先か。
それとも、黒尾の想いに苗字さんが応えるのが先か。

今は誰にも分からない答えに、小さな小さな息を零した。
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