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三年生夏(15)

愛用の赤いペンでノートに丸を書いて行く。最後の一問にも少し乱雑な丸を付けると、握っていた赤ペンをペンケースへ放り込み、問題集とノートもカバンの中へ。
ちらりと確認した壁時計はもうすぐ17時半を刺そうとしている。まずい、早く行かなければ。
片付けた荷物を持って慌てて学習室を飛び出すと、足早に向かった校門には既にみんなの姿が。


「あっ!!おせえぞ苗字ー!!」


校庭に向かって張り上げられた声に片付け途中の野球部が何事かと振り返る。「ご、ごめんみんな…!」と謝りながら駆け寄ると、「うちらも今来たとこだよ」「そうそう」とかおりと雪絵が笑って応えてくれた。


「よし!全員揃ったことだし!いざ食べ放題へ!!!」


上機嫌で歩き出した木兎にかおりと雪絵が大きなため息を零す。木兎の言う“食べ放題”というのは、学期末試験の際、私が木兎と交わした“赤点を取らなければ焼肉を奢る”という約束のことである。
勉強にやる気が出ない木兎を何とか奮い立たせようとしてした約束だったけれど、それが功を奏したのか、木兎は見事に赤点回避をしてみせた。「よっしゃー!焼肉ゲットだぜー!!」と喜ぶ木兎に、「むしろ木兎が苗字におごるべきじゃない?」「それな」と猿杙と木葉は呆れていたけれど、約束したのは本当だし苦手な勉強を木兎が頑張ったのは事実だ。
とはいえ、期末試験の後は、木兎たちがインターハイ本戦を控えていたため、焼肉は一旦延期に。インターハイが終わってからも、私の推薦入試や皆の合宿といった予定が続いてしまい、木兎との約束を果たすことになったのは、試験から一月以上開いた夏休み最終日の今日となったわけである。
上機嫌に歩く木兎を先頭に、後ろには木葉、小見くん、猿杙、鷲尾くん、赤葦くんが続いている。最後尾をかおりと雪絵と私の三人が並んで歩いて、傍から見れば中々の大所帯だろう。木兎と焼肉に行くことが決まった時、「…俺も行く、」「私も焼肉食べたーい!」と木葉や雪絵も付いてきてくれることになり、更にそこからかおり達も参加を名乗り出てくれて、気づけばいつものメンバーに。
流石にこの人数のため、「お店予約しとこうか?」と木兎に伝えたのだけれど、「大丈夫!するって言ってた!」と主語のない返事をされた。誰かが既に予約してくれたと言うことなのだろうか。首を傾げつつ、まあ大丈夫と言っているなら大丈夫なのだろうと木兎を信用することにして、漸く迎えた焼肉当日。部活終わりの皆と学習室帰りの私。もう夕方と呼べる時間なのに、まだまだ空は明るいままだ。一応夜ご飯代わりに焼肉へ行くことを決めたのだけれど、こんなに明るいと夜ご飯と言うにはなんだか早い気がする。
かおりや雪絵と他愛のない話をしていると、ふと目に映った後ろ姿。穏やかな表情で鷲尾くんと話す赤葦くんの姿に、思わず足を止めてしまいそうになった。


結局、赤葦くんと叶絵ちゃんがどうなったのかは知らないままだ。


木葉と話したあの日の帰り道。木葉から何か聞いたのか、それとも痺れを切らしたのか。帰り際にかおりと雪絵、更にはトモちゃんを加えた三人に捕まってしまい、夏祭りの日にあったことを洗いざらい吐かされてしまった。
トモちゃんと別れた後、黒尾くんと二人になったこと。彼に手を握られたこと。みんなと逸れたとき、赤葦くんが来てくれたこと。その時叶絵ちゃんに会ったこと。赤葦くんが叶絵ちゃんを追い掛けていったこと。そして、帰り際の黒尾くんの“独り言”こと。
一から百まで全部話すと、聞き終えた三人はかなり驚いた顔をしていた。けれど直ぐ嬉しそうに顔を綻ばせて、「よかったね」「ちゃんと進めたね」「えらいぞ名前」と笑ってくれた。赤葦くんへの気持ちにけじめが付けられたのは、かおり達の支えもあってこそ。ありがとう、と破顔してお礼を言った私をもみくちゃにしてきたかおり達。その際、それとなく赤葦くんと叶絵ちゃんのことを尋ねてみたけれど、かおりも雪絵何も知らないと言っていた。


『(まさか……上手く行かなかったなんてことないよね……?)』


頭を過ったマイナスな思考に目線が地面に落ちる。
赤葦くんは叶絵ちゃんが好きで、叶絵ちゃんも赤葦くんを好きなのだと私は思っていた。でももし、もしそれが私の勘違いだった場合、もしかして私、物凄くお節介なことをしたのでは。勢いに任せて赤葦くんを送り出してしまったけれど、結果それが赤葦くんを傷つけることになってしまったのでは。
突然黙り込んだ私に、「名前??」「どうしたの?」とかおりと雪絵が不思議そうに顔を覗き込んでくる。慌てて、何でもないよ、と首を振ろうとしたとき、


「白福さん、雀田さん、」


正面から聞こえた二人を呼ぶ声に足が止まる。呼ばれた二人は少しだけ目を見開かせると、「あれ?赤葦?」「なに?うちらになにか用事?」と同時に首を捻ってみせた。


「いえ、お二人ではなく……苗字さんに話があって、」

『え、わ、私???』


不意打ちに出された自分の名前に、思わず零れた上擦った声。はい、と一つ頷いた赤葦くんは何かを強請るようにかおりと雪絵を見遣る。視線の意味を察した二人が「先行ってるね」と木兎たちを追いかけると、途端に訪れた複雑な空気に目線が泳ぎ出してしまう。
赤葦くんが私に話したいことなんて、思い当たるのは一つしかない。少しずつ開いていく皆との距離が心細い。せめてかおりか雪絵のどちらかに残って貰えば良かったかな、と後悔していると、あの、と徐に開かれた唇。彷徨っていた視線を恐る恐る赤葦くんへ向けると、目が合った瞬間、赤葦くんの瞳が優しく和らいだ。


「ありがとうございました」

『え……?』

「夏祭りの日のことです。……まだ、きちんとお礼を言えてなかったので」


丁寧なお辞儀と共に届けられた“ありがとう”の言葉に目を見張る。夏祭りの日のことって。それって、やっぱりあの時ことだろうか。叶絵ちゃんを追い掛けなくてもいいのかって、赤葦くんに発破を掛けた時のことだろうか。
「そ、そんな改まってお礼を言われるようなことじゃ…!」と首を振ってみせたけれど、いえ、と同じく首を振って返した赤葦くんは、やけに穏やかな表情で声を続け始めた。


「俺と叶絵は、中学が一緒で……中一の時、席が隣同士になったのが切っ掛けに話すようになりました。叶絵は吹奏楽部で、昼休みになると音楽室でよく自主練してて……俺は、叶絵のフルート音を聴きながら、読書するのが好きでした」


語る声の柔らかさに少しだけ瞠目する。
赤葦くんが叶絵ちゃんを好きなことは知っている。知っているけれど、でも、こんなにも穏やかで優しい彼の声は初めて聞いた。叶絵ちゃんとの、好きな女の子との思い出を話す赤葦くんの声を、初めて聞いた。


「ずっと、ずっと叶絵が好きでした。中学の時も、高校に入学してからも、叶絵のことが忘れられなかった。……けど俺は、俺たちは、今までの関係を壊すのが怖かった。想いを伝えて、もし上手くいかなかったら。“友達”として、接することが出来なくなったら。……そう思ったら、口に出すことが怖くなりました。好きだと告げて、叶絵が離れて行くのが怖くなりました」


赤葦くんの視線が地面に落ちる。
中学の頃から、ずっと、ずっと叶絵ちゃんを好きだった赤葦くん。傍から見れば好き合っているようにしか思えない二人でも、相手の気持ちに確証なんて持てるはずがない。だから二人は、叶絵ちゃんと赤葦くんは伝えられずにいた。それまで築いてきた“友達”という関係が崩れるのが怖くて、自分の想いを口に出すことを躊躇していた。
伏せられた瞼が少し震えているように見えるのは気のせいだろうか。下を向いたままの赤葦くんに思わず眉を下げたとき、途切れていた言葉の続きがゆっくりと繋げられ始めた。


「……生温くて、曖昧で、けれど居心地の良い関係に甘えて、結局なにも伝えられないまま、俺と叶絵は別々の高校に進学しました。本音を言うと、もしかしたらこのまま、叶絵への想いがなくなることもあるんじゃないかとも思ってました。……でも、そんなこと全くなくて。会えなくなっても、叶絵を想ってる自分がいるんです。叶絵に貰った、何の変哲もないキーホルダーを大事にしてる自分がいるんです。……けど、それでもやっぱり踏み出せない自分もいた。曖昧な関係を抜け出すことを、躊躇する自分がいた。でも、」


赤葦くんの視線がゆっくりと持ち上がる。瞳を覆っていた瞼の向こうから現れた瞳はとても真っ直ぐで。視線が重なった瞬間、ひゅっと吸い込んだ息を吐き出すことが出来なくなった。


「夏祭りの日。知らない奴と歩いていく叶絵を見て、本当は、追い掛けたくて仕方なかったんです。けど情けないことに、やっぱり俺は動き出せなくて……叶絵の迷惑になるからなんてそれらしい理由を付けて、動けない自分を正当化しようとしてました。でもそんな俺の、情けない俺の背中を、苗字先輩が押してくれたんです」

『っ、』

「あの時、苗字先輩がいなかったら、苗字先輩に背中を押して貰えなかったら……多分俺は、一生叶絵に想いを伝えられないままでした。好きだと伝えられないままでした。だからあの日、送り出してくれたことを。走り出す切っ掛けをくれたことを、お礼が言いたくて、」

『…………伝え、られたんだよね……?……叶絵ちゃんに、叶絵ちゃんにちゃんと気持ちを伝えられたんだよね……?』

「……はい、伝えました。叶絵に好きだと、言いました」

『っ、なんて?叶絵ちゃんは、なんて応えてくれたのっ??』


前のめりになった問い掛けに、赤葦くんの目がぱちりと瞬く。けれど直ぐ、穏やかな微笑みを浮かべてくれて、向けられた笑顔の柔らかさに今度は私が目を見開いた。


「泣いてました」

『っえ、』

「泣きながら、笑ってくれたんです。“嬉しい”って。“私も”って」

『っ……じゃあっ……!』







「叶絵と、付き合うことになりました」







優しい声で綴られた言葉に目頭が熱くなる。
赤葦くんを好きになった。叶絵ちゃんを好きな赤葦くんを好きになった。叶絵ちゃんを想う赤葦くんの笑顔に恋をして、彼に振り向いて欲しいとも思った。
でも、赤葦くんにフラれたとき、彼の想いを応援することに決めた。赤葦くんの想いを、彼の一途な恋心を、心から応援出来るようになりたい。そう、願った。だから。


『……ほんとうに……?ほんとうに、叶絵ちゃんと上手くいったの……?』

「はい、本当です。本当に叶絵と、付き合うことになったんです」

『………………よ、』

「?よ?」

『よかったあ…………!』


吐き出した安堵の息とともに膝から崩れ落ちる。汚れることも忘れてペタリとその場に座り込むと、「えっ、せ、先輩??」と慌てた様子で赤葦くんが駆け寄ってきた。


「あ、あの、大丈夫ですか?もしかして、体調が優れないんじゃ、」

『……私ね、夏祭りの日から、ずっと、……ずっと気になってたの。赤葦くんと叶絵ちゃんが、二人がどうなったのか、ずっと……ずっと気になってた、』


不安と緊張から開放された胸に両手を添える。座り込んだ私と目線を合わせるためか、赤葦くんまで地面に片膝を付いてしまっている。俯いていた視線をゆっくりと持ち上げると、涙の膜で揺れる視界に赤葦くんを捉えた。


『あの時、偉そうなこと言って、赤葦くんを見送ったりしたけど……でも実際は、迷惑だったんじゃないかって。ただのお節介だったんじゃないかって、すごく不安でっ……』

「……苗字先輩……」

『だから、だから本当によかった……!赤葦くんと叶絵ちゃんが上手くいって、二人の想いがっ………繋がってよかったっ……!』


ぽろり。壊れた膜が雫となって頬を滑る。
見開かれた切れ長の目と視線を合わせると、胸の内から溢れる喜びを笑顔に変えて赤葦くんに届けた。


『おめでとう、赤葦くん……!本当に、本当におめでとう……!!』


泣きながら破顔した私に赤葦くんの目尻が下がる。柔らかな表情を浮かべた彼は、ありがとうございます、とただ穏やかに笑い返してくれた。
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