三年生春(10)
くあっ。と零した欠伸に涙が浮かぶ。隣を歩いていた小見も同じように欠伸を零すと、「移すなよ」と迷惑そうに顔を顰められた。
朝練を終えた俺たちは、着替えを終えるといつも通り校舎の玄関へと向かった。朝練に間に合うように起きるとなると、どうしたって欠伸の一つや二つは付き物で、ところ構わず襲ってくる睡魔に負け、睡眠授業を経験したのは一度や二度ではない。目尻に浮かんだ生理的な涙を乱暴に拭いつつ、「移したくて移してるんじゃねえよ」とボヤき返した所で生徒用の玄関に到着する。固まっていた部員たちが、自分の下駄箱に散っていくのを横目に、まだ慣れない新しいクラスの下駄箱へ自分も向かうと、下駄箱の前で見つけた見慣れた姿に眠気が一気に吹き飛んでいく。
「……はよ、」
『あ、木葉。おはよう。ここで会うの珍しいね』
スマホを片手に靴箱の前で立ち止まっていた苗字がこちらを向く。確かに朝一で会うのは珍しい。今日は少しツイてるかもしれない。「朝練終わり?」と自分の靴棚から上履きを出しながら向けられた声。朝から苗字に会えるなんてラッキーだ、なんて思っているのがバレないように、おー、と当たり障りのない返事を返す。お疲れ、と笑って声を掛けてくれた苗字が脱いだスニーカーを棚に入れているのを横目に、さんきゅ、と答えて自分も靴を履き替えていると、ピコンっと音を立てた苗字のスマホ。どうやらマナーモードにするのを忘れていたらしい。
慌ててスマホの音を切っている苗字に「授業中に鳴ったら没収されんぞ」なんて揶揄うように言えば、「分かってるよ」と拗ねたような声が返ってくる。俺も後で一応確認しとくかな、なんて考えながら上履きを吐いてスニーカーを棚へ入れようとした時、「あ、黒尾くんからか」と隣から聞こえてきた名前に、ピタリと思わず静止する。
「……くろお?今、黒尾っつった??」
『え?う、うん。言ったけど……?』
「黒尾ってどこの黒尾?まさか音駒の??」
『そうだけど……あれ、もしかして聞いてないの?』
聞いてないって、何をだよ。目を見開いて固まる俺に「黒尾くんと友達になったんだよ」と続けられた苗字の声。
は?友達?誰が??誰と???
呆けた顔で目の前の苗字を見つめていると、少し気恥しそうに和らげられた目元。何かを思い出したようにくすりと浮かべられた微笑みに、胸の辺りがひんやりと冷たくなっていくのを感じた。
『この前、黒尾くんと孤爪くんが会いに来てくれて……その時に黒尾くんが“友達になりませんか?”って言ってきたの』
「……それで、連絡先も交換したのかよ?」
『そうそう。……ふふ、思い出したらちょっと笑っちゃう。あの時の黒尾くん、なんか私みたいだったんだ。赤葦くんに“友達になって下さい”ってお願いした時の、』
「てっきり黒尾くんから聞いてるかと思ってた」と柔らかな微笑みをそのままに言葉を続ける苗字。そんな苗字にふつふつと腹の底から妙な怒りが湧いてくる。なんだそれ。なんで急に黒尾と仲良くなってんだよ。お前ちょっとアイツのこと怖がってたじゃん。それがなんで今アイツのこと思い出してそんな風に笑ってんだよ。
抑え切れない苛立ちをそのままに靴棚の戸をガッ!と勢いよく閉める。突然響いた音にビクッと肩を揺らした苗字は、さっきまでの表情とは一転させて不安そうに眉を下げると、「木葉、どうかした?」と少し緊張した声で尋ねてきた。
「……別に」
『別にって……でも、なんか……怒ってるみたいだけど……』
「怒ってねえし。つか、呆れてんだよ」
『呆れてる……?』
「お前さ、黒尾にナンパされたんじゃねえの?それなのになんで、んな簡単に連絡先とか交換してんだよ?」
『あ、あれは、黒尾くんの人違いで、ナンパとかじゃないって言ってたじゃんっ』
「どうだか。人違いだったってことにして、お前と距離縮める為の理由にしようとしてる可能性だってあんだろうが」
眉間の皺が深くなる。苛立ちが治まらない。
こんな顔を見せたいわけじゃない。こんな声を向けたいわけじゃない。それなのに、熱くなった腹の底から湧いてくる怒りのせいで、思ってもない事が次から次に口から出てきてしまう。
僅かに見開かれた瞳がゆらりと不安げに揺れる。その目から逃げるように顔を逸らすと、閉じたはずの唇からまた鋭利な言葉を飛ばしてしまう。
「……なんだかんだ、黒尾にチヤホヤされて嬉しいだろ?」
『なっ……』
「アイツ、中々見た目もいいし。本当は声掛けられて嬉しかったんじゃないわけ?だからそんなホイホイ連絡先とか教えてんだろ」
『ちがっ……!黒尾くんは、話してみたら普通にいい人だったから……!それに、黒尾くんは木葉や木兎の友達じゃん!友達の友達を信用して、何が、「苗字さ、」
「赤葦のことは、もういいわけ?」
ひゅっと、息を飲む音がした。
「簡単には忘れられそうにないとか言ってたけど、本当はもう、なんとも思ってねえんじゃ、『っ、やめてよ!!!!』い゛っ………!」
言葉を遮るように飛んできた何か。それが苗字の上履きだと分かると、あんな熱くなっていた腹の底が途端に熱を失っていく。苗字、と声には出さずに呼んだ名前。逸らしていた顔を漸く彼女へ向け直せば、今度は苗字の顔が下を向いていて、小さな肩が微かに震えている事に気づく。
しまった。なんて言葉では済ませらない。
直ぐに謝罪の言葉を口にしようとしたのだけれど、それを咎めるように「なんで、」と聞こえてきたか細く小さな声。持っていた鞄を落とした苗字は、何かを拭うように手の甲で目元を擦ると、ゆっくりと顔を上げて赤くなった瞳に俺の姿を捉えた。
『なんでっ、木葉が……木葉がそんなこと、言うのっ……』
「っ、苗字、今のは、」
『もういいっ…………もういいっ!木葉の馬鹿!!!!!』
「っ苗字……!」
鞄も上履きも、何もかも忘れて駆け出した苗字。慌ててその後を追いかけようとした時、
「………木葉?」
「あんた……何やってくれてんだ?ん??」
「………す、すずめだ……しらふく………」
背後から掛けられた声にギクッと身体を震わせる。壊れたロボットのようにぎこちなく後ろを振り返れば、般若を背負ったマネージャー二人が仁王立ちしていて、その後ろにはやれやれとばかりに首を振る猿杙の姿が。
ダラダラと冷や汗を流す俺に、ぎろりと目を尖らせた雀田と白福がドシドシと大股で詰め寄って来る。目の前で足を止めて見上げてくる二人の迫力は女子とは思えないほど凄まじいもので、やべえ俺死ぬ、と覚悟を決めた俺に猿杙の無言の合掌を向けられる。
「こんの…馬鹿たれ!!!!あんた、自分の立場分かってんの!?!?」
「一丁前にヤキモチ妬いて、それで名前傷つけるとか信じられない泣かすとかありえない」
「っ、わ、わあってるよ!!」
「「分かってねえだろうが」」
「ぐっ……」
揃って吐かれた冷たい声にグサリと胸に大きなトゲが突き刺さる。こいつらが怒るのも無理はない。今の俺は自分勝手な嫉妬で苗字を傷つけた最低野郎だ。彼氏でもないただの友達のくせに、あんな風に苗字を責める権利があるわけない。
下唇を噛んで押し黙った俺に、「二人ともちょっと落ち着きなよ」と苗字が投げた上履きを拾った猿杙が隣へとやって来る。でも、とまだ何か言いたげに眉根を寄せるマネージャー達に、苦く笑った猿杙はポンと労わるように俺の肩を叩いた。
「確かにさっきのアレは良くないけど、でも、木葉の気持ちだって分からなくもないじゃん。苗字と黒尾が急に仲良くなってたら、焦りたくもなるだろうし」
「それは……そうかもしれないけど……」
「でもだからってあんな言い方は良くないじゃん。あれじゃあまるで……名前が赤葦を好きだったのが軽い気持ちみたいに言ってるようなものだよ!」
苗字の痛みを思ってか、雀田と白福も悲しそうに目を伏せる。ほんと最低だな、俺。苗字泣かせて、雀田と白福にまでこんな顔させて。
けど止まらなかったんだ。自分の知らない所で苗字が黒尾と“友達”になったって聞いて、楽しそうに黒尾の名前を呼ぶ苗字の姿に焦りと苛立ちを感じずにいられなかった。苗字が誰と仲良くなろうが苗字の勝手で、ただの友達でしかない俺に咎める権利なんてないと頭では分かっていても、それでも、苗字を好きだって気持ちのせいで嫉妬からあんな風に苗字を責めてしまった。
情けなくて、みっともなくて。兎に角かっこ悪い自分に嫌気がさす。握った拳を震わせて俯けば、肩に置かれた猿杙の手に少しだけ力が込められた。
「多分それは木葉が一番よく分かってて、一番後悔してるよ。………でもさ木葉、“関係ない”んじゃなかったの?」
「っ」
投げ掛けられた言葉に、ハッと顔を上げる。見開いた目で猿杙を見遣ると、穏やかなタレ目が柔らかく細められる。
「ライバルだろうがなんだろうが出てきても、関係ないんでしょ?黒尾のこと、気にするなって言うのは難しいのかもしれないけど……でも、黒尾が苗字をどう思ってたとしてもさ、一先ず今は木葉自身が苗字に向き合えばいいじゃん」
「……さる……」
「それに苗字。勢いに任せて飛び出して行ったから、戻るに戻れなくて困ってるだろうし。……迎えに行って来なよ」
拾った上履きを手渡され、そのままトンっと押し出すように背中を押される。強く強く拳を握って、大きく一つ頷いてみせると、「雀田、白福、」と今度はマネージャー二人へと向き直る。
「お前らの友達、泣かせてごめん」
「……うちらに謝ってどうすんのよ」
「謝るなら、ちゃんと名前に謝ってあげて。……それで、仲直り出来たら、許してあげるから」
「っ、ああ、行ってくるっ……!」
走り出そうとした背中に「先生は何とか誤魔化しといてあげる、」と雀田の声が掛かり、「頼むわっ」と振り返ることなく返して廊下を走り出す。苗字があの状態で向かうとしたら、多分人の来ない場所だ。
目星い場所をいくつか思い浮かべ、ホームルーム前で人の少ない廊下を駆け抜ける。教師と遭遇しないように気をつけながら目的の場所に向かうと、“書庫”と書かれたプレート前で足を止め、扉を開けようとした。しかし。
「っくそ……!鍵掛かってんのかよ…!」
人気がない場所として真っ先に思い浮かんだ書庫だったが、どうやらここに苗字は居ないらしい。チッと舌打ちを零して、次の場所へと向かう。上履きもスニーカーも履いてないとなると、校舎の中から出たとは考えにくい。となると、他にアイツが居そうな場所は。
止まった足を再び動かす。廊下を駆け抜け、階段を上る。踊り場を抜けてまた階段を上ると、最後の一段を上りきった所で、漸くお目当ての人物を見つけた。
「………苗字、」
『っ……』
苗字が居たのは、屋上に続く扉前の小さな踊り場だった。梟谷の屋上は、基本的に昼休みにしか解放されていない。そのため、それ以外の時間にここに寄り付く生徒は少なく、今の苗字が逃げ込むには最適の場所だろう。
踊り場の隅で膝を抱え、顔を伏せる苗字はやけに小さく見える。罪悪感でズキズキと痛む胸をそのままに、ゆっくりと苗字の前まで進む。右膝をつき苗字の前に跪いて「苗字、」と懲りずにもう一度呼び掛けると、返事の代わりに膝を抱える腕の力が更に強められた。
「……ごめん、」
「ごめんな、苗字」
「思ってねえから。お前が、……簡単に赤葦を忘れられるとか、思ってない」
「ごめんな、」と繰り返した三度目の謝罪。苗字の顔は変わらず膝に埋められたままだ。もしかすると、顔も見たくないと言うことなのかもしれない。けれど、諦めるわけには行かない。ここで諦めて引いてしまえば、多分もう二度と苗字は俺に笑いかけてくれないような気がする。
下を向きそうになった視線を無理矢理持ち上げる。伏せられた頭をじっと見つめ、もう一度謝ろうとしたその時、
『………ばか………木葉の、ばか……』
「っ、」
『知ってるって、全部知ってるって言ったくせに……それなのに、それなのに木葉が、……木葉が、言わないでよっ……』
“赤葦のことは、もういいわけ?”
『木葉があんなこと、言わないでよっ………!』
震えた声が空気を揺らした。
本当に、俺はどうしようもない大馬鹿野郎だ。
ひっくひっくと膝を抱えた腕の隙間から聞こえる嗚咽が胸に突き刺さる。その声に被さるようにホームルームの始まりを告げるチャイムが鳴っているけれど、今の俺たちはそれどころじゃない。
隠すように膝に押し付けられた顔。当然だ。泣き顔なんて人に見せたいと思えるわけがない。それが泣かせた相手なら尚更だ。情けない自分を叱咤するように奥歯を噛み締める。ゆっくりと伸ばした手で膝に掛かる苗字の髪にサラリと触れると、驚きからか一瞬苗字の肩は大きく揺れ、踊り場の空気を揺らしていた嗚咽が鳴り止む。
「…………ごめんな、苗字。おれ……嫌でさ、お前が……その……黒尾と仲良くなんのがスゲェ嫌で……だからって苗字のこと傷つけて言い訳じゃねえのに。……ごめん、苗字。泣かせてごめん。傷つけてごめん。どうしようもない馬鹿で、ほんとに……ごめんな……」
ごめんごめんと馬鹿の一つ覚えのように繰り返す謝罪。もっと他に気の利いた事を言えればいいのだが、俺の辞書には泣いた女を慰める台詞なんて一つも入っちゃいない。だから繰り返す。ごめん、ごめんな、本当にごめんなと。馬鹿の一つ覚えだって構わない。情けない奴だと笑われてもいい。
それでも、繰り返した謝罪の中のたった一つでもいいから、どうか、苗字に、届いて欲しい。泣き止んでくれと、笑ってくれと、そう思う気持ちが少しでも届いて欲しい。
いつの間にか嗚咽も泣き声も響かなくなった静かな踊り場。けれど苗字は顔を上げる気配はなく、膝を抱えて小さく蹲ったままだ。「苗字、」と何度目か分からない彼女の名前を呼び、再び“ごめん”を繰り返そうとした時、ポツリと呟かれた小さな声に、開きかけた唇の動きが自然止まる。
『……けーき』
「っ、は……け、けーき……?」
『……駅前にあるカフェのケーキが美味しいって雪絵が教えてくれたの。……そこのケーキ、……奢ってくれるなら、許してあげる……』
「……そ、そんなんでいいのかよ……?」
思わず聞き返した声に、ずっと膝に押し付けられていた顔が漸くゆっくりと持ち上がった。
『うん、いいよ。……もう、いいよ、』
ふんわりと、柔らかく穏やかに微笑んだ苗字。
赤くなった瞳に、少し掠れた声。見ただけで分かる。苗字がどれだけ泣いたのかが。それなのに、そんなふうに彼女を泣かしておきながら、泣いた後でも眩しいくらい可愛らしく笑う苗字に、胸を高鳴らせてしまう俺は、やっぱりとんでもない大馬鹿野郎かもしれない。
微かに頬を赤くして目の前の苗字の笑顔に見惚れていると、涙のあとを拭った苗字が「…このは?」と不思議そうに見上げてくる。その声にハッとして、「……これ」と苗字が忘れていった上履きを床に置くと、あ、と思い出したように目を丸くした苗字は、少し恥ずかしそうにしながら「……ありがと」と上履きを履いた。
『……ご、ごめんね、上履きなんか投げちゃって……ついカッとなって……』
「いや、まあ……驚きはしたけど……怒って当然だし、上履きくらい投げても仕方ねえっつーか……」
『………あのさ、木葉、一つ聞いてもいい?』
「?なんだよ??」
『……………黒尾くんのこと、嫌い、なの……?』
「は????」
ぽかんと間の抜けた顔で苗字を見返す。気まずそうに目を逸らした苗字は、どこか不安そうにしながらも更に質問を重ねてくる。
『木葉が怒ったのって、私の事心配してくれたから……だよね?でもさっき……黒尾くんと私が仲良くなるのが嫌だって言ってたから、そもそも黒尾くんの事が好きじゃないのかなって』
「いや、黒尾のことは別に、嫌い……ではねえけど……」
『そうなの?』
「………まあ、バレーに関してはいいライバルだと思ってるよ。なんだかんだ一年の頃からの付き合いだし。けど、」
『けど?』
「…………と、兎に角、さっきのあれは、俺の八つ当たりみてえなもんだから、気にしなくていいんだよ!つか、俺も聞きたいことあんだけど、」
『え?なに?』
「なんで黒尾と孤爪は苗字に会いに来たんだよ?礼なら俺から伝えておいたはずだけど」
『あ……そ、それは………』
ぐるりと苗字の視線が泳ぎ出す。明らかに不自然な反応に何か隠してるな、とジト目で苗字を見ると、うっと言葉を詰まらせた苗字が少しの沈黙の後、諦めたように小さく息を吐いた。
『……渡したもの、返しに来てくれたの』
「渡したもの?あの練習試合の日か?」
『そ、そう。孤爪くんを公園で見つけたでしょ?その時に、渡したものがあって……』
「孤爪になんか貸したのか?」
『……よ、容器………』
「ようき??なんの??」
『…………レモンの、はちみつ漬けの、』
ボソリと呟かれた小さな言葉。
レモンのはちみつ漬け。レモンのはちみつ漬けって、今、確かにそう言ったよな。「作ってきてたのか!?」と目を見開いて尋ねれば、おずおずと小さく頷いた苗字が気恥しそうに顔を俯かせる。
“んで、また作ってこいよ、あれ”
練習試合前、期待を込めて伝えた言葉。結局最後に「忘れろ!」なんて言ってしまった為、言った本人でさえすっかり忘れていたあの言葉を、まさか覚えていてくれたとは。
緩む口元を隠すように手の甲で覆う。やべえ、普通に嬉しい。マジで作ってきてくれてたなんて、思いもしなかったわ。
「も、持ってきてたなら、くれりゃ良かったのに、」
『だ、だって、お昼食べに行くって言うから……タイミング悪かったかなって……そう思って……』
なるほど。それで持ち帰るくらいなら、と、孤爪と黒尾の二人に渡ってしまったという訳か。解消された疑問の代わりに、偶然とは言え苗字のレモンのはちみつ漬けを受け取った二人への苛立ちが浮かんでくる。それをかき消すようにガシガシと荒っぽく頭を掻くと、まだ俯いたままでいる苗字をじっと見つめて、「つぎ、」と言葉を向けると、目尻をほんのり赤く染めた苗字がゆっくりと視線を持ち上げた。
「次は、何がなんでも!絶対!俺に渡せよな!!」
『……また……作ってきて、いいの?』
「最初にお願いしたの俺じゃん。黒尾たちに横取りされちまったけど、作ってきてくれてたって聞いて、嬉しいよ」
喜びをそのままにニッと笑って苗字を見ると、どこか安心したように苗字も笑い返してくれる。
「次は、ちゃんと渡すね」と差し出された小さな小指。この指に自分の小指を絡めると、まだ赤い瞳をそのままに苗字は嬉しそうに目を細めてくれた。