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三年生春(4)

カキーン。と窓の外から聞こえてきた高い金属音。次いでオーライ!オーライ!!と言う声が校庭に響いて、高く打ち上げれたボールは見事にグローブの中にキャッチされた。
春休みも残すところ後一週間。長期休み中にこうして学校に来るのは今日が二度目。一度目は先日、バレー部の練習試合を見るために。そして今日は、図書委員の当番のためだ。
ただでさえ暇な書庫の係は、春休みともなるともはや必要あるのかと言うほど利用者数はいないに等しい。暇潰しに窓から野球部の練習を眺めてみたりしているけれど、そろそろ午前の練習が終わるようで、野球部は片付けに入っている。私もあとちょっとすれば午後の係の子と交代かな。委員用のカウンターに置かれた小さな置時計を確認し、ほっと胸を撫で下ろす。暇で暇で仕方ない図書委員の仕事も、今日ともう一日来れば終了となる。
最初はただのハズレくじだと思っていた委員の当番。けれど、赤葦くんと出会い、彼を好きになってからは、書庫を訪れ、ここで彼と会えるのが日に日に楽しみになっていった。当番の日に、赤葦くんが書庫に来てくれたら大吉。来てくれなくても校内で見かけることが出来たら中吉。見ることさえも出来なければ凶。そんな風に、私の学校生活は、いつ間にか赤葦くんが中心になっていた。

けれど、今日は、今日だけは、
赤葦くんに会えないことに安心している。

会ってしまったら嫌でも思い出してしまうから。叶絵ちゃんの事を。そして、叶絵ちゃんを前にした、いつもと違う赤葦くんのことを。
それなのに、


「失礼します、」

『っ、あ……』


もし、恋愛の神様が本当にいるのだとしたら、それはとても意地が悪い神様だと思う。


『……赤葦、くん、』

「あ……こんにちは、苗字先輩」


いつも通り開けられた扉から、いつも通り入ってきて、いつも通り挨拶をする赤葦くん。そうだよね。赤葦くんからすれば、何一つ変わったことなんてないんだから。
「今日は先輩が当番の日だったんですね」とカウンターへ歩み寄ってきた赤葦くん。そんな彼に慌てて窓際から離れてカウンターへと戻ると、少し不思議そうな顔をした赤葦くんが窓の方へと視線を向けた。


「?窓の外がどうかされたんですか?」

『あ、いやっ……暇すぎて……その……暇潰しに野球部の練習を眺めてて……』

「ああ、それで」


納得したように頷いた赤葦くんは、いつも通り返却に来た本を差し出してくる。練習前だろうか。白地に金と黒のラインが入ったジャージ。斜め掛けにされたエナメルバッグ。そんなエナメルに付けられた少し古びたキーホルダー。
目を逸らすように差し出された本に視線を落とす。「これから練習?」と“いつも通り”を装って声をかければ、はい、と言う返事と小さな頷きが返ってきた。


「長期休み中って、三冊まで借りれましたよね?少し選んでもいいですか?」

『あ……う、うん。もちろんだよ』

「ありがとうございます」


何もお礼を言われるような事はしてないのだけれど。
純文学の本が並ぶ棚に向かった赤葦くんを横目で見つめる。徐に手に取った本をパラパラと捲って吟味する横顔はやっぱりととてもかっこよくて。

ああ、好きだなあ。

って改めて思い知ってしまう。
赤葦くんから受け取った本の表紙を優しく撫でる。そういえば、初めて会った時もこんな風に赤葦くんから本を受け取った。あの時はまだ名前も知らなくて、あかしくん?なんて無遠慮に声をかけてしまったけれど。懐かしさと愛おしさに目を細めていると、「あの、」と本から顔を上げた赤葦くんが控えめに声を上げた。「?なに?」とカウンターの椅子に座ったまま赤葦くんの方を見ると、少し申し訳なさそうに眉を下げた赤葦くんがゆっくりと唇を動かした。


「……この前、大丈夫でしたか?」

『この前……?』

「練習試合の日です。急いで帰っていたので、何か大事な用事があったんじゃないかと思って……叶絵も心配していて、」

『あ……』


赤葦くんの口から聞こえてきた名前にズキリと胸が痛み出すズキリ。ズキリ。と痛みと共に音を立て始めた心臓を誤魔化すように「大丈夫だったよ」と下手くそに笑い返すと、それでも尚眉を下げたままの赤葦くんは「本当ですか?」と重ねて尋ねてくる。


「叶絵が、苗字先輩が残ってたのは、自分に気を使って一人にしないようにしてくれたからじゃないかって言ってて……もしそうなら、凄く申し訳ない事をしたから謝っててくれって言われたんです」

『ち、違うよ。私も練習試合の感想とか、皆に言いたいなって思って残ってて……』

「そう、なんですか……?」

『そ、そうそう!だから……赤葦くんも……それに、……叶絵ちゃん、も、……気にすることなんて、何一つないから……』


私は、隠し事や嘘が下手くそだ。今もきっと、無理矢理顔に貼り付けている笑顔は、酷く下手くそなものに違いない。けれど、そんな事に赤葦くんが気付くはずもなく、「それなら良かったです」と安心したように微笑まれてしまうから、ズキズキと胸を走る痛みが更に大きくなった。
赤葦くんは鈍い。目の前にいる相手の作り笑いにさえ気づかないくらい、赤葦くんは鈍い。


でも、本当に?


「本当はあの日、苗字先輩のことを叶絵に紹介したかったんです」

『え……?』

「前に、先輩に勧めて貰った恋愛小説。あれを教えた相手、叶絵なんです」


赤葦くんの言葉に、その時の彼の台詞が脳裏を過った。

“知り合いに面白い恋愛小説はないかって聞かれて困っていたので、先輩のオススメが俺のオススメの恋愛小説になってくれるならむしろ有難いです”


『(……なんだ、そっか……)』

「それで叶絵、あの本すごく気に入ってて、教えてくれたのは苗字先輩だよって紹介したかったんです」

『(そういう、ことか、)』


瞼を伏せる。
赤葦くんは、鈍い。でも、多分それだけじゃない。赤葦くんは、彼はきっと考えてないのだ。自分が、叶絵ちゃん以外の女の子を好きになる可能性を、これっぽっちも考えていない。だから気づかない。気づいたところで無意味だと思っているから、赤葦くんは叶絵ちゃん以外の子から向けられる好意に気付こうとしない。
だから鈍くなる。だから、私の好意にも、気づかない。


『(……なんか……悔しいな……)』


叶絵ちゃんのことを話す時、赤葦くんの声は柔らかくなる。瞳が、愛おしそうに細まる。赤葦くんを好きになってからずっと、ずっとこんな彼を見たいと思っていた。こんな声で私の名前を呼んで欲しくて、こんな瞳に私を映してほしいとそう願ってた。でも、出来ない。赤葦くんの瞳に写っているのは、たった一人。叶絵ちゃんだけ。
自分なりに努力してきたつもりだった。少しでも可愛く見られたくて、女の子として見られたくて、頑張ってきたつもりだった。でも、あの時木葉に言った通り。この恋は、赤葦くんへの想いは、初めから、叶うはずなんてない恋だった。

顔が俯く。気持ちが沈む。

こんなことなら、赤葦くんに出会わなければ良かった。
赤葦くんを、好きになんて、ならなければ、


『(っ、違うっ、違うっ……!そうじゃないじゃんっ…!)』


思考を覆いそうになる黒い靄を振り払うように頭を振る。違う。そうじゃない。そんなことない。そんなことあるはずない。赤葦くんと出会って、私は変われた。赤葦くんを好きにって、好きな人のために少しでも頑張れる自分に気づいた。確かに、報わることを望んでいた。出来ることなら、この人の彼女になりたいってそう思ってた。でも。じゃあ。彼女になれなかったら、報われなかったら、今までの全部は無駄になるの?変われた私はいなくなるの?

違う。そうじゃない。

木葉だって言ってくれたじゃないか。知ってるって。赤葦くんに振り向いて欲しくて頑張ってきた私がいることを、ちゃんと知ってるって。そう、言ってくれた。なのに、それなのに、そんな自分を。変われて頑張ってきた自分を、私自身が否定してどうするんだ。
顔を上げ、伏せていた瞼をゆっくりと持ち上げる。少しだけ揺れた瞳に映るのは、私の、好きな人の姿。


「もしまた何か面白い本があったら教えて下さい。俺も気になりますし、それに、」

『(ああ、でも、)』

「叶絵にも教えてやりたいので」

『(でもやっぱり、悔しいなあ…)』


棚に並ぶ本の背表紙をなぞる指先に目を細める。
きっとこのまま黙っていれば、はっきりと好意を口にしなければ、赤葦くんが私の想いを知ることはない。ひっそりと、隠すように想い続ければ、この先も赤葦くんを好きでいられる。でも、それじゃあ私は、私の気持ちは、一生赤葦くんに伝わらないままだ。

自分なりに頑張ってきたつもりだ。
赤葦くんに振り向いて欲しくて、可愛いと思われたく、女の子として見てもらいたくて。だから、せめて、一度くらい、


『……赤葦くん、』

「?はい?」


一度くらい、この人に。

この人の目に。



『好きです』



女の子として、映してほしい。


驚いたように見開かれた瞳には、確かに、私だけが映し出されている。勢いというのは恐ろしい。あんなに無理だと思っていたのに、まだ、口にする勇気はないと言っていたのに、まさか、こんな風に“好きだ”と伝えることになるなんて。
選ぶように背表紙をなぞっていた指先が下ろされる。何か言いたげに口を開いた赤葦くん。けれど、彼の口は何も音を発せず、何かに迷うように赤葦くんの瞳がゆらりと揺れた。


『…初めて会った時からずっと……ずっと赤葦くんが好きだった。“友達になってくれ”なんて言っておきながら、本当は、……本当はずっと、友達以上を望んでいた』

「……先輩……」

『かおりや雪絵にも協力してもらって……ズルばっかり。でも、ズルでもいい。ズルでもいいから、赤葦くんに振り向いて欲しかった。赤葦くんの……彼女に、なりたかった。そのくらい、


委員用のカウンター席から立ち上がる。真っ直ぐ、迷いなく赤葦くんの目の前に立つと、自分だけを映す彼の瞳にふんわりと小さな笑みが漏れる。


『赤葦くんのことが、好きです』


何か言いたげに開き掛けだった唇が閉じる。見開かれていた瞳を、ゆっくりと一度瞼で覆い隠した赤葦くんは、次に目を開けた時には、何かを覚悟したように真っ直ぐな瞳を向け返してくれた。


「……ありがとうございます。気持ちは、とても、とても嬉しいです。けど、すみません。………俺は、先輩とは付き合えません」

『……うん』

「好きな子が、いるんです」

『……うん、知ってる。叶絵ちゃんでしょ?』

「え………」


どうしてそれを、と言うように再び見開かれていた瞳。あんなに分かりやすいのに、自覚ないんだな。と苦く笑ってみたけれど、私だって散々木葉達に分かりやすいと言われてきたのだ。人を好きになると、案外皆そうなるのかな。


『分かるよ。だって赤葦くん、すごく分かりやすいんだもん。……全然、違うんだもん……』

「…知ってたのに…どうして……」

『……悔しかったから。赤葦くんに、このまま、自分の気持ちが伝わらないのが、すごく、悔しかったから。……だから、言っちゃった。自己満足で、赤葦くんは困るだけだって分かってたのに……ごめんね』

「……謝らないで下さい」

『っ、』

「謝るなんて、辞めてください」


いつもより強い口調でそう言った赤葦くん。少しだけ吊り上がった眉や目尻に驚いていると、どこか迷うように視線を床に落とした赤葦くんは、更に言葉を続けていく。


「……気持ちに応えられないくせに、こんなことを言うのは良くないかもしれませんが……でも……先輩に、苗字先輩みたいな人に好きだと言われて、嬉しいです。
……本当に、嬉しいんです」

『っ……赤葦くん……』

「だから、謝らないで下さい。……俺なんかのことを好きになってくれて、本当に、ありがとうございます」

『っなんかじゃないよ!……赤葦くんは、“なんか”じゃないっ……!……私の方こそありがとうっ……そんな風に言ってくれて、ありがとう、赤葦くん、』


ちょっとだけ泣きそうだった。振られたことが悲しいのか、それとも、好きになってくれてありがとうと言われた事が嬉しいのか。どうして泣きたくなったのかは、自分でもよく分からない。でも、なんとか涙を流さずに済んだのは、あの日、今日の分まで目一杯、木葉が泣かせてくれたおかげだろう。
ツンっとした鼻の痛みを誤魔化すように「あの、」と少し大きく声を上げる。すると、はい、と変わらず真っ直ぐに見つめ返してくれる赤葦くんがいて、今はそれがとても有難い。


『一つお願い……というか、わがままを言ってもいいかな…?』

「わがまま、ですか?」

『……これからも、話しかけていいかな……?今すぐ吹っ切る、とかは出来ないけど…でも、これからはちゃんと友達として向き合いたいって言うか……せっかく知り合えたのに、無かったことにしたくないから……だから、「良かった」え……』

「先輩が言わなきゃ、俺からお願いする所でした。…俺も、せっかく先輩と知り合えたのに、無かったことにしたくないって思ってます。だから、話しかけて下さい。俺も話しかけます」

『っ、うんっ……!ありがとう、赤葦くん……!』

「……それと、一つ訂正を」

『?……て、訂正……?』

「これから“は”じゃなくて、これから“も”です。あの時から俺は、先輩のこと友人だと思って接しています」


「先輩相手に“友人”と言うのも失礼かもしれませんが…」と申し訳なさそうに付け加えられた言葉にぶんぶん大袈裟に首を振る。失礼じゃない。失礼なんてこと全然ない。


『私こそ、嬉しい、』

「っ、え……」

『赤葦くんに、好きになった人に、そんな風に言って貰えて嬉しい……。ありがとうっ……本当に、ありがとうっ、赤葦くんっ……!』


込み上げて来た喜びを精一杯表そうと赤葦くんに向けた笑顔。どのくらい伝わったかな。「お礼言い過ぎですよ、先輩、」と困ったように笑った赤葦くんだったけれど、でも、その笑顔はとても穏やかで、今はこの笑顔が見れただけで、もう、十分だ。
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