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三年生春

『いってきまーす!』


履きなれたスニーカーを履いて玄関を出る。「気をつけて行くのよー」と言う母の声を背に、通い慣れた通学路を少し足早に歩き出す。
三月下旬。梟谷高校は春休み期間へ突入した。春休みが明ければまた春が来て、高校三年。最後の一年が幕を開ける。二年生なってからは色々な事があり過ぎて今日までがあっという間で、その中でもやっぱり一番大きかったのは、赤葦くんと出会って、彼を好きになったことだ。


「これ、バレンタインのお返しです」


ホワイトデーの日。赤葦くんは律儀にお返しを用意して、わざわざ教室まで持ってきてくれた。マネージャーであるかおりや雪絵の分も、二年生を代表して赤葦くんが用意したらしく、「二年からです」と同じタイミングでかおり達にもホワイトデーのお返しを渡していた。
赤葦くんから貰ったのは、可愛らしいマカロンだった。
かおりや雪絵も同じものだったらしく、「……赤葦め……」「芸がない……」とどこか不満げだったけれど、私としてはお返しを貰えただけでもとても嬉しい。おまけに、約束通り「とても美味しかったです。だから、苗字先輩はもっと自信を持っていいと思いますよ」と言うチョコへの感想も聞かせて貰えて、赤葦くんからの“美味しい”と言うその言葉だけでも十分なお返しになった。
そんな赤葦くんの他にも、友チョコをあげた木兎たちからもお返しが返ってきた。イルミネーションを見に行ってくれたお礼のはずが、まさかお返しをして貰えるなんて。全員で出し合って買ったという少しお高いチョコレート。赤葦くんのくれたマカロンと一緒に大事に大事に食べたけれど、何故かその時、チョコレートを渡してくれた木葉から、それとは別にのど飴を貰ったのだった。「なんでのど飴?」と首をかしげた私に、「……な、なんか喉痛そうだったから」と目を逸らしたまま返してきた木葉。自分でも気づかないうちに声が掠れてたりしたのかな?なんて思いつつ、とりあえずのど飴も有難く受け取らせて貰った。

そんなホワイトデーに貰ったお菓子も、春休みが始まる頃には食べ終えてしまった。春休み期間はあまり長くなく、二週間ないくらいだけれど、そんな短い休みの中でもバレー部は休む事なく練習に勤しんでいる。何もせずにダラダラと過ごす私とはえらい違いだ。そんな堕落を貪る私に練習試合の知らせが入ったのは一週間前のこと。以前言っていた練習試合の日程が決まったらしく、春休み直前にかおりから日付と時間を教えてもらった。「気兼ねなく見においでよ」「監督もおいでって言ってたし」とはかおりと雪絵から言われてはいるものの、何か差し入れくらいは用意したいなと思い、昨日の夜に差し入れの定番とも言えるレモンのはちみつ漬けを作って持って行くことに。
練習試合はうちの高校であるらしく、休日だと言うのに制服を着ているのはその為だ。保冷バッグに保冷剤と一緒に詰め込んだレモンのはちみつ漬け。それを入れたトートバッグを抱え直して、校門をくぐり抜けようとした時、ふと目に映った一人の女の子。校門脇でおろおろと戸惑っているその子も制服を身に纏っているけれど、着ているのはブレザーでなくセーラー服。それもこの辺じゃあまり見かけないもの。どう見ても他校の生徒だ。校門の中を覗き込み、そーっと足を踏み出そうとしたかと思えば、またすぐ後ろへ下がっている様子から察するに、どうやらうちの高校に用があるらしい。このまま見過ごすのもなあ、と校門を潜ろうとした足を止め、「あの、」とその子に声をかけると、ビクッ!と肩を揺らしたその子が恐る恐るこちらを振り返った。


『もしかして、うちの高校に何か用事ですか??』

「あ……は、はい。あの……今日ここで練習試合があるらしくて、見学に……」

『ああ、それで!よければ案内しましょうか??』

「……い、いいんですか?」


控えめに見上げてくる女の子の可愛らしいこと。もちろん、と言うように笑顔で頷き返すと、ホッとしたような柔らかな笑みと「ありがとうございます」と可愛らしいお礼の言葉が返ってきた。お世辞抜きに可愛い子だ。どこの部活の応援に来たのだろう。「何部の応援ですか?」と尋ねると「バレー部です」と返ってきた声に少し驚く。そっか。そう言えばそうだ。バレー部も今日は練習試合なのだから、この子もバレー部を見に来たとしても何もおかしくはない。
「じゃあ一緒ですね」「え??」「私もバレー部の練習試合見に来たんです」と体育館を指し示すと、ぱあっと表情を明るくさせたその子は「本当ですか?」と目を瞬かせる。


『はい。だから、体育館まで一緒に行きましょう』

「あ、ありがとうございます……!あの、私、仁科叶絵って言います。今年……四月から高校二年になります」

『あ、私は苗字名前です。四月から梟谷の三年です』

「じゃあ先輩ですね……!」


「敬語は要りませんよ」と朗らかに笑う仁科さん。うん、やっぱり文句なしに可愛い。女の子らしくて、見ているだけで穏やかな気分になる。「行こうか、」と仁科さんと二人で体育館に向かって歩き出す。
「叶絵ちゃんって呼んでいいかな?」「は、はい。私も名前さんって呼んでいいですか?」「もちろん、」と他愛のない会話をしながら歩いていると、隣を歩く叶絵ちゃんが、よいしょ、と肩に抱えた大きな鞄を何度か掛け直すのが目に映った。


『大荷物だね?持つの手伝おうか??』

「い、いえ!大丈夫です……!勝手に持ってきたものなので、どうぞ気になさらないでください、」

『そう??手伝いが欲しかったらいつでも言ってね』

「ありがとうございます、名前さん」


ふんわりと花が咲くように笑う叶絵ちゃん。こんな子が応援に来てくれるだなんて、今日の対戦校は幸せなチームだ。木葉達が羨ましがるかもなあ、なんて考えながら体育館の前までやって来ると、丁度ドリンクを作っていた雪絵に会い、「いらっしゃーい」と手を振られる。


「あれ??そっちの子は??」

『あ、さっき校門で会ったの。仁科叶絵ちゃん。彼女も練習試合の見学に来たんだって』

「こ、こんにちは。仁科です」

「可愛い〜。初めまして、梟谷マネージャーの白福でーす」


「椅子用意してあるから、早速二階に上がっちゃいな」と言う雪絵の言葉に「ありがと」とお礼を返して、叶絵ちゃんと二人で体育館の隅を通って二階ギャラリーへ。時折向けられる物珍しそうな視線は、恐らく他校の制服を着た叶絵ちゃんへのものだろう。肩をちぢめて歩く叶絵ちゃんを少し気の毒に思い、「大丈夫?」と声をかけると、「はい、」とぎこちなく笑った叶絵ちゃんは、用意された椅子まで辿り着くと、持っていた大荷物を漸く椅子の上へと下ろし、どこか懐かしそうにコートを見つめて目を細めた。


「……こんな風に見学に来るの久しぶりで……自分が出るわけでもないのに、なんかちょっと緊張しちゃいます」

『久しぶりってことは……ここ最近は見学とかしてなかったってこと?』

「最近、と言いますか……中学以来で……中学の時は練習試合とか試合とか見に来てたんですけど、高校に入学してからは今日が初めてなんです」

『へえ、そっかあ。それは確かにちょっと緊張しちゃうかもね。他校だと余計に』


はい、と少し気恥しそうに頷いた叶絵ちゃんは再びコートに目を向けると、誰かを探すように視線をキョロキョロと動かし始める。もしかして叶絵ちゃんも特別見たい人とかいるのかな。なんて微笑ましく思いながら、自分もコートに視線を移すと、ふと感じた違和感。
あ、そっか。赤葦くんが居ないのだ。
よく見れば赤葦くんだけでなく木兎も不在のようで、「アイツら遅せえな」と呆れたように木葉が体育館の扉の向かってため息を零している。しかしその直後、ガラッ!と勢いよぬ扉が開き、「よっしゃ!間に合ったー!!」と声を張り上げた木兎と、その後ろから疲れた顔をした赤葦くんがやって来て、「サポーターは見つかったのかよ?」と言う小見くんの問いかけに木兎がおう!と元気よく頷いた。どうやら赤葦くんは木兎のサポーター探しに付き合わされていたらしい。
春高後、三年生が引退してからは、木兎が主将、赤葦くんが一年生ながらに副主将となったらしいけれど、これではどちらが主将と副主将か分からない。苦く笑って木兎達を見つめていると、同じように木兎達が入ってきたのを見ていた叶絵ちゃんは、二人の姿を捉えた瞬間、ほうっと安心したように息を吐き出し、そして、消え入りそうな小さな声で誰かの名前を呼んだ。



「…………けいじくん………」




『え………』


部員たちの声に混じって聞こえてきた小さな声。気の所為だろうか。今、叶絵ちゃん、“けいじくん”って言ったような。仄かに目尻を赤く染めた叶絵ちゃんが、そっと顔を綻ばせる。柔らかく細まった大きな瞳には、一体誰が映っているのだろうか。
ざわりと、胸を覆った妙な感覚。なんだか無性に落ち着かずじっとコートを見つめる叶絵ちゃんを何度も何度も盗み見てしまう。そう言えば叶絵ちゃん。何も言わずに梟谷側のギャラリーに付いてきてくれたけれど、反対側から観戦せずに良かったのだろうか。「……あの、叶絵ちゃん、」と胸を覆う不安を隠す様に明るく声をかけると、はい?と叶絵ちゃんの顔がこちら向く。その表情がやけに輝いて見えて、きらきらと照明の光を反射する大きな瞳の美しさにザワザワと胸を覆う不安がどんどん大きくなる。


『……その、良かったの……?叶絵ちゃんも、こっち側からの観戦で……?』

「え??……あっ、は、はいっ!大丈夫です……!私も、梟谷の選手の応援に来たので、」

『そ……そう、なんだ……』


誰の?とは、聞けなかった。聞く勇気が、持てなかった。


ピーッ!と響いた笛の音。ハッとしてフロアを見れば、いつの間にか選手がコートの中に入っており、試合が始まろうとしている。「始まりますね」と微笑む叶絵ちゃんはやっぱりとても可愛くて、その可愛らしい笑顔に、胸の内を覆う不安がより一層大きくなっていった。
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