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「#エロ」のBL小説を読む
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02 


(※治視点)



「苗字っ、」



 いつかの部活終わり。校門を出ようとした瞬間、背後から聞こえた名前さんを呼ぶ声。北さんとアランくんに挟まれ歩いていた名前の歩みが止まる。ほぼ反射的に振り返った名前さんは、後ろに立つ男をみるなり、「宮田くん?」と不思議そうに小首を傾げた。


「か、帰ろうとしてるとこ、ごめん。ちょっと、その………苗字に、話があって、」

『………話って………?』

「こ、ここじゃちょっとアレだから………向こうで、いいかな?」


 酷く緊張した声の提案に、分かりやすく顔を顰めた侑。わざわざ部活が終わるの待っていたなんて。オマケにこの空気感だ。“宮田くん”が何を言おうとしてるのかなんて、考えなくても分かる。
 「……うん、いいよ」と小さく頷いた名前さんは、来た道を引き返す形で足を動かすことに。“宮田くん”と一緒に歩いて行く名前さんを面白くない気持ちで見送る。宮田くんって誰やねん、と内心で吐き零していると、北、と耳に届いた赤木さんの声。ちらりと見遣った先では、並び立つ主将と先輩リベロの姿があって、「………なん?」と前を見据えたまま尋ねた北さんに、赤木さんの口がゆっくりと動き出した。


「あれ、引き止めんでええの?」

「………ええも何も、そんな権利俺にはないやろ」

「権利はなくても理由はあるやん」


 「行かせたないって目が言っとるで」と揶揄うように笑う赤木さんに、短い沈黙を返した北さん。けれど直ぐ、「理由はあっても権利はないやろ」と答えた北さんは、目を逸らすみたいに踵を返した。


「(焦れったいちゅーかなんちゅーか)」


 校門の前で立ち止まったまま、動こうとしない主将の背中に眉尻を下げる。
 名前さんはモテる。整った顔立ちと柔らかい雰囲気はもちろん、気配り上手な優しい性格も名前さん魅力の一つだ。おまけに、うちの学校では珍しい標準語も相まって、名前さんの校内認知度は非常に高い。目を惹く要素が山ほどあって、そのうえ中身まで良いとなればそもそもモテない筈がない。つい先日も、名前さんの連絡先を教えてくれと強請るクラスメイトがおり、「連絡先も自分で聞けん腑抜けに、うちのマネージャーと話す権利ないわ」と一蹴してやった。
 名前さんに言い寄る連中は沢山おって、俺らが知っているだけでも、その数は両手じゃ数え切れない。けれど北さんは、どんなに名前さんが言い寄られても、自分の気持ちを伝えようとはしない。北さんのことだし、きっと何かしらの理由があるのだろう。でも、いざ名前さんに彼氏が出来たとしたら、北さんはそれを後悔しないのだろうか。伝えなかったことを、後悔したりしないのだろうか。
 過ぎった疑問ごと吐き出すように零したため息。こんなこと考えところででどうしようもない。周りがいくら気を揉んでも、北さんの気持ちは北さんにしか分からないのだ。肩に掛けたエナメルを背負い直す。北さんに向けていた視線を前へ戻した瞬間、ぱたぱたと近づいて来た足音に、おっ、と誰かが声を上げる。


『あっ、ごめんねみんな……!待っててくれだんだね、』


 華奢な身体に似合わない大きなエナメルを揺らして駆け寄って来た名前さん。申し訳なさそうに眉を下げる彼女の後ろには、人っ子一人来る気配はない。一人で戻って来たということは、つまりそういうことなのだろう。
 「またフったん?」と遠慮の欠片もないツムの質問に、曖昧な笑みが返される。はっきり言わないのは相手を気遣ってのことなのだろうが、無言と肯定は同意義。やはりあの男子生徒の告白は無事失敗したらしい。
 名前はもちろん、もはや顔さえも思い出せない男子生徒に覚えた一ミリの同情。けれど、一ミリは一ミリ。「帰ろっか」と言う名前さんの声が聞こえた途端、男子生徒への同情は綺麗さっぱり消え失せた。

 歩き慣れた帰宅路を見慣れた顔ぶれで進んで行く。

 「宮田て、バスケ部やったっけ?」「ハンドボール部やろ」「名前と接点あったんやな」「委員会が一緒で」「ああ、委員会か」と赤木さんやアランくんと軽快なやり取りをする名前さん。たかが委員会だけの接点で惚れられてしまうとは。名前さんも中々に罪作りだ。
 「モテる女は大変やな」と揶揄い口調で笑った赤木さんに、再び眉を下げた名前さんは困った顔で唇を動かした。


『好意を持って貰えるのありがたいけど……好きでも無い人と付き合おうとは、どうしても思えなくて……』

「ちゅーかそもそも、名前は彼氏作る気あるん?」

『あんまりないかな。好きな人もいないし。それに、今は何より、皆と一緒にいるのが楽しいから、』

「そら嬉しいけど……勿体ないなあ。名前やったら、彼氏の一人や二人あっちゅーまに出来るやろに」


 ボヤくような赤木さんの台詞に、名前さんは「そんなことないよ」と首を振る。これだけ持て囃されているのに、どこまでも謙虚というか鈍感というか。呆れ眼で前を歩く華奢な背中を見つめていると、不意に足を止めた名前さんは視線をそっと地面に落とした。


『健気で、お淑やかなところを好きになったんだって』

「…………は??」

『宮田くんに言われたの。“下品にゲラゲラ笑わんお淑やかなところとか、男バレのマネしとる健気な姿とか、そういうところが好きや”って』


 淡々としているようで、どこか寂しげに聞こえる名前さんの声。「褒め言葉やろ?」と首を捻った赤木さんに、地面を見つめていた瞳がゆっくりと持ち上げられた。


『褒め言葉、なのかな……。……私は、私だって、声を上げて笑うことはあるよ。応援中は“お淑やか”になんてしてられないし、“健気”に見えるのだってマネージャーって立場のおかげかもしれない。そう思ったら、“褒め言葉”として素直に喜ぶことが出来なかった。むしろ……少し、虚しいくらいだった』


 薄暗い道先を見つめる瞳がそうっと細まる。
 虚しい。なるほど。確かにそうかもしれない。自慢じゃないけど、俺やツムもわりとモテる。顔や名前も知らない女子からファンレターや連絡先を渡された経験は一度や二度じゃない。“モテる”ということ自体は正直嬉しい。けれど、向けられる好意の全てを肯定的に受け取ることは出来ない。顔や名前も知らない相手なら尚更。


『宮田くんが好きな私は、私が知ってる私じゃない。だから、宮田くんの言う、“お淑やかで健気”って言葉を素直に喜ぶことが出来なかった。宮田くんが好きな私は、“私”じゃない“私”なんだなって思ったら、少し……虚しかった』

「………そんな風に思っとったんやな……すまん、俺、あんま考えんと、ズケズケ色々言うてもうて、」

『ううん。私こそ、変な話聞かせてごめんね。自分を好いてくれる人がいるだけでも有難いのに……こんなこと考えるなんて失礼だよね』


 「帰ろっか、」と自嘲気味な笑みを見せたのに、歩き出そうとした名前さん。けれどその時、「確かにそうやなあ」と穏やかでいて、とても凛とした声が辺りに響いて、歩き出そうとした身体が声の主を振り返った。


「名前は、“お淑やか”なんかやないな。理性的な分、気持ちを大きく表現するんが少し苦手なだけや。せやから、試合の応援しとる時みたいに熱くなってる時は、大きい声も出すし、悔しそうな顔も見せとる」

『………しんすけ………』

「“健気”っちゅーんも、傍から見たらそう見えるんかもしれんけど……でも、名前にとっては当たり前のことを当たり前にしとるだけやから、“健気”なんて言葉を使われるんが居心地悪いんやと思う」


 「それだけ、マネージャーの仕事が板に着いとるっちゅーことでもあるな」と穏やかな声で綴られた言葉。美しい瞳に滲んでいた暗い何かが晴れて行くのが分かる。きゅっ、と引き結んだ唇をゆっくりと解いた名前さんは、とても、とても嬉しそうに微笑みながら言った。



『ありがとう、信介』



 ふわりと笑う名前さんを前に、僅かに緩んだ北さんの顔。「礼を言われるようなことは言うてへんで」と答えた北さんは、綻んだ顔をそのままに再び帰路を歩き始めたのだった。



 名前さんを見る北さんの目は、いつも優しかった。



 優しくて、穏やかで、目一杯の愛おしさが込められていて、そんないつもと違う北さんを見ているのが好きだった。二人で並ぶ北さんと名前さんを見ているのが、好きだった。だから、出来ることなら俺たちは、北さんの気持ちが名前さんに届くことを願っていた。勝手な望みだというは重々承知だ。それでも、北さんの一途な気持ちを知っている以上、そう願わずにはいられなかった。
 けれど、卒業から数年後。名前さんが手を取ったのは北さんではなく、俺たちにとっては顔も名前も知らない赤の他人だった。


「半端なままじゃ、伝えたらあかんと思うててん」


 左隣から聞こえた呟くような本音。
 営業時間終了後。酒瓶を土産に店を訪れた北さん。「一杯やらんか」と緩やかに笑う元主将に首を振るなんて出来る筈もなく、客のいない店内で二人だけの飲み会を始めることに。ツマミに作った簡単な料理が並ぶカウンター席で昔話に花を咲かせていると、会話の合間に生まれた短い沈黙。そこへ落とされたのが、さっきの一言だった。
 小さく見開いた目で捉えた北さんの横顔。お猪口に注いだ日本酒の水面をじっと見つめる北さんは、何かを馳せるように更に唇を動かし続けた。


「ずっと、ずっと好きやった。名前のことが好きやった。けど、今の俺にはまだ、伝える資格がないと思うててん。ほんまに、本気で好きやったからこそ、ちゃんと幸せに出来るようになるまで、言うたらあかんて決めててん」

「……言うこと自体出来んくなったら、元も子もないですやん」

「せやな。元も子もないな。……けど、こうなったんは俺の自業自得やし、名前への気持ちにはちゃんと区切りを付けるつもりや」


 「いつになるかは分からんけどな」と冗談のように付け足された一言が何とも胸に突き刺さる。お猪口を煽る北さんから目を逸らすみたいに目線を下へ落とした時、ポケットの中で震える携帯に気づいて、あ、と小さく声を上げる。


「北さん、スマホ鳴ってます」

「ん?……ああ、ほんまやな」


 「アランか、」と画面に表示された名前を確認しつつ、スマホに手を伸ばした北さん。指をスライドさせ、もしもし、と北さんが電話に出た瞬間、スピーカー越しに聞こえたのは酷く焦ったアランくんの声だった。


〈北!!お前今どこにおるん!?!?〉

「どこて、治の店やけど……?」

〈っ、二人で今すぐ××病院向かえ!!〉

「病院て、何言うて、〈名前がっ!〉




〈名前が事故にあってん!!!!!!〉




 スマホから聞こえた叫び声の直後、何かに弾かれたみたいに北さんは店を飛び出した。

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