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01


(※治視点)



『私ね、結婚するの』



 そう言って微笑む名前さんは、今まで見たどんな笑顔より、美しく微笑んでいた。


 久しぶりの飲み会だった。


 号令を掛けたのは元稲荷崎男子バレー部紅一点、マネージャーの名前さんで、名前さんからの珍しい声掛けを断る筈もなく、殆どの部員が喜んで参加を申し出た。偶然にも休みが重なったアランくんや角名も久しぶりに参戦し、飲み会が始まって一時間後には練習を終えたツムも合流。
 主催者の名前さんはもちろん、北さんやアランくん、大耳さんに赤木さん、角名、銀、ツム、俺と、俺たちが二年時のレギュラー陣は勢揃いに。「この面子で集まるなんて久しぶりやな」とビール片手に笑ったアランくん。「確かになあ」「大耳の結婚式以来ちゃうか?」と大耳さんや赤木さんが笑い応えていると、「ま、しゃあないやろ」と軽やかに笑った銀が、どことなく嬉しそうに視線を名前さんへ。


「名前さんからの招集に、応じんわけには行かんしな」

「そらそうやな」


 銀の声に大きく頷いた侑。「大袈裟だなあ」とほんのり頬を赤く染めた顔で笑う名前さんに、「大袈裟でもないやろ」とお猪口を置いた北さんが懐かしそうに目を細めた。


「テストの度に泣きついて来た侑達に、毎度毎度、根気強く勉強教えとったんは他でもない名前やろ?」

『でも、信介やアランだって教えてたでしょ?私一人の力じゃないよ』

「いやいや。俺は自分のことでいっぱいいっぱいやったし、北は教えるんは上手いけど、北に教わる侑や治は、冷凍ビーム食らったみたいにカチコチで勉強どころやなかったやん。侑達が赤点免れたんは、間違いなく名前のおかげやで」

「そもそも、名前の世話になったんは侑らに限った話でもないやろ。当たり前みたいにドリンクが置いてあるんも、タオルやビプスが綺麗に揃っとったんも名前のおかげやん」

『それは、マネージャーとして当たり前のことをしてただけで、』

「……その“当たり前”がなくなった後の、悲惨な後輩の話を聞きはりますか?」


 はは、と乾いた笑顔で零した声に、二年連中から深い頷きが返って来る。

 名前さんは俺たちより一学年上で、北さんやアランくんと同い年の先輩マネ。つまり、北さん達の引退と同時に名前さんも部を離れることに。「引き継ぎもあるし、卒業まで続けてもいいんだよ?」と提案してくれた名前さんだったけれど、「甘やかし過ぎたらあかん」「コイツらかて子どもやないし大丈夫やろ」と北さんら同級生に止められたことで名前さんも引退へ。どこか不安そうに部を離れて行く名前さんに、「そんな心配せんでも大丈夫ですって」「ガキやないしな」と笑ったのもつかの間、俺たちは改めて彼女の有り難さを身を持って知ることとなった。
 備品の買い出し。ドリンクの準備。ビブスやタオルの洗濯。部室の掃除。その他諸々の雑務。今まで当たり前のように名前さんがしていてくれていたこと。その当たり前にどれほど俺たちが助けられていたのか。
 救急箱から三本目のハサミが紛失した頃、北さんと二人で様子を見に来た名前さん。洗剤粉の付いたビブスや中身がごちゃごちゃになった救急箱を見た名前さんは、「やっぱりか、」と仕方なさそうに笑っていた。
 それからというもの、名前さんは週に一回必ず様子を見に来てくれるようになった。名前さんの懇切丁寧な指導を受けた俺たちは、何とか彼女の卒業には、美味しいドリンクや洗剤粉の残らないビブスやタオルを手に入れることに成功した。

 「ほんま、名前さんには頭が上がらんわ」と鼻の下を擦った銀に、「だから大袈裟だよ」とくすくす笑う名前さん。耳心地の良い笑い声は昔と変わらんな、なんて微笑ましい気持ちでジョッキに手を伸ばした時、「ほんで?」と思い出したように声を上げた侑に、長い睫毛に縁取られた目がぱちりと瞬いた。


「今日の本題はなんですの??名前さんのことやし、なんかあっての招集やろ??」


 侑の問いかけに名前さんの唇から、あ、と小さな声が漏れる。アルコールのせいか、ほんのり色付いていた頬が一際赤く染まって行く。気恥ずかしそうに一瞬下を向いた名前さんだったけれど、「実はね、」という声ののち、ゆっくり顔を持ち上げた名前さんは、美しい微笑みと共に言った。



『私ね、結婚するの』



 と。
 結婚。結婚する。誰が?名前さんが?え、誰と??
 幸せに満ちた報告を前に大混乱する脳みそ。停止した思考の中で唯一聞こえたのは、



「……ほうか。……おめでとう、名前、」



 諦めと寂しさを滲ませた北さんの声だった。
 旧友からの祝詞に、はにかんで笑った名前さん。「ありがとう、信介」と幸せに満ちた笑顔を前に、焦香(こがれこう)色の瞳が僅かに細まる。そのまま、何かを隠すみたいに目を伏せた北さんは、お猪口に残っていた日本酒をゆっくりと飲み干した。
 おめでとうって、何言うてんねん。北さんあんた、祝ってる場合とちゃうやろ。笑てる場合とちゃうやろ。
 焦る俺たちを他所に、徳利へ伸ばされた北さんの右手。酷く落ち着いた様子の元主将の姿に、アランくんと赤木さんが困惑気味に顔を見合わせている。

 北さんは、名前さんが好きやった。
 いや、“好きやった”ではなく、正しくは、“好きや”だ。

 真面目で、隙がなくて、なんでもちゃんとやる完璧超人みたいな人。それが、俺たち稲荷崎高校男子バレー部元主将の北信介だ。主将という立場も相まってか。俺たちにとっての北さんは、“厳しい”とか“怖い”というイメージが強い。けれどそんな、堅物を絵に書いたみたいな北さんの空気が和らぐ瞬間があった。


『信介、』


 あれは、いつだっただろうか。
 練習後のストレッチ中、北さんを呼んだ名前さん。聞こえた声に何となく視線をそっちへ向けると、小走りで北さんの元へ歩み寄った名前さんは、フロアに座る北さんの前に膝を付いて座り込んだ。


『指、大丈夫?冷やすなら氷嚢準備するよ??』

「………気づいとったん?」

『そりゃあ気づくよ。マネージャーだもん』


 「突き指、したんでしょ?」と覗き込むみたいに首を傾けた名前さんに、「適わんなあ」と目尻を下げた北さん。そうっ、と柔らかく細めた瞳で名前さんを見つめ返した北さんは、「平気やで」と差し出した右手を、グーパーグーパー握ってみせた。


「一瞬気になっただけで、今はもう何ともないし」

『ほんと??』

「ほんとうに」

『それならいいんだけど……冷やしたくなったら直ぐ言ってね。氷嚢、準備するから』

「……おん。おおきにな、名前」


 そう言って微笑む北さんの空気は、とても、とても和らいでいた。
 らしくもなく、分かりやすいなと思った。真面目で、隙がなくて、なんでもちゃんとやる完璧超人みたいな北さん。そんな北さんの空気を、声を、視線を、穏やかにするのは、いつだって名前さんだった。
 傍から見ても分かりやすい北さんの気持ちに、気づいていなかったのは、多分名前さん本人くらい。見てるこっちが焦れったくて、ハラハラして。早く告(い)ってしまえばいいのにと、北さんの背中をせっつきたくなったのは一度や二度じゃない。けれど北さんは、一度も想いを伝えようとはしなかった。ただただ一途に想い続けて、部活を引退し、“主将”という立場でなくなってからも、名前さんに気持ちを伝えようとはしなかった。きっとそこには、北さんなりの理由があったんだと思う。言えない、言わない理由があったんだと思う。
 だけど、勝手に焦れて、勝手に応援していた身からすれば、名前さんの結婚報告に、“おめでとう”なんて綺麗事じみた笑みを浮かべる北さんに、納得なんて出来るわけない。「招待状、皆にも送るから返事待ってるね」とはにかむ名前さんに、ぐっ、と握った右拳。「楽しみにしてるで」と北さんの穏やかな声を聞いた瞬間、我慢ならないとばかりに口を開こうとしたその時、


「どんな奴なん?」

『っ、え?』

「名前さんが結婚するの、どんな奴なん?」


 不機嫌さを露に投げられた疑問。今しがた自分の口から尋ねようとしていたことと全く同じ内容を尋ねたツム。こういう所は血縁を感じざるを得ない。妙な偶然に、げっ、と顔を顰めつつ、答えを聞くべく視線は名前さんに。
 一瞬意外そうに目を丸くした名前さんだったけれど、一体何を思い浮かべたのだろうか。目尻を下げた名前さんは、綻んだ唇を、ゆっくりと、愛おしそうに動かし始めた。


『……どんな人だろうね』

「「……………は??」」

『皆から見たら、彼はどんな人に映るんだろうね』


 ふふ、と柔らかな笑みを零す名前さんに、角名と二人で顔を見合わせる。今の質問の何処に笑う要素があっただろうか。「真面目に聞いとるんですけど」と仏頂面で愚痴た侑。「真面目に言ってるよ」と答えた名前さんは、綻んだ唇で更に言葉を繋いでみせた。


『……人によっては、凄く無愛想に見える人だと思う。言葉数も多い方じゃないし、人付き合いも上手くはないかな。……でも、ふとした時に見せる笑顔が可愛いところとか、分かりにくいけど実は凄く優しいところとか、そういう部分を知ってる私には、凄く素敵な人に映るの。凄く素敵で、この先も、ずっと傍に居たいと思える人だからこそ、結婚しようと思ったの』


 顔も名前も知らない、俺たちにとっては馬の骨同然の男のことを愛おしそうに語る名前さん。最悪だ。こんな顔で、こんな幸せそうな顔で話されてしまったら、嫌でも分かってしまう。名前さんがどれだけソイツを好いているのか。ソイツが、どれだけ名前さんを大事にしているのか。嫌でも分かってしまう。
 「早くみんなにも会って欲しいな」と笑って足された一言に、押し黙った侑が目線を下へ。何も言えずにいる俺たちを他所に、北さんだけは、せやな、と笑って頷いていた。

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