涙雨【完】 | ナノ
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捌拾伍

「さてさて。お次はこちらですよ」


天童くんの茶化すような物言いに瀬見くんが小さく息を吐く。
人の世へ渡り、大将さんと再会したのはつい先程のこと。結界の歪みを正すため、協力して欲しいと申し出た私たちに、快く頷いてくれた大将さん。そんな彼がいた都内の住宅地から、今は長野の郊外へ。
星海さん達、鴎台の彼らが通う学校がある長野県。天童くん曰く、「とりあえず鸞鳥は安牌でしょ」とのことらしい。どうしてそう言い切れるのだろうか。高校への道すがら、「どうして星海さんが安牌なの?」と疑問をそのままぶつけると、だって、と口にした彼は至極愉しそうに目を細めた。


「前世とは言え、“元恋人”の頼みよ??断るなんて考えられないでしょ」

『でも……私と星海さんが愛した“彼女”は別の人間だって、彼ももう分かってるよ?』

「頭ではね。でも、それとこれとは別問題。顔も声も、魂さえも同じ人間を、簡単に別の人間だと割り切れると思う?」

『……それは……』

「それに彼、君に借りがあるらしいね??」


言葉を詰まらせた私に、質問を重ねてきた天童くん。
彼の言う“借り”とは、多分あの時のことだろう。星海さんが私と縛りを結ぼうとした際、彼の妖気が体内に入ったこと。けれどあれは、星海さんの責任じゃない。彼の妖気を受け入れたのは、私の魂に前世の“彼女”の意思が残っていたから。
「借りなんて作られた覚えないよ」と首を振って否定すると、ふーん、とまた目を細めた天童くんは、「ま、行けば分かるよ」と正面に見えた鴎台高校に目を向けた。
さっきと同じ方法で星海さん達を呼び出すらしく、再び解かれた左腕の包帯。傷口が晒された瞬間、「本当にいい匂いだよな」と瀬見くんが感心の声を漏らした。


『匂いって、離れていても分かるものなの?』

「妖は鼻が利く。特に血の匂いには敏感だ」

「苗字さん程の強い香りは中々ないけど、このくらいの距離なら、直ぐに嗅ぎ付けて、



「名前!!!!!!」



響いた声に瀬見くんの言葉が遮られる。校門の前に現れた人物に目を丸くしていると、睨むように目を細めた彼、星海さんは、一瞬で私の目の前へ。


「何があった!?なんでここにいる!?」

『っ、あ、あの、ほしうみさ、

「コイツらに何かされたのか!?その傷はどうした!?」


両肩を掴み、矢継ぎ早に問い掛けてくる星海さん。答えたいのに、彼の勢いに圧倒されて口が上手く回らない。
えっと、あの、と言い淀む私に、見兼ねた白布くんがため息混じりの声を放った。


「俺たちは何もしていない。その傷は此奴が自分で作ってもので、ここへ来たのはお前に話があるからだ」

「……話?」


怪訝げに眉根を寄せた星海さんが白布くんを見遣る。視線を受けた白布くんが頷きを返した直後、「おい光来!」「光来くん!」と焦った声で呼ばれた星海さんの名前。肩越しに振り返った星海さんは、「芽生、幸郎、」と駆け寄ってくる二人の名前を零した。


「たくっ……!苗字のことになると直ぐこれだ!!」

「いきなり飛び出して、フォローする俺たちの身にもなってくんないかな??」


やれやれとばかりに首を振る二人に、罰が悪そうに唇を尖らせた星海さん。飛び出すくらい、飛び出さずに要られないくらい、驚きと心配を与えてしまったのだろう。
外気に晒されてピリピリと痛む傷口を右手で覆う。「心配させてごめんなさい」と眉を下げて謝ると、小さく目を見開かせたのち、星海さんは緩く首を振ってみせた。


「いや、いいんだ。お前が無事なら、それでいい。……けど、なんで名前が陰陽師の式なんかと一緒にいるんだ?俺に話って一体…………」


柔らかな表情が一転する。訝しさに顔を強ばらせた星海さん。彼の疑問は最もだ。本当なら私は、宮城に、家族や友達がいる場所へ帰る筈だった。けれど、大蛇のせいでそれも叶わなくなり、及川を救って貰った代わりに、結界の歪みを正そうとする牛島くん達を手伝うことになったのだ。

星海さんの疑問に答えるため、ことの経緯とここへ来た目的を説明していく。

全てを聞き終えた星海さんは、「…なるほどな」と一つ頷くと、やけに険しい表情で天童くん達と向き直った。


「……つまりお前らは、名前を“囮”としてだけじゃなく、“緩衝材”にも使ってるわけか」

「人聞きの悪い言い方するねえ」

「本当のことだろうが」


星海さんの身体から微かに妖気が溢れ始める。「否定はしないよ」と態とらしく首を傾げた天童くん。そんな彼の反応に、星海さんから溢れる妖気が更に増してしまう。
光来くん、と咎めるように彼を呼んだ昼神さん。けれど、その声に応えることもせず、星海さんは天童くん達を睨み続けたままだ。ひりつくような空気が流れるなか、意を決して踏み出した右足。次いで左足も前へ進めると、そのまま滑り込むように星海さんの前へ。
不意に目の前に現れた私に、星海さんの妖気が僅かに和らぐ。星海さん、と宥めるように名前を呼ぶと、仕方なさそうな顔をして、星海さんは妖気を抑え始めた。


『……緩衝材でも、いいんです』

「っ、は……?」

『緩衝材でも、囮でも、なんでもいい。どんな形でもいいから、彼らに返したいんです。及川を助けて貰った恩を、返したいんです』

「……名前……」

『でも、星海さんは違う。星海さんには、“陰陽師”に手を貸す理由はない。だから、断ってくれて構いません。貴方まで危ない目に会う必要は、「わかった」っ、え…………?』


「俺もお前らに、手を貸してやる」


躊躇いのない返答に、昼神くんと白馬くんの目が大きく見開かれる。二人と同じように目を丸くさせた私に、ほらね、と天童くんはしたり顔をみせた。


「俺は“人”が好きだ。だから、人の世を守れるなら喜んで手を貸すよ。…それに、名前には借りもある。他ならぬ名前の頼みなら、断る訳にはいかねえよ」


そう言って、驚くほど穏やかに笑った星海さん。
「お前らはどうする?」と振り返った彼に、昼神さんと白馬さんが顔を見合わせる。ため息と同時に肩を落とした二人。「ま、しょうがないか」「しゃあねえなあ」と柔らかな声で答えた仲間たちに、星海さんは満足そうに笑う。
本当にそれでいいのだろうか。借りだなんて、そんな風に考えなくていいのに。
申し訳なさに眉を下げていると、ぽんっと頭に乗せられた星海さんの手。仕方なさそうに笑った星海さんは、「そんな顔すんなよ」と言ってくしゃりと髪をかき撫ぜた。


「俺がしたくてすることだ。名前は何も気にしなくていい」


あやすような優しい声に、思わず唇を引き結ぶ。
彼がこんな風に言ってくれているのは、私を気遣ってのこと。その気遣いに、星海さんの優しさに、首を振るなんて野暮にも程がある。
はい、と小さく返した頷き。それを確認した星海さんが、よし、と満足気に笑う。すると、頭に乗っていた大きな手が離れていき、ちらりと横目で校舎を確認した星海さん。視線を校舎から戻した彼は、真剣な表情で天童くんたちと向き直った。


「他の仲間にも声は掛ける。だが期待はするなよ」


言い終えたと同時にくるりと返された踵。校舎に向かって歩き出した星海さんに、昼神さんと白馬さんがため息零す。「それじゃあ苗字さん、また、」と軽く手を挙げた昼神くんに会釈で応えると、星海さんを追うように二人も校舎へ向かっていった。

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