涙雨【完】 | ナノ
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陸拾

「今の時間ならまだ月口周辺に居るはずだ!」

『うん…!』


眩い光が暖かな夕焼けへと変わっていく。急がなければ夜になり、遊女たちの商いが始まってしまう。「見えてきたぞ!」と言う木葉くんの声に皆の視線の先を辿ると、森に囲まれた場所に大きな湖が。


「月口は、月を映す湖に現れるんだ!」

『じゃあ、アレが……』


夕焼け色に染まる湖が段々近づいてくる。湖の周りには及川と国見くん、金田一くんが揃っていて、こちらに気づいた及川が何事かと目を見開いた。


「ちょ、名前…?なんでここに…?それにその格好は、」

『及川!花巻と松川はどこ!?』


遮るように声を荒らげた私に、目を丸くした及川が森の方を見つめる。「まっつん達なら森の方に行ってるけど、」とという声に、すぐ様森へと駆け出せば「名前!」と呼び止める声が聞こえたけれど、それに応える事もせず森の中を進んで行った。


『っ、花巻!松川!!!』

「!?名前…!?」

「なんでお前がここに…?」


見開く二人に駆け寄ると、男装に気づいた二人がなんでそんな格好を?と首を傾げた。


「名前、お前その着物は、『行って』」

「は………」


『椿さんと菫さんの所に、今すぐ行って!花巻、松川……!!』

「っなんでお前がアイツらの名前を…」

「まさか会ったのか?」


怪訝そうに眉根を寄せた二人が、追いかけて来た木兎くん達を睨む。花街に連れていくなんて何を考えているのか、とでも言いたげな視線に木葉くんが赤葦くんの後ろへ隠れた。


『二人とも会いたがってた!花巻と松川に会って伝えたいことがあると言っていた!!っ二人が遊女として店に出るのは今日が最後なの!だからっ……!!』


目を見張ったまま驚く二人に更に詰め寄る。急がなければ、椿さん達が別の客に呼ばれてしまう。「お願い!花巻、松川!!」と更に声を上げれば、表情を強ばらせた二人が辛そうに顔を歪めた。


「言っただろう。俺たちはアイツらに会いに行くわけには行かない」

「気持ちに応える事も出来ないのに、会いに行く資格がどこにある?」


辛そうに、苦しそうに俯く二人に胸が痛くなる。
そうかもしれない。二人は、椿さんたちの想いを受け取ることは出来ない。あんなに深く、深く愛してくれた二人に応えることは出来ないのだ。でも。

“会いたい気持ちはある。アイツらの門出を祝ってやりたいに決まってる”

“どうしても、会って直接、お伝えしたかったのですっ……”


『…花巻と松川は、椿さんと菫さんの気持ちに応えることは出来ないのかもしれない。二人だって、会えば辛くなるのかもしれない。でも、………っでも!互いに会いたいという気持ちがある!!それだけで会う理由は十分でしょ!!!』

「「っ」」


余計なお世話だと責められてもいい。勝手に花街に行ったことも後でいくらでも怒られる。だから、だからどうか今は、


『行って!!二人に会いに、行ってあげて……!!!』

「名前、」

「お前……」

『早く!!!!』


瞬間、弾けたように駆け出した二人が森の外へと向かう。あっという間に妖の姿になった二人は、黄昏の空へと飛んでいく。どうか、どうか間に合って欲しい。もう後悔のないように、過去の後悔を拭うためにも。
大きな狐が薄暗くなる空の向こうへ消えていく。息を切らしてそんな二人を見送る私を、何も聞かずに及川がそっと肩を抱いてくれた。





*****





朝焼け前の静かな空気が頬を撫でる。松川と二人で並んで羽織りを受け取り、美しい遊女たちを振り返った。


「悪いな、こんな早朝で」

「いいえ。来て下さっただけでも夢のようです。それに……待っている方がいらっしゃるのでしょう?」


穏やかな微笑みに屋敷にいる名前の姿が脳裏をよぎる。

“椿さんと菫さんの所に、今すぐ行って!花巻、松川……!!”

真っ直ぐに強く響いたその声に、気づけば二人して走り出していた。会う資格はないのかもしれない。けれど、椿と菫が会いたいと、そう望んでくれているのなら、会う理由はそれだけで十分だった。それを、気付かされた。名前のおかげで。
隣に立つ松川が穏やかに頬を緩めている。きっとコイツも、名前のことを思い浮かべているのだろう。惚れてくれた女を前にして、なんとも酷い男達である。


「……人というのは、もっと臆病なものだと思っておりました。けれど彼女は、彼女の目は、私達を真っ直ぐに映しておりました」

「なんとも不思議なお方ですね。あの、名前様という方は。………そんな方だから、お二人が惹かれたのでしょうね」


仕方なさそうにそう言って目を伏せた椿と菫。その表情がどこか晴れ晴れとして見えるのは気の所為ではないだろう。本当に名前は一体どこまで妖たちを絆せば気が済むのか。
屋敷で心配しているであろう名前の事を思い浮かべ、「行くか、」「ああ、」と松川と歩き出そうとすれば、「お待ちください」と袖を引かれ、踏み出そうとした足が止まる。


「……切り火を、打たせて頂いてもいいですか?」

「……ああ。じゃあ、頼むよ」


返事を聞いた椿と菫が嬉しそうに笑って一度店の中へ。戻ってきた二人の手には火打石が握られていて、背を向けて立つ俺の後ろには椿が、松川の後ろには菫がつく。


「この先ずっと、お二人の無事を祈っております」

「どうかお気をつけてお帰りください」


カッカッ。と石を打ちつける音がしてその音に押し出されるように歩き出す。振り向くことはしなかった。代わりに片手を上げて応えた俺たちを、椿と菫は見えなくなるまで見送ってくれたようだった。
そのまま歩いて屋敷への道を辿って行く。妖の姿に戻ればあっという間に帰るのだが、今はあの二人との別れを惜しむ為にゆっくりと帰りたい気分だった。特に何かを話すことはせず、松川と並んで歩いて行くと、屋敷に着いた頃には朝日が半分ほど山の麓から顔を出していた。眩しい朝焼けに目を細め、屋敷の戸を開ければ、その先に待っていた人物に思わず目を見開いた。


「おかえり。まっつん、マッキー」

「及川?それに……」

「…名前…?なんでここに……?」


玄関先で待っていたのは及川と、そんな及川の肩に頭を預けて眠る名前の姿だった。「少し前まで起きてたんだけどね」と苦笑いで名前を見つめる及川。その手が名前の頬を撫でようとしていたものだから、つい払いのければ恨めしそうに睨まれた。


「名前、二人が遊女ちゃん達に会えたか気になって、ずーっと玄関先でソワソワしてたんだよ」

「……そっか……心配掛けちまったな……」


穏やかに眠る名前の顔を覗き込む。きっと会えなかった時に誰かが待っててやらねばならないと思ってくれたのだろう。起きた名前に、ちゃんと会えて別れを告げたことを話せばそれそれは嬉しそうに笑ってくれるはずだ。
空いている名前の隣に腰かければ、その隣に松川が座る。そこへ羽織を持ってきた岩泉がやって来て「帰ってたのか」と少し驚いたように俺たちを見つめた。


「今さっきね」

「そうか。………会えたのか?」

「ん、まあな」


松川の返事に安心したように微笑んだ岩泉は持っていた羽織を名前の肩にかけると、及川の隣へと腰を下ろす。玄関先で何をしているのだと呆れられそうな光景だが、今はこの場所がどうしようもなく居心地がいい。


「……聞かない方がいいだろうって思ってた。マッキー達の、それも、女絡みの話に俺たちが首突っ込むのは野暮だろうって」

「気いつかって触れないでいた事くらい気づいてたよ。……けどまさか、こんな風に踏み込んでケツひっぱたいてくれるくれる奴がいるなんて思いもしなかったわ」


ふっと笑んで隣の寝顔を見下ろす。

長い時間を生きてきた。良い奴。悪い奴。色んな人間がいた。けれど、初めてだった。名前のように、美しい心を持った人間に出会ったのは。いや、違う。気づかなかっただけなのかもしれない。自分達は人間とは違うのだと、ある程度距離を持って接してきた。人と妖の世が別れてからは、尚更だ。だから気づけなかった。人の中には名前のように強く美しく生きる人間が居るということに。

“謝られるとさ、私と友達になった事を後悔してるみたいに聞こえるんだけど、私は後悔してないよ”

俺もだよ。巻き込んだことは心苦しいし、危険な目に合わせてすまないとも思ってる。けど、名前と出会い、過ごし来て時間を後悔なんて出来るはずがない。


「……やっぱダメだわ」

「なにが?」

「及川、岩泉、松川。俺やっぱ、名前が好きだよ」

「「「………は?」」」


今更何をと言うように間の抜けた声を漏らす三人。直ぐ様及川が名前の顔を覗き込んで確認すると、名前は規則正しい寝息をたてるばかりで起きる気配は全くない。


「名前には、多分一生伝えることはないだろうし、振り向いて貰おうとかそういうつもりもねえ。けど、一晩椿と話してて思ったんだ。椿は、何度も何度も“ありがとうございました”って繰り返してた。朝が来るまでの間、何度も何度も。……その代わり、一度も言ってこなかった。“慕っている”ってな」

「………菫も、そうだったよ。好きだとか愛してるとか、そういう類の台詞は一切口にしなかった」

「名前には生きてて欲しい。普通に生きて、どこにでもある幸せを掴んで欲しい。だから俺は、“妖”である以上、名前に想いは伝えない。そう思ってる。けど、知っててもらおうと思って。俺が名前を好きだったことを、こんなにも誰かを愛した心があったってことを、お前らにはさ」


俺たちの時間はまだまだ続いていく。百年、二百年。もっと長い時間を生きていくのだろう。そして多分これから先も俺はコイツらと一緒にいる。なら、コイツらに知ってて貰うくらいは許されるだろう。俺が名前を想う心があったことを。


「大丈夫だよマッキー。俺たちだって一緒だから」

「忘れたりしないし、忘れられるわけねえだろ。名前の事も、名前と過ごした時間も、」


及川と岩泉が愛おしそうに目を細めて名前を見つめる。「けど、どこの馬の骨かも分からない奴にに渡すつもりは毛頭ないけどね」と笑う及川に、それはそうだと三人揃って頷き返すのだった。

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