涙雨【完】 | ナノ
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肆拾弐

大きな大きな山、霊鷲山。妖気を吸い取るというこの山の空気は驚くほど澄んでいる。

慣れない山道を進んでいるせいか、少し息が上がる。自分の運動不足を嘆きながらも、木の肌に手を掛けながら少しずつ上へと向かっていく。この先に、あるのだろうか。いや、なくては困る。あって欲しい。でなければ、宮さんたちが私なんかに頭を下げたことも、皆にワガママを貫いてまで残ったことも無意味になってしまう。

呼吸が浅くなる。肩で息をしてしまう。今、どのくらい登ってる?あとどれだけ行けば辿り着くの?止まりそうになる足を必死で動かす。大丈夫。きっともう少し、あと少しで、

“弟を…治をっ!助けたいんや…!”

彼らの力になれると信じて。

額から滲んだ汗がつうっと頬を滑り落ちたその時。


『あ……れは……』


進行方向から差し込んだ淡い光。薄暗い森を照らすその光に少しだけ目を細めた。
ゆっくりと、1歩ずつ光の方へと進んでいく。森を抜けた先。目の前に広がったのは。


『っ…きれい……』


太い幹と長い枝。繁る緑の葉がサワサワと揺れている。なんて、大きな木なのだろう。こんなにも大きく、立派な木を今まで見たことない。ほうっと息を吐き出し、木から地面へと視線を移せば、木を囲むように一面に咲いているのは、花、だ。
木の葉の隙間から射す木漏れ日のせいか、花弁がキラキラと光っている。透明な花びらだ。まるでガラスみたい。ゆっくりと膝を折って花に手を伸ばす。

これが、この花が、妖仙花なのだろうか。

キラキラと光る花弁に触れようとしたその時。


「ここで、何してる?」

『っえ……?』


突然背後からした声。大袈裟に肩を震わせ、恐る恐る振り返れば、目に映ったのは森の方から歩いてくる1人の人物。
桑の実色の着物に、白い般若のお面をつけている。“ここ”には、宮さんたちはもちろん、人の血が混じっている木兎くんでさえ入ることが出来なかった。ならば、“彼”は、人、なのだろうか。それとも。
白い鼻緒の下駄を履いた足がゆったりこちらに向かって進められる。警戒しているのか数メートルの間を残し、ピタリと歩みを止めたその人は、お面越しでも分かるほど鋭い視線を突き刺してくる。


「…お前…人の子か……?なぜ、人間がここに…?」

『は、なを…この花を、探していて、』

「妖仙花を…?」


不思議そうに首を傾げた男。良かった。どうやらこの花は妖仙花で間違いないらしい。大きく頷き返してみせれば、怪訝そうな声で「何故だ?」と尋ねられる。


『…熄病という病気にかかった人がいて、その人を助けるためにこの花が必要なんです』

「…なるほどな。不治の病と言われているその病を治すには、この花は持ってこいだろう」


納得したように頷いたかと思うと、地面に膝をついてポキリと花の茎を折った男。彼も花を取りに来たのだろうか?と一連の動きを眺めていると、立ち上がった男が手に持った3輪の花をこちらへ。


「ほら、持っていけ」

『え、』

「これが欲しかったんだろ?」


差し出された花と男の面を見比べる。「ほら、」と促され、おずおずと花を受け取れば、男の視線が木へと移された。


「…目的が済んだのなら早くここから去れ」

『…どうして、ですか…?ここには、妖は入ってこれませんよね…?』

「確かに、結界のおかけで妖は入ってこれない。だが、この場所に長居するのは人間であろうとオススメ出来ねえな」


木へと歩み寄った男は、大きな掌で木の肌を撫でた。


「この木は、妖の妖気を吸い取る役目を担っている。そして、その膨大な量の妖気を養分として咲くのが妖仙花だ」

『妖気を、養分として…』

病は、妖気が失われていく病。対して妖仙花は木の吸い取った大量の妖気を含む花だ。病の治療薬には持ってこいだろ?」


なるほど。そういうことか。感心したように息を吐いて手の中の花を見つめていると、「だが、」と声を続けた男の手がゆっくりと木から離される。


「妖が寄ってこないからと言って、この木の側が安全なわけではない。ただの人間には、木に集められる大量の妖気は毒だ。分かったなら早く行け。妖気で気が触れる前にな」


忠告する声は低く厳しいもの。それなのに、何故だろう。怖いという気持ちが湧いてこないのは。
土蜘蛛や餓狼に感じたのは、確かな恐怖だった。けれど、今私の目の前にいる相手にはそれが一切ない。彼は、私に対しての“悪意”を持っていないのだ。
きゅっと1度引き結んだ唇をゆっくりと開く。ほんの少しの躊躇の後、発した声は、思っていたものより震えていない。


『…あなたは、人、…なんですか…?』

「………どうしてそう思う?」

『……なんていうか…悪意を感じない、というか……それに、“ここ”には妖は入ることは出来ないでしょう…?』


妖の入ることが出来ない空間に現れ、人間の、そのうえ、みんな曰く“美味そうな香り”のする私に、悪意のない彼。導き出される答えは1つ。彼は…彼も、私と同じ、“人”なのではないだろうか。
見えない顔をじっと見つめる。どこか諦めたようにふっと息を漏らした男は、お面越しに笑ったようにも思えた。


「残念ながら、俺は妖だ」

『っ…!なら、どうして……?』

「あんたの“香り”にはもちろん気づいてたよ。けど、俺は“人”を食う趣味はねえし、もしんな事したら、うちの主人に殺されちまうからな」

『しゅじん…?』


主人って、それってどういう意味ですか。
そう尋ねようと口を開こうとした瞬間、目の前の景色がぐにゃりと歪む。あれ。そう思った時には、重たくなった身体は傾き、視界は真っ黒に染まった。



***



『っ…あ、れ……?』


瞼が持ち上がる。私、どうしたんだっけ?ぼんやりとしていた意識がハッキリしてきた所で、漸く自分の状態を確認できた。
木を背もたれに地面に座り込んで眠っていた私。膝の上には妖仙花が3輪置かれている。周りを見渡せば、どうやら森の中に戻ってきたらしい。

あの人が、運んでくれたのだろうか。

般若のお面の彼を思い出し、膝の上の花を腕に抱える。ゆっくりと立ち上がり、木の方に向けてお辞儀を一礼。


『ありがとう、ございました、』


聞こえることないお礼を残し、山を降りる道を歩き出した。


「「「苗字ちゃん/さん!!!」」」


麓へ辿り着いた時には、既に太陽が沈み始めていた。気を失っている間に、なかなかに時間が経っていたらしい。青い顔で駆け寄ってきた皆に大丈夫という意味を込めて小さく笑ってみせれば、安心したようにホッと息が零される。
「遅かったから心配してたんだぜ?」と言いながらくしゃくしゃと頭を撫でてくる木兎くんに「ごめんね」と謝っていると、ふと、皆の後ろで眉を下げてこちらを伺っている視線に気づく。


『宮さん、これ…』

「っ…ほんまに、ほんまにあったん…?これで、この、花で、」

『はい。正真正銘、妖仙花です。助けてあげてください。これで、あなたの弟さんを、』


花を持った手を宮さんに差し出せば、くしゃりと泣き出しそうな顔をした宮さんの手にぎゅっと両手を握り覆われた。


「ありがとう…!ほんまに、ありがとうな…!!」


そう、何度も何度もお礼の言葉を繰り返す宮さんの手は、震えていた。

よかった。あの時、この人達のことを放って、元の世界に戻る選択をしなくて、本当によかった。

「気にしないで。それより、早くこれを届けてあげてください」と宮さんの手をそっと振り解いてその手に花を持たせる。目尻浮かんでいたものを着物の袖でぐっと拭った宮さんは、「せやなあ…!」と大きく頷くと、北さんたちと共に九尾の狐の姿へと変化した。


「治がよおなったら、改めて礼に伺うわ」


「ほな、」そう言って空へと飛び上がった北さん。それに続くようにほかの皆さんも空へ。夕焼け色の空を飛ぶ姿を見送っていると、ふと、何かに気づいたように黒尾くんが首をかしげた。


「…そういや、あれが妖仙花だって随分とはっきり言ってたけど…なんで分かったんだ?あの花が妖仙花だって」

『…教えて、貰ったの』

「は?誰に?」

『…分からない。妖だと言っていたけれど、』

「はあ!?」

『あ、でも、悪い人じゃなかったよ!倒れた私を運んでくれたみたいだし、それに、』

「「「「倒れた!?」」」」


あ、墓穴。言わなきゃよかった。
「倒れたってどういうことですか?」「妖がいたのかよ!?」「何もされなかったの…?」「本当に大丈夫だったのか!?」と、質問攻撃を受けてしまい、結局、屋敷に戻ってからも森の中であったことをねぼりはぼり聞かれることになってしまった。

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