涙雨【完】 | ナノ
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弐拾壱

目の前に広がる一面の花畑。思わず漏れた感嘆のため息に、木兎くんと黒尾くんが目を合わせて笑っている。こんな花畑、“むこう”では見たことがない。赤、白、オレンジ、黄色。とにかく色彩やかな花たちが咲いている景色に目を輝かせていると、ここに案内してくれた張本人、赤葦くんが「こちらです」と先へ歩いていく。慌ててその後を付いていくと、前を歩く赤葦くんが足を止めたのは花畑の脇の方。ひっそりとそこに佇んでいたのは、盛り上がった土にいくつかの石が積み上げられているお墓だった。


「ここが、母の墓です」


そう言って、お墓の前に膝を折って座った赤葦くん。それに倣うように彼の隣にしゃがむと、木兎くんと黒尾くんが私達の後ろに立つ。


『…手を、合わせてもいい?』

「…はい、お願いします」


返ってきた頷きに、土の下で眠る赤葦くんのお母さんに手を合わせる。目を瞑って、暫くそのままでいると、赤葦くんがそっと口を開いた。


「母の墓前で、こんなに穏やかな気持ちでいられたのは、初めてかもしれません」

『…どんな、お母さんだったの?』

「……優しい、人でした。優しくて、暖かくて、ダメなものはダメだと叱ってくれる、俺にとっては誰よりも何よりも大切な“母親”でした」

『そっかあ…』

「…母親と過ごせた想い出がある、それだけでも俺は幸せ者なのに、母について、今まで自分を責めることしかしてこなかった。…俺は、なんて親不孝者なんでしょうね」


ひゅうっと風が吹いて赤葦くんのくせっ毛がふわりと揺れる。短い髪の毛を鬱陶しそうに撫ぜ、目を伏せた赤葦くんはそのままきゅっと唇を引き結ぶ。
あ、また責めてる。そんな顔、もうしなくていいのに。
合わせていた手を離して赤葦くんの右手に触れると、彼の肩が小さく揺れた。


『親不孝者なんかじゃないよ』

「っ…」

『赤葦くんが本当に親不孝者な人なら、お母さんの事をそんな風に想う事も出来ない。だから、』


だから、もう、いいんだよ。
そんな意味を込めて赤葦くんの右手を握ると、目尻を赤く染めた赤葦くんは、小さく微笑んだ。


「…はい…ありがとう、ございます」


穏やかに笑ってそう言った赤葦くんに、後ろに立っている二人から笑い声が漏れる。
「なんで笑ってるんですか」「いやいや」「良かったなって思ってるだけだよ」と少し意地悪く笑いながらも、赤葦くんの髪をちょっと乱暴にかき撫ぜた黒尾くんと木兎くん。「やめて下さい」とその手を払いながらも、赤葦くんが何処となく嬉しそうなのは気の所為ではないだろう。
三人のやり取りを見ながら微笑ましく感じていると、ふと視界の端に誰かが立っている事に気づく。あれ?と一度瞬きをして、“誰か”に視点を合わせると、私と目が合ったその人は、不快そうに顔を歪めると、深緑の羽織を翻して歩いて行ってしまった。


「?苗字ちゃん??どうかしたか?」

『あ…今、そこに誰かいて、』

「?誰かって?」

『えっと…背が高くて、茶髪で、深い緑の羽織をはおってて、』

「ああ、二口か」


ふたくち?きょとんとしたまま黒尾くんを見ると、先程まで二口さんがいたそこを見つめたまま、黒尾くんは面倒そうに後頭を掻く。


「そ。二口堅治くん。伊達のやつだよ」

『伊達…って、舞ちゃんがいる?』

「あとは、青根とか、茂庭もいるな!」


あおねさん、は聞いたことがないけれど、茂庭さんは確かここに来て最初の日に会ったことがある。赤葦くんとはまた違った黒髪のくせっ毛をした茂庭くんの顔を思い出していると、「苗字さん、」と赤葦くんに声をかけられ「なに?」とそちらを向くと、心配そうに眉を下げた赤葦くんが少し重たそうに唇を開いた。


「…二口には、あまり関わらない方がいいです」

『え?…関わらない方がいいって…』

「月島や俺があなたを避けようとしたのは、あくまで自分自身の問題でした。でも、二口は違います。アイツは、」


人を、憎んでる


赤葦くんの声とともに風が吹いて花弁が舞う。色とりどりのそれは綺麗な筈なのに、見開いた私の目には白黒に映った。


『…どうして…その、…二口くんは、人を憎んでるの…?』

「…二口や、伊達の奴らは鬼の血をひいてるんだよ」


鬼。おに。鬼。
昔、おばあちゃんが話してくれた昔話に登場していた。小さい頃の私はその話を聞いた時、鬼を“怖いもの”だと思い込んでいた。


『…鬼の血を引いていると人を憎むことに繋がるの?』

「…なぜ、鬼という妖が生まれるのか、苗字さんは知っていますか?」


そもそも、鬼という存在が本当にいるなどと思っていなかったのに、鬼がどうして生まれるのかなんて知るはずもない。眉間に皺を寄せ、少し言いづらそうに尋ねてきた赤葦くんの問いかけに首をふると、ゆっくりと瞬きを一つ落とした赤葦くんが形のいい唇をゆっくりと動かす。


「…鬼は、人の心から生まれた妖です」

『人の、心?』

「…二口や青根が生まれたのは、人が人を憎む心のせいです」

「昔はな、呪いっつーもんが本当にあって、誰かを憎む馬鹿な人間が、呪いでその誰かを殺そうとしてたんだ。けど、もちろん誰でも呪いなんて出来るわけじゃない。普通の人間が呪いの儀式をしたところで、それは見せかけだけの“呪い”で、力なんてないんだ」

「ですが、稀に、ほんの僅かに霊力を持った人間がいます。その人間が呪いの儀式を行えば、その呪いは本物の“呪い”となる。…二口や青根は、その呪いによって、半分鬼にさせられてしまったんです」

『…そんな、ことが…』


なんとも言えない気持ちのまま、二口さんが消えていった花畑の奥をちらりと見やる。誰もいないそこに、風がふいて、ふわりと舞った花弁がなんだか物悲しい。


「…二口は、言ってました。“自分は元々ただの人間だった。だからこそ分かる。人は汚い生き物なんだ”って」

「ま、青根はそこまで卑屈になっちゃいねえが、二口はそこんとこ青根の分までひん曲がってっからなあ」


赤葦くんの言葉に頬を掻きながらそう付け足した黒尾くん。少し呆れたようなその声に、木兎くんも苦笑い気味に頷いていた。

元々は人間だったのに、人を憎んでいる二口さん。
彼は、一体どんな気持ちで、私を見ていたのだろうか。

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