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呼び方A


後部座席から聞こえてくる寝息。バックミラーに映る寝顔は、やけにあどけない。「呑気に寝おって」と迷惑そうに眉間に皺を寄せた治くん。申し訳なさに眉を下げて苦く笑えば、うーんと唸った侑くんは身体を仰向けに寝返らせた。

侑くんの実家に入籍の報告へ訪れたのが約四時間前。報告を済ませた後、お義母さん達が用意してくれたご馳走を頂き、暫く談笑したのち帰ることに。本来であれば侑くんと二人、電車を使って帰るはずが、途中からお義父さんと一緒にお酒を飲み始めた侑くんは、見事に酔ってしまったのだ。
お酒が回ってふらふらと歩く侑くん。そんな彼と電車に乗って帰るわけにいは行かず、「治、送って行ってやり」とお義母さんに頼まれた治くんに車で送って貰うことに。
車が動き出して直ぐ眠ってしまった侑くんに、治くんは心底呆れ返っていた。おそらく自宅に着くまで彼が起きることはないだろう。車の揺れを気持ちよさそうに享受する彼に、目尻を下げていると、車内に漂うアルコール独特の香りに、治くんが顔を顰めた。


「窓開けてもええ?後ろのアホのせいで俺の車が酒臭なるわ」

『どうぞどうぞ。ほんと、迷惑かけてごめんね治くん』

「苗字さんが謝ることやないけど、」


そう言って後部座席の窓を開けた治くん。ボタン一つで窓の開け閉めが出来るなんて、今の車は本当に便利なものである。私が小さい頃は手動式だったよなあ。なんて昔母が運転していた軽自動車を思い出していると、そう言えば、と思い出したように治くんが口を動かした。


「苗字さんの実家の方はええの?報告に行かんで」

『侑くんはうちにも来てくれる気みたい。でも、まずは籍に入った相手方のお家に挨拶に行くべきかなって』

「ほーん。そういうもんなんやな」

『……ところでさ、治くん、』

「?なん??」

『私、もう苗字さんじゃないよ』


ハンドルを握る治くんの目がはたと瞬く。少し気まずそうにあー、と言葉を濁らせた治くん。赤信号で車が止まると、助手席を向いた治くんは、申し訳ないとばかりに眉を下げた。


「……すんません、」

『ううん。直ぐには慣れないよね』


「意地悪な言い方してごめんね」と肩を窄めて謝ると、いいやと首を振った治くんは、バックミラー越しに後ろで眠る侑くんに目を向けた。


「あいつの嫁さんっちゅーことは、俺とは義理の姉弟になるわけやし、苗字で呼ぶんは確かに他人行儀やな。…………ツムは気に入らんみたいやけど、」

『侑くんの事は気にしないでね。いつものことだし』

「おかんやおとんやないけど、苗字さんやないとツムの嫉妬に………あっ、」

『……ふふ。やっぱり慣れないよね』


呼び方の違いに気づいて言葉を止めた治くん。しまった、と言わんばかりの顔をする治くんは何だかちょっと可愛らしい。くすくす笑う私に、「……そんな笑わんでもええですやん」と拗ねた口調で治くんが言う。
やっぱり兄弟だな。拗ねた顔もよく似てる。とは言っても、侑くんの方がもっと子どもみたいな拗ね方をするけれど。
「ごめんね」と謝りながらも、まだ少し口元が緩んでしまう。そんな私にきゅっと眉間の皺を深めた治くん。慌てて口元を隠すように手で覆うと、右隣に座る彼を伺うようにちらりと見遣った。


「よお笑うな」

『っ、え??』

「飯食うとる時も嬉しそうな顔しとったやろ」


治くんの言葉に、食事の時の自分を思い出す。ああ、と納得したように頷き返すと、口を隠していた手を離し、バックミラーに映る侑くんの姿にそっと目を細めた。


『それは、本当に嬉しかったから……。お義父さんやお義母さん、治くんと一緒にテーブルを囲んで、本当にみんなと家族になれたんだなあって思ったら、嬉しくて、』

「そういうもんか」

『そういうもんだよ』


運転席に向かって笑い掛けると、治くんが優しく瞳を細める。再び動き出した車が僅かに揺れ始めると、また侑くんは寝返りを打って、今度はシートの方に身体を向けて眠り始めた。
それにしても良く寝ている。明日は午後から練習だと言っていたし、響かないといいけれど。
肩越しに後ろを振り返り、侑くんの様子を確認する。顔が見えなくなってはいるが、気持ちが悪いとかそういうことはなさそうだ。ほっと胸を撫で下ろし、再び前を向く。「手のかかるヤツやな」と深いため息を吐き出した。


『家に着いたら水飲んでもらわなきゃ』

「その前に、叩き起して家まで連れて行かな。マンション借りて住んでるんやったな?」

『うん。同棲してた時の部屋にそのまま住んでるの』

「自分の足で歩けるんならええけど……寝惚けとったら、俺が引き摺って連れてくわ」

『よろしくお願いします』


ぺこりと頭を下げてみせれば、「しゃあないな」と小さな笑みが返される。治くんって、なんだかんだ言いつつ世話を焼いてくれるんだよね。付き合う前におにぎり宮で会った時も、侑くんの事を知りたいと私が一人で訪れた時も、そして今日も。元の面倒見がいいのか、それとも兄弟への情が深いのか。どちらにせよ、侑くんにとっては有難い存在に違いない。
ふんわり微笑んで治くんの横顔を見つめる。少し見過ぎたせいか、「……どうしかたん?」と居心地悪そうに治くんが身動ぎした。


『いいなあと、思って、』

「?なにが?」

『侑くんと治くんが』

「は……?」


間の抜けた声を漏らす彼に、思わず顔が綻んだ。


『前に治くん言ってたでしょ?侑くんは人に嫌われる事を厭わない人だって。でもそれって、治くんがいつも傍にいてくれたからじゃないかな。ずっと一緒にいて、切っても切れない強い絆で結ばれた兄弟がいる。それって凄く心強いことだと思う』

「強い絆て、腐れ縁の間違いやろ。兄弟なんやから切っても切れない関係なんは当然やわ」

『それはそうかもしれないけど……。でも、兄弟だからって皆が皆、こんな風に世話を焼くわけじゃ、ないんじゃないかな?』


運転する横顔に掛けた声は、随分と柔らかいものになった。
治くんの目が僅かに見開く。ちらりとバックミラーを一瞥した治くんは、気恥しそうに少し唇を尖らせた。


「……世話なんて焼いてないわ」

『焼いてるよ。今日もそうだけど……初めておにぎり宮に行った時も、侑くんがどれだけ本気で私と向き合おうとしているか教えてくれた。私が突然押し掛けた時も、侑くんを呼んで気持ちを伝える機会を作ってくれたよね?』

「うじうじしとるアホを見るんが嫌やっただけやし」

『それでも結果的に、私と侑くんが付き合えたのは治くんのおかげだよ。治くんが侑くんを本気で面倒だって思ってたらこんな風に面倒見てくれない』

「……本気で面倒やと思うてるし。ツムなんて腐れ縁の兄弟に過ぎんし」


不満げに顔を顰めた治くん。どうやら機嫌を損ねてしまったらしい。野暮なこと言ったかな。
苦く笑って視線を前へと戻す。フロントガラスの向こうには数台の車が列になって止まっていて、その列に並ぶように治くんも車をゆっくりと停止させた。


『……渋滞かな?』

「やな。事故かなんかあったんやろ」

『みたいだね』


進みが遅くなったせいか、少しの沈黙が気になり始める。やっぱり変なこと言わなきゃ良かった。気まずさを払拭するため、何か話題はないかと周りの景色に視線を走らせる。けれど、特に話の種になりそうな物は見つけられず、せめて侑くんが起きてくれればなあ、とバックミラーを見ようとした時、


「羨ましがるもんでもないで」

『っ、え?』

「手のかかる兄弟がおるなんて、手間と面倒が掛かるだけやし」


きょとりと瞬かせた瞳で治くんを見つめる。ゆるりとこちらを向いた治くんは、微かに目尻が赤くなっている。
手間と面倒が掛かる手のかかる兄弟。聞きようによっては、侑くんを疎ましく思う言葉にも取れるかもしれない。でも今、今治くんが口にした言葉には、疎ましさなんて一切ない。憎まれ口の中には、はにかみと確かな愛情が感じられた。
照れを隠すように、再び前を向いてしまった治くん。穏やかに眠る侑くんを見、次いでもう一度治くんの横顔を見つめる。胸の奥から込み上げて来たような笑顔を溢すと、前の車が少しずつ進み始め、続くように治くんも緩くアクセルを踏んだ。


『……やっぱりいいな』

「……良くないて言うとるやろ」

『うん。……でも、やっぱりちょっと羨ましいよ。友達でも、恋人でもない。切っても切れない“腐れ縁”の兄弟だとしても………別々の道に進んだ後でも、支え合ってる二人が羨ましい。だから私も……早く治くんと、“姉弟”になりたいな』

「……なんやそれ。ほんとなんなん、苗字さん、」

『あ、また、』

「っ、ほんとなんなんっ、名前さんっ……!」


わざわざ言い直す治くんに笑い声が漏れる。くすくす笑う私を、治くんはしかめっ面で睨んで来る。スムーズに動き出した車の流れ。それに合わせて、自分達が乗る車のスピードも上がっていく。
決して広くはない車内。鼓膜を揺らすのは、侑くんの穏やかな寝息と、自分の口から零れる笑い声だけだ。むすっとした顔で耳先を赤く染めた治くん。侑くんとよく似た拗ねた横顔に、微笑ましさから目尻を下げたのだった。


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