――味噌ラーメン食べたい。
 コンビニのロゴが入ったレジ袋を両手にぶら下げて膝丸がやって来たのは、ひとり言とも取れるような要求を送りつけてから二時間ほど経った頃だった。
 付けっ放しにしていたテレビでは若手のニュースキャスターが興奮気味にナイターの試合結果を伝えている。節電モードにしていない旧型のテレビは昼間のワイドショーから休むことなく働いていて、つまりわたしも半日以上ベッドの上で何もせずにうだうだと過ごしていた。

「すぐ食べるか?」
「うん。お腹すいた」

 学生時代から住み続けている八畳のワンルームはシングルサイズのベッドとローテーブル、カラーボックスを並べただけの簡易本棚と冷蔵庫とテレビですでにいっぱいいっぱいだ。部屋の隅に申し訳程度に備え付けられたキッチンは膝丸が立つと小ささが増して見える。背の高い彼が限られたスペースでも手際よく鍋に水を計り入れコンロにかける様子を相変わらずベッドの上からぼうっと眺めていた。
 ガスやIHと違って、年代物の電気コンロは温まるまでに時間がかかる。膝丸もそれを知っていて、レジ袋から取り出したビール缶のタブを引いたのだろう。ゴクリゴクリと音を立てながら上下する喉仏と、骨張った長い指を伝う水滴がやけに生々しく目に映る。

「別れた……いや、違うな。振られたか」
「言わないでよ馬鹿」
「馬鹿は君の方だ」

 キッチンに凭れた膝丸の薄緑色の頭のすぐ上で換気扇が回っている。膝丸は煙草をやらないが、同じ場所に立っていたあの人の姿と重なって視界がゆらゆらと揺れた。
 いつも、ほんの少し前までわたしの体を這っていた唇から白い煙が吐き出され、換気扇に吸い込まれていくのをここから見ていた。
 もっとも、換気扇とあの人の頭の間にはもっと距離があったはずだし、膝丸のように穏やかな表情でこちらを振り向いてくれることなどなかったのだが。
 あっという間に手元のビールを飲み終えた膝丸がシンクに空き缶を置き、またレジ袋の中に手を突っ込む。二本目かと思えば、出てきたのは黒いラベルのビール缶よりも一回り小さい黄色い缶だった。

「それ、コーン?」
「ああ。バターもある」

 鍋のお湯がふつふつと音を立て始める。自慢げにバターを取り出した美しい顔の男が見た目にそぐわない狭いキッチンに立ち、慣れた手つきでインスタントラーメンを煮ているのは面白かった。彼には料理不精で大食いの五つ歳の離れた兄がいて、一緒に暮らしていた時はよく夜食を作ってあげていたと聞いたからその影響かもしれない。世話焼きなのだ。
 ふと、何度この部屋で膝丸に世話を焼かれただろうと考える。
 今日のように過去の彼氏と別れた時は、一晩中怨み節に付き合いながら思い出のつまったものやプレゼントにもらったものの処分を手伝ってくれた。仕事がうまくいかずに落ち込んでいた時は親身になって解決策を探してくれたし、実家で飼っていた犬が亡くなった時には一緒に飼い犬の写真を集めてアルバムを作ってくれた。
 傍にいてくれる彼に感謝こそしていたものの、そこまでする理由については考えたこともなかったし、わたしはわたしで弱っている時に傍にいてほしいと思うのが膝丸という男であることに違和感を抱いていなかった。
――世話焼きだから?
 本当にそれだけが、恋人でもない、ましてや兄弟でもない男と女が頼り頼られる理由になるのだろうか。
 なんとなく続いている腐れ縁なんてものは気恥ずかしさを誤魔化すために名付けたもので、実際には消えないように意図的にそれぞれが繋いできた縁だったのかもしれない。
 こんなことを言ったら膝丸は笑うだろうか。傷心した女の戯言だと。本当のところ、あれこれ考えたことが全てこじつけで、寂しさを埋めるためなら誰でも良かったとしても、今は膝丸がいい。ここに居てくれるあなたがいい。

「膝丸だけだよ、離れていかないのは」
「君は男を見る目がなさすぎるんだ。いつもいつも、選ぶにしてももう少しマシなのがいるだろう」
「……例えば膝丸とか?」
「ほら、できたぞ」

 二人分の器が並べられて、わたしはやっとベッドから這い出した。這い出すと言っても狭い部屋の中だ、一歩先にはテーブルがある。
 真っ白な湯気が立ち上るラーメンは味噌の香りで、一日何も食べていなかったわたしの胃を誘惑する。溶けて形を失いつつあるバターと乱雑に乗せられたコーンの他に具材はないが、かえってそれが夜食らしくていい。
 テーブルの角を挟んで座った膝丸が二本目のビールを開けるのを待ってからいただきますと手を合わせた。あたたかいスープが涙で水分を失った体に染みていくようだった。



 ニュースのスポーツコーナーはいつの間にか深夜のバラエティ番組に移り変わり、名前も知らない芸人たちが女性関係について下品なトークを繰り広げている。チャンネルを変えようかとも思ったが、リモコンが膝丸の向こう側、床に転がっているのを見つけて諦めた。
 わたしは別にそういう話題も嫌いではないし、アルコールが入っていつもより機嫌の良さそうな膝丸も時々思い出したように小さく笑うから、彼の人柄から周りが想像しているほど潔癖でもないんだろう。
 膝丸が買ってきた六缶パックは早々になくなってしまい、今は酒と調味料のみを冷やしていた冷蔵庫から梅酒を出してちびちびと飲んでいる。ラーメンを完食してシャワーを済ませた後は無口だった。

「そろそろ寝よう」

 なんとなく重たくなりつつある空気の中で先に口を開いたのは膝丸の方だった。
 お互いめっぽう酒に弱いわけではないが、特別強いわけでもない。いくら休日とはいえ、このままだらだら飲み続けて潰れてしまうより前に寝てしまうのがいいだろう。
 こんな時でも膝丸は床で寝るつもりらしく、テーブルを部屋の隅に押しやって体を横たえるためのスペースを作ろうとしていた。値段重視で買ったシングルベッドは狭く、わたし一人が転がっただけでギシリと音を立てる。しかし寝ようと思えば二人でも寝れるのだ。膝丸の長い脚は少しばかりはみ出してしまうかもしれないが。
 ここ最近で一番の勇気を振り絞り、粗末な寝床を作り終えて電気を消そうと立ち上がった膝丸の腕を思い切り引っ張った。勢いよく離された電気のコードがばちん――と音を立てて暗闇が訪れる。腕を引く力が足りなかったのか彼がベッドへ倒れ込むようなことはなかったが、床へ戻ろうともしなかった。
 ゆっくりと二人分の体重を乗せられたフレームが壊れるからやめてくれと言わんばかりにギィギィと悲鳴をあげる。

「もう少し端に寄ってくれ」
「無理だよ。壁ギリギリだもん」
「仕方ないな」

 ふいに肩に手をかけられたかと思うとぐるりと体をまわされ、気がつけば膝丸の腕の中にいた。異性に抱かれているのに心臓が早鐘を打ったり頬が熱くなるようなこともなく、まるでこうするのが当たり前のように自然な流れでおさまっている。健全な男なら下心があって当然だが、膝丸はあくまでも硬派だ。今日はきっとこのまま朝まで眠るのだろう。

「さっきの話だが、俺は、君が俺を選んでくれればいいと思う」
「膝丸、酔ってるの?」
「酔ってる。酔ってはいるが本心だ。君をずっと、近くで見てきたんだ」

 そう言い切った膝丸は満足したのか、ふうっと大きく呼吸をして眠気に逆らうのを諦めたようだった。
 しばらくは首の血管が脈打つ様や、厚い胸板が呼吸に合わせて動くのを見ていたが、人肌の心地よさに勝つすべはなく、しっとりと筋肉のついた腕の上で枕にちょうどいい位置を探し当てて目を閉じる。ようやく正しい形を、あるべき姿を見つけたような、そんな気がした。

「わたしも酔ってるなあ」


18/08/21

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