捧げ物 | ナノ

春の海

「…………はぁ」
『…………はぁ』


片や飛行機の搭乗口から出てきた私の口から、片や私の腰に付いているボールの中から。お互い息が揃ったため息が流れた。


「楽しみじゃの、ハル!ひねくれ化け狐は何故ため息など吐く!」
『俺とこいつに対する態度の違いはなんなんだ』
「……翠姫らしいね」


その中で唯一、私の手を取り嬉しそうにはしゃぐ翠姫だけが楽しそうにしていた。ガヤガヤと沢山の人が行き交うこの場所は正直言って苦手だし、人酔いする。今私たちのいる場所はシンオウ地方のコトブキ空港。早くこの場所から離れたい一心で、目的の人物を探す。


「……いた」


空港内にセットされているナエトル・ヒコザル・ポッチャマの像が可愛らしい噴水広場の前でソワソワとしている私と真逆の黒髪を靡かせた彼女の姿。「ユイー!久しぶりじゃの!」と翠姫が真っ先に駆け寄って、ユイが驚いた様子で抱き留めた。


「わっ、今日も可愛いね翠姫ちゃん!……あっ、ハルもいらっしゃい!疲れなかった?」
「……人気が多くて今すぐ帰りたい」
「あっはは……ようこそ、シンオウ地方へ〜!」


腕を大きく広げ、ガイドのようなことを言っているユイ。何をやってるんだかという意味を含んだ目で見つめ、周りを見渡す。すれ違う人たちが連れているポケモンはマメパトやミネズミとはまた違う、ビーバーやムクドリのようなポケモンだった。……うん、やっぱりイッシュでは見かけないポケモンばかりだ。


(……まさか私がこんな所まで来る羽目になるなんて)


事の始まりはそう、あの子たちとサンヨウシティで出会ったあの日に遡る。




◇◆◇




「ご馳走様でした」
「んー、美味かったな!」
「まんぷく〜」
「流石にバトルは挑めなかったか……ちっ」
「舌打ちしない。……デザートのアイスが一番美味しかったな」
「碧雅はいつもアイスが一番でしょ」


ある日、ふとしたきっかけで知り合うことになったユイとその仲間たち。……ユイ本人は友達だと言ってるみたいだけど、私としては見知らぬポケモンと知り合えたことのほうが収穫だった。

ユイが偶然持っていたサンヨウレストランの食事券を1枚分けてくれて、食事を共にすることなった。レストランを後にし各々が食事の感想を話し合う。彼女の手持ちの一匹かつ、紫闇と同じ色違いの個体の璃珀がこちらの様子を伺いに来た。


「ハルさんはどうだった?結構人が多かったから疲れたんじゃないかい」
「……人は多かったけど、料理は美味しかったよ」
「それはそれは。紫闇くんの分もテイクアウトできたから、落ち着いた時にでも食べたらどうかな」


紫闇はレストランのあまりの人混みようにウンザリしていたようで、ボールから一度も出ることなく食事が終わってしまったのだ。紫闇の入っているボールが小さく揺れた。


『……お前たちは随分とお人好しだな』
「そうかな?ならきっとご主人の人柄がそうさせてるのかもしれないね」
『……ちっ』
「わらわはユイが好きじゃぞ!手持ちが全て男なのだけが難点なのじゃが……」


翠姫は相変わらずそこが気になるみたい。まあ、あの子の経緯を知れば無理もないけど。そこは璃珀も理解してるみたいで、必要最小限の関わりに留めてくれている。


「貴様ら男とは本来近づきたくもなく、ハルに近寄ることも許し難いのじゃが……ユイの手持ち故、ハルも認めておるが故、手を出さぬのじゃ。有難く思うが良い水大蛇!」
「あはは、晶くんとはまた違ったセンスをお持ちだね」
「ぐぬぬ……全く意に介さぬところがまた気に食わぬ!」
「翠姫、落ち着いてね」


ヒートアップしてくる翠姫を宥め、璃珀からテイクアウトの品を受け取る。今回こうして新たなポケモンとの出会いができたのも、普段は行けないレストランで食事の機会が取れたのも、微妙に認めたくないけどユイのおかげではある。一応お礼くらいはと声をかけようとしたところで、前方を歩いていた彼女たちが止まっていることに気づいた。


「道の真ん中で止まってたら迷惑になるよ」
「あっごめん。あそこで何かやってるみたいで気になったんだ」
「くじ引きのようですね、料金を払えば誰でも参加できるみたいです」


サンヨウシティのPC前にくじ引きの会場が開かれているようだ。参加料金は高めだけど、その分当たりの商品が豪華みたいでかなりの列を生している。参加賞は……リボン?


「あれはリゾートエリアのリボンシンジゲートのゴージャスリボンですね。なるほど、リボンシンジゲートがイッシュ地方に出張してるという訳ですか。この人の多さも納得です」
「リボン……?」
「高級リボンやエステを取り扱ってる施設だよ。本来なら会員制らしいけど、イッシュ地方にまで赴いて制限を設けてないってことは宣伝も兼ねてるんじゃない」
「お前は妙に詳しいな。……どうするんだちんちくりん」
「え、私?折角なら参加しても良いと思うけど……」
「ぼく、やりたい。リボンきらきら〜」
「白恵がやりたいってよー。案外すげぇの引き当てそうだな」


どうやら白恵が参加するみたいで、ユイたちが列に並ぼうとしている。「ハルはどうする?」とユイが私に尋ねてきた。正直言えばこんなにたくさんの人間がいる所、早いとこ去りたいものなんだけど。

じー、と目の前の会場を物珍しそうに見ている翠姫を見て、小さく息を吐く。


「やってみる?翠姫」
「!良いのか!?」
「いいよ、碧雅たちがいるから人に囲まれることは無さそうだし」


前と後ろをユイの仲間たちに囲んでもらって並ぶ。そしてあっという間に私たちの順番になった。「おさきにどーぞ」と白恵が譲ってくれたので、翠姫が意気揚々とくじ引きに挑んだ。


「いでよっ!……して、わらわは何が貰えるのじゃ!?」
「お待ちくださいねお嬢さん。……残念ですが今回はこちらになります。またご参加くださいね」
「なぬっ!」


翠姫の手に渡されたのは参加賞のゴージャスリボン。でも本来なら手に入らない代物みたいだし、当たりに分類されるんじゃないかな。
そして白恵がくじを引き、店員が中身を確認すると、大きく目を見開いた。そして大きな声で「おめでとうございます!」と高らかに祝福をした。


「シンオウ地方の高級ホテル、グランドレイク1泊2日の旅行券が当たりました〜!」
「やった〜ぱちぱち〜」
「相変わらずの棒読み。でもおめでとう白恵!」


……図鑑でトゲピーは“幸せのシンボル”とされていると説明があったけど、本人の運もここまで高いとは。


「ぬっ、まさかこやつが当たりを引くとは……!」
「おめでとう、白恵」
「ありがとうハルちゃん。じゃあ、はい」
「……?」


白恵が差し出したのは先程当てた旅行券。私にくれるってこと?


「悪いよ。私は大丈夫だから白恵が使って……」


と言いかけて思い出した。そうだ、ユイたちはシンオウから来たんだから、このチケットはホテル部分を除けば彼女たちが持っていても仕方ない。碧雅が白恵の背後からチケットを覗いて、「あ、グランドレイク」と呟く。そしてユイと同じ青い目で私とチケットを見比べた。


「いいんじゃない、シンオウに来てみたら。ここ一度泊まったけど、ホテルという名のコテージで部屋が別れてるからそこまで“人”に出会うことは無いだろうし」
「えっ、泊まったことあるんだ?」
「今回のレストランの食事券をくれた子に、宿泊優待券を貰って泊まったんだよ。……あっ、そうだ!」


ユイが良いことを思いついたと目を輝かせ私の方を見た。


「グランドレイクの近くにノモセシティっていう街があるんだけど、そこには沢山のポケモンが住む大湿原があるんだって。ハル、他所の地方のポケモンに興味があるみたいだし、折角だから来てみたらどうかな?……あ、勿論無理にとは言わないよ、紫闇君のこともあるし」


私と紫闇が人間不信なこともあってか、ユイが眉を下げつつ控えめに提案する。けれどその内容は私にとって魅力的であった。
……碧雅も言っていたようにグランドレイクがちゃんと個人のプライバシーが守られてるコテージなら、紫闇もゆっくり休むことが出来るかもしれない。翠姫も見知らぬ地方に興味津々のようだし。
白恵の小さな手からチケットを受け取った。


「……ありがとう、白恵」
「うん、どういたしまして」
「わぁ!それじゃあ行く日取り決まったら教えてね!」
「……は?」


まるでユイも一緒に着いてくるような口ぶりに思わず低い声が出た。


「別にアンタに来て欲しくないんだけど」
「えっ、そうだったの!?私てっきり一緒に行くものだと思ってた!」
「…………。」


私は一人で行く気だったんだけど。その後に続くのはユイの仲間たちだった。


「俺たちシンオウ旅してるからさ、道案内できるし」
「はい。ハル様の手持ちはこちらの私たちと同様、シンオウでは珍しいので。悪い輩に目を付けられると大変ですしね」
「それにハルさんたちはまだ旅を始めたばかりのように見受けられる。紫闇くんや翠姫ちゃんを危険に晒す可能性は少しでも低くした方が良いと思うけど」
「……という事だ。それに見知らぬ人間よりもまだ知り合いであるちんちくりんに案内された方が、お前も少しはマシなんじゃないか」
「…………。」


こうも理由を色々と言われてしまえば、私は首を縦に振ることしかできない。でも、彼らに迷惑をかけるのは……。


『……不服だが俺もコイツらと同意見だ。俺たちはパーティとしてはまだ発展途上だ。慣れたイッシュならともかく、未知の場所に赴くならば現地を知っているかつ戦力が多いコイツらと共に行動した方が良さそうだが』
「……紫闇」
「…………決まりみたいだね」


彼の後押しもあり、こうして私の初めてのシンオウ地方旅行にユイたちが混ざることになったのである。




◇◆◇




「……って、アンタと緋翠だけなの?」


噴水広場にいたのはユイとその隣で慎ましく控えている緋翠のみ。


「はい、他の仲間にはノモセシティで待機して食事の用意をしていただいてます。私たちは先にグランドレイクでチェックインをしてからノモセシティに向かう形になりますね」


緋翠に「こんにちは」と微笑み挨拶をされ、私の後ろに隠れて小さく威嚇していた翠姫が疑問符を浮かべ顔を出した。


「じゃが、ノモセシティまではどうやって行くのじゃ?あの空飛ぶ機械の中でハルとガイドブックを読んでおったが、ここからだと距離が結構あるように思われたのじゃが」
「そこはね翠姫ちゃん、うちのエスパーの出番なんだよ!」
『どうでもいいが早くしろ。ここは人が多くて嫌になる』
「……それもそうだね、それじゃあ外に出てグランドレイクに行こう!」


ユイの先導で空港の外に出て、人気の無い裏通りに進む。すると緋翠が原型のキルリアの姿になり、ユイと軽く目配せをしていた。初めて生のキルリアを見たけど、本当に人間の女の子みたいだ。


『ハル様、僭越ながら翠姫をボールに戻していただけないでしょうか』
「翠姫を……?分かった」
『ハルに何かしたらわらわが承知せぬからな!』
『はい、勿論』
「それじゃあハル、緋翠の周りに立ってね」


言われるがまま緋翠の側に立ち、緋翠が手を合わせ集中するのが感じられた。そして空間がぐにゃりと曲がり、不思議な浮遊感に襲われたと思った次の瞬間、私は見知らぬ建物の目の前に立っていたのだ。


「……な、……え……!?」
『……ふぅ。無事に到着出来ましたね』
「緋翠ありがとう。疲れたでしょ?ボールの中でゆっくり休んでね」
『お気遣いありがとうございます、マスター』


呆然としている私を心配してか、翠姫がボールから飛び出てきた。


『ハル!大丈夫か!ケガとかしておらぬな!?』
「大丈夫だよ翠姫。……今のは、何?」
『テレポートだ。一度行ったことのある場所を移動できる技になるが……この距離を移動できるとはな』
「“テレポート”……」


ポケモンの持つ力を改めて実感させられた気がする。目の前の建物の看板を見ると、グランドレイクの受付を担当している建物のようだった。あまり人と関わることをしたくない私に代わりユイが受付の対応をしてくれたのは正直言って有難かった。
渡されたルームキーのプレートに書かれたコテージに向かい、荷物を降ろす。「わらわとハルの城じゃー!」と翠姫がベッドではしゃいでいる。紫闇もいるからね。

そして一息つきノモセシティ向かおうとコテージを出た時だった。


「あら、ユイ。こんなところで会うなんて奇遇ね」
「あ、ティナちゃん」


突然ユイに話しかけてきた水色のウェーブショートが特徴的な女の子。どうやらユイの知り合いみたいだけど、私は無意識にため息が零れた。


「紹介するよ、私の友達のティナちゃん。実はこの前のサンヨウレストランのチケットをくれたのもこの子なんだよ」
「……どうも」


視線をつい逸らしてしまい、ティナという少女は不思議そうに首を傾げている。翠姫が目を輝かせティナを見つめていた。


「お、女子じゃ……!ユイにもちゃんと女子の友達がおったのじゃな。わらわは翠姫と言う。この女子はわらわのトレーナーのハルじゃ。よろしく頼むぞ、ティナとやら」
「トレーナー……?ということは、あなたもポケモンなのね」
「あなた“も”……?」
「ああ、この姿だと人間と思うわよね。あたしもポケモンで……ちょっと種族は明かせないわ、ごめんなさい」


種族を明かせない……?困り顔でそういう彼女に詮索はしないけれど、なにか理由があるのだろうか。でも彼女がポケモンだという事実に変わりは無い。

ティナも一緒にノモセシティに来てくれることになり、道中隣に並び舗装された道を進んで行く。


「さっきは失礼な態度をとってごめんなさい。翠姫から紹介があったけど、私はハル。……その、レストランの食事券、ありがとう。君がくれたんだね」
「ユイはもう1枚をあなたにあげたのね。ということはイッシュ地方からの方?遠方からご苦労さま」
「ありがとう。……実は私の仲間、翠姫の他にもう一匹いるんだ」


そう言って人気が無いことを見計らって、紫闇をボールから出す。紫闇の身体を見たティナが小さく目を見開いた。


「……そう。あなた、苦労したのね」
『……もういいだろう。俺は戻る』
「ごめんね、出てくれてありがとう」


紫闇を見ただけで彼のこれまでの境遇を察したのか、ティナの目は悲しみの色を宿していた。


「色違い。……あの子と同じね」


そう小さく呟いた彼女は、紫闇を通して何を思い浮かべていたのだろうか。




◇◆◇




「あれ、師匠じゃん!?」
「こんにちはお前たち。トレーニングはサボってないかしら?」
「な、何故怪力女がここに……!」
「相変わらず口の減らない男ね。こおりのキバを喰らわせてその口を閉じてあげましょうか」


お淑やかに微笑みながら発するオーラは堪らず身震いするものがある。ノモセシティに着いて待ち合わせ予定のPC前で他の仲間たちと無事合流を果たした。紅眞とティナは師弟関係にあるんだね。ティナに正しく90°一礼している紅眞を見た翠姫が「男を従えておるのかティナ!」と尊敬の眼差しでティナを見つめていた。


「それじゃあ紅眞くんのご飯を食べたあと大湿原に向かおうか。姉さんも来る?」
「……そうね。今日は特に予定も無いし」
「なーちゃんもいっしょだー」


それぞれが席に着き、いただきますと食事が始まる。
……ポケモンの作ったご飯を食べるの、初めてだ。味は大丈夫なんだろうかと不安になったけど、その不安は一口食べた途端消え去った。


「……美味しい」
「まこと美味よ……!これを作ったのがあの脚長軍鶏とは信じられぬ」
「へへっ、紫闇も良かったら食ってくれよな!」
『……悪い物は入ってなさそうだな』
「毒なんて入れねぇって」


クンクンと匂いを嗅ぎつつ、紫闇も一口食べてくれた。何も言わないけど食べるスピードは落ちないから、お気に召したんだろう。


「いつも君が料理してるの?ポケモンフーズとかじゃなくて?」
「おう。ユイも手伝ってくれる時あるし、元々料理は好きだし」
「……でも、」


“君たちの食事を用意するのは私たちの務めじゃないか”

そう言おうと思って口を噤んだ。私は以前、チョロネコとのバトルでも私の感情だけで彼に攻撃することを一度拒んだ。チョロネコ自身の気持ちを考えていなかった事があった。

今だってそう。“ポケモンに食事を作らせている”と思ってしまったけど、紅眞自身は笑って楽しそうにみんなが食べている様子を眺めている。私がカルチャーショックを感じただけで、彼が本当にそうしたいからそうしているんだ。そこに水を指すのは違うし、私だって本意ではない。ポケモンにだって感情があり、こうしたいという欲がある。私の価値観だけで判断してはいけないんだ。

なら、今の私にできることは……──


「……本当に、美味しい。ありがとう紅眞」


こうして彼に、作ってくれたお礼を伝えることなのだろう。


「いーってことよ!」


にひひと嬉しそうに笑った紅眞の顔が、印象的だった。




食事を終え、ノモセ大湿原にやって来た私たち。人が多いということで二手に別れ、私の方にはティナとユイ、晶が来ることになった。


「じゃーねー」
「それじゃあまた後で」
「何気に俺たちも大湿原初じゃん!」
「……あのメンバーに晶混ぜて大丈夫な訳」
「じゃんけんで決めたのですから……でも、マスターが心配です」

「緋翠がこの世の終わりとでも言いたげな顔で見てるわね、晶を」
「僕がそんなに信用ならないかひっつき虫。安心しろ、流石に大湿原のポケモンにバトルは挑まん」
『……はぁ、そういう事じゃねぇだろ』
「むむむ……綿毛鳥とひねくれ化け狐か……仕方あるまい」
「わーすごい、あれ電車かな?」
「……ここが、大湿原」


入口のゲートを通り、拓かれた大湿原はその名の通り、広大な湿原だった。湿地で足場が悪いからか人の足では時間内に全てのエリアを回ることが難しいからか、前方に列車が設備されていて、行きたいところを選べば自動で発進してくれるらしい。

とりあえず、一番北のエリアに向かうため列車に乗る。翠姫が我先にとスイッチを押した。


「おぉう。走る、走るぞ!」
「あら、向こうに璃珀たちがいるわね。手を振ったら気づくかしら」
「晶、どうして手すりに掴まってるの?……もしかして突然動きだしてビビったとか」
「そ、そんな事あるか!これはバランスを崩して転びかけただけだ!」
「どちらにせよ情けないことに変わりないではないか綿毛鳥。貴様はそのまま腰を抜かして手すりに掴まり続けるのが似合っておるぞ」
「貴様……ぼうふうを喰らわせてシンオウの未踏の地へ吹き飛ばしてやろうか」
「ほぅ?ならばわらわはたつまきを喰らわして貴様の目を無様に回させ他の男共に見せつけてやっても良いのじゃぞ?」
「2人とも、喧嘩しない」
『……おちおち寝れやしないな』


この2人、相性最悪。どこか似ている部分もあるからか、犬猿の仲ってやつだ。翠姫も晶も“売り言葉に買い言葉”って表現が似合うし。

するとコホンとティナが小さく咳払いをする。お前たち、と少し低い声でティナが呟くのを聞いた晶の背中が強ばった。


「……あたしを怒らせないことね。事と場合によっては、あたしは身内でも容赦しないわよ」
「ま、まずい。今すぐしおらしくなれ草蛇娘」
「わらわをそのような名で呼ぶな無礼者!」
「翠姫」


にっこりという表現が似合う、麗らかな笑み。けれど何故だろう、背後から恐ろしいものを感じるのは。翠姫もそれを感じ取ったようで、びくりと身体が跳ねた。


「お願いね。あたし、怒りたくないの」
「……わ、分かっておる……。わらわも楽しい旅行を台無しにしたくないのは同じじゃ」
「さっすがティナちゃん。かっこいー」
「……アンタの周りって、個性的」


その後、あの2人は言い合いをすることも無く、私たちは至って平和に大湿原を堪能することができたのであった。




「ふーっ……流石に疲れた」


列車から降りて草むらや沼地に住んでいるポケモンと戯れて、一息。いつの間にか空がオレンジ色に染まっていて、体験の終了時刻が近付いてきていた。大湿原の高台に登って、夕焼け空を眺めながら触れ合ったポケモンたちを振り返る。
ウパー、グレッグル、マスキッパ、ヤンヤンマ、マリル……他にもたくさんのポケモンがいたけど、流石に種類が多くて全部覚えきれなかった。


「あ、ハル!ここにいたんだ!」
「……アンタ」
「お隣失礼しまーす」


よっこいしょと私が返事をする前に隣に腰掛けてきた。よく見ると服の端に泥が付いていて、ユイもポケモンと触れ合ってきたのかと何の気なしに感じた。


「ねぇどうだった?楽しかった?」
「……まぁ、暇潰しにはなったかな」
「あっはは!晶みたいなこと言ってるー」


……本当に、この子はどうしてこんなに私に笑いかけるんだろう。どう見たって私、嫌な態度とってるだろうに。


「ハルの手持ちは、今は紫闇君と翠姫ちゃんの2人だけだよね?」
「だから何」
「……ううん。これから、ハルの仲間になるポケモンたちは、どんな子なのかなーって」
「…………。」
「ハルの事情は勿論、紫闇君や翠姫ちゃんの事も受け止めてくれる、優しい子が仲間になってくれるといいね」
「……アンタにそんな事言われる筋合い無い。私の仲間は私とそのポケモンたちが決めるんだから、放っておいて」
「そりゃそうだね。……私ね、ハルが初めて自分のことを話してくれた時、ちょっと嬉しかったんだよ」


海のように深く青い目が優しく開かれる。夕焼けの光に照らされたその色は、不覚にも綺麗だと見とれさせた。


「ハルがちょっと心を開いてくれたのかなーって思ったのもあるけど、ハルの大切な人のことを知った時、“あなたにも大切な人間がいたんだ、嫌いなだけじゃなかったんだ”って安心したんだ」
「何が言いたい訳」
「私もまだハルと更に仲良くなれる可能性が残ってるってこと!その“大切な人”には及ばないだろうけど」
「……呆れた、とんだお気楽思考」


“彼”の代わりになんてなれる訳ない。それは向こうも分かってる。私と友達になりたいだの、放っておけないだの、自らトラブルに巻き込まれ綺麗事を吐くこの子は、相当恵まれた環境で育ってきたのだろう。


(私のこれから、か……)


夕焼け空を見る。夕陽が半分沈みかけて、暖かなオレンジの光が大湿原全体を照らしていて、シンオウという広大な地方の自然の豊かさを象徴しているようだった。この世界はこんなにも、色鮮やかな世界で。

前の世界で“彼”を喪ってから、私の世界から色が消えてしまった。
文字通り白と黒の世界で、生きる意味なんて持てなかった。


(でもこの世界に来て、ポケモンたちと出会って……私はまた、“生きよう”としているんだ)


神秘的な色を携え、味方から嫌われ人間に狙われ続けた紫闇。

穏やかな色を携え、前のトレーナーだった男の子から虐待を受け“男”というものを嫌ってしまった翠姫。

辛い過去を持つ彼らと出会い、傷を分かち合い、私の世界に再び色彩が彩られ始めている。
でもずっと、根底にあるのは人間に対する嫌悪。人間という存在はこの世界でも切り離すことができないから。


「……私は人間が大嫌い」


ポツリ、と突然吐露したにも関わらず、「うん」とユイは驚きもせず静かにうなづいた。


「"自分たちと違うから"……"ただただ気に入らないから"。それだけの理由で、平気で他人を攻撃できる」
「……うん」
「そんな生き物でしょ、人間なんて。……最低な生き物」
「……でも、」


ユイが私の手をそっと握った。


「でもそんな人間を愛せるのも、人間なんだよ。やっちゃったって後悔して、次に活かそうとすることができるのも、人間なんだよ」
「……やっぱりアンタ、綺麗事ばっかり」


もういいやと立ち上がる。ずっとボールの中で私たちの会話を聞いていた紫闇は何を思っていたんだろう。遠くから翠姫の呼ぶ声が聞こえて、早足で向かおうとする。
「ハル!」とユイが声を張って私を呼ぶ。渋々振り返ると、彼女はニッコリと春の陽射しのような笑顔で、こう言った。


「“これから”も、よろしくね!」
「…………。」


サンヨウシティで璃珀の言っていた言葉の意味が、少しだけ分かった気がした。



ユイたちと別れ、ホテル・グランドレイクのコテージで一息つき食事を終えシャワーを浴び、窓を開け外の風を入れながらベッドに入る。白いレースカーテンが風に揺られ、涼しい風が中を吹き抜ける。


「楽しかったの、ハル!明日帰らねばならぬのが勿体ないのぉ」
「シンオウのポケモンを見れたのは、良かったかな。あ、お土産……は買わなくていいか」
「ならばわらわの甘味としてもりのヨウカンを買いたいぞ!ハルも一緒に食べようではないか」
「……そうだね。明日、自分用に買おうか」


紫闇は……甘い物苦手だっけ。結局ボールの中にいることがほとんどだったけど、彼もいつか自由に外に出る機会が訪れるといいな。
ふわふわ柔らかい羽毛布団に身体を包み込み、今日の出来事を振り返る。……触れ合ったポケモンたちや新たに知り合えたティナ、大湿原の自然の数々……記憶が新しい内に絵に描き起こしても良いかもしれない。

ふと、ユイの夕陽に照らされた笑顔が想起された。

多分、あの子とは心から打ち解けることは出来ないだろう。あの子はきっと周りから大切に育てられた人間で、私は誰からも嫌われネグレクトやいじめをされてきた人間で。
根本から真逆なんだ。天地がひっくり返っても、私は人間を好きになることは無い。


(……でも、あの景色は……)


あの笑顔は、きっと彼女にしかできないもの。私がどれだけあの子を邪険に扱っても、嫌がっても、あの子はいつの間にかそれをすり抜けて懐に入ってくる。私の心の氷を少しづつ溶かしてこようとする。
同じく人間嫌いなポケモンの晶を仲間に引き込めたのも、あの子の人柄あってこそ。


(……バカみたい)


心の中でそう呟いておきながら、私は後日、あの夕陽の絵を描くのだろう。
そしてまた何かのきっかけで会うユイがそれを見て、嬉しそうな顔で私に詰め寄ってくるのだろう。


(…………。)


そんな光景を思い浮かべて微かに口角を上げて眠る私もまた、バカなのだろう。

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