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「わたくし、 なの」
肝心の部分は聴こえなかった。
酷く、度し難い行為だと理解していたからだ。
己の耳はしっかりと、その役目を理解し機能していた。
けれど、ドアの前に打ち付けられたように、足は動くことができなかった。
〈……えぇ、存じておりますよ〉
彼の声は鮮明に、嫌なほど耳に響いた。
何故お前がそこにいる、何故お前があの人と話している?
インクが真っ白な紙に染み渡るように、雫が一滴心に垂れる。
「……あなたにはバレちゃうのね。やっぱり、敵わないわぁ」
〈ふふっ。お嬢様、いかがいたしますか?〉
「内緒にしてちょうだいね。2人の約束よ?」
……何故、皆、彼を選ぶのだろう。
やはり、彼が……“特別”だから?
〈もちろんですよ、お嬢様〉
ああ、嫌だ。イヤだ。
壁に当てていた手に、力が入る。
握り過ぎて血が滴っていることなど、気にも止めなかった。
「ありがとう。……だから、ちゃんとお手伝いしてね?ラルド」
“ラルド”
エメラルドから取られたと聞く、彼の名前。
自分と同じく人に安らぎを与える翠の意。
だか、彼は特別だ。
自分とは違う、“力”を持っている。
(だから……──)
絶望の淵、差し伸ばされた手を取った。
全ては、貴女のため。
(もう一度、“あの時”を)
願いを、叶えるために。
◇◆◇
「やっとついた〜!」
『随分久々な気がするなー』
ゲートをくぐりぬけ私はヨスガシティに到着した。ひとまず今晩はここで宿を取り、明日またコトブキシティに向けて出発する。そこから船に乗ってミオシティに向かう、という算段だ。
PCに向かい部屋を確保後、私はすかさずシャワーを浴びに行く。212番道路を抜けるだけですっかり泥だらけになってしまい、空はオレンジ色に染まっている。ぬかるんだ道に足がひっかかり、抜け出すだけでかなりの時間を要してしまった。
「んじゃ、俺夕飯の材料買ってくるわー」
「でしたら荷物持ちで私も行きますよ、紅眞」
「俺は少し街を散策しようかな。白恵くんも来るかい?」
「うん、おそらのれんしゅうしたい」
「……僕は少し寝る」
私がシャワー室に向かうのを皮切りに、各々好きなように時間を潰すようだ。碧雅は欠伸を零し、一足先にベッドルームに向かう。それを止めたのは一人予定を語らなかった晶だった。通せんぼのように立ち、ずいと碧雅に迫る。
「寝るな!僕のトレーニングに付き合ってもらうぞ雪うさぎ」
「やだよ。毎回付き合う身にもなってよね」
この話終わり、と言うように碧雅は手で晶を制してベッドに寝転んだ。そんなに眠たかったの。晶はぐぬぬと憤り、かといって人が行き交う街に出たくもなく、仕方なしに外に行くとチルタリスの姿になりバルコニーから外へ出て行った。あれは恐らく、野生ポケモンとトレーニングする気だな。
「夕食までには戻るでしょう。マスターはごゆっくり休んでください」
「う、うん。ありがとう」
晶の飛んで行った方向を見つめ緋翠が淡々と告げる。ちょっと可哀想な気もするけど……。
今日はお言葉に甘え、休ませてもらうことにする。
「ユイちゃん、ごゆっくりー」
「白恵も行ってらっしゃい。璃珀、白恵のことお願いね」
「もちろん、かしこまりました」
白恵の癖の付いた頭をポンポンと撫でて、恭しい言葉とは裏腹にクスクス笑う璃珀にバトンタッチする。白恵はトゲチックに進化を経ても、擬人化時の外見に変化は見られなかった。紅眞も緋翠も進化を経て背が伸びて、成長を著しく感じさせられたけど、白恵は不思議とそういった傾向は無かった。
でも、ティナちゃんも私と変わらない容姿とは裏腹に璃珀よりお姉さんだもんね。そういったこともあるのかな。
みんなが出ていった後、一人先にシャワーを浴びる。ホカホカとさっぱりした気分でリビングに戻ると、碧雅は本当に眠かったのか、スースーと規則正しい寝息が聞こえるほど眠っていた。
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