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よし、と晶が部屋のドアノブに手をかける。


「善は急げだ。早速バトルフィールドに向かうとするぞマメ助」
『おー』
「ちょい待ち!流石に急過ぎるだろ」
「そうだよ晶。それにここ最近色々あったから、ちょっとお休みしたいし」


まずは璃珀のリッシ湖の家族の一件、不利な条件でのジム戦に、そのための修行に明け暮れる日々。そしてステラとの一戦に、碧雅の暴走。極めつけはギラティナに巻き込まれてステラとやぶれたせかいを巡る。……振り返って改めて思った、よく無事だったね私たち。
晶が普段からバトルやら鍛錬やらにいそしんでるのは知ってるけど、今は休養をとってもいいんじゃないか、と思う。白恵も進化したばかりでまだトゲチックの体に慣れてないだろうし、晶もリッシ湖の一件でダメージを負っていたんだし。

ただ、晶の顔はどこか曇っていた。腑に落ちないといった様子じゃない、何か別の思惑があるように感じられた。


「……ミオシティに、行くんだろう」


小さく呟かれた言葉は、つい先程決まった次の目的地。そして握り拳を作り、僅かに震える手元を見て思い出した。ミオシティは、晶が前のトレーナーから捨てられてしまった事実を知るきっかけになった街だったことを。
前のトレーナーがミオシティに今もいるかは分からない。過去を語ってくれた晶の口ぶりから察するに、もう彼は違う場所へと旅立っているのかもしれない。けれど、彼にとってはミオシティはあまり立ち寄りたくない街には違いない。
自分の目的を考えるとミオシティには行きたい。でも、仲間の意見を押しのけてまで進めたいとは思わないし、思えない。

彼がもし望むのであれば、私は──


「おい」


思案に耽り覚悟を決めようとしていた私の前に、晶の声が響く。


「一人であれこれ考えるのは構わないが、僕は引く気は無いからな」


その声色は、妙に冷ややかだった。
頭の中で疑問を浮かべ、その気持ちが表情に表れていたか、晶は私の顔を見ると小さく息をならし、苛立ちに近い感情を孕んだ黒い瞳で私を睨み付けた。


「…………、……の……」


先程よりも小さく呟かれた言葉が聞こえず、咄嗟に聞き直す。普段から晶大きな声を出して自分を表現することが多かったから、静かに怒りを潜ませる姿に若干の畏怖を感じる。
一歩、大きく足を踏み出し近づいた距離。私は晶を見上げる形になる。私は何故か、息を止めて晶の言葉の続きを待っていた。


「ポケモンの忠誠心を舐めるなよ、主」


見下ろされて告げられたその言葉に、心に鈍い痛みが走った。
晶は、昔信じていたトレーナーに裏切られた。その心の傷は簡単に癒えるものではなく、彼の内面に大きな影響を施すほどに。


(私はさっき、場合によっては何をしようとしていた?)


晶が望むならと思っていたけど、それこそが一番彼を傷つける思考であったとしたら。きっと、晶は分かっていた。


バトルが無理なら飛ぶ練習からだとそれとなく理由をつけたのは誰が見ても明らかで、でも誰も異を唱えることもなく晶はそのまま白恵と共にバトルフィールドに向かっていった。

一人と一匹がいなくなった室内に、しんとした空気が流れる。その沈黙を破ったのは緋翠だった。


「……驚きました。彼が、あんなことを言うなんて」
「いつもなら気持ち任せて“ぬわぁぁ!”ってなるからなー晶。やけに今回落ち着いてなかったか?」
「いえ、それもそうなのですが……彼の口から“忠誠心”という単語が出るとは思わなくて。それも、マスターの前で」


私の前で?
緋翠の言葉に小さく首を傾げていると、璃珀が私の頭をポンポンと励ますように撫でた。眉を垂らし、小さく微笑むその表情は、いつくしみポケモンの名に相応しいものだった。


「ご主人の気持ちも、晶くんの気持ちも、両方分かるからなんとも言えないね」
「……謝った方が、いいかなぁ」
「いんや、晶はそっちの方が怒るんじゃね?」
「マスター」


諌めるような語り口で緋翠が私を呼んだ。そして璃珀と同じように眉を下げ儚げに微笑んだ。


「どうか、信じてあげてください。その方が、彼も喜びます」


思えば緋翠も晶とある意味似ているのだ、と気づいた。過去を詳しく聞いた訳では無いけど、緋翠もギンガ団……元人間の手持ちポケモンとして過ごしてきた過去を持っている。けれど、彼はどうしてギンガ団のポケモンだった時の環境でも異議を唱えずあの時まで過ごしてきていたのか、今でも謎だ。
気になると言えば嘘ではない。緋翠なら尋ねたところで応えてくれるだろうけど、そこまでして彼の過去を深堀りしたくはなかった。


「マスター?」


返事がない私を心配して緋翠が呼びかけたところで意識が現実に返ってくる。
とにかく今私がすべきことは、ミオシティで情報を集めることなんだ。言い聞かせるように、何度何度も、そう心の中で思い続けた。




◇◆◇




「し、失礼しまーす……」


ジョーイさんにギャラドスたちのお見舞いに行く許可を貰い、案内された部屋に弱々しく声をかけ戸を静かに開ける。私は特に外傷が無かったことが幸いし、碧雅より早く退院することが出来た。
室内には沢山のゴツ……逞しい男の人たちが綺麗に並べられたベッドで大人しく皆一様に横になっているちょっとシュールな絵面が広がっていた。


「おっ、来たな嬢ちゃん」
「こんにちはギャラドスの皆さん。あの、ティナちゃんと親方さんは?」


ギャラドスさんが顔をクイッと向けた方に目を向けると、一番広い窓際のスペースで寝ている親方さんに付き添っているティナちゃんがいた。あれ、もう起きて平気なの……?


「あら、ユイ。いらっしゃい。お見舞いに行けなくてごめんなさいね」


私が来たことに気づいたティナちゃんはステラに怪我を負わされたとは思えないくらい“普段通り”だった。この回復力の高さ、やっぱり彼女も人と同じに見えてポケモンなんだなと感じさせる。
おそらく一番重症だった親方さんも夥しい数の包帯に覆われつつも、その瞳には生気が戻っていた。けれど今は快復に努めているため、何をすることもなく天井を眺めている。その光景に少しビクつきながらも、無事で良かったことに安堵する。こんにちはとお辞儀をすれば、残った片目がゆっくりと私の姿を捉えた。


「……悪かった」


長い沈黙とギャラドスたちの視線を背中一身に受けつつ、親方さんが重い口を開いて発した最初の言葉は、謝罪だった。


「お前ェたちを今回の件に巻き込んじまった。本来なら俺たちでカタをつけなければならなかったが……俺たちの力不足で、お前ェらを危険に晒しちまった」
「い、いえ。私たちはそんなこと思ってないです。みんな無事だったんですから、そんなに気にしないでください」
「……あいつとは大違いだな」


親方さんの片目が緩く細まった。なんだかその目は、懐かしいものを見るような目で、どことなく璃珀の眼差しに似ている。


「1つ、聞かせてもらいてぇんだが。……お前ェも、俺たちの言葉が分かるんだってな」
「……。」


静かに頷き、返答を待つ。

“お前ェも”

その言葉を聞いて思い出すのは、前にリッシ湖に向かう前に聞いた、ギャラドスさんたちの話。親方さんは昔、私と同じようにポケモンの言葉を理解できる人に会ったことがある。私は心のどこかでその人の正体を確信していた。


「俺は一度、お前ェのような人間に出会ったことがある」


この世界でポケモンを言葉を理解できるなんて稀な能力を持つ人はほとんどいない。その人は、もしかしたら。椅子に座りふとももに添えた手に、力が入る。


「そいつの名は、“ユニ”だ」


意外なところで、意外な接点があるものだ。偶然とは、時に恐ろしい。
親方さんが私に向けていた視線の意味が、今分かった。


「お前ェによく似た、最低な女だったよ」


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