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『……お前は何故、この人間の元にいる』


不意に口をついて出てきた。純粋に不思議だった。どんな理由で気難しそうなこのポケモンがこの人間に着いているのか、それ程の価値があるのか。
初めて蒼眼が僕を捉え、本を閉じ僕の前に抱え膝で座り込む。先程の目は消え、静かに僕を見下ろす。


「……人間嫌いにしちゃ随分中途半端だよね、お前」


返答は質問の答えではなかった。無音の時間が流れる。言われた内容に詰まっているとグレイシアはそのまま言葉を続けた。


「本当に人間を嫌うならそもそも人前に姿を現さない。わざわざ襲いかかるなんてリスクの高いことする必要無いし。それに、」


上を見上げた。空には星が散っている。それを遮るように聳えるのはサイクリングロードだ。


「あそことか人間を襲うのには絶好の場所だと思うんだけど、どうしてあそこで人間に襲いかからないのか謎なんだよね」


サイクリングロードは自転車を利用しなければ通れない道。自転車に乗りながら進むため通常よりも視野が狭くなる。その中で襲いかかれば怪我は免れないだろう。いくら自転車に乗ってるとはいえ、ポケモンと人間じゃ身体能力に差がありすぎる。


『……どこで行動を起こそうが僕の勝手だろう』
「そうだね。これはあくまで僕だったらどうするかの意見だ」
『何が言いたい』


意味深に口元に弧を描くその表情に、僕に見せびらかすように手に持ったのは、紅白の球体。


(なんだ、確信してるじゃないか)


たまらず舌打ちをするとグレイシアはぷっと吹き出す。


「結構分かりやすいよね、お前。ユイにも勘づかれるくらいには」


はい、返すよと目の前に置かれた傷だらけのボール。月日の風化とは別の切り刻まれたような傷。思い起こされた数々の記憶。壊したくて、壊したくて、壊したかったのに。




“迎えに来るから待ってろよ、チルット”


“アイツ?ああ、アレなら野生に返したよ。元々野良なんだからどこでもやってけるだろ”


“アイツ、弱ぇじゃん。新しく捕まえたコイツの方がずっと使えるよ。入れ替えてせーかい”




ーー何故今更、思い出すんだ。


「……ふぁ〜ぁ……」
『!』


呑気な欠伸と共にゆっくりと目が開かれた。寝起きで焦点の定まらない目が僕を見つめる。へにゃりという効果音が似合う情けない顔で笑った。


「おはよぉ〜、碧雅」
「僕はこっちなんだけど」
「……あ、ほんとだ」
『……僕を仲間と見間違えるとはな、目が腐ってるのか貴様』
「うっ。おはよ、チルタリス。具合はどう?」
『貴様の顔を見たおかげで気分は最悪だ』
「うんその反応分かってはいたけどやっぱり悲しい」


笑いながら泣いてるぞ、器用な奴だな。だが次の瞬間には「あ!」と何かに気付き笑いかける。


「でも“気分は”ってことは具合は大丈夫なんだね!良かった!」
『…………。』
「あ、あれ……?」


黙っている僕におーいと手を振りながら反応を伺う人間。反射的に後ろに後ずさった。何故そんなに、僕に優しくしてくるんだ。


『……僕にこんな事をして何になる。自分が優しい良い奴とでも思われたいのか?そもそも貴様は何故ポケモンの言葉がわかる。何故周りもそれを認めて貴様についている』


口から次々へと出るのは目の前の人間に対する数々の疑問。その言葉たちは留まることを知らず、自分の口から放たれるそれを耳に入れながら自分は恐れているのだと気づいた。自分の知る人間というカテゴリーの性質から離れている、人の形をした者に。


『何を考えているかさっぱり分からない。……気味が悪い』


こんな奴は初めてで、恐いんだ。




「気味が悪い、かぁ……」


暫しの静寂の後、ポツリと呟かれた人間の声。その顔はどこか儚げで、先程までの元気さは影を潜めていた。その顔は、人を嫌う自分にも良心を痛ませるには充分だった。


(流石に、言い過ぎたかもしれない)


口が止まることなく勢いのままに言ってしまった感は否めない。後ろに控えていたグレイシアも先程の発言には引っかかるものがあっただろう、僕を静かに睨んでいる。


『……す、少し言い過ぎた……すまない……』
「ううん、チルタリスの言いたいことも分かるよ。要は自分と違う生き物と話せるってことだもんね。捉え方によってはそう思われても仕方ないと思う」


でもね、と人間は目を伏せる。閉じられた瞳は何を思い描いているのだろうか、たおやか表情を浮かべていた。


「私はあなた達と話せることを、素敵なことだと思ってるよ。だって今、こうして人間嫌いのあなたと話せてるもん」


そう笑いかけられ僕は目を大きく開いた。そうだ、僕はずっとコイツと話をしている。せざるを得なかったのだ。人型でも原型でも関係ない、コイツは僕の言葉を全て理解してしまうから。
そして先程僕は何を思った?言い過ぎた、と自分の非を認め、あろうことか謝罪をした。有り得ない、有り得ない。


(絆されかけている)


警鐘が鳴り響く。抱いた恐れは正しかった。これ以上近付くな。これ以上……僕に心を開かせるな。


(あんな思いは、もう御免だ)


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