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「……そうか、私は……」
「?」


ボソリと呟いた内容が上手く聞き取れなかったけど、私に向けて放った訳では無さそうだ。何かを思い出したのか、緋翠は私の目をしっかりと見た。


「マスター。ハクタイシティで私がエムリットと会ったと話したことを、覚えておいでですか」
「う、うん。あの時、エムリットに何かを言われたって言ってたよね……?」
「あぁ……確か、“君の心の赴くままに進むといい”だっけ」


そっか、その頃は璃珀もいたんだっけ。まだ正式に加入する前だったけど。感情の神と言われるエムリット、その話はもう終わったものだと思ったけど、何か思い出したのかな。
黙り込んで思考を始めた緋翠に、別の意味でどうしたらいいのかと璃珀に視線で助けを求める。アイコンタクトが伝わったか、分かったとうなづいた。


「それじゃあ俺は先に帰るね」
「は!?」
「緋翠くんの素直な気持ちを引き出すなら、俺はいない方がいいだろう?遅く……日が昇る前にはうちに帰っておいで」
「ちょ!え、璃珀さーん!?」


私が引き留めるも意味は無く、スタスタと暗い夜道を一人颯爽と歩いて去って行った。

帰ってく この状態で おい璃珀

頭の中で一本の俳句が出来上がった。いくら緋翠が一緒とはいえさっきの状況から置いていこうという選択肢が出る!?あと今真夜中!緋翠も言ってくれたけど暗い夜に女の子もといトレーナー置いていかないでよ!今度ティナちゃんにチクってやると固く誓った。


「…………。」


それはそれとして。この状況は本当にどうしたらいいんだろう。とりあえずいい加減握った手を離そうか。


「…………!?」


離そうとしたら、今度はその上から緋翠が両手で手を掴んできた。さっきの逆じゃん。あ、あの、私どうしたらいいんですか。


「マスター……不躾ながら一つ、お願いがございます」
「は、はい!」
「目を閉じていただけますか。私の思念を手を伝って、貴女に届けます。……きっと話すより、こうした方が伝わりやすいです」
「し、思念……?」


エスパータイプ故の不思議な力というものだろうか。私は緋翠の力強い眼差しに思わず頷き、言われるままに目を閉じた。人気のない時間でよかったと思わずにはいられなかった。


瞼の閉じた世界に、新たな世界が色付く。私の意識は、その世界に吸われるように消えていった。




◇◆◇




見覚えのある光景が浮かんできた。水色の空に、若緑の森の木々、薄い白い雲。そして……そんな光景を鏡のように映す、シンジ湖。


(これは……私が気絶してた後の、続き?)


私らしき人間が湖のほとりで倒れていて、覆い被さるようにモンスターボールを抱きしめたまま。碧雅がこの状況で出てこないはずないから、きっと私と同じように眠ってるんだろう。

そして最早懐かしさも覚えるギンガ団の団員も、同じくうつ伏せで倒れていた。彼の懐がモゾモゾと動き出す。


『…………。』


ゆっくりと這うように出てきたのは、プレートを首元に下げた弱ったラルトス……出会う前の緋翠だった。緋翠は全員が倒れている光景に驚いていた。そして団員の方をゆっくりと振り向く。


『マス、ター……?起きてください、マスター』


団員を揺すって起こすけど、反応はない。あんなに弱っているのに。明らかに、待遇が良くないのは目に見えて分かるのに。できるだけ力を入れず起こすその姿は痛々しさすら感じる。

そこに、何かが近付く。


(姿が見えないけど、ぼんやりとシルエットのようなものが見える)


特定の姿を纏った半透明の何かが、倒れる団員の元に近づいていく。2本に分かれたしっぽとツインテールのような4つの房がゆらゆらと動く。


『憐れなものだ。そのような身になってもまだ、彼を護ろうとするとは』


私が倒れる直前に聞こえた中性的な声が流れた。緋翠も気配に気づいたのか、シルエットの方角を見つめ、団員を守るように立ちはだかる。

少女のようなクスクス笑う声がしたかと思うと、シルエットは光を放ち、その姿を現した。

頭部はピンク色の房のようなものが4つ垂れ下がり、見ようによってはツインテールに見える。半目のつり上がった瞳がより少女らしさを際立たせている。2本に分かれたしっぽは先っぽがカエデの葉のような形をしていて、中央には頭部と同じ赤い宝石が埋め込まれていた。
半目微笑の顔が緋翠を捉える。緋翠はその目に負けじと気を引き締める。


『はじめまして、ラルトス。ワタシはエムリット。この湖に眠る“感情の神”』
『……どのような方であれ、マスターに害を及ぼそうというのなら、容赦いたしません』
『そんなボロボロの状態でなにができるというの?ワタシは同族と争いたくはない』
『…………。』


警戒を解く気配のない緋翠を見て、エムリットは一定の距離をとりつつゆらゆらと空中を漂う。けれどその目は緋翠から逸らすことはなく、何かを見定めているように思えた。


『……ああ、可哀想なコ。利用されつくしてもなお、君は彼を護る。彼の言葉がないから、ワタシを襲わないだけ。まるで生きた人形、機械のようだ』
『…………。』
『ワタシが精神体でもここに現れたのは、“あの子”に心惹かれたのもあるけど……一番は、君の感情に興味があったから』
『……どういう、意味でしょうか』


精神体。エムリットはそう言った。確かに、色付いたその体はまだ色が薄い。本体はまだ、この広大な湖の中で眠っているんだろうか。

エムリットは微笑の口元を更に深くした。


『君自身は、あっちの子の方が良いと感じているよね?』
『……っ、違います!』


あっちの子。……私のこと?分かりやすく狼狽えた緋翠を見て、エムリットはクスクスと笑う。


『ほら、感情は素直。なら何故そうしない?ボールを壊して違う人間に縋ればいいだけなのに』


段々と、2匹の距離が近づいている。


『今回だけじゃない。君は今までだって逃げたくて、あそこにいたくない気持ちはあるのに、動かなかった。そうしなかった。その根底にあるのは……洗脳に近い教育だけど、君の元来の素質の賜物』
『っ……!』


エムリットは緋翠の目を間近で見られるくらい距離を詰めていて、エムリットの言葉に耳を傾け動揺していた緋翠は小さく叫んだ。……感情から何があったのか、出来事を気持ちから掴んで読み込んでるのかな。“神”と呼ばれるくらいの力を持つのなら、司るものに付随した芸当がどれだけ凄まじくても何も言えない。


『ワタシが司るは“感情”。君の心に枷をかけるその気持ちを解いてあげよう』
『や、やめ……!』
『だが、ワタシがただ助けるのではツマラナイ。この記憶は君の中からヒントを残して消えてしまう。先の行く道で、君自身で答えを見つけなさい。あの子についていくも良し、違う道を歩むも良し、それは君次第だ』
『わた、しは……』
『“君の心の赴くままに進みなさい”……この出会いが君の心を、良い方向へ導きますように』


エムリットの目が赤く光り、緋翠の体はその光に包み込まれる。そして気を失った体をサイコキネシスで持ち上げたエムリットは、緋翠と共に瞬間移動の如く消えてしまった。




──……ぁ、…………ま……


緋翠の記憶で構成された世界も終わりを告げたのか、徐々に暗闇が世界を覆うように侵食していく。その傍ら、私の耳にさざ波のように流れ込んできた声が不意に聞こえた。


──……ぃ、ぁ……さ、……


(誰かを、呼んでいる……?)


ラルトス時代の緋翠の声かと思ったけど、少し違う。ノイズだらけの声は、必死に誰かに声をかけているような、悲痛な響きを含んでいるように思えた。


──ア…………リ……、ぁ…………さ、……


(“ア リ ア さ ま ?”)


その名前を心の中で呟くと、何故か私の胸が締め付けられるように痛くなった。
その声を最後に私の意識は再び沈んでいき、水の底のような深い闇が私を覆い尽くしていた。


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