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「…………。」


私は、何も言えなかった。言えるわけなかった。いつも私のことを考えてくれる彼から放たれたその言葉は、私に有無を言わせぬ気迫があったから。


「緋翠くん。……嫌な役回りをさせて、悪かったね」


璃珀が宥めるように名前を呼ぶ。……きっと璃珀が今晩ついてきたのは、私と同じ理由じゃない。私に合わせてくれたんだ。


「構いません。私の方こそ、気づけず申し訳ありませんでした。マスターをお守りくださり、ありがとうございます」
「きみがお礼を言うことじゃないよ。主人の安全を守るのは当然じゃないか」
「…………。」
「……マスター」


先程の怒りはどこへやら、申し訳なさそうに眉を落として、口の端を緩く上げ、私を励ますようにさえ見える。
2、3歩後ろへ引き下がる。大した距離じゃないのに、やけに緋翠が遠くへ行ったように感じた。


「申し訳ございません。貴女のポケモンとして、出過ぎた真似をしてしまいました。……どうか私を、放してください」
「……っ、はぁ?」


何を、言ってるの?璃珀も予想外だったようで息を飲んでいる。口から出た「なんで」と尋ねる言葉は掠れていた。


「私はマスターの意に反することをしました。それは本来あってはなりません。マスターの命令は至上命題。それに反した私はいなくなるべきです」
「何言ってるの……?それこそ、おかしいよ……?」
「……?ですが私は、“そう教わりました”。だからこそギンガ団にも出向いたのです。旦那様がそう望まれたからです」
「…………。」


別の意味で言葉が出なかった。同時に初めて聞いた、“旦那様”という言葉。 薄々感じていたことだけど……緋翠はギンガ団の前にも、別の人間に仕えていた?

だけど、それだと一つおかしいことがある。それは璃珀も感づいていた。


「それじゃあどうして、アカギと会った時独断でテレポートしたの?」
「…………どういう、意味でしょうか?」
「緋翠くん。あの時きみはご主人の指示を仰ぐ前に、“自分の判断”で彼の元から離れただろう。ご主人のあの時の意思がどうであれ、あの行動は立派に“ご主人の意に反していた”ように思えるけどね」


アカギとテンガン山で出会った時、私は彼にステラについて尋ねていた。緋翠はアカギの姿が現れる前から警戒していた様子だったし、実際テレポートしてくれたことで危機を脱せたと思うから、私としては有難かったんだけど。


「あ……。あれは、あの時は……ああしなければ、マスターが危ないと思って……。でも、確かに、どうして……?」


指摘を受けた緋翠は狼狽え、目が揺らいでいた。言われてようやく、自分が矛盾していたことに気づいたみたい。考え込んでる緋翠を見て、璃珀はやんわりと笑う。


「簡単な話じゃないか。きみはちゃんとご主人を守るために、“自分の気持ち”に従って動いたんだろう?」
「私の、気持ち……」


緋翠が“旦那様”の元で何を学んでいつかは分からない。でも一つだけ確実なのは緋翠にも自分の意志があることだ。考え込む必要なんてない。自分がそうしたい、そうした方がいいと感じただけ。至極簡単な話だ。

自分の持っていた“ギンガ団への知識”が、“主人を守る気持ち”へと働きかけ、“あの場から遠ざかるという意志”を持った。それだけのことだ。


「そう……だよ」


何もおかしいことなんてない。当たり前のことをしただけだ。


「緋翠、ごめんね。私、考えなしだから。後から後悔することが多いんだ。特に緋翠にはいつも、心配かけさせちゃってたね」
「……あ、謝らないでください……!マスターが悪いことなんて、」
「あるよ。間違いを犯さない生き物なんていないよ。私、この世界に来てからも来る前も、沢山間違えてるもん」


緋翠は日常的に私を美化してる気がするけど、それはある種、彼の“マスター”に対するフィルターが掛けられているんだろうな、と思う。私はそんな高尚な人間じゃない。それに緋翠の理論が通るならとっくのとうに碧雅を始めとした仲間はみんな放たれてしまうんじゃ……実際に言いはしないし、そんなことはしないけど。


「緋翠。あなたが本当に私の元から離れたかったら、私は止めない。でも、もしあなたがまだ、私といたいと感じてくれてるなら、いてほしいな。それで……情けない話だけど、また私がやらかしたら、さっきみたいに叱って欲しい」


今度は私が緋翠の手を取る。両手を花弁のように包み込む。まだ私の手で包み込める少年の蕾が、花開くように。


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