『四ノ宮くんの初恋っていつ?』
トークバラエティで聞かれた質問に一瞬だけ息が詰まった。今までたくさんの素敵な女性に出会ってきました。初恋はいつだっただろうか。ああ、この子は可愛いなって思う人は何人もいたけれど、本気の恋は…多分、あの人くらいで。その恋を初恋、と言うのでしょうか。
僕はぎこちない笑顔で『確か小学生だった気がします』と答えた。広がる会話。曖昧に返事をしながら、翔ちゃんへと変わるのを僕は横目に初恋の人を思い出していた。
深い深い記憶の奥底にある、ちょっと前までは重く硬いその箱を開けられなかったのに、彼やハルちゃんのおかげで今ではゆっくりと開けることができた。
ガチャリ、音を立てながら箱を開けると中はキラキラと輝く星とくすんだ石、星屑とゴチャゴチャ入っていて、決して綺麗なものではない。
ひとつひとつ手に取ると頭の中に記憶が流れ胸に入っていく。それは心がポカポカと温かくなったり、楽器を奏でる時のような楽しさだったり、恋い焦がれ寂しいものやドキドキと甘い痛みがある。ひとつ触れては懐かしむ。それを繰り返していると、ボロボロの星を見つけた。目にするだけで、胸が痛くなる。そして、何も見てないのに苦しくて、切なくて、絶望の感情が流れ込む。
『ねぇ、せんせぇ!どうして?どうしてこれないの?どうしてあいにこないの?』
ごめんね、ごめんなさい、なっちゃん…
『なにがごめんなさいなの?ぼく、なにかわるいことでもした?ねぇ、せんせぇ、こたえて』
鼓膜に響く、ひとつの旋律…。
『彼女の出した砂月はとても素晴らしい曲であり、なんと珍しくCDランキングに…』
どうして?せんせぇ、その砂月はせんせぇにあげたんだよ?せんせぇによろこんでほしくて、ぼく、つくったのに…どうして?せんせぇは、ぼくのこと、すきじゃないの?せんせぇ、ひどい…!
「…やっぱり、キツイなぁ」
ポツリと呟く言葉に自然と涙が浮かぶ。パラパラと星屑はただの屑となり消え去るのを見ながら、僕は胸をギリギリ締め付ける想いに触れた。
これは確かに恋だと思う。そして砂月は幼いながら先生のためだけに贈った、ラブソングでもあった。そのラブソングを自分の富のために、名誉のために彼女は世間に出したのだ。自分の名前で、清々しい顔で、僕の気持ちを踏み躙った。
今思えば最悪な初恋のような気もする。第一初恋が年上の…しかもヴァイオリンの先生で気持ちを踏み躙った挙句盗作されたのだ。これを最悪だと言わずに何と言えばいいんだろう。よく当時の僕は自分自身を酷く責めたなぁ。そんなことを呑気に考えていると、箱が閉められた。もちろん、僕は閉めてなんかいないし触れてもいない。だけど、この逞しい手は彼しかいない。
「…なに、見てんだ」
「懐かしい箱があったから、開けちゃいました」
彼ー…砂月は箱を二度と開けられないように鎖で縛り鍵を付けた。結合したはずの彼は相変わらず僕を支えてくれている。と言っても、昔に比べると表には出ないまま此処にいるだけ。会えるのは、こう言った場でしか会えない。
「あんな女のこと、思い出す価値もねぇよ。大体那月に謝りもせずにクラシック界に誘いやがって…」
「仕方ないですよ。人は自分にマイナスな物は忘れたり気にしなくなりますから」
さっちゃんは僕の言葉が気に入らないらしく、眉を寄せながら睨んできた。怖くはないけれど、眉を寄せるより笑う方が可愛いのになぁ。人差し指で眉間に集まる皺をなぞっていると、腕を掴まれ引き寄せられた。
「さっちゃん?」
きつく抱き締められた。
でも気持ちいい。さっちゃんの匂い、温かい体温、心地いい声。安心する。
「…お前があの女に会わなければ、こんな辛い思いをしなかったのに」
舌打ちをするさっちゃんは本当にそう思っているらしく、声が怒りで震え地を這う。違う、違うよ、さっちゃん。
「確かに辛いよ。今でも忘れられないんだ。あんなに優しく温かい先生と、酷く冷たい先生が居て…未だに僕の心をかき乱す」
肩に手を置き軽く離れるとさっちゃんの瞳がぶつかる。綺麗な瞳。黄金色の、輝かしい光。
「でもね、先生がいたから音楽を好きになった。先生と音楽が好きになったから、砂月が生まれた。先生から裏切られたからさっちゃんが存在して、その全てがあるからこそ今の四ノ宮那月がつくられた」
つまりはね、こう言うことなんですよ。
「今までのものに何ひとつ、無駄なものはなかったんだよ。すべてあったから、あなたが存在して僕が存在する。確かに苦しくてたくさん泣いたし、辛くて世界がつまらなくモノクロになった。けど、それが無ければ今の世界がなかった。みんなに会えなかった。アイドルになれなかった。あなたに…砂月に会えなかった」
だから、すべてにありがとう、なんです。
目を見開くさっちゃん。僕は微笑む。
真っ暗な世界が明るくなる。どうして、こんな辛い想いをしなければならないんだろう。何度思い、責め、恨んだだろうか。でも、これらが無かったら僕が存在しなかった。みんなに出会えなかった。さっちゃんが生まれることもなかった。そう思うと悪くはないものだったと思えるのだ。
「お前、本当…馬鹿だな」
「そうかなぁ?」
小さく笑いあい頬を撫でられ、触れるだけのキスをしたかと思えば再び腕の中に閉じ込められる。
ねぇ、先生。先生は今幸せですか?
また一人で涙を流してはいませんか?
あの頃は当たり前のようにいた先生。僕が見上げるくらい身長が高かったはずなのに、気づけば僕が見下ろす程高くなっていた。きっと先生をキツく抱きしめてしまえば、壊れてしまいそうなくらい華奢な体…。本当はね、ずっと先生の隣にいたかった。
瞳をゆっくり閉じると、実家に咲く花の香りが鼻を擽りながら『なっちゃん』と小鳥のさえずりのような優しく柔らかい笑顔で呼ぶ先生が見えて目頭が熱くなった気がした。