普段目にする場所ではなかった。
朝起きると、普通なら自分が暮らしている部屋の一部が見えるはずだ。自分のベットの向かいには同じルームメイト兼クラスメイトである、来栖翔が幸せそうに眠っている顔があるはずなのに目の前に広がる景色は部屋の中でも日本の何処かでもなかった。
星々で埋まる夜空。だろうが、何故か地面にも星々が埋まっている。上体を起こして上下左右確認しても真っ暗な空に散らばる星々が存在して、宇宙にも感じてしまうくらい空と地上の判別ができなかった。
ぴちゃり、水音が聞こえて手元へ視界を動かせば波紋が広がっている。そして自分が座っている場所は地面とかじゃなく、水面なんだと気づいた。
「…いや、あり得ないだろ」
ポツリと呟いたツッコミは誰からに拾われることもなく散った。
大体溺れることなく水面に座ることは二次元でしかできない。そもそも俺はベットの中で寝ていたはずなのに、どうしてこんな場所に置かれているのか。頭を動かしたって答えが出ない。
あの早乙女が仕出かしたことか?なんて考えてみるが、水面上に立たせる装置なんかあるはずもないし、わざわざこんな場所まで送る暇なんてないはずだ。多分。それなら何故自分は此処に存在するんだ?
考えれば考えるほど、頭が痛くなるが段々と苛立ちが溢れ出る。拳を水面へ向ければ、ばしゃんっと水が飛び頭から勢いよくかかる。そしてまた苛立ちが出てくる。そんなことを繰り返していると、バスタオルが頭に被せられ次に「大丈夫?」と声を掛けられた。
「風邪を引いちゃいますよ。早く拭かなきゃ、明日の試験に参加できなくなります」
「あ?……っ」
声を掛けた自分の正体を確認して絶句した。何故なら自分と瓜二つの姿だったからだ。正しく言えば眼鏡・雰囲気・口調に声が違うが、間違いなく俺と同じ姿。
目の前に居る奴は気にもしないで優しく髪を拭いてくる。そして何処から出したかわからないタオルケットを俺の体を包むように掛け、微笑みかける。気持ち悪くて目を逸らす。どうしてこんなとこにいるのか、どうして俺と同じ姿形をしてる奴がいるのか聞きたくて仕方ないが、警戒してしまい睨んでしまう。だが目の前にいる奴は相変わらずニコニコ笑っていた。
「綺麗でしょう?此処はユウニ塩湖。正しくはユウニ塩湖をモチーフにした僕とさっちゃんを繋ぐ場所」
「は?ちょ、待て、意味がわからないんだが…」
ペラペラ喋るコイツの言葉が理解できない。そもそもさっちゃんって誰だ。俺のことか?ちんぷんかん状態の俺を見て、口角を上げる奴に何故か苛立ちが湧いた。本日3回目だ。
「此処はさっちゃんの心の奥底にある場所。そして僕はさっちゃんを支える影、わかる?」
「全くもってわからない」
苦笑をひとつされてコイツは俺と向き合うように座り込んだ。
「さっちゃんは強いから僕なんていらない。でもどうしてか、ずーっと此処にいるんです。それに…やっと会えた」
ふにゃり、という表現が正しいかわからないが破顔したソイツは嬉しそうに抱きついて来た。ふわりと甘い香りがして、おちついている自分が何処か居て困惑している。タオルケット越しに伝わる温もりが気持ちよく感じて頭が可笑しくなりそうだ。無理矢理引き離すと一気に胸がざわめきだす。どうしてかなんて、わからない。だがどうしようもなく不安になる。
「さっちゃん?」
ハッと我に返って離れようとするが、それは阻止されてしまう。阻止、と言っても頬を優しく撫でられただけだが。なでなで、そんな感じに撫でられて耳が熱くなった気がする。ふふ、と柔らかい笑い声が聞こえて更に熱く感じる。暫くそんな時間を過ごしたような気がした。
「ねぇ、さっちゃん。あなたは幸せ?」
突然問われた内容に眉を寄せた。
幸せ、なんて感じたことはない。毎日同じことを繰り返し過ごすだけ。そんな中で幸せを実感することなんて、できるのか?
「さっちゃん」
名前を呼ばれて、押し倒される。視界いっぱいに広がるのは優しく微笑む奴と、何処へでも続く夜空。
「明日は試験が終わった後、みんなと一緒にご飯を食べに行くんだよね?優しい人たちだから、さっちゃんを大切にしてくれる。…ハルちゃん、だっけ」
素敵な子ですよねぇ。小鳥さんのような可愛らしい声、小さな背中、それから生み出される音楽たち、優しく慈愛に満ち溢れた心。みんなを包み込む力、きっと彼女の紡ぐソレは…さっちゃんに対してだよ。
「は?」
とんっと胸を指で突かれる。
そして、眉を下げながらも微笑んでくる。どうしてかわからない。未だにわからないことだらけだ。
「おい、名前は?」
問いかけると唇に指を添えられた。幼い頃、母親から静かにしてと促された動作に似ているそれに眉を寄せると、そいつは困ったように苦笑をしていた。
「忘れちゃうから」
「どうしてそう言い切れる?」
「そういう運命なんです」
世界が明るくなりはじめて眩しさに目を細める。そして目の前にいる影と呼んだ奴は悲しそうに見つめてきた。
「さよなら、砂月」
「まっ、でっ!」
鈍い音と共に頭部が痛くなった。次には野太い叫び声とのたうちまわる音が耳に入り皿に痛みと脳みそに響く。
「いっ…てぇんだよ!この石頭!」
「うるせぇ!お前がぶつけてきたんだろうがっ、このチビ!」
のたうちまわりながら騒がしく言うルームメイトに言いながら、まだ痛む頭部を荒々しく撫で回す。
「んだよ!お前が珍しく魘(うな)されてたから心配したのに…!」
「はぁ?」
チビが涙目で睨んできた。よほど痛かったらしいな。ハッ、いい気味だ。眠気が見事にない目覚めに苛立ちながらも起き上がり、洗面台に向かう時だ。
「本当に大丈夫かよ?嫌な夢でも見たのか?」
チビが聞いてきた。夢?そんなもん見たか?ああ、なにか見たような気がする。
「…あ?」
どうしても思い出せないのだ。霧がかかったかのように何も思い出せない。確かに夢を見ていたはずなのに、忘れてはいけなかったはずなのに、頭ん中から抜け落ちてしまった。
「砂月!朝飯食いに行こうぜっ」
「ああ、…」
忘れてしまうってことは必要ない夢だったんだろう。身支度を整え部屋から出た。何故か胸が締め付けられた気がするが、すぐに消えたから気に留めず食堂へ向かった。