うたプリ | ナノ




冬休みに突入した日のこと。ほとんどの生徒が実家に帰っているために学園は静けさを漂わせている。廊下を歩けば靴が音を創るのをレンは小さく笑った。彼は入学した当初、音楽に興味を示さなかった。自分はただ家の宣伝をするためだけに入れられた、そう考えていたから。だがその考えは壊れ今では音楽に向き合い、1人の少女と共に夢を叶えようとしているのだ。家の宣伝としてではなく、彼女と自分の夢を叶えるために。

ガチャリ、練習室のドアノブに手をかけ扉を開けた。やはり誰もいない。足を進めて持って来ていたサックスを取り出すと、楽譜が何枚か置いてあった。自分のモノではないことは確かだったが人間とは不思議なもので、興味を示してしまうと確かめたくなるものだ。近寄って楽譜を手にすると印刷されたものだった。ただ楽譜には音を奏でる記号が書かれていて、偶然なのかは知らないがサックスの楽譜だったのだ。レンは眉間にシワを寄せながらサックスを手にして楽譜に書かれている音を奏で始める。聴いたことのある曲だ、だがレンは何の曲か思い出せないまま取り敢えず弾いていると背後から歌声が聞こえて来た。その歌声は自分が知っているものだ。

「fly me to the moon.Let me sing among those stars.」

振り向けばAクラスで翔に普段からべったりな那月が立って歌っていた。にこり、笑みを向けたまま演奏を止めようとするレンに続けてと促しサックスと共に歌を紡ぐ。那月は普段ほわほわしていて可愛らしいことばかりするのに対して歌う時だけは美しく尚且つ力強く歌う。この曲も美しく尚且つ力強く、だが優しく歌っていた。その横顔が月に照らされ神秘的に見えるのは、気のせいだろうか。レンはいつの間にか音を奏でるのを止めていた。

「どうかしましたか?あ、僕が歌ったから邪魔だったよね。ごめんね」

「いや、気にしてないよ。ただシノミーの声に惹かれただけさ」

「ありがとうございます。でもレンくんのサックスもすごかったですよぉ」

ぱちぱちと拍手を贈る那月の優しさにレンは嬉しそうに微笑む。楽譜を手にして改めて見つめていると自分より背が高い那月が覗き込んで来る。

「fly me to the moon…ジャズのスタンダード・ナンバーの1つ、ですよね?」

だから自分は知っていたのか、レンは顎に手を置き楽譜を眺めて曲名をみた。私を月に連れて行って。と言う意味になる。那月はピアノの鍵盤に触れながら1つひとつの音を弾いて行く。

「この曲、好きなんです。美しくて愛を語ってる…さっちゃんも好きなんですよ」

自分の胸に触れて優しい笑みを見せる那月は砂月に話し掛けているのだろうか。レンはサックスを持ち直して那月へと視線を向けると、目がバチリとあった。

「今からシノミーの為に弾いてあげる。だから、ちゃんと聴いているんだよ?」

ウインクを投げると那月は驚きに満ちた表情を浮かべるが次には嬉しそうに微笑み愛おしそうに胸を撫でるのだ。

― All I worship and adore
(あなただけが大切で尊いもの)

― In other words,please be true
(つまり「真実(ほんとう)にしてほしい」ってこと)

― In other words,I love you
(言い換えると…「愛しています」)

那月は練習室から覗く月の光を眺めてこう呟いた。僕の歌は届きましたか、と。レンはその言葉を耳に入れながら静かに楽譜をピアノの上に置くのだった。