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「ただいまー、遅くなってごめんねぇ」

夜、いつものように仕事から帰ると家の中が異様に静かであることに気付いた。お出迎えがないのはいつものことだが、それでも「ただいま」と声をかければ部屋の奥から何かしらの物音が聞こえていた。それが今日はない。
首を傾げて廊下を歩く。夜ご飯の入ったレジ袋がガサリと音を立てた。はて、聞き慣れた音だけど、妙に音が大きく聞こえるのは何故だろう。

「ただいま帰りましたー。お猫さま、ご飯にしましょー」

部屋に私の声だけが虚しく響く。テーブルにレジ袋を置いて、リビングと寝室をくまなく探すがお猫さまは見当たらない。

「……お猫さま?」

念の為、風呂場とトイレも見たが黒猫の姿はどこにもなかった。流石に焦りを覚えて冷や汗をかく。「いったいどこに」ポツリと呟いて周りを見渡すと、とんでもないものを見つけて呆然と立ち尽くした。

「うそ」

窓が、開いていた。それも、猫1匹分通ることができるスペース。
どうして……また閉め忘れていた?この前の閉め忘れの件から、戸締りには気をつけていたはずなのに。でも完璧に閉めたと言い切れる?昨日の夜は閉まっていたけど、朝の記憶が殆どない。低血圧で朝に弱い私が、何を思ったのか無意識に窓を開けた可能性もある。

どうしよう、どうしよう、そればかりがぐるぐると頭の中を回っている。軽くパニック状態だ。でも身体は、混乱する頭に反して機敏に動き出した。靴を履いて、勢いよく家を飛び出す。
外は雪が降っていた。大粒の雪がゆっくりと降り積もり、景色を白く染めてゆく。どうにか、本格的に積もる前に見つけないと。

「すみません!この辺で黒い猫見ませんでしたか!?」
「猫……いや、見てないね」
「そうですか……あ、すみません!この辺で」

通りすがりの人にひたすら聞き込みをしていくが、誰も猫なんて見ていないと言う。大通りはダメだ、これだけ聞いて1つも目撃証言がないんだから、きっと人通りの多い道にはいない。
そこでふと思い浮かんだのは、例の路地裏。あそこに何があるわけでもないけど、私とお猫さまが初めて出会った場所だ。もしかしたら、とダメ元で駆け出した。途中、滑って転んだりしたけどなりふり構わず、お猫さまを見つけるために走り続けた。

「お猫さまっ!」

期待半分、諦め半分で勢いよく路地裏に入る。白い雪の上、真っ黒な猫が佇んでいる。息を切らす私に対して、猫は優雅に振り返った。

「ニャー?(あれ、おまえ何でここにいるの?)」
「〜〜っ、おねこさまぁっ!」
「ンニャ!ァーオ(うわ、何。冷た)」
「よかった、見つかってよかった!死んでたらどうしようかと」
「ミャァオ?(は?オレが?)」

お猫さまを抱き上げると腕の中が暖かくて、安堵で涙が溢れた。お猫さまはキョトリと、心底私が泣いている理由が分からないといった様子で見上げてくる。
うん、分かんないだろうねえ、お猫さまには一生。私がどれだけ焦ったのかも、心配したのかも。

「あなたはもう私の大切な家族なんだから、急にいなくなったらビックリするし悲しいです。て言っても、伝わらないだろうけど」
「……。(家族、ね。オレのこと、そんな大切なんだ。散々引っ掻いてやったのにさ)」
「帰りましょ。風邪引いちゃいます」
「ニャ(仕方ないね。元に戻る手掛かりも見つからなかったし)」
「それにしても、本当に。見つかってよかった」

お猫さまを抱き上げて帰路につく。何か言いたげな目をしたお猫さまに笑いかけて「今夜は一緒に寝ましょうか」と冗談めいて言ってみると「ニャー」と了承っぽい返事が返ってきた。マジですか。お猫さまがデレた。
賢い猫だから、誰のために走り回ったかってことくらいは分かってるのかもしれない。ほんの少しの罪悪感も抱いてるのかも。ならその罪悪感につけこんで、今夜はちょっと甘えちゃおうかな。お風呂に入って、ご飯を食べて、明日は遅出だからゆっくり寝よう。可能なら、全部お猫さまと一緒がいい。

《家に帰るのがこんなに楽しみになるなんて、お猫さまがうちに来るまでは考えられなかった》
(罪悪感なんかじゃない。オレの為に走り回って怪我をして泣いた女に冷たく当たるほど、非情じゃないってだけだよ)