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「ただいまー、お猫さま。」
「ニャ(おかえり)」

あぁ、最近我が家が天国に見えてくる。
この間の鬱な日から全くと言っていいほど爪も牙も立ててこなくなったお猫さま。もう私の肌のどこにも、真新しい傷はない。更には仕事から帰ってくれば玄関で出迎えてくれる。
君が天使か。ここが天国か。

目頭を押さえて、とりあえず寝室へ赴く。ハンガーに上着をかけて、クローゼットの中へ直した。片手には手紙。ベッドの上にゴロンと転がって封を切れば、ああまたか、と小さなため息が漏れる。

「ナァ?(なに、それ)」

ずしりとお腹に重量が。視線を手紙から下へ移せば、お猫さまがお腹に乗っかっていた。首をコテンと傾げてまん丸い黒い瞳がジッとこちらを伺っている。なんだ、ただの天使か。

「結婚式の招待状ですよ。今年でもう3通目。」

「おめでとう」招待状を貰って純粋にそんな気持ちを抱いていたのは何年前だろう。
今はお祝いの気持ちよりも先に焦りを覚えてしまうようになった。周りで結婚していくのは昔に通っていた学校の同級生たちで、つまり私と同じ歳である。
ゴールインした彼女たちと比べて私はどうだ。彼氏なし、身近に出会いなし。オスなら近くにいるけどね。

「はぁーぁ、いっそお猫さまが人間だったら彼氏になってもらうのになぁ。」
「ニャー(いや、オレ元々は人間なんだけど)」
「いや、言っても無駄か。」

あははっ、と乾いた笑みが漏れる。あーあ、お猫さま相手になんてこと言ってるんだ私は。でもちょっぴり、お猫さまが実は呪いをかけられた王子様だったら、なんて乙女チックなことを考えてしまったりして。

黒くて艶のある身体を頭から背にかけて優しく撫でる。疲れた、このまま寝てしまいたい。

「ゥミャー、ニャーゥア。ミャーァ?マーウ?ミャーォウ(ねぇ、なんで分かってくれないの。明らかに他の猫と違うことくらい分からない?少しは気づかないの?バカなの?そもそもおまえ、オレのそばにいたいんだよね。なんで他の男なんて欲しがるわけ?オレで十分だろ)」
「んー、よく喋るね。上機嫌ですか?」
「ウーッ(そんなわけない、寧ろ不機嫌だよ)」
「え、なんで唸ってるんですか。」
「……。(オーラも見えない一般人って、ほんと面倒。ていうか、この前オレを好きだって言ったのはどこのどいつ?)」

あ、黙った。お猫さまも眠いのかな。

「眠いんですか?よかったら、ここで寝ます?」
「……チッ」
「したう……!?」

ちょん、とお猫さまと私の口が触れ合った。わ、嬉しい。これって猫の愛情表現だって本で読んだ。でもさっきの舌打ちって……情緒不安定なのかな。

そんなことを悠長に考えていると、お猫さまの身体がビキビキと音を立てて変化していくではないか。え、何事。
肉球がなくなり、固そうな五本指に変わって、黒い毛は髪になり、しなやかな身体は引き締まった人の肉体へと変化していく。全ての変化が終わって、状況を今ひとつ理解できない頭で思うのは、目があまり変わらないな、ということくらいだった。

「ぇ、な?……ヒェ」

ベッドの両サイドに手をつき、私を見下ろす長髪の男は、全裸だった。
……携帯、どこだっけ。警察って100番?119番?110番?いや、そもそもこの人、誰。お猫さまからこの人に変わったように見えた。え、まさか本当に王子様だったの?全裸の王子様なんていたの?魔法が解ける際、王子様であれ王女様であれ、何か服を着ているのは世界各国のマナーで常識じゃない?

「あ、戻った。ねぇ、言葉分かる?」

イエスの意を込めて小さく頷く。
分かります、分かりますから服を着て。その身体は私に毒です。

「そ。じゃあナマエ、オレのものになって。オレ、自分の所有物は結構大切にするタイプだからさ。安心していいよ。」
「お、おねこ、さま?」

その自己中心的な感じ、間違いなくお猫さまだ。

「うん。おまえがお猫さまって呼んでたのがオレ。さっき、なに言ったか覚えてる?オレが人間なら彼氏にしたいんだよね?オレが好きなんでしょ?なら問題ないよね。」
「え……ぇ?」
「これからよろしく、ナマエ。」

キスで元の姿に戻ったのは王子さまではなく、大変横暴でわがままで自由気ままな猫のような男でした。

「えっと……とりあえず」