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仕事先の小さな喫茶店。
お客さんはみんな常連の顔馴染みばかりで、全員お年寄りだ。このなんとも言えない静かな雰囲気が堪らないらしい。因みに夜は照明を暗くして、独特な雰囲気の漂うバーになる。といっても、昼も夜も客層は大して変わらない。
だから若い人がこの店に訪れるのは稀。そして常連になるのは更に稀。

だから自然と目がその人を追った。
数週間前からずっとここに通い詰めてくれる同じ歳くらいの男性。彼が座るのは決まって一番隅の一人席。

頼むものはオムライス。そのあとに一服するための当店オリジナルコーヒーを一杯。

「おまたせしました。」
「ああ、今日もおいしそうだ。いつも思っていたんだが、これはキミが?」

初めて話しかけられたものだから、びっくりする。
その人は少年のような人懐っこい笑みを浮かべて、オムライスを前に目を輝かせていた。

「あ、はい。オムライスは私が。」

スプーン一杯にオムライスをすくった男性は、口を大きく開けて一気にぱくりと頬張った。
ゆっくりと咀嚼して飲み込んで。また少年みたい笑う。

「うん、おいしい。いつもありがとう、お姉さん。」
「おねっ……!?や、やめてください。多分、お客さまと同じくらいの歳ですから。」
「んー、じゃあ名前は?あ、オレのことはクロロでいいよ。お客さまって呼ばれるのもなんか嫌だしさ。」
「……私はナマエといいます。」

な、なんだか流れるように会話が進む。すごい若者っぽい話をしている気がする!
いつも「いい天気ですね」とかそんな和やかな会話しかしてこなかったからすごく新鮮。

「ナマエちゃん、注文いいかね?」
「あ、はーい。じゃあクロロさん、失礼します。」
「うん。あ、あともう少ししたらコーヒーよろしく。」
「はい!」

──────

厨房でせかせかと動くナマエをクロロはじっと見つめる。

「ナマエ、か。」

本来ならば気になる念能力を手に入れるためにこの町へ来たのだが、その念能力者は既に死亡していた。死体の首筋に刺ささっていた一本の針。あの暗殺一家に先を越されたらしい。

適当にどこかで何か食べて帰ろう、と偶々入ったこの店のオムライスとコーヒーがクロロの味覚に絶妙にマッチした。店の雰囲気も彼好み。

彼が未だ本拠地に戻らずこの平凡な町に居続ける理由は、この店のオムライスとコーヒーを心ゆくまで堪能するためであった。

「いっそあいつを連れて帰れば」
「ウーッ」

この店に似つかわしくない殺気。クロロが勢いよく下を向けば、そこには毛を逆立てた黒猫が一匹。
その猫から発せられるオーラが文字となって浮かんだ。

「(おまえ、あいつに何しようとしたの)」
「……おまえ、イルミか?その姿、ターゲットにやられたか。」
「(うん、死ぬ間際にかけてられてさ。油断した。で、クロロは何してるの)」

このオーラの質と口調。特徴的な黒い瞳。
あの暗殺一家の長男、イルミ=ゾルディック で間違いないだろう。
クロロは吹き出しそうになる己の口を押さえて、オーラで文字を作る。

「(人を猫に変えることができるらしい珍しい念を盗りにきたんだが、あいにく手遅れでな。
帰り際に寄ったこの店の料理とコーヒーがオレ好みだったから、暫くこの町に滞在している。おまえは?)」
「(見てのとおりだけど。この念、解く方法とか知らない?)」
「(いや、知らないな)」
「(そ。で、あいつに何しようとしてたわけ。名前なんか聞き出してさ。あいつはただの一般人だよ)」
「(確かに一般人だが、この料理を作ったのは彼女らしい。あの腕なら是非ともそばに置いておきたいものだ)」

おさまっていたはずの殺気が膨れ上がる。イルミは鋭い牙をのぞかせて、テーブルの上に乗っかるとクロロの瞳を覗き込むように睨み付けた。

「(……ああ、なるほど。おまえ、今はあの娘の飼い猫なのか)」
「(そうだよ。だから今のオレはあいつの、あいつはオレのものなの。手、出したら殺すから)」
「え」

ナマエの声が妙に大きく感じた。
一人と一匹、揃って声の主を見れば、目をまん丸に見開く女の姿。
驚くのも無理はない。家にいるはずの飼い猫が仕事場にいるのだから。

「あ……えっと……。」

ロボットのような動きでコーヒーを机に置いた彼女はゆっくりした動作で黒猫を抱き上げた。

ぐるぐるぐるぐると思考が巡る。まずナマエがすべきことは何だ。騒げば嫌でも人目をひく。謝っても同じこと。ならばまず、この猫を店の外へ放り出すのが最優先か。しかしこの「ニャー」と愛くるしく鳴く愛猫をこの寒空の下放り出せるほどナマエは冷たくない。

そうしている間に、店長と目があった。明らかにその視線はナマエではなく猫に向けられている。そういえば店長は猫アレルギーだ。

「あーっ!すみません。いつの間にか入ってきちゃったみたいで。こいつ、オレの飼ってる猫なんです。」
「っ!あ、わー、ソウナンデスカ!かわいいデスネ!
て、店長、このお客さまがお帰りになるまで置いてあげてくれませんか!この寒空の下、放り出すなんてかわいそうです!」

涙目になりながら説得するナマエの必死さが伝わったのか、店長はカウンターの奥で渋々ながらに頷いた。

「ありがとうございます……!これ、お納めください。」

店長が奥へ引っ込んだ隙に、ナマエは何度も何度も頭を下げる。このちょっとした騒ぎの元凶は呑気に欠伸を一つもらした。

《コーヒーにプリンを添えてお礼をした。これも彼の口に合ったらしい。これだけじゃ申し訳ないし、お土産もつけようか。》
(あ、うまい)
(それ食べたら早く帰ってくれる?)
(はいはい。この店の味はここにきたときの楽しみにとっとくよ)