2人いれば寒くない

視線を感じる。ヒソカに連れ出されてからずっとだ。廊下、フロント、街、すれ違う人達からヒシヒシと視線を感じて思わずヒソカの手を握りしめた。やはり私のような貧乏人がこんな上等な服を着ても似合わないのだろうか。はたから見れば服に着せられている感じか。服は申し分なく暖かい、けれど無性にあのボロが恋しくなるのは骨の髄まで貧乏人の性がベットリと張り付いているせいに違いない。

「ヒソカ……やっぱり私」
「もっと胸を張って、周りの声に耳を傾けてごらん」

戻る。その言葉を遮ってヒソカが私の手を握り返す。熱がジンワリと伝わってきて、ほんの少しだけ心に余裕ができた。恐る恐る、気乗りしないままヒソカにしがみついていた身体に力を入れて深呼吸をすると、少しづつ人のざわつきの中から言語として聞き取れる音が耳に入ってくる。そこから聞こえてくるのは決して誹謗中傷などではない。「可愛らしいお嬢さんね」「どこの子だろう」「まるで童話の中から飛び出してきたみたい」マッチを売っている最中とは全く違う。汚らしいものを見る目ではない、傷付くような言葉ではない。今の私に向けられるのは、綺麗なものを讃える言葉と暖かい眼差し。
信じられなかった。理解が追いつかず上を向けばヒソカが「ほら、怖くないだろ」と笑っている。

「今のキミは例えるなら宝石。地面に転がっていたルビーの原石があますところことなく磨き上げられ、装飾され、誰もが喉から手が出る程欲しいと思わせる。そんな宝石を、人が侮蔑の目で見るわけないだろう?」
「……ふーん」

素面だろうか。どこかで酒でも被ってきたのではないか。まさか現実に女を宝石に例える男がいるとは思いもよらない。恥ずかしくないのだろうか。言われている側の私は顔から湯気が出そうなくらい恥ずかしいのに。
あり得ないものを見る目でヒソカに視線をやると、なぜ私がそういった目を向けるのか本気で分からないといったように首を傾げる。マジか、素面か。ナチュラルに女の子を宝石や花に例えちゃう系の男か。実はヒソカってどこかのお伽話から飛び出てきた王子だったりしない?いや、こんな王子いたら子供に悪影響でお偉いさんから規制かけられるだろうけどさ。

「おや、顔がリンゴみたいに真っ赤だ」
「気の所為!」

気づいてほしくないところをズケズケと突いてくる。口から出るのは素直じゃない言葉ばかりで、それでもきっと照れてることくらいお見通しなのだろう。クスクス頭上から聞こえてくる笑い声が憎たらしい。

「まったく、私のことからかってばっかり」
「好きな子ほどイジメたくなる男心ってやつはどうにもならないからねェ」
「っ、そういうところがイヤなの」
「くくっ、また赤くなった。服と同化しちゃいそうだ」

いい加減にしてほしい。キッと睨みあげれば飄々とした笑みに受け流される。軽くため息をついて手を離すが、ヒソカは私の手を離さなかった。多分この男には何を言っても、何をしても無駄なのだ。自分で飽きたとでも思わない限りからかうのをやめない。それこそ私が嫌がれば嫌がるほど面白がるタイプ。分かってる、分かってるのに照れ臭さが勝って抵抗を続けてしまう。
暫くヒソカに手を引かれて歩いていると飯処と書かれた看板が見えてきた。大衆食堂だろうか。家の近くでも見かけるような店だ。こういった観光客が集まる街に安い、早い、美味いを掲げる気軽に入れるような飲食店はないと決めつけていただけに意外だった。そしてヒソカの言っていたなかなかいい店というのがその大衆食堂のことであると察し、また驚かされる。勝手なイメージだ、ヒソカはお洒落なレストランを好むと思っていた。そしてこの洒落た服を着せられたのも、一般人には中々入り辛い店に行くからだと勝手に思い込んでいた。

「らっしゃーせぇー!」

店の中は想像していたものに近い設計。カウンター席とテーブル席が並び、カウンターの奥では店員が慣れた手つきでフライパンを振っている姿が目に入る。客層は中年の男が多い。大方、この辺で働く人達御用達の店ってところか。観光客らしき客もいるにはいるが、別の通りで見かけたレストランに比べればやはり少ない方だろう。
もしかして、気をつかわせた?私が気張らずに済むように。そりゃあお洒落な店よりこっちの方が有難いけれども。でもこの服じゃちょっと浮きそうだな。

「何名様で?」
「2名」
「お煙草は?」
「吸わない」
「かしこまりましたー。あちらの空いてるお席にどうぞ」

新鮮だ。ヒソカが普通に会話のキャッチボールをしている。そういえばヒソカが私以外の第三者と話している場面を見る機会はあまりなかったように思う。唯一あったのが車に轢かれかけたときか。確か少年を殺そうとしていたっけ、ロクでもないな。
ちょうど奥に空いている2人用のテーブル席。そこへ座ろうと足を運ぶ最中、妙な視線を感じた。街中で受けたものとは違う気味の悪い、全身舐め回すような視線。ちょうど視界に入りにくい入り口付近から。気になって振り返り、そして言葉を失った。

「な……っ!?」

死角になる入り口付近。4人がけのテーブルには3人の男が座っている。テーブルの上には少しのツマミと沢山のジョッキ。そんなに酒が飲みたいなら食堂ではなくどこかの酒場に行ってしまえと思わなくもないが、その男達の服装を見れば食堂で安酒を飲むのが精一杯なのだなと察することができる。まさかヒソカ以上にロクでもない男を見ることになるとは……いや、問題はそこではない。酒を飲んでいる人物、それこそが私の思考を停止させる今この世で一番会いたくない危険人物だった。

「と、父さ」
「どこのべっぴんかと思えば俺のムスメじゃねーか!」

酒を飲む3人組の内の1人。一瞬目を疑ったが、間違いない。クソ親父だ。昨日からいないと思えばこんなところでぐーたらしてやがった。まさか一晩中ここで?そんなことはないと言ってほしい。せめてハシゴくらいしていてくれ。じゃないとこの店の人達に顔向けできない。
席から立ったロクデナシは横に立っているヒソカなど気にも留めず、ずけずけと近寄ってきては酒臭い息をかけてきた。周りの客や店員からクソ親父に非難の目が向けられるのが分かったが、流石クズ。視線など知ったことじゃないらしい。

「まさかあの汚らしいガキがここまで変わるとはなぁ。これで客でもとってんのか?あ?」
「父さん、帰ったら話すからここでそんな話はやめて」
「っるせえ!!ガキの立場でいつから俺に意見できる立場になった?黙っとけ。にしても流石アイツの娘だ。男を手玉に取るのがうめぇ……おい、兄ちゃん。こいつ幾らで買った?」

絡む対象がヒソカに移る。ゾッとした。こいつは力の差さえ分からないのだろうか。下手をすれば1秒後には肉塊が転がっている未来を想像してしまい、反射的にヒソカの片腕にしがみつくように抱きついた。
なんとなく、確信はないが分かっていたのだ。ヒソカはきっと、その気になれば人くらい普通に殺す。目の前にいるちんけな酔っ払いくらいどうとでも出来る力を持っている。別に私個人としてはクソ親父がどうなろうがどうでもいい。でも駄目だ。あの人は、それを望んでいないから。だからしがみついた。ヒソカの利き腕に精一杯の力を込めて。

「困るんだよなぁ。一応俺はこいつの親だ。金なら俺に払ってから遊んでもらわねぇと」
「……。」
「ヒソカ」
「ん?大丈夫だよ。殺さない」

だから離せとでも言うのだろうか。やんわりと私の手を振りほどいたヒソカはニィと笑って前を見据えた。細められた瞳から感じるのは底冷えする冷たさ。笑っているのに笑っていない、気味の悪い笑み。
クソ親父は気付いていないのか。その視線の中に微かな不愉快さが混じっていること。こんな嫌な視線を一身に浴びるなんて私には耐えられないが、クソ親父はタヌキに似た顔を歪めて笑っている。大したものだとこの時ばかりは拍手をおくりたい。図太さだけはピカイチらしい。

「知らなかったなぁ、まさかナマエと遊ぶのに金が必要だったなんて」
「当たり前だろう。大切な大切なムスメなんだからな」
「ふーん。どのくらい?」
「あ?」
「いくら払えば満足だい?」

何を言ってるんだこのキチガイは。そんなこと聞いたら大金をふっかけられるに決まってるのに。そもそも私を連れてるとバレた時点で私を置いてすぐ店を出ていればこんなことにならなかったのに。
黙ってろと言われた以上、何も話すことができず歯痒さで唇を噛みしめる。ロクデナシは勿論だが、何も言えない自分も情けない。周囲からも不愉快さを表す声や視線を受けて、申し訳なさで消えてしまいたい気持ちで胸がいっぱいだ。もうやだ、憧れの場所まで来てなんでこんな思いしなきゃいけないの?

「そりゃあ、人様のガキを預かるんだ。誠意ってもんを見せてみろよ」

大金よりもっと悪いものをふっかけてきやがった。暗にヒソカの中の私の価値を試すようなものだ。納得のいかない額なら大声で笑うのだろう。気にくわない。
誠意を金で示せというのも中々可笑しな話。誠意はいわば真心。純粋な気持ちとも言える。そんな誠意を金如きで測ろうだなんて……そもそも仮にも娘と思ってるなら金で売ろうとするなよ。
こんな話には乗らなくていい。ヒソカの裾を掴んで止めようとすればもう手遅れ。なんてことない顔で何かをポイと投げつけた。

「少ないけどアンタならそれで十分だろ?」
「なっ、ヒソ」
「いいんだよ。これでキミと過ごせるなら安すぎる」

クソ親父の手に収まったソレは、財布だった。ニタリと笑って中身を確認したロクデナシの顔が一瞬にして凍りついたところを見れば中にはかなりの額が入っていたのだろう。でもそんなお金も、こいつにかかればものの1日で無駄金と化してしまう。あんまりだ、私のためにそこまでする必要はないというのに。

「オトーサンも文句はないみたいだ。行こうか」
「どこに」
「もっと楽しめるところ」

手を引かれてあっという間に奴の横を通り過ぎる。チラと振り返ればやはりこちらなんて見向きもしない。分かりきっていたことだが、やはりクソ親父にとっては子供より金が大切らしい。少しだけ、ほんの少しだけ胸の辺りがズシリと重くなり、締め付けられるのを自覚して、店内の人達に会釈する。最悪だ、まさかまだアイツに父親らしい行動を期待していたなんて。私は何を期待していたんだろう。自分の甘えに腹が立って仕方ない。
僅かでも、愛されたいと思ってしまった。娘をよく分からん男に任せられるか、と引き止めて欲しかった。そんな台詞を言うような男でないと知っていたのに、望んでしまった自分に腹が立つ。腹が立って、はらわたが煮えくり返って、暑い体内を少しでも冷まそうとでもいうように目にいっぱいの熱い水分が溜まった。グッと堪えて下を向けば、ヒソカが立ち止まることなく声をかけてくる。いつにも増して柔らかな声を。

「この先に公園があるから、途中で何か買って食べようか」
「私、帰る。これ以上一緒にいたら迷惑にしかならない」
「財布のことを気にしてるなら問題ない。もう1つ、念の為持ってきてるから」

念の為って何だ。まさかスリ防止対策か。

「……寒いよ、外」
「2人いれば寒くない、なんて言ってみたりして」
「バカじゃないの」
「かもしれないねェ」

ギュッと手を握りかえせば温もりが伝わってくる。一面雪景色の極寒の世界が急に色付いて華やいだ気がした。こんな私に構うなんて、どう考えてもバカだよ。バカ。

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