グラスのぶつかる音、客たちのおしゃべりに笑い声、社交辞令の飛び交う、煌びやかなパーティー会場。
そこに不釣り合いな人物が一人。誰とも喋らず会場を彷徨う女。赤いドレスをヒラヒラと揺らす様は金魚の様で、不思議と人の目を引いた。しかしその女に目を向けた者が浮かばせた表情は恍惚ではなく、恐怖や不安といったものだった。

「幽霊?」誰かが呟く。
そう思うのも当然だった。病的な、白を通り越した青い肌。顔色も赤いドレスのせいで更に青く見える。ドレスの存在感や明るみだけは際立っているのにそのドレスを纏う肉体は何の気配も暖かさも感じられない。病院から抜け出してきたのか、はたまた生きているのかさえ疑わしく思えてくる、そんな女だ。
それに対して女、ナマエは声のした方に向かって目を細めて笑った。

「はじめまして。わたくし、カーライル家の次女、ティーアです」

そう言って頭を下げれば、声の主であった婦人は目を丸くする。

「あら……あらあら、ご丁寧に。ティーアさんは、今日はお一人で?」
「はい、両親は急用が入ってしまって。わたくし一人で参加させていただくのは不安だったのですが」

「今日はまだ体調がよくて……人生で一度でいいから、パーティーに参加させていただきたかったのです」ナマエがそう言えば婦人や周りの、気味の悪いものを見るような目は次第に和らいだ。

カーライル家は、実際に存在する名家だ。
この社会の大物が集まるパーティーに招待されるには妥当な家柄で、次女のティーアは病弱で表に出たことはない。それを踏まえての病弱メイク。ナマエが持っている招待状も、正真正銘カーライル家のものだ。誰もナマエが招かれざる客である事を疑わない。
本物のカーライル家も、邪魔してくることはない。何故ならカーライル家こそが今回の暗殺依頼人たちの筆頭であり、招待状もカーライル家当主から直々に渡された物。依頼者自ら、暗殺失敗の可能性を上げることはしないだろう。

「なるほど。君がカーライル家の。よく来てくれたね」

いつのまにか輪の中心になり、ニコニコと笑っていると背後から肩に手をかけられる。ナマエはゆったりとした動作で振り向き、その人物を目にするとドレスの裾を掴み、腰を折って頭を下げた。

「ご挨拶が遅れて申し訳ありません。わたくし、カーライル家次女のティーアと申します。本日はこのような素敵なパーティーにお招きいただき光栄ですわ」
「気に入ってもらえたなら何よりだ。ご両親は仕事で来られないと聞いているが……長女のエマさんも?」
「はい。姉は体調を崩しておりまして」
「そうか、残念だ」

小太りの中年の男は至極残念そうにため息をついた。この男がこのパーティーの主催者でありターゲットである。おおかた、今夜も甘い蜜を味わえると思っていたのだろう。
誰のせいで長女が体調不良になったと思ってるんだ、ナマエは頭を下げたままの範囲で見えるターゲットを軽く殺気を込めて睨みつけた。

頭を上げるよう促されて、ナマエはやっとまともにターゲットの顔を見る。
お世辞にも良いとは言えない顔。腹はもちろん、顔にもしっかり肉が付いており、額には脂汗が浮かんでいる。ナマエがその顔をまっすぐ見据えている最中にも、ターゲットは不躾にナマエの頭の天辺から足の先まで品定めするように、じろじろと視線を動かしている。

ナマエはこんな男に手篭めにされた少女たちを哀れに思うと同時に、腹の底からふつふつと怒りが湧き上がった。

許すまじ女の敵。数多の苦痛を与えた後に殺してやる。
可愛い顔とは裏腹に、殺る気満々で笑顔を作る。そのナマエの顔はほんの少し歪んでいたが、それが妙に合っていた。普通の笑顔よりずっと。
眉をひそめた作り笑いは、病気で辛い中、周りに心配をかけまいと無理に笑っているような……他者からはそういった風に見えていた。普通の華やかな笑顔よりずっと自然だ。

「あっ」

不意に、ナマエの身体がふらりと傾いた。
それを正面のターゲットは反射的に抱きとめる。腕の中に収まる細い身体に、ターゲットは息を呑んだ。周囲がざわりと騒めく。
ナマエは上目遣いで一瞬、ターゲットを見たあと急いでその肥えた身体から離れた。そうして視線を右下にやり、恥ずかしさを演出する。

「も、申し訳ありません。とんだ、ご無礼を」
「……顔色が良くない、少し休んだほうがいい。部屋へ案内しよう」

ナマエの腰に手をまわして会場出口へ向かうターゲット。ちょろいなとナマエは内心ほくそ笑む。
なにせ年若い女が好みの男だ。恥じらいは大好物だろう。

促されるままにターゲットと歩いてゆくと、扉が見えた。左右に男二人が立っている扉が。
内一人は数時間前に見た顔で、いつもどおり食えない笑みを浮かべているのかと思いきや真顔だ。下ろした髪の隙間から向けられた視線は思いのほか冷たくて、ナマエは首を傾げた。
ターゲットの陰茎を握り潰すのがそんなに嫌なのだろうか。彼ならノリノリでやってくれると思ったのに。

終ぞ、部屋に入るまで逸らされなかった視線のせいで、ナマエは首に吸い付いてくる唇よりもヒソカが気になって仕方がない。

「こんなに身体を固くして。大丈夫、わたしに全てを任せなさい」

背が柔らかく包み込まれるような感触に、ナマエの意識はやっと目の前のターゲットへと戻ってきた。
背にはベッド、目の前にはターゲット。押し倒されているのだと、初めて気付いた。しかしナマエは焦ることなく、ただ戸惑いの表情を浮かべる。

太ももを撫ぜるいやらしい手に己の手を重ね、おずおずとターゲットの瞳を見つめる。

「あ、あの、一体……なにを」
「気持ちのいいことだ。心配することはない、君のお姉さんも同じことをしたんだよ」
「姉、も?」
「そうだ。そして、君がわたしに身を委ねてくれるなら、カーライル家に多大な援助を約束しよう。まあそれも、君次第だが」

次いで耳元で囁かれた言葉に、ナマエは身体の奥底から、すぅっと何かが冷えてゆくのを感じた。

「分かったね?」
「……はい」

被害にあった女性たちは、少女たちは、どれほどの苦痛を、この男に、与えられてきたのか。

一瞬、息を乱すがターゲットはそれに気付かない。ナマエは今にも男の心臓を貫きたい欲を抑え付けて、必死にティーアを演じる。
病弱で、ひ弱で、今にも死にそうな少女を。世間知らずのお嬢様を。

このターゲットに、男に、とびきりの苦痛を与えられるなら少しくらいは身体を許しても構わないと、ターゲットの理想を演じても構わないと、そう思った。
近づいてくる唇を受け入れるつもりでうっすらと口を開く。口の中に含んだ協力な睡眠薬をターゲットに飲み込ませ、眠らせる算段だ。

そこから12時までの約3時間。ありとあらゆる痛み苦しみ恐れを与え続けるつもりでいた。そのつもり、だった。

「ぇ」

しかしそれはもう叶わない。
どれだけ甚振ろうと、死者に痛みなど感じさせることはできないのだから。

「何、こんな男が好みだったの?趣味悪いね」

既に息の耐えたターゲットを、ヒソカはゴミでも放るようにポイと床に投げ捨てた。ナマエは目を見開く。上半身だけを起こし、己の身体を跨いで立っているヒソカを見上げた。

「なんで」
「ナマエが鈍間だったから、先に殺した」
「私は、あなたになんて言ったか、覚えてる?」
「さあ?」

体勢を整え、ナマエがヒソカを組み敷くまでは一瞬のことだった。隠していたナイフを取り出し、それをヒソカの首元に当てる。

「私は、ターゲットにとびきりの苦痛を与えたい、と言ったのよ。ねえ、どういうつもりで奴を殺したの?」

痛みを感じる暇もなくあっという間にその命を落としたターゲット。彼に向けられるはずだった殺気はヒソカへと向けられた。

返答次第では殺す。
冷たい目が雄弁に語っていた。
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