「見事なまでに透けてるね」
「ねー、私もビックリ。手のひらを通り越して光が見えるの」
「へー」

ほら、と笑えばイルミは覗き込むようにナマエの顔の近くへやってきた。他愛のない会話が続く。殺さないの?などという野暮な言葉は不要だと、ナマエ自身分かっていた。これでも長年一緒に仕事をしてきたビジネスパートナーなのだから。
イルミもきっと分かっているはずだ、直接手を下さずとも、ナマエがもう直ぐ消えること。彼は彼なりにナマエの最後を見届けにきた。真相を確かめにきた、の方が正しいかもしれないが。

「またちょっと薄くなったね、飛べないの?」
「残念ながらフワフワとは……あっ、でも少しなら!」

ピョンと飛んで着地する。ただのジャンプだろと突っ込まないのはイルミなりの優しさでありスルースキルを極めている証でもある。いっそ笑ってくれ、とナマエは色素の薄い頬を赤らめたが照れてる場合ではない。イルミの夜を宿したような瞳が、消える前にさっさと真相を話せ、と雄弁に語っているのがよく分かる。目は口ほどに物を言うというが、イルミの場合、目は口以上に物を言った。

「あーー、まあ、イルミのことだし私の素性とか全部調べてきたんでしょ」
「うん。父親と刺し違えて死んだんだって?」
「そうそう。でもビックリだよね、死んだと思ってたのにまだこの世にいるんだもん、普通の生きてる人と同じように」
「未練でもあったんじゃないの」

ナマエは瞬きを数回して、呆けたような顔でイルミを見つめる。まさかイルミから、未練、などという言葉が出てくるなんて思いもよらない。それじゃあまるで、幽霊の存在を信じているみたいじゃないか。
これまで幽霊などいない、全て念で片付くことだと言い張ってきたイルミが「未練」だなんて。ナマエは自分の身体を見つめる。分かっていたことだが、イルミに認められて漸く、ああ私は死んだのだな、としみじみ受け入れることができた。こんなに近くに、真隣にいても、どこまでも遠く感じるなんて変な感覚だとナマエはどこか他人事のようにそう思う。

「そもそも、俺に近付いてきた理由って何。まさかお前の死に俺が関係してるとか言わないよね、殺した覚えもないんだけど」
「いや、出会ったのは本当に偶々。多分だけど、未練はね」

イルミに対する態度、他の人と比べればその態度は歴然としている。猫かぶりではない、イルミの前でのみ心の棘が取れたような柔らかな表情を見せたナマエ。イルミはナマエにとって特別だった。

「愛されてみたかった。死ぬ前に、誰かに愛されてみたかったの」

私だけを見て、私に触れて、私を愛して。そんな欲求が、溢れ返った。イルミと出会うまで、男に抱かれ続けていた理由はソレだ。しかし身体を重ねなくとも、近くにいるだけで寂しさも虚無感も埋まる幸福を知ってしまった。

「でもあなたに会ってから、誰か、じゃなくてイルミだけに愛してもらいたくなった。あなたに興味を持ってもらえなかったら、私がここにいる意味はないって思うくらい、あなたに惹かれたの」

好きで好きで堪らなくて、側にいるだけで幸せで、同時に父親の感情もほんの少し理解してしまった。されてきた仕打ち全てを許せるわけではないが、それでも同情はしてしまったのだと思う。
ナマエには母がいたが、既に過労で亡くなっている。父親が仕事を辞め、可笑しくなったのはそれから少し後のこと。許せなかったのだろう、自分を置いていった妻のこと。嫌悪したのだろう、妻によく似た娘のこと。死にたかったのだろう、妻の異変に気付けなかった自分のこと。
ナマエの父親は、母親のことを本当に愛していたのだ。妻に似たナマエが側にいるだけで、彼がどれほど苦しい気持ちになったのかは計り知れない。妻の異変に気付けなかった、自分を何度も何度も気が狂うほど責めたことは確かだ。

「ねえイルミ。私のこと、好き?」

ダメ元で尋ねてみる。イルミは微かに端正な眉を寄せて、小さな溜息を吐いた。下らない、とでも言うように。
もう足が見えない。消えかかっているらしい。未練を、心の中でくすぶっていた問いを口にしたのだ、当然の末路かもしれない。

「どの道消えるんだから言っても無駄だろ」
「あははっ、手厳しい」

つまり教えるつもりはないと。まあこれでいいかもしれないな、とナマエは思う。「好き」と言われたらきっと勿体無くて消えることができない、「嫌い」と言われてもそれはそれで消えられないだろう。要は曖昧なまま、素っ気ない返事が一番いい。

食い下がるつもりもない。最初で最後の愛しいあなたが見届け人、2度目の人生に感謝する。
私にしては、いい幕引きじゃない?

「じゃあね、イルミ。ありがとう」
「潔すぎて気味が悪いんだけど」
「潔い女ってステキでしょ?」
「今日に限ってはウザい」

最後だというのに、なんて変わりばえのない会話。涙なんて引っ込んで笑えてくるのだから有り難い。ナマエはぎゅうと服を握りしめて再度「バイバイ」と口にした。もうちょっと、もうちょっとだけ、そんな願いなど届かずに身体は景色に混じって消えてゆく。イルミは笑っているようで泣き出しそうなナマエの頭に手を添えて、目を細めた。

「また性懲りもなくオレの前に現れたら、ナマエの望む答えをあげる」

「だからまたね」イルミがそう囁いた時にはもう、ナマエの姿はなかった。終わるのは一瞬だった。
最後、彼女はどんな顔をしていたのだろう。泣いていただろうか、笑っていただろうか、驚いたようなバカっぽい表情を浮かべていたかもしれない。
感傷に浸る間もなく、用のなくなった屋上から立ち去ろうと足を動かすと、軽く硬いものを踏みつけた。暗いアスファルトの上に目をやる。するとそこには見覚えのあるものが転がっていた。イルミがナマエに選んでやったオレンジ色のチーク。部屋も携帯も金も、何もかもを置いてきてもコレだけは手放さなかったらしい。ここまで持ってきたなら最後まで持っていけばいいのに、とイルミは呆れながらチークを拾う。

「ほんと、ドジで間抜け」

しかしその残されたチークが、ナマエのいた証拠でもあり、何より「きっと戻ってくるよ」と語りかけてくるようで、イルミは口元を緩めて胸ポケットにソレを仕舞った。

幽霊消えた。その先はどうなるか、彼も彼女もまだ知らない。
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