これからもあなたと共に
鷹峯さんと付き合い始めてから約三年。
早いもので二十四歳。犲の女中としてもかなり重宝されている……と思う。自信がないのは武田くんも女中力をかなり高めているからだ。ほんっとうに良い子で、手が空いていたら掃除も洗濯も買い物も付き合ってくれて、あれ、これ私いる?と思うくらいには彼も女中としての仕事が板についている。
女中として危機感を覚えた頃、もう一人凄い子が現れた。どことなく女子力が漂うその少年の名は曇 空丸くん。大湖さん達がなくなって以来だろうか、彼と会うのは。天火の後をついてばかりだったおチビちゃんが、蒼世に剣を教えてくれと乗り込んできたときは驚いた。今は蒼世の弟子としてよくここに訪れる……が、これがまた本当にいい子で。蒼世と稽古中の休憩時間、私が洗濯物を干していたら当然のように手伝ってくれるんだよ。あの天火の弟とは思えないくらい気が効く素直ないい子。「菫さん!今日はお菓子作ってきたんです。一緒に食べませんか?」なんて言われた日には嬉しくて泣きそうになったと同時に女子として危機感を覚えました。

「ってことなんだけど、どう思う?みんな」
「頼む、黙れ」
「あなた、よくこの状況でそんなこと言えるわね」
「だって!いきなり大蛇とか器とか言われて、変な集団に襲われて、理解できると思う!?現実逃避くらいするよ!天使達を思い出すくらいには!」
「て、天使……。」

うん、武田くんは私の中で天使だと認定されてる。妹ちゃんは勿論、空丸くんも。ああいけない、また現実逃避するところだった。
なんというか……数日前に、鷹峯さんが何者かに重傷を負わされた。ずっと付いていたかったけど、私には私の仕事がある。我儘で仕事を休むわけにはいかないと思い、がむしゃらに働いて夜の空いた時間にお見舞いへ行っていたわけだが……空丸くんが血相を変えて本拠地にやってきた。私は理由を聞かされることなく自室へ避難させられた。部屋に閉じこもっていると外から叫び声やら銃声やら刀がぶつかる音が聞こえてきて頭を抱えた。これ、どういう状況?

暫くすると音が止んで、犬飼さんが私を部屋から連れ出した。鷹峯さん除く犲メンバーが集結する中、蒼世から告げられたのは、犲の本来の役目、三百年に一度蘇る大蛇、その大蛇が宿る器、その器が空丸くんだということ。一気に非現実的なことを告げられ、頭がぐわんぐわんする中、蒼世という名の鬼は「この拠点の軍人全てが滋賀に向かうため、ここも安全とは言い切れない。お前もついてこい」と更に追い討ちをかけてきた。ほんとに覚えてろ、今度絶対に泣かす。

「お前も非戦闘員ではあるが犲の一員。喚いてないで覚悟を決めろ」
「いきなりよく分からない状況に陥って覚悟決めろって鬼か!私の装備、箒だけなんですけど!」
「素人に武器など持たせられるか」
「この状況で武器ない方が危ないわ!というか、今まで私だけ仲間外れだったことに傷付く」

芦屋さん、犬飼さん、屍さんが先に行ってしまった為、蒼世と妃子と武田くんと一緒に行動中。やはり敵は襲ってきて、それを蒼世達が華麗に仕留めていく。敵の出血量が少ないのは私への配慮だろう。ありがたい。内臓なんて見たら気絶するよ、私は。

大蛇のことを今まで教えてもらえなかったことについて言うと、彼等は急に黙り込んでしまう。どうせ何を言っても言い訳にしかならないと思ってるんだろうなあ。

「なんてね、知ってるよ。私を不安にさせるようなこと教えたくなかったんでしょ。こんな状況になるなんて蒼世も予想してなかった。違う?」
「相変わらず物分かりがいいな」
「私の幼馴染達は隠し事ばっかりするから理解力が不可欠なのです」

なんだかんだ言ってこの戦場で言葉を交わしてくれる蒼世に感謝しつつ、先へ進んだ。髪の白い忍が攻めてきても、みんなの足は止まらない。
やっと不穏な雲に近づいてきたと思い、天を見上げれば蒼世の背中にぶつかった。前を見ると、軍服の男性が立っている。私は妃子に腕を引かれて後ろへ下がった。え?軍服の人なのに敵なの?

「織田千代長っていってね、獄門処の看守をしていた男よ。囚人の脱走を手引きしたの」
「え、ろくでなし?」
「菫、声が大きいわ」

シッと妃子に人差し指を当てられる。織田さんにはちゃんと聞かれていたらしく、すごい睨みつけられた。いや、だって囚人逃すとか看守のすることじゃないでしょ。国に仕える人がすることじゃないよ。
でもまあ、そんな奴に蒼世が負けるはずがなかった。余裕で勝ってる。しかし、ろくでなしな上に卑怯な手を使うのが悪役の常。どこから出てきたのか、あっという間に蒼世は拳銃を持った囚人に囲まれてしまう。蒼世と武田くんであれは辛いだろうな。

「……妃子、行って」
「菫を放って行けないわ」
「大丈夫だよ、ここで縮こまってるから」
「でも」
「行って。私を護るために犲になったんじゃないでしょ」

妃子の背中を強く押した。何か言いたげに振り向いた彼女は、最後は少し笑って蒼世の元に駆けていく。今更ながら、凄い足引っ張ってるよね、私。一人になるのは怖いけど、女中力も女子力も自信のない私に残ってるのは物分かりくらいしかない。せめて少しでも邪魔にならないようにしないと。
木に背中を預け、宣言通りその場にうずくまって小さくなる。なんとなく持ってきた箒をギュッと握りしめた。まさか最後の頼みの綱が箒になるなんて思ってもみなかったな。

「おんなぁ」
「……ッ」

絶句。
いや、ヒェっと小さな悲鳴くらいは出たかもしれない。目の前には刀を持った囚人服の男。正直、小太りで汚い。何日風呂に入ってなかったの?すごく臭い。それにその男、股間が膨らんでいるのだ。自然な動作でズボンを脱ぎやがった。きったない男の逸物が目前に晒される。小さい頃、お父さんの見たときくらいだわ。鷹峯さんは私を大切にしてくれてるらしく、婚前交渉はしないと言ってるのでまだ見てませんが何か?とりあえず他人のやつ見るのこれが初めて。凄いショッキング。
一通りの脳内ツッコミを終え、この一瞬でなんとなく理解した。あ、ヤられる、と。

「ぃ、いやぁあああっ!!」
「ぐぁあああっ!目が、目がぁ!」

頭が真っ白になった私が取った行動は早かった。握りしめていた箒を男の顔へ思い切り突き出していたのだ。しかもゴミを掃く方。あの剛毛な毛の部分が目に突き刺さったらしい、さぞ痛かろう。
そのまま妃子達のいる方へ逃げようとしたが、強い力で手首を掴まれた。振り返ると涙を流しながら赤い目で睨みつけてくる男。女への執念が凄い。

「イッ」
「にがさねぇ、久々の女、にがさねぇ」
「あ……やだ」

掴まれている腕からゾワリと何かが全身に巡る。気持ち悪い、怖い。逃げようと力を込めるが、男の力には叶わない。ごめん、みんな。気丈に振る舞ってたけど、もう無理かも。
男は一度、味わうように私の手を舐める。生理的に涙が溢れた。男の手が不躾に着物の帯に伸びてきて、そして

「ぁ、ああああああっ!!」

そしてその腕は斬り落とされた。私の身体は後ろへ引かれ、ひょいと俵のように片腕で抱き上げられる。同時に前が見れなくなり、消毒液の匂いが私を包んだ。

「お前、この女に何した?」

痛みで答える余裕などない男に、その声の主は地の底から響くような声で問いかける。ああ、この声、鷹峯さんだ。見える範囲包帯だらけだけれど、安堵して違う意味で涙が溢れる。

「そんな汚ねえもん晒して、泣かせて……何しやがった?」

鷹峯さんがもう一度尋ねるが、男は悲鳴をあげるばかり。後ろではいったいどんな惨状が広がっているのか。
瞬間、ザクリと地面に刀が刺さる音がして、鷹峯さんの纏う空気がガラリと変わった。怒りを全身で表すような荒々しい雰囲気に。

「俺の女に何したかって聞いてんだ!!」
「ヒィッ!」

あまりの怒気に私の身体までビクリと震える。未だ答えない男の次に問いかけられたのは私だった。
先程の荒々しさはなりを潜め、穏やかな雰囲気で問いかけてくる鷹峯さんは正直怖い。あ、でも俺の女発言は凄い嬉しかったです。

「菫、お前こいつに何された?」
「あ、えっと……詰め寄られて、汚い逸物を見せられて、腕を握られて、手を舐められて、帯に手をかけられました」

一瞬、シンと周りが静まり返る。

「……おい、佐々木」
「分かってるわ。菫、こっちにいらっしゃい」
「っ、きーこ!」

地面に降ろされ、なるべく後ろを見ないよう妃子の元に駆け寄る。豊潤な胸に顔を埋めると、彼女は力強く私を抱きしめてくれた。すっごい、柔らかい。

「大丈夫でしたか?」
「なんとか未遂です……え、あなたは?」
「はじめまして、牡丹と申します。あなた方の味方です」
「あ、はじめまして。菫といいます」

妃子の胸から顔を離し、横を見ると凄い美人がいた。優しい笑みを向けてくれるその女性の名は牡丹さん。隣の男性は比良裏さんというらしい。牡丹さんと比良裏さん以外、ゴミを見るような目で悲鳴の響き渡る方を見ていたからちょっと怖かった。武田くんなんか親の仇を見るような目つきで……。
や、待って?まだ悲鳴が聞こえるんだけど。しかも段々か細くなってない?死んでないよね?気にはなるが、後ろを振り向く勇気はない。蒼世、しれっと牡丹さんと話し始めないで。鷹峯さん止めれるのあんたしかいないのに。

「た、武田くん?後ろ、どうなってる?」
「ああ、大丈夫ですよ。死んでませんから」

「かろうじて」最後にそう付け足されて、やはり後ろを見るのはやめとこうと決意した。傍には妃子がいて、横には大蛇の弱点について蒼世と話をする牡丹さんがいる。緊迫した雰囲気に、どう考えても私は似つかわしくないように思えた。
どうしよう、今からでもどこかに避難しますって言う?絶対その方がいいよね。これから大蛇ってやつと戦うらしいし、私がいたらみんなの性格上思い切り戦えない。

「妃子。私、今からでもどこかに避難しとくよ」
「な、何言ってるの!?さっきあんなことがあったのに一人にできるわけないじゃない!」
「でも、国の為に戦うんでしょ?大蛇を倒すんでしょ?なら私は邪魔だよ」

至極当然のことを言えば、妃子は泣きそうな顔で口を結んだ。他のみんなにも「こいつマジか」というような目で見てくる。え、何?感謝されこそすれ、呆れられる筋合いはないと思うんだけど。

「鷹峯、後は任せる。必ずその大バカを連れて来い」
「了解」

なんだか強制的にお説教に入りそうな予感。妃子の服を掴んで行かないでと首を振ると、諦めなさいと緩やかに首を振られた。そんな、私が何をしたって言うんだ。
ポンと肩に置かれた手のせいで心拍数が上がり逃げることも叶わない。見えなくなっていくみんなの背中。最後まで心配そうにチラチラとこちらの様子を伺ってくれた武田くんの姿はやはり天使だった。それと蒼世、今度と言わずこの戦いが終わったら覚えてろ。今までの鬱憤を倍にして返してやる。

「いつまでそっち向いてんだ。お前が話す相手は俺だろ?なぁ、菫」
「ヒェッ」

ギギギとぎこちなく振り向くと、目が爛々と光った鷹峯さんが私を見下ろしている。うわ、これかなりお怒りだ。しかし、普通怯える場面だというのに、私の顔は綻んだ。今から怒られる恐怖より、鷹峯さんが生きている喜びの方が大きかったからだ。
無意識に包帯だらけの胸をペタペタと触る。また安堵で涙が出そうになった。

「……生きてる」
「……心配かけたな」
「ごめん、なさい。私、鷹峯さんが死んだらどうしようって、最悪の考えしか浮かんでこなくて……ッ」
「あー、悪かった」

涙で景色が見えなくなって泣きじゃくる。すると抱き寄せられて頭を撫でられた。よかった、鷹峯さん、生きてる。ちゃんとここにいる。
左胸に耳を寄せるとドクドクと心臓の鼓動が聞こえてきて、それがまた私を安心させた。

「ったく、これじゃあ叱れねえだろうが」
「何を?」
「隊長達が言いたかったのは、もっと自分を大切にしろってことだ。いつも他人優先の思考しやがって。こんな時まで俺達に気を遣わなくていい」
「でも、邪魔ですよ、私。戦えないし、自分の身すらまともに守れない」

あ、自分で言ってて悲しくなってきた。こんなことなら無理にでも稽古つけてもらうんだったなぁ。
色々と後悔していると頬に手を添えられて、顔を上に向けられる。

「なぁ、菫。護るものがあると人は強くなれるってのは知ってるか?」
「えっと……聞いたことはあります」
「なら、俺の側にいろ。お前が背後にいるだけで、俺は強くなれる。他の奴等も同じだ。お前を邪魔とは思わねえよ」

……こ、この無自覚イケオヤジめ!なんなの!普段そんなこと言わないくせに、偶に芦屋さん以上の口説き文句を言うよねこの人!!女を落とす台詞を無自覚で言うところがほんとに凄い。顔から湯気が出そう。

「っ、やだもうカッコいい。一生ついていきます」
「おう、ついてこい。必ず護り抜いてやる」

ニッと不敵に笑った鷹峯さんを直視できなくて、箒を脇で挟んで両手で顔を覆った。なんなのこの三十六歳!
その後、鷹峯さんに抱えられてあっという間に蒼世達に追いついたかと思えば白い髪の集団に囲まれた。比良裏さんと蒼世と武田くんは大蛇の方へ行き、牡丹さんは大きな狸と共に彼方へ消え、他のみんなはここで白い髪の集団を抑えるらしい。
犬飼さん達に鎖で捕縛された集団の頭らしき狐面の男が純粋な力だけで捕縛から抜け出したときは「え、ゴリラ?」とつい言葉を漏らしてしまって、苦無が飛んできた。苦無は屍さんが弾き飛ばしてくれたけど、狐面に凄い剣幕で睨まれた。いや、だって力自慢の犬飼さんの他に複数人が全力で縛り付けてるのにそれを振り解くってよっぽどだ。この人ほんとに人間?「菫、そろそろ黙りましょうか」と背後に般若を浮かべた妃子はあの変態囚人より怖かった。
その後は鷹峯さんに護られながら目潰し出来る敵には箒を突き出し、駆けつけて来てくれた町の人達と一緒に戦った。空に大きな蛇が現れたときは心臓止まるかと思ったけど、空丸くんと武田くんと三男くんがなんとか退治してくれたらしい。気付けば空は晴れていた。長かったようであっという間にだった気がする。
滋賀が晴れたのっていつ振りだろう。白い髪の集団や囚人達の猛攻は止み、息を切らしながら青空を見上げる。

「……終わった?」
「ああ、終わった」
「終わりましたねぇ」

全部、終わったの?箒を持つ手が緩んでカランと地面に落ちる。私の身体が倒れこむのは箒が地面に落ちたすぐ後のことだった。
そういえば、最近は鷹峯さんのことで頭がいっぱいでろくに眠れてなかったなぁ。青空を見て緊張も途切れたのだろう。最後の最後で心配かけてごめんなさい、ちょっともう限界。武田くんの頭、沢山撫でたかったのに、無念。

***

「ん」

鼻をつくのは消毒液の匂い。真っ白なベッドの上で目を覚ました。ふと、首に大怪我をしたときの記憶が蘇り、ここが病院であることを理解する。ベッドの右側では見慣れた顔が私を見下ろしている。軍服を着ているなら、仕事の合間に抜け出してきてくれたのだろうか。申し訳ない。

「起きたか」
「……鷹峯さん」
「軽い栄養失調と過労らしい。ったく、最後の最後で心配かけやがって」
「すみません」

聞けば私は丸二日、眠りっぱなしだったという。天火は未だ目を覚まさないらしい。
犲は上へ提出する書類を書いたり、白い髪の集団(風魔というらしい)を捜したりしているのだとか。蒼世は酷い火傷を負ったらしいが、数日後には職務に復帰するという。私の仕事は武田くんがこなしてくれているらしく、ありがたいと思うと同時に私の立場がないなとちょっと落ち込んだ。

「それでだ。大蛇が消えて、犲が存在する意味もなくなった。すぐにとは言わねえが、近々犲は解散することになる」
「そう、ですか。あれ?じゃあ私」
「無職、だな」
「そんな笑って言わなくても!」

目覚めた直後に告げられる残酷な現実。蒼世達はどうせ軍の色んなところからお呼びがかかるんだろう。普通に無職になるのは私だけだ。この十数年で磨いた女中力を活かせる仕事、何かあったかな?
うーむと考えていると意地悪く笑っていた鷹峯さんが急に真剣な顔になる。殺気すら出そうなその眉間のよった顔に思わず私まで黙り込んでしまう。ふー、と深く息を吐いた鷹峯さんは何か覚悟を決めた様子でまっすぐ私の目を見た。

「犲が解散したら、俺の嫁に来い」
「……は」
「結婚してくれ」

心臓が早鐘を打つ。どこまでもまっすぐな瞳が私を映している。ああ、冗談じゃないんだな。
涙が出そうになるのをぐっと堪えて、私は小さく頷いた。

「喜んで」

耐えきれず溢れた涙を、鷹峯さんはくしゃりと笑って拭ってくれた。