勘違いから動き出す関係もある
人の多い町中で、ただ一人の背を見失わないように歩く。別に淑女らしく三歩下がっているつもりもないが、彼の横で歩くのが今日は酷く気が引けた。

鷹峯さんも私の様子がおかしいことくらいとっくに気づいているのだろうが、何も聞かず、ただ私が後ろをついてきているか確認する為に偶に視線を寄越すくらい。本当に申し訳ない。
じっと後ろ姿を追っていると、また鷹峯さんが首の後ろを触る素振りを見せる。
それが困ったときにする無意識の動作であることは昔から知っていた。

「……ぁ、の。鷹峯さん」
「ん、どうした?」

賑わいの中、小さな声でポツリと呼び止めただけ。それを鷹峯さんは聞き取った。別に聞こえないならそれでよかった。寧ろ、聞こえない方がよかった。
名前を呼んだのは用があったから。しかし要件が自分の頭の中で纏まらないまま、名前だけが口から溢れた。

あわあわとする私を見て、また鷹峯さんは首筋に手を当てる。私が武田くんなら「さっさと話せ」と苛ついた声が飛んできていることだろう。
早く、早く何か言わないと。「具合が悪いので帰ります」これは根本的な解決にならない。この微妙な空気をこれから先も引きずっていくなんて絶対に嫌。「私と鷹峯さんって付き合ってるんですか」ド直球すぎる。下手をすれば怒号が飛んできて明日から更に気まずい。

回せ。これ以上ないくらい頭を回せ。最善の手を導き出せ。これから先、職場に微妙な空気を持ち込まないよう且つ鷹峯さんを傷付けない道を!

「菫」
「はいっ!」
「佐々木からそこの茶屋の団子が美味いって聞いてきたんだが、食ってくか?」
「団子……食べたいです。」

斜め前を見れば妃子と以前食べに行った茶団子の店がある。普通の団子よりも甘くないのが特徴的で、店主の人柄も良い。自然と首を縦に振った。食欲が真剣な悩みに打ち勝った瞬間である。

「じゃあ決まりだ」今日初めて笑った鷹峯さんは私の手を引き、店に入った。中は込み入っていて、空いている外の縁台に腰掛ける。
店員にお茶を出され、一口飲んで、ほぅと息を吐く。知らずの間に緊張していたのだろう。身体から力が抜けてゆくのを感じる。

「やっといつもの顔に戻ったな。」
「え?」
「昨日からずっと身体に力が入りっぱなしだったろ。見てるこっちもしんどかった。」
「す、すみません。」

そんなに分かりやすかったか。
視線を下に向けると鷹峯さんが言い淀むように声を発する。

「あー、まぁなんだ。あまり一人で思い悩むなよ。」

ぽんっと頭に無骨な手が乗せられた。
歪む視界の奥、鷹峯さんがギョッとした顔を見せる。気付けば涙がボロリと溢れていた。

「っ、なんで、そんなに、優しいんですかぁ」
「ちょ、おい、泣くな。俺が泣かしたみたいになるだろうが。」

無理言わんでください。思い悩んでいるときに優しくされたら泣きますよ、私は。
妃子相手ならあの柔らかい胸に顔を埋めて泣きますとも。天火ならお腹、蒼世なら肩に顔を埋めて泣く。今回はどこにも顔を埋められないので、自分の服の袖で顔を隠す。

自分自身を落ち着かせるように、深く息を吐いた。
もう、このまま色々吐き出してしまおうか。

「鷹峯さん、正直に話します。怒るのは、話し終わった後にしてください。」
「……分かった。分かったから、とりあえず落ち着いてから話せ。」
「いえ。決心が鈍るので、今で。
実は……私、あなたの左目に傷がついた日のことを、あまりよく覚えていません。首が切れてから、意識が朦朧として」

袖の隙間からちらりと鷹峯さんを見れば、真っ直ぐな目をこちらに向けている。静かに怒っているとも真剣に話を聞いているともとれる表情。
怖い、どっちだ。思わず声が震えだす。これ、話終わった瞬間殴られるんじゃないかな。

「そ、それで昨日、武田くんから聞いたんですけど、鷹峯さんが……わ、私に、告白したって」
「ああ。」
「で、そのあとに、よろしくお願いしますって言ったと思うんですけど、あれ、告白の返事じゃなくて、辛子を買ってきてくださいよろしくお願いしますって意味で」
「……。」

ついに黙った!もう顔も見れない。拳の準備でもしてるのだろうか。
やだもう怖い、逃げ出したい。でも次の言葉で最後だ。泣いても笑っても最後だ。勇気を振り絞れ、ここまできたんだから!
女は度胸と愛嬌!

「だから鷹峯さんと付き合ってるなんて昨日まで全く知らなかったんです、ごめんなさいぃ!」

深く頭を下げる。ここが店内じゃなくてよかった。外だからこそ、まだ大きな声を出しても目立たない。
涙も引っ込み、ただ頭上か右頬あたりに飛んでくるであろう拳を待つ。歯は食いしばりましたいつでもどうぞ。

しかしいつまで経っても拳も怒号も飛んでこない。代わりに盛大な笑いが響いた。

「……ぇ、なんで、笑って」
「ふっくくくっ、腹いてぇ……!それ、武田の情報か?」
「あ、はい。あと、妃子がそんな噂が流れてたって。」
「安心しろ、付き合ってねえよ。」
「……はあ!?」

うっそだろ!?じゃあ武田くんの言ってた告白って何だったの!?

目を白黒させていると、鷹峯さんが手拭いを取り出して私の顔を拭う。
ああ可笑しい、と顔をくしゃくしゃにして笑ったまま。

「確かに俺ぁ、あのとき責任取るっつったがな、付き合ってくれとは言ってねえぞ。」
「せ、責任?」
「ああ、おまえの首に傷がついたのは油断してた俺の責任だ。その傷のせいで縁談もなくなったんだろ。」
「はい、まぁ。」

無骨な手が黒い髪に隠された首をすぅとなぞる。例の傷跡がある箇所を。
この傷口を縫ってくれた先生曰く、運ばれてきた私は瀕死の状態で、ただ傷を塞ぐことのみに集中したらしい。その結果、広範囲にわたって目立つ縫い跡が残った。

懲りずに続いていた縁談もこの傷跡を見た先方が、傷持ちの嫁は要らない、と真っ先に断ってきた。個人的には良い結果に終わった。
私こそ、妻を外見で判断するような夫は要らない。

しかしこの傷跡も、縁談の破談も、何一つ鷹峯さんのせいではない。だというのに、責任とは。

「だからまぁ、嫁の貰い手がないなら俺が責任持ってもらうって意味だよ。」
「……えっと、恋仲ではないけど、嫁の貰い手がなかったら鷹峯さんがもらってくれるって意味ですか?」
「そうなるな。」

……お付き合いをすっ飛ばして嫁ですか。

なんてことないように鷹峯さんは笑うが、私にとってはそれなりにびっくりなことだ。
あれ?じゃあ結局、私は鷹峯さんと付き合ってなかったの?

「あの、じゃあ、この八年間、飲み屋に行く回数も減って、彼女も作らなかったっていうのは?」
「佐々木か……飲み屋はともかく何で人の色恋沙汰まで把握してんだあいつ。」

私も分からない。首を傾げていると一旦私から顔を逸らした鷹峯さんが、あー、と言い淀み、軽く頭をかいた。
ああ、確かこの仕草は少し照れてるときの。

「単純に、酒を飲みに行くよりも、他の女と一緒にいるよりも、おまえといるのが楽しかったからな。」
「それ……最高の殺し文句じゃありません?」

鷹峯さんの酒好きはよく知っている。知っているからこそ驚いた。
今の言葉では私が鷹峯さんの好物であるお酒に勝ったことになってしまう。言い間違えをした様子もなく、こんな冗談を言う人でもない。本心から、そう思ってくれているのか。

脳内で鷹峯さんの言葉がぐるぐる回って、ぶわりと頬に熱が集まる。私がこんな素敵な言葉をもらっていいのだろうか。

「そう受け取ってもらって構わねえよ。本当はおまえが行き遅れたら言おうと思ってたんだけどな。」
「はい。」
「まぁ、あれだ。結構前から、俺はおまえに惚れてる。」
「……告白、ですか。」
「ああ。もっとちゃんとしたもん望んでたなら悪かったな。」
「いえ……寧ろ、鷹峯さんがちゃんとした告白をする姿なんか思い浮かびませんし。逆に芦屋さん並みの告白なんかしたら気持ち悪いです。」
「喧嘩売られてんのか、俺は。」

……どうしよう。色んなことが起こりすぎて理解が追いつかない。
八年前は行き遅れたらもらってやるって言われていたらしく、実際は付き合ってなくて、今何故か凄い殺し文句を言われて、告白された。
混乱する。それを悟られないよう口が勝手に動く。
頭の中で色んなことがごちゃ混ぜになっている。そんな訳が分からない中で分かることは一つだけ。

どうやら私が付き合っていると勘違いしたおかげで、停滞していた関係が動き出したらしい。

「鷹峯さん、図々しいこと言ってもいいですか?」
「内容によってはしばくぞ。」
「安心してください。からかうような言葉じゃありません。」

人を好きになるのは些細なことがきっかけで。
だからこの胸の高鳴りも、顔の熱も、難しく考えないで自然なことだと思うことにする。

何にせよ、私が行き遅れたらお嫁にもらってくれるんですよね?
私があなたの責任じゃない。責任なんか取らなくてもいいって言っても、聞く耳持たずに。それならもう、ここから始めてしまおう。嫁からではなく恋仲から始めよう。

「責任なんか関係なく、私と付き合ってください。その末に、鷹峯さんのお嫁さんにしてもらえませんか?」

精一杯の笑顔で最大級の告白を。
最後に見えたのは安堵しきった鷹峯さんの顔。気付けば逞しい腕の中に閉じ込められていた。

ずっとその様子を見守っていてくれたらしい団子屋の店主や店員やお客さんに、おめでとう、と拍手を贈られ、草団子をタダにしてもらえるのは、それからすぐ後の事だ。

勘違いから動き出す恋もありですよね?