噛み合わない会話は時に奇跡を起こす
「妃子様、折り入って相談がございます。」

夜更けに自室に妃子を呼び出し、ベッドの上に座らせる。私は床に膝をついて土下座をした。自尊心?そんなものとっくに捨てた。今はただただ、明日も仕事がある妃子を下らない相談の為に自室に呼び出してしまい申し訳ない限りである。
町に出る暇もなく、茶菓子すら出せない我が身が憎い。

「今日の昼辺りから様子が変だとは薄々思っていたけど……とうとう鷹峯と何かあった?」
「え!」

反射的に顔を上げた。
何故、相談事が鷹峯さん関係だと分かったのか。「あら、あたり?」幼馴染はまん丸に見開いた私の目を見つめて美しく笑う。
そんなに分かりやすいだろうか。少なくとも仕事中は私情を挟まないよう業務に没頭していたはずだけれど。

妃子はくすくすと笑って、椅子に座るよう促す。私としては土下座をしたまま話を進めてもらっても良かったのだが、このままでは話を進めてもらえないらしい。大人しく椅子に腰掛けた。

「だってあなた、部屋の扉が開く度に身体を震わせるんだもの。鷹峯が入ってきたときが一番、顔が強張っていたし。」
「え、そんなに態度に出してたの?」
「逆に隠してるのか疑うほど分かりやすかったわ。
あと蒼世が、昼休みに菫が発狂してたから様子を見ておけって。」
「そ、蒼世が」

私の頭に軽いコブを作った張本人が、まさかそんな言葉を。ちょっと感激。でも気にかけてくれるなら最初から優しくして欲しかった。別に頭を叩かなくても、煩いと一言だけでも言ってくれれば黙ったのに。こんど辛子レンコンでも作ってあげようかな。

「発狂する変人とは言葉を交わしたくなかったそうよ。」
「……今度覚悟してろよって伝えておいて。」
「嫌よ、自分で伝えて。」

前言撤回。辛子レンコンはまた今度だ。礼なんか言ってやらない。
寧ろ、過去の恥ずかし……可愛くて微笑ましい話でも言いふらしてやろうか。こっちには、あの怖い安倍隊長が初恋した話やらほうきに乗った話やら饅頭のことを根に持ち続けてる話やら可愛らしい話題が余るほどあることを忘れるな。菫さんを怒らせたら怖いということを思い知らせてやる。

「で、何があったの?」

悪巧みは妃子によって遮られた。そうだった、今は蒼世よりも私の話だ。いざ話すとなればかなり恥ずかしいものがあるが、真相を確かめるべく意を決して口を開く。

「あー……いや、その……変なこと聞くけど、私と鷹峯さんって……こ、こい…なか、なんでしょうか。」
「さあ?」
「さあって……。」
「そんな噂が流れてるのは知ってるけど、私は信じてないわよ。あなたからそんな素振り、一つも感じなかったし。
でもその話が出てきたのって確か、八年くらい前じゃなかったかしら。」
「は、八年!?」

そんなに前から!?
……いや、思い返してみればそれくらいからだ。鷹峯さんが優しくなったのは。大湖さんと小雪さんが亡くなって、天火が犲から抜けて、私がここで働き始めた時期。
いや、働き始めてすぐじゃない。確か、あれは

「ぁ……鷹峯さんの目に、傷がついたとき?」
「そうね、ちょうどその後よ。私はそんな話、信じてないけど……この八年間、鷹峯がいくら女性に言い寄られても断り続けて、飲み屋に行く回数が減ったのもまた事実ね。」
「飲み屋に行く回数も?」
「ええ。」

妃子はベッドから腰を上げて扉に手をかける。振り返った彼女は目を細めて微笑む。その目には溢れんばかりの慈しみが湛えられていた。

「だって、休みのときは貴女と出掛けてるじゃない。少なくともどうでもいい相手と休暇を一緒に過ごせるほど、あの人は付き合いが良くも優しくもないわよ。」

「じゃあね、明日は楽しんで。」手をひらひらと振って部屋から出て行った幼馴染の言葉にしばらく呆然とする。それって、私がどうでもよくない相手って意味になるのでは。

それに楽しんでって……あ、そうだ、確か明日は鷹峯さんと一緒におつまみを見に行く約束だったっけ。わざわざ私が見たいと言ったおつまみの為に予定を空けてくれているのにやはり行きませんは常識的に駄目だ。
妃子の言葉が言外に覚悟を決めろ、と言っているように聞こえた。

「……えーっと、まずあの日って何があった」

まずはそこからだ。約八年前、彼の左目に傷がついた日。その年は色々な事があって、それもまた色々な事の一つだった。
いまそれだけを思い返せば、確かにあの日から私に対する何かが変わった。

***

その年は色々な事があった。
あの優しかった大湖さんと小雪さんが亡くなり、国を護り英雄になると語っていた天火が犲を抜けた。
私はといえば大湖さんたちが亡くなる直前、犲の面倒を見てやってくれないかと大湖さん自身に頼まれていた為、犲のお世話係として犲本部へ女中入りを果たした。

ちょうどこの頃、親と先方が勝手に私の見合い話を進めていた為、逃げるには丁度いい口実だった。大湖さんもそれを知っていて私に女中の話を持ちかけたんだろう。有り難い話だ。

掃除、洗濯、料理、書類整理。仕事をこなせば、意外に犲のみんなもすんなり私を受け入れてくれた。
ただ一人を除いては。

「邪魔だ。帰れ、ガキ。」
「おはようございます、鷹峯さん。ご安心ください、今から洗濯に行くので目の前から消えますよ。」
「いちいち癪に触るな。」
「お互い様ですね。」

顔を合わせれば、邪魔だ、から始まり。舌打ちしてくる鷹峯さんに笑顔で言葉を返す。

鷹峯さんが私を追い出そうとする理由は分かっていた。
この時期は大湖さんも天火も犲から消えて、色々ごたついていた。師範と隊長が消えたのだから体制が崩れるのは当然のことだった。外にはバレないようにしていても、どこからか内部事情は漏れる。
これ幸いとちょっかいを出してくる輩が異常に多かったのだ。そこで狙われる可能性が一番大きかったのが戦えもしない私である。そんな輩に手を出されないように、私を追い出そうとしていたのだろう。

その気遣いは有り難く受け取りますが、それとこれとはまた別だ。そんな輩に捕まらないよう買い物も最小限に、なるべく一人では行かないようにしているのに、舌打ちをされてまで黙って笑っているつもりはない。
やられっぱなしは性に合わないので、少しイラっとさせるような言葉を選んで話をする。

蒼世の前でこんな会話をすれば後が面倒だから、このやり取りをするのは決まって犲隊員が周辺にいないときだ。まあ芦屋さんや屍さん辺りには私と鷹峯さんの仲が険悪なことはバレていると思う。

「あら、こんにちは。」
「げっ……こんにちは」

女中として働き始めてかなり経った頃。
犲入隊希望の男の子が毎日のように訪れていた。武田楽鳥くんというらしい。以前、浪人の立て籠り事件が起こった際に出会った妹想いの男の子だ。

門周りを掃除する手を止めて中から出てきた武田くんに歩み寄る。挨拶が出来るのは良い子の証拠だ。はじめのげっ、という言葉は聞かなかったことにしてあげよう。
あからさまにそっぽを向く武田くんの頭を撫でる。よくよく見ればその襟元を鷹峯さんが掴んでいた。しまった、武田くんしか見ていなかった。次は私が「げっ」と呟く番である。鷹峯さんも分かりやすく顔を歪めた。

「オツカレサマデス。」
「……こいつ外に放り出してくる。」
「はい、どちらまで?」
「すぐそこだ。」
「森の方ですね、お気をつけて。
バイバイ、武田くん。」

可愛いなぁ。でれでれしながら引きずられる武田くんを見送る。鷹峯さん、そんなに鋭い視線を送らないでほしい。
私はみんなみたいに塩対応はしないけど、他の人以上にあの子を送り返してるじゃないですか。

「あ、辛子」

ふと、辛子が足りないと厨房で話していたのを思い出した。でも今日は人手が足りないから買いに行く余裕もない、とも。
なら私が行けばいい。ちょうど鷹峯さんが、出て行ったばっかりだし、一緒にきてもらおうかな。なんだかんだ優しいから、多分ついてきてくれる。

「あ、犬飼さーん!」
「どうしたんじゃ、菫。今日も元気じゃのう。」
「鷹峯さんと一緒に辛子買ってきます!」
「分かった、隊長には儂が伝えとく。気ぃつけてな。」
「はい!行ってきます。」

言伝は頼んだ。蒼世も辛子の為なら買い物に行くくらい許してくれるだろう。一人で行くわけじゃないしね。
お財布を持って全速力で鷹峯さんの後を追いかける。道の脇にある森の辺りにいると思う。

少し走っていると武田くんと数人の男の声が聞こえた。多分、鷹峯さんもいる。
え、これ修羅場では?

「……よし。」

意を決して声のする方へ向かう。誰か呼びに行っている間に事が起こっては遅い。鷹峯さんがいるなら私ができることはないと思うが、いざとなれば盾くらいにはなれる。カツアゲなら素直にお金を渡せばいい。

一人の男の後頭部が見えてきて、気づかれないようゆっくりと歩みを進める。
武田くんが男に捕まり、他数名の男が鷹峯さんを殴ったり蹴ったり切ったり……?鷹峯さん、なんであんな相手にぼろぼろに

「……あ、そうか。」

武田くんを人質に取られているから、動けないんだ。
人は危機的状況になれば一周回って冷静になれるものである。

(武田くんの首に向けられている刀の間に私の首を挟めば武田くんは無傷、武田くんを掴んでるあの手も油断しきってるから簡単に離せる。あの子さえ救出できればあとは鷹峯さんがなんとかしてくれるだろうから……いける)

我ながらよくこんな行動に出たものだと後から思う。自己犠牲は当たり前。ただ武田くんの無傷だけを考えて行動に出た。
犲や軍人の側にいて、かなり一般市民優先な思考へと感化されていたんだろう。
足の震えなんか忘れて、一気に駆け出した。

「なっ!?」

男が声をあげると同時に、首の皮が切れる。腰まで伸びた髪も、不揃いに切れた。当たり前だ、刀を首で押しのけて刀と武田くんとの間に入ったんだから。武田くんを掴む手は、案の定弱かった。そのまま武田くんを奪い返して逃げの姿勢をとる。また別の位置の首が切れた。痛い、熱い。まずいな、これ動脈までいったんじゃ……鷹峯さんが目を見開いているのが視界の端に映る。うわぁ、そんなちょっと泣きそうな顔初めて見ましたよ、気持ち悪い。

「くっそ、俺だってなぁ」
「え」
「やれるんだよ!!」

頭に血ののぼった子供をきつく抱き抱えていなかったのが悪かった。私の腕から抜け出した武田くんは男の顔面に盛大な頭突きを与える。ちょっともう、勘弁して。確かに頭突きは痛いけど、再起不能にするまでの威力はないんだよ。子供のものは特に。
着物の腰の方まで、本来の柄ではない赤がじんわり染み込んでゆく。

「ガキィィィ!調子乗んなァア!!」
「ひっ」

ぼやける視界。
無意識だった。ただぼんやりと武田くんに振り下ろされる刀を見て、武田くんに覆いかぶさる。ああ、これは駄目だな。血も結構出たし、視界がぼやけるし。
斬られるのが武田くんじゃなくて私でよかった。

「菫!」
「……たかみね、さん」

痛みはなく、暖かい腕に支えられる。鷹峯さんの腕だ。私の首元にもう片方の手を添えて、血を止めようと必死になってくれている。うん、やっぱりあなたに泣きそうな顔は似合わないや。

刀は多分、手で砕いたんだろう。手が血だらけだ。
左目には先程までなかった傷が出来ていた。ぼーっとする頭で無意識に傷に手を伸ばす。ああ、申し訳ないことをした。せっかくの男前な顔なのに。私が、武田くんをちゃんと抱いていなかったから……鷹峯さんの彼女さんに殺されるんじゃないかな。よくも彼氏の顔に傷をーって。あ、でも今から死ぬか。ごめんなさい彼女さん。
でも、何か忘れているような……。

「か、ら……しを」

そうだ、辛子。
鷹峯さんが何かを言っているが、まったく聞き取れない。武田くん、顔真っ青だなぁ。こんな血を見たんじゃ仕方ないか。ごめんね、見苦しいものを。

なんにせよ辛子を、蒼世の辛子を

「よろしく、おねがいします」

あ、お財布渡すの忘れてた。懐に手を伸ばそうとしたところでプツリと意識は途切れた。

***

「あのときかーっ!!」

最後に私、よろしくお願いしますって確かに言った。その直前の言葉は貧血か死にかけてたのか何も聞こえてなかった!

なるほど。あの無音の時間に鷹峯さんは何故か私に告白したのか。すっきりした。いや、告白の理由は何も分からないけど、鷹峯さんが私に告白したという事実だけ分かってすっきりした。

「……え、じゃあ私と鷹峯さん、本当に付き合ってるの?」

偶然にも噛み合った言葉が奇妙な奇跡を起こしたらしい。

明日、どんな顔をして会おうか。ベッドの中で頭を抱える。極度の緊張状態に陥った私に眠気など訪れるはずもなく、ただ静かに夜は明けていった。