優しいうちに甘えとけ
幼馴染たちと溝ができ始めたのはいつの頃だったか。
いつも輪の中心にいる天火、自慢の可愛い親友の妃子、頑固で優しい蒼世。昔は四人仲良く遊んでいたのに、いつの間にか私を除く三人は「歴史の裏で国を護る」なんて大それた理想を抱いていた。思えば三人は私と知り合う前から子供らしからぬ訓練を行っていた気がする。
仲間外れにされたわけじゃない。けれど、目に見えない固い絆で結ばれている彼らに引け目を感じた。

数年経てば、三人は右大臣直属部隊『犲』となった。本当に、国を護る人になったんだ。おめでとう、そう言えば三人は満面の笑みを浮かべた。
犲は大湖さんを師範として天火たちの他に犬飼さん、屍さん、鷹峯さん、芦屋さんの計八人で構成。偶に犲が曇家で食事をするときに大湖さんや天火たちが私のことも誘ってくれたので他の人たちとも知り合いだったりする。個性的で良い人ばかりだ。しかし鷹峯さんだけは犲の無関係者が輪の中にいるのが気に食わなかったらしい。いつもきつく睨んできては、無視の繰り返し。挙げ句の果てには「無関係者はもう犲に関わるな」ときたもんだ。

潮時かな。胸の奥でストンと何かが落ちた。ずっと、その言葉を待っていたのかもしれない。天火も妃子も蒼世も、別の世界の人間だ。それをどこかで分かっていてみっともなく彼らにしがみつき続けた自分に、やっと終止符が打てる。
こうして涙を堪えながら、私は私の世界へと戻っていった。

***

「菫、茶を頼む。」
「私もお願い。」
「ワタシの分もネ。」
「あ、俺手伝います。」

そんな悲しい日もあったな。
離れたつもりなのに、いつのまにか私は犲本拠地で女中として働いていた。大湖さんの粋な計らいにより、だ。

蒼世と妃子と屍さんのお茶を淹れながら小首を傾げる。「どうしました?」同じように首を傾げる武田くんが今日も可愛い。

「んー、そろそろ見回りから芦屋さんと鷹峯さんが帰ってくるかなぁって。」
「なら一応、二人の分も準備しておきます。」
「ありがとう。」

コツコツと近づいてくる足音。ノックなしに下がったドアノブ。武田くんと目を見合わせて笑う。

「噂をすれば、ですね。」
「だね。」

帰ってきたのは鷹峯さんだ。「ただいま戻りました」蒼世に挨拶を済ませ、報告書を受け取った彼は視線をこちらに向けた。

「おかえりなさい、鷹峯さん。」
「お疲れ様です。お茶、淹れますね。」
「おう、頼む。菫、それこっちに寄越せ。持ってく。」

それ、とは手元にあるお茶の乗ったおぼんのことだ。お礼を言って、おぼんを鷹峯さんに託す。
そうそう、ここで働くよりも解せないことが鷹峯さんだ。昔の素っ気ない態度は幻だったのかと疑うくらい優しい。すごく優しい。激甘だ。

副隊長という忙しい身でありながら私の仕事まで手伝ってくれるし、大体の確率で一緒に食堂でご飯を食べるし、休暇が重なれば買い物に連れて行ってくれたり、誕生日には欠かさず花をくれたり……うん、どうした鷹峯さん。餡子に水飴をぶっかけた並みに甘い。
単に犲とは無関係じゃなくなったからだろうか。それとも武田くんと出会って心境に何か変化があったのだろうか。今回は後者だと考えておく。こんなに可愛い子に慕われて何かが変わらない方がおかしいもの。

武田くんありがとう。感謝の念を込めて彼にもお茶を差し出した。戸惑いながらも笑顔で受け取ってくれるその姿も可愛いよ、癒しをありがとう。残り数時間も頑張れる。
さて、そろそろ洗濯物を取り込もうか。ついでに急須を洗おうかな。急須片手に扉へ足を向ける。
すると妃子が何か思い出したように小さく声をあげた。

「菫、今夜一緒にどう?」

ああ、なるほど。今夜一緒に飲みに行かない?と。
軍唯一の女性隊員である妃子。休暇の前日は決まって愚痴の飲み会に誘われる。親友と飲みに行くのは楽しいし、私でも妃子の役に立てると思えば二つ返事で了承する。
そういえば、明日は武田くんも非番じゃなかったっけ。妃子と目配せすれば彼女はコクリと頷いた。ありがとう親友。

「武田くんもよかったら一緒にどう?」
「あ?」

地の底から響いているのかと思うほど低い声。鷹峯さんだ。武田くんはそんな声出さない。
え、駄目だった?武田くん、もう元服済みだし、お酒大丈夫だよね。
……あ、そうか。可愛くて忘れていたが武田くんも男の子だ。そりゃあ女二人に挟まれて飲みに行くなんか嫌だし、休む暇などなく逆に気を使う。さすが鷹峯さん。それをいち早く察知して注意してくれたんだ。
おどおどしながら私と鷹峯さんを交互に見る武田くん。至らない先輩でごめんね。申し訳ないことをした。

「ごめんね、武田くん。やっぱり今回は二人で行くよ。またみんなで飲みに行くときに一緒に飲もうね。魚が美味しい店、探しとくから。」
「あ、はい!ありがとうございます!」
「菫、飲みに行くのは構わないが翌日に支障が出ないようにしておけ。」
「了解しました。じゃあ妃子、また夜に。」
「ええ、楽しみにしてるわ。」

犲専用の部屋を後にする。
久々に鷹峯さんの圧がある声聞いた。ちょっと怖かった。

***

犲の本拠地である洋館から少し歩いた場所に佇む飲み屋。それなりに賑わっている店の客の殆どが洋館で働く見知った顔の軍人だ。彼らもまた、仕事終わりの楽しみとしてこの店に足を運ぶ。
その奥の座敷に座って、店員の持ってきてくれた徳利を受け取り、妃子のお猪口に酒を注ぐ。
だいぶ疲れが溜まっていたのだろう。徳利一本がなくなるのはかなり早かった。この店の徳利は安く多く飲みたい男性向けで通常のものより大きい。
それをかなりの早さで飲んでいるのだから、妃子の頬は赤く染まってきている。
そういえば、数日前に岩倉様の付き添いで行った会合。そこで警備の男に嫌なことを言われたって言ってたなぁ。

「まったく、女だからって甘く見てんじゃないわよ。その辺の男よりよっぽど動けるわ。それにそいつ、私の胸ばっかり見てくるのよ。何度そのふしだらな目、潰してやろうかと思ったか。」
「偉い、よく堪えた。でも、妃子も胸出しすぎなんじゃ……」
「そんな奴のために私が服を変えるのはおかしいと思わない?それに、あの格好が一番動きやすいの。」
「ならいっか。動きやすいのが一番だ。」

ぐびり、妃子はまた一気に酒を煽る。
空になったお猪口に、また酒を注ぐ。あらかじめ、四本の徳利を持ってきてもらっているがその内の一本は水だ。二本目で意識も呂律もしっかりしているから、酔い潰れはしない……と思う。

妃子は女性として、とても魅力的な体型をしているため、仕事でも男からそういった目で見られることは少なくない。かなり前に付き合っていた男も結局は身体目当てだったらしい。股間にキツイ蹴りを一発入れて別れたらしいが、その日の妃子は荒れに荒れた。

女らしい体型は気苦労も多いのだろうが、ちょっと憧れてしまう。妃子がの胸が特盛なら私は並盛といったところだ。毎日、女中として動いてはいるが、妃子のように軍人として鍛えてはいないので引き締まった身体ではない。
日に日に大人の色気を放っていく親友を見ていると、少しだけ危機感を覚える。

おでんの大根を咀嚼し、酒で胃に流しこむ。ふぅ、と息を吐いて妃子の顔をじっと見つめる。とっくの昔に知ってたけど、やっぱり可愛いし綺麗だなぁ。

「妃子、綺麗だね。」
「なによ急に。褒めたって何も出ないわよ。」
「昔からずっと、可愛くて綺麗だよ。私が男なら全部ひっくるめて好きになって、彼氏に立候補してたのに。いや、夫の座狙ってたな。」
「私だってそうよ。あんたみたいな奥さんもらえたら幸せだわ。でもやっぱり、同じ性別でよかったって思うの。」
「なんで?」
「だって、同じ女だからこそ分かり合えることがあるでしょう?女の辛さだって女だからこそ分かるんだし、違う性別ならきっと親友になんてなれてないわ。」
「きびしー」
「正論よ。あの二人だって、そうでしょ?」

脳裏に、天火と蒼世の姿が思い浮かんだ。
今は道が別れてしまったが、確かに昔はそうだった。四人で遊んでいても、やっぱり男の子は男の子同士の方が気が合うのか置いていかれることが多かった。天火が悪戯を仕掛ける相手も殆ど蒼世だったし、やっぱり女の子はからかいにくかったんだろうな。女の子を泣かしたら男の子が悪くなるし……。
思えば、妃子とは女の子同士だったからこそここまで仲良くなれたんだろうなぁ。

「うん、女に生まれてよかったよ。」
「ふふっ、そうよ。女同士だから着物だって髪飾りだって一緒に選んで一緒に楽しめるんだから。」
「また買い物行きたいねぇ。」
「でもあなた、休暇はだいたい鷹峯と出掛けてるじゃない。」
「そうなの、嫌われてると思ってたのにびっくり。それに行きたいところに嫌な顔せず付き合ってくれるの。」
「……想像がつかないわ。でも買い物をしてる間はどこかで待ってるんじゃないの?」
「それがですね。一緒に似合うものを選んでくれる。」
「……幻覚?」
「現実」

妃子は口元を手で隠して、もう片方の手で額を触ってくる。「あなた熱いわよ」って、それちょっと酔ってるだけだから。熱じゃないから。心配そうな顔でこっちを見ないで。

詳細は省くが、鷹峯さんと出掛けるようになったのは成り行きだ。
私が町へ出かけようとしたとき、ちょうど鷹峯さんも出かけようとしていて、行き先は同じだから途中まで一緒に町へ行くことになったのだ。

初め、彼を見たとき一瞬誰だか分からなかった。きっちりとした軍服、邪魔にならないよう後ろへ流した前髪、あまり良いとは言えない目つきしか見たことがなかったからだろう。
しかし普段の姿は渋い色の着流し。前髪は下ろしていて、雰囲気が柔らかいというか、いつもより幼く見えたのをよく覚えている。

それからなんとなく、次の休暇も、また次の休暇も。約束はしていないがお互いの休みが重なった日は一緒に出かけるのが当たり前みたいになっていた。慣れって怖いね。

「付き合っては」
「ないないないない。」
「でも一緒にれかけてるじゃない。」
「成り行きだって。鷹峯さんが私なんか相手にするわけないでしょ。」
「そうかしら?」
「そうだよ。妃子、かなり酔ってきてるね。」
「よってないわ」
「いや、酔ってる。呂律回ってないよ。歩けるうちに帰ろう。店員さーん!お勘定!」

赤く染まった頬、とろんとした目。かなりやばい。胸にくる。私が男じゃなくてよかった。男なら送り狼になる自信しかない。
お勘定を済ませて、妃子の腕を引っ張って店を出る。私が物思いに耽っている間に三本目を開けていたらしい。二人で飲む量を一人で飲んでしまったのだから、そりゃあ酔うわ。寧ろ酔い潰れなかったことにびっくり。
後ろをちらりと見れば、気の抜けた顔でへにゃりと笑う。気を許してくれているからこそ、こんなに無防備な姿を見せてくれるのだと思うと口元が緩んだ。

さて、あとは彼女を無事に送り届けないと。犲本拠地の付近であり、軍人が利用する道だから不審者は少ないが、絶対にいないとは言い切れない。月明かりを頼りに、なるべく早足で洋館までの道を行く。

「菫」

この声は。
すぐ後ろから聞こえてきた声に足を止める。
後ろを振り向けば、ほぼ真後ろに私たちを見下ろす形で予想した通りの人が立っていた。

「鷹峯さん……!どうしたんですか、こんな遅くに。」
「中々寝付けなくてな、散歩中だ。おまえらは今帰りか?」
「はい、かなり盛り上がっちゃって。気づけばこの時間です。」
「送る。」
「でも、私たちの速さに合わせたら帰りが遅くなりますよ。」
「こんな夜道に女二人放っておけるか。佐々木は俺が背負うから、帰るぞ。」

……やっぱり、優しいんだよなぁ。鷹峯さんはうとうとしている妃子を背負って、一歩踏み出す。「ったく、酔いすぎだ」と小さくぼやいたのを聞き逃しはしなかった。私がついていながら申し訳ない。
俯いて反省していると、名を呼ばれた。顔を上げれば大きな手のひらが差し出されている。これは?

「なにぼさっとしてんだ、手貸せ。引っ張ってやる。」

……立ち止まっているから、歩き疲れたのかと勘違いさせた?鷹峯さんは変わらず手を差し出したまま待ってくれている。見えるのは見慣れた軍服だけ。顔は暗くてよく見えない。
少し思案した結果、大きくて固い手のひらに自分の手を乗っけた。こんなこと滅多にないし、甘えなきゃ損だ。ゴツゴツした豆だらけの手にすっぽり包まれて、暖かくてホッとする。夜道で少し不安だった気持ちもすっかりどこかへ消えてしまった。

「ありがとうございます、鷹峯さん。」
「次からは自室で飲め。それなら酔い潰れても安心だろ。」
「はい、次からそうします。そうなるとおつまみが欲しいですね。」
「今度の休みは美味いつまみが売ってる店にでも行くか。」
「いいんですか?」
「ああ、期待しとけ。味は勿論だが、種類も豊富だからな。」

……ということは次の休暇も鷹峯さんと一緒か。私は楽しいから構わないけれど、毎回毎回付き合わせていいのだろうか。

鷹峯さんも三十三歳。余計なお世話かもしれないが、私のせいでお婿に行き遅れないことを切に願う。

あれ、そういえば何で着流しじゃなくて軍服着てるんですか?