冬が春に恋した日

※恋仲未満

「ねーんねんころりよーおころりよー
ぼうやは良い子だねんねしなー……うん、良い子ね。空丸くんも宙太郎くんも。それに比べて」

大人しく寝付いた彼らに布団をかぶせて頭を撫でる。ぎゅっと裾を掴む手を解いて静かに部屋を出た。すると途端に煩くなる声に頭が痛くなる。
ため息を一つ吐き、桜子は騒動を納めるために声のする方角へ足を向けた。

「あ、桜子!」
「……。」

ああ暖かい日差し。すっかり春ですね……なんて現実逃避をしている場合じゃなかった。

「なんでそうなった」

所々壊れた庭。それよりも痛々しいのは本人たちだ。一方は顔を腫らし、もう一方はやっと治りかけていた傷の数カ所が開きかけている。顔を出したことですぐに喧嘩をやめてくれたのはありがたいが、欲を言えば当人たちがぼろぼろになる前に殴り合いをやめてほしかった。いや、まだ殴り合いだっただけ良かったと言うべきなのだろうか。刀や苦無を持ち出されたら堪ったものではない。

「だってこいつが初めに殴ってきたから」
「背中を思い切り叩いてきたのはおまえだろう」
「あんなの挨拶じゃねえか!」
「なら桜子にもあんな野蛮な挨拶をするのか?女子供相手なら確実に骨が折れる力加減だったが」
「ざんねんでしたー、桜子はそんなにヤワじゃありませーん。てかおまえと桜子を同じ土俵で考えんなよ、桜子に失礼だろ」
「お前こそ今、桜子がヤワじゃないと言ったな。それこそ失礼な発言だと思うが」
「いや、私のことはどうでもいいんだよ」
「「どうでもよくない!」」
「なんでそんなところでハモるの!
ほら、もう気が済んだでしょう?天火は太田先生のとこで診てもらってきて。白子さんはとりあえず私が診ますよ」
「贔屓だ。白子だけズルい!」
「誰のせいでこんなことになったと思ってるの!八割方、天火が悪い」
「え、俺が残りの二割じゃないの?」
「だって先にやらかしたのは天火だし……ねぇ?」
「ああ」
「それに、白子さんは先生が苦手だから私が診るだけ。ぱっくり開いてたら諦めて行ってもらうよ」
「えー」
「さっさと行く!」
「はい!」

全速力で駆けて行った天火を見送り白子を彼の自室へ放り込む。救急箱と手拭いを準備し、最後に桶に水を入れて白子の部屋へ向かう。桜子は彼の自室の前に座りこんで襖に手をかけた。

「入りますよ」
「……いや、そこに道具を置いといてもらえればいい。自分で手当て出来るから」
「駄目ですよ。そうすると酷い怪我をしていても隠すでしょう。失礼します」

入った瞬間、飛び込んできた光景に桜子は思わず目を覆いたくなった。
手当ての為に脱いだ上半身の着物。白子が元々持っている雰囲気のせいだろうか。いつもはどこか儚げな空気を纏っているせいで筋肉が付いているとは思えないのだが、こうして素肌を見るとさすが忍というべきか、引き締まった身体をしているのがよく分かる。
別に今更、照れるようなこともない。犲隊員や軍人たちの側にいると男の裸(上半身)くらい自然と見慣れていくものだからだ。しかし桜子はなんとも言えない気持ちに襲われる。見てはいけないものを見たような、全裸を見てしまったような小っ恥ずかしいドキドキした気持ちだ。

「……見ていて気持ちのいいものではないだろ」
「え?」
「桜子には見せるべきものじゃない」
「……怪我のことですか?」
「それ以外に何がある?」

言えない。まさかあなたの引き締まった身体をガン見して照れていました、なんて言えるはずもない。
桜子はキュッと口を引き締めて平静を装い、白子の傍に座る。

「いいえ、大丈夫ですよ。天火の側にいたら怪我を見ることなんてザラでしたし。
……うん、よかった。ぱっくりとは開いてませんね。ちょっと沁みますよー」
「ああ。……手慣れてるな」
「手当てですか?そりゃあ、散々やってきましたから。天火も他のみんなも怪我ばっかり作ってくるから、私の手当ての腕が上がっていく一方で」

消毒をして止血して包帯を巻いて、桜子は頷いた。我ながら上出来だ、と。……それにしても、古傷だらけの身体だな。訓練時の怪我?任務中の怪我?思わずその古傷を指先でなぞると、彼の肩が少し揺れる。瞬間、振り返った白子にパシリと手首を掴まれた。

「あ、ごめ」
「それは、桜子が触るようなものじゃない。こんなものを触ったらおまえが汚れてしまう」
「汚れません!何を言ってるんですか」
「汚れるよ。こんな傷……そもそも、お前は俺に触るべきじゃない。その綺麗な手は、俺に触れていいものじゃない」
「……忍、だから?」
「そうだ」

白子がそう言うや否や、桜子はその傷だらけの胸に飛び込んでいた。額を白子の胸につけて、自由な手を添える。
暫く時が止まったかのようにシンと静かになるが、我に返った白子が桜子の肩を掴んで身体を引き離す。目を見開いた紫眼には動揺が浮かんでいた。

「お前はっ……!俺の話を聞いていなかったのか!」
「ねえ、白子さん。大丈夫、私は汚れませんよ。私があなたにどれだけ触れても、あなたにどれだけ触れられたとしても、私は汚れない。だから、自分の人生を卑下しないで。あなたの過去がどんなものか、私は知らない。でも、こんなにも優しい人の人生が穢れたものだなんて、そんなのあんまりじゃないですか」
「……例えば、人を、殺していたとしても?」
「ええ。人を殺したとしても、盗みを働いたのだとしても。決して褒められた行いじゃないけど、それでもあなたは汚れていないと思うんです。今までの罪の償いは、これからの生き方次第じゃないでしょうか」

だから怯えないで。自分を卑下しないで。いつ死んでもいい命だと思わないで。桜子は再度白子の胸に頭を預け、そっと背中に手を回した。桜子には、白子の心が悲鳴を上げているように見えたのだ。傷だらけでボロボロで。いつかその痛みに慣れる日が来る前に、抱きしめなければと思った。
その腕は白子の身体だけでなく心も温めるようにじんわりと温もりを広げてゆく。心地が良い、と白子は思った。無意識に、包帯の巻かれた手が白銀の髪に伸びる。恐る恐る、しかし優しく白子の手は桜子の髪を撫でた。

「ね、大丈夫でしょう?」
「……ああ」

小さな背中に手が回ろうとしたその時。白子はハッとして桜子の身体を先程と同じように引き離した。
同時に無遠慮に開く襖。白子は恨めしそうに襖を開けた人物を睨みあげる。

「たっだいまーっ!いやぁ、軽い打撲だったわ。あれだけやっときながら打撲で済むなんて、さすが俺……ん?何?この甘ったるーい雰囲気。お前何で桜子の肩掴んでるわけ?」

頬に湿布が貼られた天火は二人を見てヒクリと口元を引きつらせる。当然だった。状況を知らない第三者から見れば、上半身裸の男がか弱い女に迫っているようにしか見えない体勢である。
白子は小さくため息を漏らし、人の悪い笑みを浮かべた。

「遅かったな」

意味深に、そう呟いた。天火が桜子に想いを寄せていることは、白子も何となく気付いている。腹いせに少し意地悪をしてやろうと思った。
桜子はよく分からないと言ったように目を見開く天火と意味深に笑う白子の顔を見て、首を傾げた。

「おかえり、天火。えっと私は早かったと思うよ?」
「桜子っ!!」
「へっ!?」

天火は白子から桜子を引き離すとガシリと肩を掴んで詰め寄る。顔の近さに思わず仰け反った。

「な、何?天火。どうしたの?」
「お前、白子と何もなかったんだよな!?」
「え!」
「頼む!なかったと言ってくれ!!」

桜子は、白子にした数々の無礼を思い出す。年頃の若い男性の上半身を目撃し、傷に触れ、抱きしめた。今更ながら羞恥が芽生え、顔を真っ赤に染め上げる。振り向くと綺麗な紫眼が桜子を映し出しているので、堪ったものではない。「あ……あ」と意味のない言葉が口から漏れ出た後、たまらず顔を覆った。

「っ、ごめんなさいっ!!」
「え、ちょ、何されたの!?桜子ーーッ!!」

天火の手から抜け出し、素早く去っていった桜子を誰も追うことはできなった。「マジか」呆然と天火が呟く。

「桜子に何したんだよ」
「さあな。桜子が言わないなら、俺も言わない」
「お前のそういうとこほんと嫌い」

ガックリと項垂れた天火を見て、白子は口角を上げる。そうして桜子のことを思い出し、少し後悔した。胸が少し締め付けられるような感覚に襲われ、己の手を見る。
抱きしめておけばよかったと思った。決して鈍感ではない白子は己の胸にある感情の名を知っている。出会い当初から好ましく思っていた相手に対して、とうとう芽生えてしまったらしいその感情の名は『恋』だ。

「……抜け駆けとかなしだからな」
「さあ、どうだろうな。お前が頼りなかったら、俺が桜子の手を掴むかもしれない」
「上等。桜子がどっちの手を取っても恨みっこなしだ!」

若かりし頃に交わした言葉。結局、その四年後に白子は桜子と付き合い始め、天火がその事実を知ったのはそれから六年後のこと。親友となった白子がちゃっかり桜子をゲットしていた事実に天火はかなり本気で泣いた。
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