雪溶けて日差し込む

男の腕の中で冷や汗をかきながら、桜子は一言も声を発せずにいた。男の肩にそっと両手を添えて、おんぶをされて喜ぶ一清と、乱雑に引きずられる親の仇をただ見つめる。

人を殺そうとしたこと、仇を打てなかったこと、己の不甲斐なさを実感したこと、己を抱きかかえている男のこと。桜子の中で様々なことがごっちゃになり頭が回らず、結果、何も話せずにいた。

「……怪我は」
「ぇ」

沈黙を破ったのは男の方だ。先程の冷たさはなくなり、声音に優しさが混じる。

「ぁ、ない、です」
「そうか、ならいい」

また流れる沈黙。重苦しい空気は無くなったものの、桜子は男にかける言葉を見つけられずにいる。
顔は違えど、今彼女を抱きかかえているのは、桜子が何度も会いたいと願った男である。会えたなら言いたいことが沢山あった。伝えたいことも沢山あった。が、まさか人を殺そうとする場面を見られてしまうとは。幻滅しただろうか、嫌われただろうか。そうだと決まったわけではないのに、桜子の瞳に涙が浮かぶ。

「んーぅっ!」
「……一清?」

一清の手が、ペチペチと桜子の顔を叩く。ムスッとした、怒ったような息子の表情に、彼女は目を丸くした。「母さん、しっかりしろ!」そう言われているようで、また己のダメさ加減に落胆する。

「ん、ごめんね。ダメなお母さんで」

桜子はその小さな手を握って、小さく息を吐いた。勇気を出さなければいけない。黙りっぱなしでは、せっかく届く手さえ掴めないのだから。

「……白子さん、とお呼びしていいのでしょうか」
「……気付いてたのか」
「初めは全く気付きませんでした。でも、一清が初対面の人に抱かれて泣かなかったり、とぉって呼んでたりしてたので不思議に思って……私を抱きかかえてくれた感覚とか、声を聞いてやっと確信が」
「そうか……すまなかったな、邪魔して」
「幻滅、したでしょう?こんなドス黒い感情を抱えた女だとは、思ってなかったですよね」
「幻滅はしていない。ただ、驚かなかったと言えば嘘になる」
「っ」
「まずは、こいつを警察に捕まえさせる。話はまた後でしよう」

後で。その言葉に、桜子は唇を噛み締め、白子の肩に顔を埋めた。
共に崖から飛び降りようとしたときも、いつの間にか白子一人で消えてしまった。後でと言いながら、また消えてしまうのではないかと思うと怖かった。
その気持ちに気付いたのだろう。白子は男の首根っこを掴んでいた手を離し、桜子の背中をポンポンと安心させるように叩く。

「逃げないよ。俺は、桜子と話をする為に戻ってきた。こいつを突き出したら、落ち着いて話ができる場所に行こう。信じてくれるか?」
「……その場所に着くまで、抱っこしててください。それなら、信用できます」
「分かった。子供がもう一人いるみたいだな」

笑いこそしなかったが白子の纏う雰囲気が穏やかになるのを感じて、桜子の表情もやっと和らぐ。
そのまま山を降りてゆくと、町に続く山道が見えてきた。そこに十人の男が縛られ、積み重なって気を失っている。

元々、山菜を摘みに町の住人が利用する細い道だが、よく山賊が出没するということで利用される頻度は少ない。
桜子は成る程、と納得した。この山道は物騒な道だから、警察がよく巡回するのだと警察官の土屋から聞いたことがある。ここに不審者を転がしておけば、警察が勝手に逮捕してくれるだろう。

「一清を連れて桜子から離れた後、急いでこいつらを縛り上げてきた。得物も取り上げたから、関節でも外せない限り逃げられないよ」

男と桜子が二人っきりで過ごしていた間、白子は手下全て気絶させて捕まえたのだという。決して綺麗とは言えない人間が積み重なった最下部には、今白子が変装している男の顔がある。一清が連れ去られるより前から、白子はこの男と入れ替わっていたのだろう。

「仕事が早すぎませんか」
「光栄だな。最後にこいつを縛り上げたいから、少しだけ離してもいいか?」
「分かりました」

白子は一旦桜子を地面におろし、中年の男をきつく木に縛り付ける。
その男の顔を、桜子はじっと睨みつけた。警察に突き出せば、全て終わる。図太い男だ。そう簡単に罪を告白するとは思えないが、手下が簡単に口を割るだろう。男が手に入れた金も、出所を探ればすぐに汚い金であることが分かる。
全ての罪が明らかになれば死刑、または無期懲役になるのは確実。男はそれだけのことをしてきている。
しかし、本当にこれでいいのだろうかと思うのだ。

両親を苦しめて殺した殺人者。牢獄に入ってしまえば、二度と手が出せなくなる。死刑は生ぬるい、もっと苦しめて、私の手で……。

「殺したいか?」

男を縛りながら振り向かずに、白子が声をかける。桜子はハッとした。いつの間にか、手が短刀に伸びていた。

「どんな風におまえの両親が殺されたのかは知らない。が、目の前で殺されたというのは聞いている。……俺も昔、同じようなことがあった。桜子の気持ちは、全てとまではいかないが少し分かる」
「白子さんは、その人を殺したんですか?」
「殺した」

はっきりと言い放たれた言葉に、桜子は息を呑む。白子が殺しをしたことにではなく、殺さなかったと言わなかったことに驚いた。桜子が男を殺さないように説得するならば、俺は殺さなかった、と言うのが一番効果的なのに。

「なら、私だって」
「ああ、殺す権利はある。でも俺は、親の為に殺さなかったよ」
「……仇を討つ為に、殺したんじゃないんですか」
「そうだな……仇を討つ為じゃない。生きている同胞の為に、一族の為に殺したよ。
桜子、おまえは?復讐に取り憑かれてはいないか。こいつを殺すのは、おまえ自身の意思か?仇を討ったところで、両親は戻ってこない。それでもこいつは、おまえが手を汚すに足る男か?」

桜子にとって、目の前でのびている男は化け物だ。両親が殺された日、必ず殺さなければと決意した。両親の仇を討つ為、あの日の怒りと悲しみから解き放たれる為に。

「私は……。」

怒りに身を任せれば簡単だ。あの日抱いた怒りのまま、殺せばいい。

「それを踏まえた上で殺したいなら、好きにすればいい」
「私は……っ」

刀を、地面に落とした。
答えはもうとっくに出ていたのだ。二人きりになったとき、男を殺せなかった時点で。

変装のマスクを取った白子の紫の瞳が、涙を流す桜子を映し出す。

「殺せない……正気のまま殺す勇気がないんです。この男を殺したら、私は二度とあなたたちに笑いかけることができなくなる。胸を張って生きられなくなる……っ、ごめんなさい、ごめんなさい!」

意気地なし、役立たず。様々な言葉で自分を責めたてる。結局、怒りに身を任せなければ殺せないのだ。心の中で何度も両親に詫びた。
白子はきつく桜子を抱きしめる。慰めではない。一人ではないと言うように、隙間なく彼女を抱きしめる。

「憎い相手を殺さないのは、殺すよりも勇気がいる。いっそ殺してしまった方が、桜子は楽になれただろう。でも、ごめん。俺は、桜子が憎しみに呑まれないでくれて、とても安堵しているよ。ごめんな、辛い選択をさせて」
「謝らないでください!これは、私が選んだことですから」

遠くから、話し声が聞こえてくる。警察が見回りにきたのだろう。
白子は桜子を抱き上げて、声のする方とは正反対に歩みを進めた。眠そうにうとうとしている一清を目にした桜子は涙を拭いて笑う。

「それに、少しホッとしています。我が子に顔向けできないような親には、なりたくなかったから」
「……強いな、桜子は」
「ふふっ、もう一児の母ですからね。……でも、ごめんなさい。目的地に着くまで、肩を貸してもらえませんか」
「ああ、俺のでよければいくらでも」
「白子さん」
「何だ?」
「ありがとう。私たちを助けにきてくれて」
「礼を言うのは、俺の方だよ」

「護らせてくれて、ありがとう」小さく呟かれた言葉は、何を思っての言葉か。
何故礼を言われるのか分からないが、桜子は何も聞かずに黙って白子の肩に顔を埋めた。

化け物を殺す。穏やかな女の中に根付いた、決意という名の呪いが雪解けのようにじんわり消えてゆく。桜子は憑き物が落ちたかのように、今までで一番穏やかに笑った。

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