遠き冬の呪い

雪が降っていた。
家の隙間から入ってくる風が寒くて、囲炉裏のそばでお母さんとお父さんと一緒にあったかいお茶を飲む。昼も間近に迫ってきて、お腹がクゥと小さく鳴った。それを聞いて、二人はくすくすと笑う。

「ね、お母さん。今日のお昼ご飯、なに?」
「ふふっ、なんだと思う?」
「えっと……玄米と、お味噌汁と、漬物?」

最近のご飯はずっとコレ。
冬になって、あまり獣も狩れないし、今年のうちの小さな畑は不作。町におりないから野菜も手に入らない。偶に大湖さんが町の物を持ってきてくれるから、それを長持ちするように工夫して生活している。
だから今日の昼ご飯もいつもと同じかな、と思った。けど、お母さんとお父さんが顔を見合わせて笑っているところを見ると、どうやら違うらしい。

「実はな、今朝釣りに行ったら小魚が取れたんだ。それも沢山。」
「だから、今日のお昼と夜は贅沢しちゃいましょ。」

小魚!きっと小鮎だ!
去年に食べた魚の味を思い出して、口の中が唾液でいっぱいになる。魚は獣肉よりも好き。

「桜子はどんな魚料理が食べたい?」
「塩焼き!あと、素焼きも!」
「俺は佃煮がいいな。」
「お父さん、味濃いの好きだね。」
「桜子には分からないだろうなぁ。美味いつまみと一緒に美味い酒を呑む幸せは。」

分からないなぁ。絶対に魚特有の味がするものの方が美味しいのに。でもお父さん、本当に幸せそうな顔してる。

「そんなに美味しいの?」
「ああ、美味い。特に人と呑む酒は良いものだ。
おまえも大人になったら誰かと呑んでみろ。きっと美味さが分かる。」
「……誰かって、大湖さん?」
「大湖さんは父さんの呑み仲間だ。おまえはおまえで別の仲間を探せ。」
「でも……。」

町の人は怖い。お母さんもお父さんも、なるべく町にはおりないようにしているし……一度、狩りをしている最中に森で鉢合わせた町の子は私を見て「鬼だ!白い化け物だ!」と、叫びながら逃げていった。普通の人とは違う髪だから、怖いのかな。
でも、私はこの色が好き。お父さんも、お母さんと私の髪は綺麗だって褒めてくれる。真珠みたいだって。その髪が、町では恐怖の対象になることが、とても怖い。町は、人は、怖い。

多分、暗い表情をしていたんだろう。お父さんは大きな手を私の頭に乗せて、優しく撫でてくれる。

「おまえなら出来るさ。な、真咲。」
「そうね、桜子ならきっと素敵なお友達ができるわ。でもね、呑める歳になっても呑みすぎはダメ。
何度注意しても聞く耳持たず、挙げ句の果て床を汚して、人様に迷惑かけるだらしない大人にはなっちゃダメよ。ねぇ、あなた?」

お母さんの冷え切った視線がお父さんを容赦なく射抜く。

「あー、なんだか雪かきしたくなってきたなー!ちょっと行ってくるすみませんでした!!」
「え、吹雪いてるよ。」
「あらあら、誰もあなたのこと、なんて言ってないのに。まあ、放っておきましょうか。気が済んだら帰ってくるわ。
さ、桜子。魚の内臓を取るの、手伝ってくれる?」
「うん!」

優しいお母さん。少し頼りないけど私たちを護ってくれるお父さん。
大好きな二人と穏やかに暮らせる。それで十分。それ以外に何もいらないの。こんなこと言ったら困らせちゃうから、絶対に口にはしないけどね。

「桜子」
「なに?」

魚に串を通していく手を止めたお母さんは眉を下げる。

「普通に産んであげられなくて、ごめんね。お母さんと一緒の髪と目じゃなければ」
「嫌じゃないよ!お母さんとお揃いだもの。それに私、今が一番幸せ。町におりなくたって、お母さんとお父さんがいればそれでいいよ。だから、謝らないで。」
「そう、ね。ありがとう、桜子。」

大量の内臓を取り続けて暫く。外でお父さんの声が上がった。
ちょうど家の隙間から躓くように前に倒れていくお父さんが見えて、首をかしげる。お父さん、かなりそそっかしいから雪に足でも取られたのかな。

「大丈夫かな、お父さん……お母さん?」

いつもなら外へ駆けていくお母さんは私の目の前に座ったまま外を見て、眉をひそめて張り詰めた顔をしていた。お母さんから伝わってくる緊迫した雰囲気に、自然と身体が固くなる。
こんな怖いお母さん、初めて見た。

「来なさい。」
「え」

腕を引っ張られて、引きずられるように歩く。そのまま押し入れの中にある布団の中に押し込まれる。
状況がよく分からない、何があったの。声を出そうとすればお母さんは笑って、私の口元に手を当てた。

「隠れてなさい。何があっても、出てきちゃダメ。声を出してもダメ。桜子はいい子だもの。お母さんのお願い、聞けるわよね?」
「お母さんは、どうするの?」

小さな声で問いかけると、お母さんは困ったように笑う。

「……ねぇ、桜子。あなたなら大丈夫よ。決して優しくない世界だけど、あなたなら生きていける。」
「やだ、やだよ。お母さん、ねえ、一緒にいよう?」
「大丈夫よ。だって、桜子はお母さんとお父さんの自慢の子で、宝物だもの。何があっても大丈夫。
この髪も、この目も、嫌じゃないっていってくれて本当に嬉しかった。ありがとう、桜子。」

強く抱きしめられて、温もりが離れていく。必死にお母さんに縋り付いても、ただ眉を下げて笑うばかりでここに残ってくれようとはしない。
嫌だ、行かないで。その願いも虚しく、静かに襖を閉められた。

「お父さんもお母さんも、空の上から桜子のことを見守ってるわ。」
「おかあさ」

同時に、乱暴な音がした。
出たらダメ、声を出したらダメ。見るだけなら、いいよね?穴の空いた箇所から、そっと外を覗き込む。

声を失った。蹴破られた扉を見ると、さっきの音は扉を蹴破る音だったんだなと分かる。いや、それよりも……なんで、お父さんが血まみれで倒れてるの。刀を持った、あの笑う男の人は、だれ?

「おー、ほんとに真珠みてぇだ。容姿もなかなかだし、こりゃ高く売れるな。」
「……あなた、大丈夫?」
「っ、あ、あ」
「ありがとう、優さん。あなたと出会えて、夫婦になれて、私、夢のように幸せよ。」
「……おれ、もだ」
「あの子なら大丈夫。きっと友達が育ててくれるわ。」
「な、ら……あんし……だな」
「あ?じゃあガキはいねえのかよ。」
「ええ、安心よ。だから、おやすみなさい、あなた。」

お父さんの身体から、何かが抜けていく気がした。狩りで見たことがある、あれは、生気が抜けていく瞬間だ。
傷だらけの身体で、痛くてどうにかなってもおかしくないはずなのに、お父さんは笑って逝った。安堵したような笑みで、寝ているような顔で亡くなった。お母さんは最後に、お父さんの不安を取り除いたのだろう。

気丈に振る舞うお母さんの背中。けれどその拳が小さく震えて、強く握られるのを見た。涙が溢れた。本来ならお母さんが流すはずの涙なのに、私が泣いてしまった。私は、弱い。何もできない、護られるだけの存在だ。何度も心の中で謝った。ごめんなさい、ごめんなさい、と。
ふいにお母さんがちらりと視線だけをこちらに寄越して微笑むものだから、涙が溢れてどうしようもない。

「無視してんじゃねぇっ!ガキはいねえのかって聞いてんだよ!」

ザクリ。お父さんの背中に刀が刺さる。
逆上した男は見せしめるように亡くなったお父さんを、切って、刺して、蹴って、踏みつけて。血が、内臓が飛び散る。
どうして、あんな酷いことができるの。遊びのように人を殺せるの。
……あれは、人じゃない。化け物だ。

「ええ、いないわ。この大雪で家が潰れないか心配だったから、友人に預かってもらっているの。残念だったわね。」
「まったくだ……が、おまえがいただけでもありがたいと思わねえとなあっ!」

外へ逃げようとしたお母さんの髪を乱雑に掴んで、刀が大きく弧を描く。ビチャリと床に血が飛び散って、切り裂かれた背中が赤く染まる。男は甲高い耳障りな笑い声をあげ、掴んでいる髪を引っ張り、お母さんの身体を押入れの襖に叩きつけた。ガタンッと襖が大きく揺れる。

ちょうど穴の横に倒れこんだのだろう。お母さんの姿は見えない。代わりに、男が笑みを浮かべながらこちらに近寄ってくる。声を押し殺して、震えることしかできなかった。お母さんは、どうしてこんな化け物を前に気丈に振る舞えたの。

「……泣きもしねぇ、叫びもしねぇ、不気味な女だな。特に、その反抗的な目が気に入らねえ。」
「くっ」

男がこちらに手を伸ばす。穴からは、赤く染まった白い髪が男の手に掴まれているのだけが見えた。もう片方の手に握られた刀が振り上げられて、狙いを定めるように揺れる。

いやだ、やめて。酷いことしないで。私たちが、何をしたっていうの。私の大切な人、奪わないで。

「やめ」
「桜子」
「っ……ッ」
「愛してる」

刀が、振り下ろされた。
何度も、何度も、何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も。布団に生暖かい湿ったものが染み込む。お母さんは死ぬまで、悲鳴をあげることはなかった。
やっと鳴り止んだ音と共に視界に現れたのは、お母さんの

「おかぁさ」
「ふっ、あっはははははっ!!やった、やったっ!これで俺も金持ちだ!!」

そこからは、あまり記憶がない。
大湖さんに布団から引っ張り出されるまで放心していたのだろう。今までのことは全て夢かと思い辺りを見渡そうとしたが、大湖さんにきつく抱きしめられて身動きできなかった。身動きできなかったものの、所々赤く染まった自分の身体を見て、ああ夢ではなかったのだなと理解する。

「辛いことを思い出させるが、犯人の顔を見ているのはおまえだけだ。すまないが、聞かせてくれ。
犯人は、どんな奴だった。」
「……化け物でした。」

化け物。人の命をなんとも思わない化け物。笑って、私の大切な人を簡単に奪っていった。
許さない、絶対に許さない。いつか、私が必ずこの手で、殺す。

(遠き冬、少女は自身に呪いをかけた。
化け物を殺さなくてはならない。決意という名の呪い。
少女が女性となった今も、その呪いは心の奥底に深く根付く)

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