どこへ消えた春の宝物

近江の地には金の卵を産む鶏がある。
外国でも珍しい白銀の髪は日の光に照らされると真珠のように艶のある輝きを放つ。瞳は瑠璃で出来ていて、引き込まれるほどに美しい。まるで宝石が具現化したような女だ。そう、女だ。
その女の子供にも髪の色がそっくりそのまま写し取られたらしい。孕ませれば金の卵が産まれてくる。これほど良いモノはない。ただし鶏は一羽のみ。誰が手に入れるかは早い者勝ちだ。



「あ〜きゃー!かぁ!」
「はーい?お母さんはここですよぉ。今日は随分とご機嫌ねぇ。」

早いもので、この間まで布団の上でキョロキョロと忙しなく視線を彷徨わせることしかできなかった一清は、自らの力で移動するだけの力を我が物としていた。四つん這いになり、むちむちした小さな両手で体を支え、まぁるいお尻を揺らして畳を這っている。
最近では桜子の部屋から土間にかけての長距離を難なく移動するものだから一清の成長には皆、驚かされるばかりである。

人の顔の区別もつくようになってきたようで、見知らぬ人に抱かれれば号泣するようにもなった。見知らぬ人とはいかなくても、久々に会った町の人に抱かれるだけでも人攫いにあったように泣く。我が子は警戒心が強いらしい、桜子は眉を下げて申し訳ないと思いながらも小さく笑みをこぼした。これなら少し離れていてもすぐに一清の危機に気づくことができる、と。

「さて、今日は一清の好きなもの、日干ししようか。」
「んんー?」
「じゃーん。」
「きゃーっぁ!!」

押入れの中から取り出した物に、一清は異様な程に喜んだ。藤色の袴、かつて金城白子が着用していたものだ。もの凄い勢いで這い這いをして寄ってくると、我が子はその袴をぎゅうっと握って、満面の笑みを浮かべる。

「と、とぉ!ぶん!」
「そうねぇ、お父さんのだね。」

一清の笑みにつられて、桜子も笑みを浮かべた。

一番に始めたのは天火だっただろうか。
彼は何を思ったのか一清に「これはおまえの親父のだ」と刷り込みのように言い聞かせていた。初めは二人きりで部屋にこもって何をしているのかと、桜子は目と耳を疑ったほどだ。まだ顔の区別もつかない赤子に向かい合って、そんなことを言い聞かせても仕方がないというのに。
そうやってひとしきり言い聞かせた後、天火は必ず言う。「おまえの母ちゃんは優しいからな。親父に会ったら母ちゃんの分も合わせて二発、きついのをぶち込んでやれ」なんてことを真顔で言うんだ。影で聞いていた桜子は思わず苦笑いした。

その後、天火が旅立ってからは宙太郎が天火の跡を継いだ。「これは白兄っていう、おいらの兄ちゃんで一清のお父さんの着物っスよ!」それを天火の旅立ちから今まで言い続けて、一清は晴れて「とぉ」つまり父さんという言葉を覚えたのである。着物を見て反応する様は非常に可愛らしいものだ。桜子は和やかに宙太郎と一清のやりとりを見守っていた。
しかしながら宙太郎は「桜子姉の分も一清がぶんなぐるんスよ!」と、律儀に別に言わなくてもいい部分まで教え込んでいたらしい。結果、ぶん殴るの意「ぶん」も習得したのである。
「とぉ」の後に「ぶん」が付いてくるのは如何なものか。

「とっ、ぶーん」
「ぶんぶんはやめましょうねー。お母さんと一緒にお着物干そうか。」

一清を抱き上げれば、力強く握られた袴も一緒についてくる。歳の割には握力が強かった。しかし一清ひとりに袴を持たせて桜子が移動すると藤色の袴がズルズルと引きずられる形になってしまう。それを阻止する為に桜子は一清にバレない程度に袴を持ち上げる。バレると一清の機嫌が悪くなってしまうからだ。まだ幼いながら、責任感も強いのだろう。

「きっと一清は将来、モテモテねぇ。」
「んぅ?」
「お父さんに似るってことだよ。」

元々が白子に似た顔つきなのだが、髪が桜子と同じ白(正確にはプラチナブロンド)であることによって、ますますそっくり。一時期、天火にチビ白子と呼ばれていたくらいだ。
数ヶ月前までまだ顔がふにゃふにゃしていて、顔立ちがはっきりしてなかったので天火の言うことにピンとこなかった桜子も、今なら納得する。彼に重ねて見るつもりは毛頭ないが、偶に面影を見てしまう。

「いま、どこにいるのかな。ね、一清……あれ。」

どこかの空の下にいる愛しい人に想いを馳せて、一清に笑いかければ、腕の中の我が子はいつのまにか夢の中。袴を握りしめていたはずの手もぶらりと力なくたれ下がり、桜子の肩によだれを垂らしながらすやすやと寝ていた。
桜子はクスクス笑うと一旦、袴を床に置き、縁側に大きめの座布団を敷いて一清を寝かせる。

「……静かだな。」

今の曇家には桜子親子しかいない。だいたい何時も、錦か宙太郎のどちらかが家に残るのだが今回、空丸は稽古に、宙太郎は学校に、錦は買い出しに、各々の用で外に出ている。
唯一の話し相手であった一清も寝てしまい、カエルの鳴き声が響くばかり。洗濯物を干しながら振り返る。やけに家が広く感じて、桜子は空を見上げた。

「みんな早く帰ってこないかなー。」

空丸も宙太郎も錦も、桜子にとっては大切な家族のようなものだ。帰りを待つ時間は寂しいが、帰ってきたら何をして労ろうか、などと考えているとあっという間に時間は過ぎてゆく。帰ってきてくれると分かっているから、安心して家にいることができる。それに比べて、と脳裏を横切る男の姿を振り払う為に物理的に頭を振った桜子は乾いた笑みを漏らす。まさか自分がここまで未練たらたらな女だったとは。

「桜子ちゃーん、おるー?」
「あ、はーい。ちょっと待っててくださーい。」

玄関の方から聞こえてきた声は町のおばさんのものだ。一清が暫く起きる様子がないのを確認してから、桜子はタスキを取って表に出る。おばさんの背中には泣きじゃくる女の子が乗っかっていた。

「ごめんなぁ、忙しいとこ。この子がちょっと足捻ってもて。」
「いえいえ、ちょうど暇していたところです。
走ってるときにでも捻ったのかな?ごめんね、ちょっと触るね。」

女の子の小さな足に触ろうとすると、その足がびくりと震えた。ちょっと触られるだけでも怖いのだろう。桜子は女の子を安心させるような笑みを向け、頭を撫でた。

「大丈夫。安静にしてればすぐ治るよ。」
「ほんと?」
「本当。念のため包帯、巻いておこうね。痛みを抑える薬もあるから塗っておこうか。」
「痛くない?」
「痛くないよ。おばさん、すみません。この子、上がり口に座らせておいてくれますか?」
「わかった。ほんまやったら太田先生のとこに行くべきなんやろうけど……ごめんな、桜子ちゃん。」
「気にしないでください。軽い捻挫くらいなら私も処置できますから。」

桶に水を張って、家の中へ引っ込む。居間にある救急箱を持って桜子は上がり口へ向かった。
かなり前から姿を消した太田先生。腕もよく、あまりお金も取らず、人当たりのいい先生が消えてしまい、町の人は困惑した。さほど離れていない場所に別の医師も常駐しているのだが、どうしても反りが合わない人間というのはいるもので、数人の町人は怪我をした際、桜子の元へやってくる。昔、桜子が犲の役に立つべく太田先生の元で応急処置と簡単な薬の調合を学んでいたのは町の中ではちょっぴり有名な話だ。
足を冷やして、薬を塗って、包帯を巻いて。きっちり固定した足を見て女の子はパッと笑顔になる。

「あんまり痛くない!ありがとう、桜子おねえちゃん!」
「どういたしまして。二日くらいは安静にね。」
「うん!」
「うまいもんやねぇ。ありがとう、助かったわ。」
「いえいえ、これくらいお安いご用です。」
「じゃあ帰ろか。ほんまにありがとうね、桜子ちゃん。今度お礼にお酒でも持ってくるから。」
「あー……すみません、うちは」
「ああ!ごめんごめん。みんな、あんまり呑まへんのやったね。つい天火くんが居らんの忘れてしまうなぁ。じゃあお返しはみんなで食べれるやつにせなあかんね。」
「やった!楽しみにしてます。」
「ばいばーい!」
「ばいばーい。お大事に。」

見えなくなるまでおばさんと手を振ってくれる女の子を見送った桜子は再び庭へ戻る。そろそろ一清が目を覚ます頃だろうか。人の役に立てたことでぽかぽかする胸と綻ぶ顔をそのままにして、庭へ向かう。しかし一瞬でその胸も、表情も冷めきった。

日の当たらない縁側の奥の方に敷いていた座布団の上。そこに我が子の姿はない。

「……一清?」

妙に気持ちの悪い風が桜子の頬を撫でる。全身が生暖かいものに包まれる感覚に襲われる。
次いで、庭の塀の向こうから赤子の泣き声が聞こえてきたような気がして、桜子は一目散に駆け出した。

「一清ッ!!」

悲劇は繰り返される。
異質な者が穏やかに過ごすことなど、出来はしないのだ。

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