その手を掴む

※恋仲未満

「もう、私が教えられることはなさそうですね。」

京での仕事に暇が出来ては曇家に訪れ、忙しい天火の代わりに子守をしたり、白子と共に家事をこなす。
料理、掃除、洗濯、買い物、子守。家事については何も知らない白子に怒ることなく、常に優しく桜子が横について指導を重ねてきた。今だって、洗濯物をその小さな両腕で抱えて白子の横で笑っている。
彼が曇の居候になってからそれは当たり前の光景で、これからもずっと続いていくものだと思っていた。

「これから、天火たちをよろしくお願いします。」

だからだろう。一瞬、言葉の意味が理解できなかったのは。

「……それは、もうここには来ないと言っているのか?」
「……はい。」
「確かに家事の面では殆ど心配いらないが、天火にも空丸たちにもおまえという存在は必要だろう。」
「必要、ないですよ。」

その顔は無理して笑っているようにも見える。誰が彼女にそんな顔をさせたのか、白子の腹の奥からふつふつと静かに何かが湧き上がってくる。
桜子は最後の洗濯物を干し終わると白子と向かい合い、眉を下げて困ったように笑う。

「犲のそばにいてくれ。」
「え?」
「天火の、お願いです。」
「あいつが?」

最近は曇家当主としての知識を身につける為、部屋に閉じこもることが多くなった天火。桜子が久々に会った彼は少しやつれていた。

「私、こっちで暮らそうか?」

天火のことがただ心配で出た言葉。しかし天火は桜子の目を見ることなく、静かに首を横に振る。

「いや、もうこっちには戻ってこなくていい。俺たちは大丈夫だから、おまえは犲のそばにいてくれ。ほら、おまえがこっちばっかり気にしてたら蒼世だって良い気しないだろ?だからさ、頼む。」

その真意は定かではない。が、もう何も聞いてくれるなと再度書物と向き合った彼に、桜子は何も聞くことができなかった。白子も家事を覚えた。天火の補佐だってできる。桜子が側にいて、曇の役に立つことなど何もない。もう白子で十分事足りるのだから。

桜子を近江から遠ざけるのは天火なりの気遣いだろうと薄々理解した白子も、それを聞くと怒るにも怒れないし、引き止めることもできない。

「だから、あとは頼みます。白子さん。」

天火は部屋、空丸と宙太郎は大人しく昼寝中。彼女を引き止めるものは何もない。
一礼して、去っていく小さな後ろ姿。追いかけるべきではない、引き止めるべきではない。だというのに、白子は桜子の手を掴んでいた。

「……白子さん?」
「まだ……」
「え?」
「まだ、教えてほしいことが沢山あるんだ。俺には桜子が必要だから……だから、また会ってくれないか?」

天火が離した手を強く握る。
卑怯だろうか。だが、無性にこの手を離したくない。まだ側にいてほしい。
もう子供ではない。白子は桜子に抱く感情が何かを知っている。身を滅ぼしかけない危険なものだと知っていて尚、手を掴むのだ。
目を丸くした桜子が白子を見つめる。彼女もまた子供ではない。自分に向けられる目に熱が帯びていることを知っていて、その手を握り返した。

「いいんですか?私が教えられることなんて、もうありませんよ。」
「あるよ。桜子は俺の知らないことを沢山知っている。家事の他にもいっぱい。」
「私なんかより物知りの人なんて近江には沢山います。」
「俺は桜子に教えてほしい……駄目か?」

白子に負けないくらい強い力で手を握りしめて、桜子は嬉しそうな、しかし泣き出しそうな顔で笑った。

「駄目なわけ、ないじゃないですか。寧ろ、私なんかでいいんですか?」
「桜子がいい。桜子じゃなきゃ駄目なんだ。」

まだ一緒にいたくて、求められたことが嬉しくて。互いが互いを心の拠り所として成長していく。
彼が彼女を手放すのはまだまだ先の話。

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