きみは花の匂い

※恋仲未満

「寄らないでください!」
「え。」
「それ以上近寄ったらだめですからね!!」
「俺、何かした?」
「白子さんは何もしてません、けど今日は本当にだめなんです。ごめんなさい!」

脱兎のごとく曇家の廊下の奥へ逃げていった桜子。遠ざかっていく揺れる銀の髪を見つめて暫く、白子はその後ろ姿を追いかけた。近づくなと言われたぎりぎりの範囲まで近づき、一定の距離を保つ。
逃げる理由が聞きたかった。そして少し腹が立った。何故、対面早々いきなり近づくなと言われなければならないのか。

「なんでついてくるんです!?」
「理由くらい教えてくれてもいいんじゃないか。」

振り返って白子を伺いみる桜子の瞳は怯えを含んでいた。それもそのはず白子の端正な眉は軽く皺がいくほど顰められているのだ。美人の不機嫌な顔は怖い。それだけでも怯えるのには十分な要素だというのに、獲物を捕らえるような鋭い目で追いかけてくるものだから普通に恐怖する。誰だってそんな顔で追いかけられれば逃げるだろう。

「あっ」

白子にばかり気を取られ、前を見ていないのが悪かった。廊下の少し段差のある部分で見事につまずいてしまう。ああ、しまったと思った時にはすでに遅く、身体は勢いのままに前へと倒れていく。固い床とぶつかる衝撃に備えて目を瞑るが痛みは一向にやってこない。

「前、見ないとだめだろ。」

少し咎めるような声に目を開く。肩に回された手が桜子の身体を支えていた。やはりあの距離を詰めることなど白子にとっては朝飯前だったらしい。

「あ、ありがとうございます。」
「どういたしまして。さて、逃げた理由を聞かせてもらおうか。」

ギラリと光る紫眼が青混じりの黒い瞳を捉える。その視線から逃れるように桜子は目を逸らし顔を覆った。もう逃げられない。

「とりあえず、離していただきたく」
「駄目。」
「もう逃げませんから。」
「信じられないな。」

怒っていらっしゃる。このまま抱きかかえられての会話は恥ずかしいものでしかなかったが、今の白子に再度離してくださいと言える勇気は桜子には残っていなかった。

「言いますけど……笑わないでくださいね。」
「うん。」
「……におい、です。」
「におい?」

数日前のことだ。天火が数日間風呂に入ってなかったとある夜。その日は偶々、桜子も曇家に泊まることになっていた。早く風呂に入るようにと桜子がいくら言っても入ろうとしない天火に、通りかっかた白子が一言言ったのだ。におうよ、と。
元々、忍は鼻がいいらしい。大体の人間のにおいならかぎ分けることも可能だそうだ。その話を聞いて以来、清潔さには気を付けていた。しかし昨日は色々忙しく、風呂に入れていない。そんな身体で白子に近づきたくなかったからこそ逃げたのだ。そう白子に告げれば、彼はぽかんとした顔で桜子を見つめる。

「え、それだけ?」
「こちらからすれば、恥ずかしいことなんです。」
「恥ずかしい……何が?」

理解できない。白子がそんな顔をしているものだから、桜子はムッとして顔を上げる。

「におうよって、いい意味じゃないでしょう。その悪いにおいが自分から出ているのかと思うと恥ずかしくて、穴があれば入りたくなります。白子さんは鼻がいいから、何かにおうと言われたらどうしようってずっと怯えてたんですよ。」
「そういうものなんだ。」
「そういうものなのです。って、白子さん!?」

白子は桜子の首筋に顔を寄せる。そして首を傾げた。普通ならば、人はなんらかの匂いがする。人らしい、その家の匂いをつけていたり、汗だったり。
しかしこれはどういうことだろう。

「やめてください!ほんとに、汗かいてたりするんですから!」
「……俺は好きだな、桜子の匂い。」
「え。」
「そうだ、茶菓子があるんだけど食べるか?空丸と宙太郎はまだ昼寝してるだろ。」
「白子さんのお菓子……食べます!」

先程の逃走劇は何処へやら。白子の腕の中から抜け出した桜子は満面の笑みでお茶を淹れる為に土間へ駆け出した。その後ろ姿を白子は眺めていた。

「……花の匂い。」

春のような女だと思ってはいたが、まさか匂いまで花だとは。白子は先程まで桜子を支えていた己の腕を見る。胸の奥で何かが疼いた。


原作から9〜10年くらい前の話。

二巻の牡丹さんと白子さんの会話から。
女性に体臭の話はNGだと思います白子さん。

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