とあるくノ一の奮闘

私は知らない。
長ほど立派な方を、強き方を、優しき方を、知恵のある方を。
他の同胞とは違い、ちょっとした長い付き合いである長は幼少からよく見知った仲だ。忠誠心は勿論あるが、そこには世間一般でいう友情もあったりする。何にせよ、昔から澄ました顔のいい奴だった。先代の長は一族ではなく自分の保身を一番とする方だったが、今代の長は一族のことを第一に考える立派な長へと成長された。皆、あの腐った同胞殺しの時代を終わらせてくれたおまえを慕っている。

そんな長にも心寄せる女がいたらしい。
その女と出会ったのは、身籠っている同胞の護衛を任されているとき。私たちと同じような髪を持った少女と見まごう女。風が吹き込むと同時に真珠のような髪と桜色の袖が揺れる。こちらを見つめるその瞳は、青金石が埋め込まれているのかと思うほど綺麗で、初めて人を見て胸が高鳴った。
すぐに我に返り苦無を取り出そうとしたものの、激怒された。人に怒られるのも、人らしい感情を向けられたのも久々で……ほんの少し、亡き母が脳裏に浮かんだ。

聞くに、彼女はボロ小屋の持ち主らしい。間抜けなのかお人好しなのか、なんの見返りもなく赤の他人の出産の手伝いをしてくれるらしい女は私たち忍からすれば未知の生物だった。
しかし利用できそうなものは利用した方がいい。妙なそぶりをすれば殺そうと同胞と話し合い、出産の手助けをしてもらったわけだが……結論から言おう。
桜子様は素晴らしいお方だった。

聡く、穏やかで、優しい。側にいるだけで心安らぐ女性。
ええ、ええ。いとも簡単に懐柔されたのは私です。しかし他の二人も懐柔されたのだから私だけが安易なわけではない。寧ろ私は最後まで厳しく接した方だと思う。
忍に惚れた女の末路は悲惨なので、長のことを諦めるよう多少脅しはしたが、桜子様の意思は固いらしい。最後は苦無を持って長の元へ駆けて行ってしまった。
少し、あの澄ました顔の男が羨ましく思えてしまった気持ちは墓まで持っていこうと思う。

***

あれから一年。
大蛇様が消えた後も近江には興味深い話が溢れていた。一応、情報収集の為にと長とは別行動でこの地に残ったわけだが……残ってよかったと心から思う。
まさか桜子様が身籠っていたとは、そしてその赤子を産むとは。予想外の連続、産まれた赤子は実に可愛い。子供の名前は一清。曇天火の提案した名がつかなくてよかった。情報云々そっちのけで、彼女たちのことが気になって仕方がない。
そうしている間にも面白い情報が手に入ったからよしとしようか。彼女の意思も分かったことだ。そろそろあの生真面目も動くべき頃合いだということを分からせねばなるまい。

(ここからは私の腕の見せどころだ)

木の上をヒョイヒョイと移動する女。辺りでは数人、同胞が身体を休めている。そのさらに奥、目当ての人物を見つけた。

「長、ただいま戻りました。」

振り返る紫眼。
情報を持って帰った女はただ穏やかに口元を緩めた。

「ああ、ご苦労。どうだ、例の実験は。」
「はっ。太田医師含む大蛇細胞実験の反対派が捕らえられ、残った者が実験を進めております。ですが、成功例はなし。これ以上、大蛇細胞について調べても、私たちに役立つものはないかと。」
「そうか。」
「実験に関することはこれくらいですが……個人的にお伝えしたいことが一つ。
女が、赤子を産みました。」

空気が変わる。
女は長の表情が微かに変わるのを認識し、内心でほくそ笑んだ。
女。その一言で誰のことか伝わるのは未だ彼の心に彼女が居座り続ける証拠である。

「瞳は黒ですが、母親譲りの銀の髪と父親譲りのくせ毛が印象的で……裏にもかなり話が広まっています。」
「……曇にいるなら、どうとでもなる。」
「曇天火は何処へと旅に出ました。犲は解散後、政府の元で働いている様子。曇空丸は当主として見回りが多く、家にいるのは半端者……しかしそれもよく曇空丸の側にいるので実際、家に残るのは彼女と子供たちです。」
「何が言いたい。」
「彼女の親のことはご存知で?」
「ああ、少しだが調べた。」
「なら母親の首がどうなったかも?」

少しの沈黙。
答えは知らない。桜子のことを大蛇に関してさほど重要視していなかった彼は、彼女の過去を少し調べただけ。既に死んだ母親の首の行方など知る由もない。

「私たちとは違う天然物の真珠のような美しい髪。菫青石をはめ込んだような瞳は裏で非常に高値で取引されています。彼女の両親を殺した輩は子供の代まで遊んで暮らせるほどの大金を手にしたそうです。
しかし欲深いのが人間。まだ金になるものがあると知れば根こそぎ取りに来るのが人間です。
彼女が生きていると知れば?そしてその子供にも宝が遺伝したとすれば?犯罪者の注目の的ですね。いえ、犯罪者といわずとも、善良な市民も金に目が眩むかも。」

彼女だけでなく、その子供もきっと高値で売れる。
桜子は女。さしずめ金の卵を産む鶏といったところか。良い方で死。最悪、一生を子供を産むだけの奴隷として扱われるのは目に見えている。
それらを含めての言葉にかつて金城白子だった彼は顔を歪ませた。視線だけで人を数人殺せるほどの気迫を纏っている。しかしまだ動かない。

それは変なプライドではなく、彼女自身を想ってのことだ。
隠れ家に丁度良い地を探すべく旅を続ける身。その旅は決して生易しいものではなく常人ならば、ましてや子供もいる身なら数日で根を上げてしまう過酷な旅だ。殆どを野宿で過ごし、定期的な食事も無く、熱が出たとしても薬は作れるが看病できる場所などない。
同胞にとっても旅をする上で常人の存在は邪魔なだけ。
両者のことを思えば思うほど、連れて行ける状態ではない。

「……仕方が」
「……知っていましたか?彼女の動きにはぶれがない。苦無の扱い方も熟知していた様子。
それに、無力な者が軍の本拠地で働けるものでしょうか?」
「ここには俺とおまえしかいない。そろそろ言いたいことを言え。その口調のおまえは回りくどい。」
「どうも。
つまり、桜子様は」
「待て。俺の知らない間になにがあった。」
「色々。色々あった。
別に私だけ絆されたわけじゃなく、他の二人も同様。女衆には彼女たちの口から桜子様は恩人だと伝えているそうだ。」

何故、様付け。その色々とは。恩人とは。
長である己のあずかり知らぬところで、この古くからの友人が手を回していたことを初めて知った気持ちは少々……いや、かなり複雑なものであった。頭が痛くなってくる。

女は確かに長に仕えているが、風魔としては特殊なことに、一人で考えて動くだけの力を有していた。
それは元々、目の前にいる男のことを長ではなく友人として見ていたこと、長不在のときは女衆の統括になるよう指示していたことが大きな原因だと思われる。

彼はちらりと女の顔を見る。苦労の連続だったのだろう。昔に比べてその眉間や目尻には皺が増えていた。それが己のせいであると思えば何とも言えない。

「話が逸れたな……つまり彼女は一人で身を守るだけの力を十分有している。にも関わらず、犲や曇天火が異様に彼女のことを気にかけていた理由は、戦いから遠ざけた理由は彼女の過去にあった。母親を殺した人間が、再び彼女の前に現れたとすれば、彼女はどうするだろうね。」
「……結局、おまえは俺にどうしてほしい。俺に一度、ここから離れろとでも言うのか?一族を放って女の元に行けと。
俺が護るべきは家族。あの女じゃな」
「私がじゃなく、おまえがどうしたい?
そうやって理屈を作って遠ざけて。そんなに風魔小太郎を見られるのが怖いか、自分の子を産んだ女でも家族でないと言い張るか。
……ああ、我らが長はそれほど非情であらせたか。」

俯いた男はなにも言わない。
惚れた女が死ぬかもしれない、慰み者になるかもしれない、犯罪者になるかもしれない。己の子供も売り物になるかもしれない。
このかもしれないが本当になってからでは遅いのだ。それを重々理解しているはずの長である男は、動こうともしない。

女は静かに溜息を吐き、踵を返す。

「……長がもう彼女たちのことをどうでもいいというなら、殺してしまってもかまいませんね。
この先酷い目にあうよりは、一瞬で楽にして差し上げるのが一番の救いですもの。」

それでは失礼。
そう言って駆け出そうとした女の首元を何かが掠める。背後の木には深々と苦無が突き刺さっていた。

「……暫く、一族の指揮を任せる。
定期的に連絡を寄越せ。一月の内には戻る。」
「はい、かしこまりました。
歓迎の用意でもしてお待ちしております。」

ギラギラした目で睨みを利かせ、一瞬のうちに目の前から消えた長を見送ると女は少し血の流れる首筋に手を当てた。
形のいい口から大きな溜息が漏れるが、その唇は隠しきれない笑みが浮かんでいる。

あんな言葉だけで怒るなら、初めから素直に迎えに行けばいいのだ。これでやっと肩の荷が下りる。
女衆も皆、彼女の到着を心待ちにするだろう。あとは男衆にも説明をしなければ。これは女衆に頼もう。一から私が説明するより、男衆と親しい女が説明した方が早い。
待ち望んだ彼女たちがこちら側に来るのは勿論楽しみだが、何よりあの幸薄な友人が人並みの幸せを手に入れる様を見られると思うと非常に楽しみだ。

「……あ、手紙」

まあいいか。女は思う。
もう手紙で想いを伝える必要もなくなるのだから、と。

「さあさ、皆!長が嫁と子供を連れて戻ってくるまで暫く待機!もう少し進んだ先に町がある。まずは薬草を摘め!男は薬を作り、女は薬を売り捌け!散らばっている同胞にもそうするように伝言を頼む!熱のある者や体調が優れない者はその町でしっかり英気を養うように。長の嫁や子供の事だが、いきなりのことで理解できない者は女衆に一から説明してもらえ!以上、散!」
「はっ!」

了承の声が森に木霊する。次いで、気配が四方八方に散らばっていく。その中に不満の声音など一つも聞こえなかった。

ほらみろ。おまえの幸せを否定するような者は一族の中に誰もいない。おまえが私たちの幸せを考えてくれるのと同じように、私たちもまた、おまえの幸せを願っているんだよ。
私たちのことをを一番に考えてくれるおまえが、辛い思いばかりしてきたおまえが、少しの幸せも手に入れられないなんて、そんな馬鹿な話があっていいわけがないのだから。

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