戦場に芽吹く命

桜色が視界の端で動く。
業務をこなしている最中にも窓の外でちらつくその色にいつも励まされていた。あの日、奴が犲を抜けた日。あの少女もここから消えるのだろうとばかり思っていたが、少女は戻ってきた。俺たちの側に。だからこそ護らねばならない。先生の心残りの一つである彼女を、あらゆる悪意から遠ざけなければならないのだ。



桜子が長期休暇を取らされたのは数日前のことだった。あまり素直な気持ちで休暇を喜べないのは犲の周辺で可笑しなことが起こり始めたからだろう。

「……心配だなあ」

鷹峯が意識不明の重傷で病院に運ばれ、その数日後には空丸が泣き出しそうな顔で本拠地を訪れた。何かただ事ではないことが起こっているのは桜子でも理解できた。蒼世に「何があったのか」と聞けば「おまえには関係のないことだ」の一点張り。更には休暇を命じられ桜子は犲の本拠地から放り出された。
何も持たせずに放り出したのは酷い。妃子が後から荷物を届けてくれたことだけが救いだ。

それからはなんとなしに近江に向かった。しかし誰もいないのだ。宙太郎も牡丹も、白子さえも。だから数年ぶりのおんぼろな実家へ帰ることにした。行くあてがなかったからだ。

「ただい……ま?」

桜子はぱちくりと瞬きした。
おんぼろな実家は町から少し離れた森の奥に建っていた。隠れるようにひっそりと。そこら中に穴が開いていて、外から見ても荒れ様は酷いものだ。広さとしては物置と言っても過言ではない程の手作り感満載の小さな一軒家。
そんな家の中に、三人の女性がいるではないか。白髪に紫色の目。想い人と同じ色を持った女性たちは桜子と同様に驚いた様子でぱちくりと瞬きする。

「……?」
「……。」

なんとも言えない空気が流れた。長い時間、見つめあっているような気もしたがきっと三十秒にも満たなかっただろう。
先に動いたのは中にいた三人のうちの一人だった。懐から苦無を取り出し勢いよく立ち上がったものだから、桜子は反射的に激怒した。

「動かないでっ!!」

ビリビリと空気を震わすその声に、女たちはピタリと動きを止める。桜子は女の一人に目を留めた。妊婦の女性だ。腹は大きく膨らみ、少し辛そうに顔を歪めている。

「埃が立つ。
そこの人、その妊婦さんを一旦外に連れ出してください。もう一人は一緒に掃除を手伝ってください」
「……は?」
「早く!こんな場所で産むなんて、母子ともに殺す気ですか!」

一人タスキを掛け、水を汲みに行った桜子を女たちは唖然として見送った。

「……どうする」
「長からは、子が無事に産まれるよう彼女の側についていろとだけ」

二人の女は悩んだ。悩んだ結果、桜子に従うことにした。
見たところ一般人の女。何か妙なことをすれば始末すればいい。まずは長の命令どおり子が無事に産まれることを優先しなければならない。その為には家主であろうこの女の言うことを聞いた方が確実だ、と判断したのだ。

「何をすればいい」
「じゃあまずは雑巾掛けをしてください。私は火を焚きますから」

桶に入った水と布を手渡された女は言われたとおりに動く。その最中、火を焚き始める桜子の後ろ姿を見て疑問に思わずにはいられなかった。
明らかに敵意を剥き出しにした者に対して、いつでも殺してくださいと言わんばかりの無防備さ。何か事情を聞いてくる様子もなければ怯えている様子も見受けられない。ただの馬鹿かと思えば一定の範囲内からは近寄ってもこない。女からすれば見たこともない人種だった。

「……私に何か、ついていますか?」

女はハッとした。つい見すぎていたらしい。振り向いた桜子の瞳は炎の光でゆらゆら揺れていた。黒い瞳の中で輝く青。白とも銀とも言えない髪がとても美しかった。

「あなたは、何故逃げない」
「それは、どういう意味で」
「家に帰れば不審者が三人いた。普通ならばそれだけで人は逃げる」
「そうですね」
「私があなたに敵意を向けたのも見たはずだ」
「ええ、見ました」
「なら、何故……っ!」

桜子は笑った。懐かしいものを見るような、愛おしいものを見るような視線を女に向けて、ふわりと笑う。

「昔、あなたと似たような人がいました。あなたと同じ風魔の男性です。今は曇神社で居候をしているんですよ」
「……曇、神社で」
「警戒心が強くて、何かあればすぐ苦無を取り出して。でも、とても優しくて。その人と重なってしまったんでしょうかね。放っておけなかった」

女は顔を歪めた。曇神社で居候をしている風魔といえば、一人しか思い当たらなかったのだ。その男のことを愛おしげに話す桜子に対して女は初めて感情を抱く。

「その方とは……どういった関係で」
「恋仲です」

ぽとりと布を落とす。女が考える限り、最大で最悪の答えだったのだ。曇神社で居候をしている風魔。風魔の双頭の長の一人、その人の恋人だと、確かにそう言った。女は暫く、桜子の顔を見ることができなかった。

騙されていることも知らず、いつか捨てられることすら知らない。哀れな女だ。

「あ、拭き終わったんですね。ありがとうございます。じゃあ次は」

外で、どんっと大きな音がした。
二人揃って外に出れば、空には龍のように大きな大蛇がとぐろを巻き、町を見下ろしている。女は歓喜した。

待ち望んでいた大蛇様の復活。町の方で聞こえる暴動の声。風魔を動かす長の口笛。
きっと怯えているであろう哀れな女の横顔を一目見てやろうと、紫色の冷たい瞳を桜子に向ける。

「っ、なんで」

しかし桜子は大蛇など見ていなかった。空なんて一度も見ていない。その瞳には怯えなんて一切ない。青混じりの黒い瞳には妊婦しか映っていない。

「なんで、破水したと言ってくれなかったんです!」
「外でっ、待っていろと……っ」
「破水したら言ってください!いつから破水が?」
「外に出てすぐです」
「かなり前じゃないですか!!早く中へ。
ほら、あなたも!」
「え」

女がびくりと肩を揺らす。

「布団……いや、座布団を敷いてください。部屋の隅にあるやつ。これから忙しくなりますから、よろしくお願いします」

頭を下げて再度水を汲みに行った桜子を、女は一人見送った。

「何故……。」

恋人と同じ一族だからというだけで、ここまで赤の他人に親切にできるものなのか。女は理解に苦しんだ。

大蛇様が復活しても慌てる様子はない。ろくな情報を持っていたとも思えない。何の重要人物でもない、ただ変わった色を持った肝の座った普通の一般人だ。
そんな人物と、なぜ長は?

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