それだけは信じていて

「桜子」
「白子さん!」

窓の外から聞こえてきた声。桜子が初めて見せた、花が舞い散るような笑顔に息を呑んだ。

なるほど、春のような女性だと天火殿から聞いてはいたがこういうことか。開いた窓に駆け寄っていく桜子の姿は可愛らしいものだ。それに比べてこの男は。

牡丹は冷たい目で睨んでくる白子を見据えた。その姿は番犬のようで、思わず口元を押さえ笑ってしまう。

「どうしたんですか。忍装束だなんて珍しいですね」
「うん、これからちょっと仕事なんだ。空丸に桜子がここにいるって聞いたからさ、途中まで送ろうと思って」
「それは嬉しいんですが、仕事のほうは大丈夫ですか?」
「もう少し時間があるから大丈夫だよ。さ、行こうか」
「はい!」

踵を返し、牡丹の目の前で立ち止まる。キョトンとする牡丹に桜子は腰を折って頭を下げた。

「牡丹さん、ありがとうございました」
「いえ、私は何も」
「心配してくださったの、本当に嬉しかったんです。だから、ありがとうございます」
「……やはり、優しいのですね」
「牡丹さんこそ。では、失礼します」

最後に会釈をして教室を出て行った桜子を牡丹は手を振って送り出した。
暖かく和やかな雰囲気が流れていた教室にピリピリとした空気が流れ出す。あまりにも分かりやすい殺気に、牡丹は怖気ずくことなく小さなため息をもらした。

「随分と早いお着きでしたね。空丸くんには話し合う場所まで伝えていなかったはずですが」
「人目もなく重要な話ができるのはここくらいしか思いつかなかったんでね。お前、どういうつもりだ」
「あの方が味方なのか確かめておきたかっただけです。ですが、杞憂でした。いい恋人をお持ちですね。大切になさってください」
「言われずともそのつもりだ。
これ以上、桜子に余計なことを吹き込んでみろ。お前を殺す」

曇と同等かそれ以上に深い情を感じ取り、牡丹は笑う。それとは反対に白子は不愉快そうに眉を顰めた。

空丸から、桜子が牡丹と二人きりで話していると聞いたときは気が気でなかったのだ。余計なことを話していたなら、彼女の表情が曇っていたなら、即刻その首を飛ばしてやるという気持ちで寺子屋にやってきた。すると桜子の表情が予想していたよりも明るくて、白子は驚いたと同時にほっとした。嫌な思いはしていなかったらしい。

「白子さん!お待たせしました!」
「忘れ物はない?」
「ないですよ」
「じゃあ行こうか」

去っていく二人の後ろ姿をじっと見つめていた。その姿は妙に絵になっていて、きっと彼も桜子には手を出さないだろうと、牡丹はホッとしたように微笑んだ。

「何も嫌なことはされてないか?」
「はい。とてもいい方でしたよ、牡丹さん……もしかして、心配してくれてたんですか?」
「ああ、心配だった。ここに来るまで気が気じゃなかったよ」

人気の少ない森の中を通りながらゆっくり歩く。心配した、その一言が嬉しくてにやけていると、不意に立ち止まった白子が桜子のほっぺたを軽く伸ばす。むっとした表情で頬を伸ばしてくるので、拗ねているのだなとすぐ理解した。彼らしくない分かりやすさだ。

「まったく、二週間も顔を出さないで。どうしているのかずっと気になってたのに、先にあの女と話すなんてひどいよ」
「しゅ、しゅいまひぇん」
「あ、あとこの後なんだけどさっき空丸が仕事に出かけてさ。俺もこの後仕事だから曇家に誰もいないんだ」
「ます、はらしてくだひゃい」
「ごめんごめん。思ったより触り心地がよくて」

ぜったい面白がっていただろう、とジト目で見つめていると白子はフフッと笑った。その笑みにつられる様に桜子の口からも笑みがこぼれる。

「わかりました。じゃあ、ゆっくり道草しながら帰りますね」
「悪いな、せっかく来てくれたのに」
「いいえ。白子さんとこうして話せただけで充分です」
「そういうこと、あまり言わないで。離したくなくなる」

腰に手を回されてぎゅうっと抱きしめられる。久々に抱きしめられたからだろうか。着物の上から抱きしめられているはずなのに触れられている箇所からじんわりと熱が伝わってくるようで、桜子は赤面した。

「桜子、痩せた?」
「そうですか?」
「うん。……やっぱり、天火のこと」
「それはもう大丈夫です。何とか乗り越えました」
「乗り越えた、か。強いな、桜子は」

抱きしめられたまま耳元で小さく呟かれた言葉を否定するように、小さく首を横に振った。白子の背中に手を回し抱きしめ返すと、彼の身体がピクリと揺れる。

「強くなんか、ないです」
「……桜子?」
「置いていかれるのは、とても怖い。大切な人が目の前から消えてしまうのは、自分が死ぬことより怖いんです。
白子さん、あなたは私を置いていかないでくれますか?」
「……ごめん、約束はできない。俺は忍だから」
「いいんです。ただ、お願いがあります」
「お願い?」
「あなたが私の前から消えるときは、私を殺してくださいね。失うのはもうたくさんだから、ちゃんと殺してくださいね」
「善処する」
「信用できません」

ムッとして答えると、白子は桜子を力強く抱きしめた。

息苦しいくらい抱きしめられているはずなのに辛くはない。寧ろこのまま一つになってしまえたらどれほどいいだろう。そうすれば、失う怖さを味わわないで済むのに。

「じゃあ、これだけは信じてくれる?」
「……なんですか」
「愛してるよ、桜子。この先なにがあっても、ずっと愛してる。それだけは信じていて」

ずるい人。連れていっても、殺してもくれないくせに、愛しているだなんて。
それでも抱きしめるその手が微かに震えていて泣いているように見えたから、私は何も言えずただ抱きしめることしかできないのだ。

「桜子、愛してる」

別れの時は刻々と近づいている。

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